アイリスの返答
ランドに案内されて待機していた俺達。
前と同じく少し待たされたが、以前とは違って正体がバレる云々を心配する必要が無いから随分と楽に待てた気がするよ。
嫌な汗も流れ出ていなければ思考が上手く回らないなんてことも無い。
相手の話と要件をまともに聞くだけの心の準備は出来ていると言えるだろう。
だけど、今回の主役はあくまでアイリスとシオン。
勇者候補の権利明け渡しに関して俺が言えることなんて勿論無いし、口を挿むつもりだって無いのだから彼女たちの話にただ耳を傾けるだけで良い。
結局この件に関しては全てアイリスの判断に任せるつもりだからな。
鍛錬は彼女が勇者になろうがならまいが続けさせるつもりだし、俺の前から逃げようと考えても実行させるつもりも無い。
俺がアイリスに求めるのは、ただ最強だからな。
腕っぷしはこの際見ないことにするとしても、アイツの根性だけは高く買えると思う。
だから、絶対に捨てるつもりは無いのさ。
「ところでアイリス。お前はシオンの父親に会ったことはあるのか?」
「無論ありますとも。わたし達は親友同士ですからね、家族ぐるみの付き合いもあるんですから」
「家族ぐるみって、お前の親父さんもか?」
亜人であるエルフの血をひいている彼が、いくら娘の親友と親だからといって人前に姿をさらすのは考えにくい。
だって魔王である俺を相手にしても足どころか身体の一部すらも見せなかったくらいだ。
シャイという引っ込み思案な性格もあるとは思うが、そんな彼が家族ぐるみの付き合いなど可能なんだろうか。
「あ~、確かにお父様はまだ一度もジャンニ様の前に姿を見せたことはありませんね。ほら、お父様ってああいう性格ですから」
「あぁ。俺を前にしても姿一つ見せず、声だけだったな」
「はい。だから、ジャンニ様もお父様のことを直接見たことはありません。ただ声を聞くだけといいますか……。公爵相手に失礼だとは思うんですけどね」
苦笑しつつそう言うアイリス。
失礼だと思われても仕方のない行為をしているのにも関わらず、彼女の家族や宿の経営が未だ存命しているのは、きっとジャンニ公爵がそれを許しているからだろう。
娘の親友の家族であるのなら、多少の無礼には目を瞑ると言うことなのか。
真意は彼にしか分からないことだが、少なくとも娘に対してかなり甘い性格をしてるんじゃないかと思えて仕方ない。
そんな風にまだここを訪れていない人物を話題にアイリスと会話していると、控えめだがそれでいて良く聞こえる大きさのノックが扉から聞こえた。
「アイリス様、タクマ様。シオン様と旦那様をお連れいたしました」
ランドが俺達をこの部屋に案内してから然程時間は経っていない。
おそらくはすでに用意は済んでいて、後は俺達の到着を待つだけだったというところだろう。
女性の着飾りは時間がかかるとは言うが、この異世界でもソレは変わらないしむしろドレスだとかなのだからもっと時間を浪費するはず。
そう考えると、どれくらい前から用意を終わらせていたのか気になるところだ。
ゆっくりと開かれる部屋の扉を見据えながら適当なことを考えていると、ランドと共にシオン、そして初めて見る少し厳ついおじさんが入って来た。
身に纏っているいかにも貴族ですよと言いたげな純白の派手な服は、下の屈強な身体のサイズに合っていないのかはちきれんばかりにピチピチ。
首元から顔までには数多の傷が見受けられて、流石は武力の家系に生まれただけはあると思わせられる。
その視線は入室してから最初は愛想のいい笑みを浮かべてアイリスを見据えていたが、俺を捉えると彼の顔から笑みが消えて睨みにも似たものに変わった。
それはランドと同じ俺を見定めるような、それでいてこの場に居ることを全否定しているかのような冷たい視線。
武力に関しては他の貴族の追随を許さないと言われているらしいフォルセクス公爵家の主なのだから、気づいても当然な気はするが、それにしたって殺気が少なすぎる気がしてならない。
そこが少し不可解な点だろう。
「やぁ、アイリス、久しぶりだね。元気にしていたかい?」
「は、はい! ジャンニ様」
アイリスに対しては自然な笑みを浮かべて接するジャンニ。
家族ぐるみの付き合いなのだからこその笑みなのだろうが、ほとんど顔が緩みまくっていてまるで本物の娘を見ているかのようだ。
ソレに対してアイリスは、昨日のシオンに対しての砕けた接し方とはうって変わって最低限の礼儀は見せないといけないと思ってるらしい。
胸に手を当ててその場でぎこちないお辞儀を披露しながら笑っているんだが、言っちゃ悪いがぎこちなさすぎて変ではあるんだが、苦手なことでも頑張っている姿っていうのは親心を刺激するものだ。
それが例え自分の娘でなくとも微笑ましく思えるものだからこそなんだろう。
ジャンニの浮かべている笑みがより一層深くなった気がする。
「そうか。聞けば冒険者となって頑張っているそうだが、勇者の子孫として相応しい成果は上げられているのかね?」
「あはは……正直言って、それがそうでもないのです。学園にいた頃のように学業で戦闘面を補うこともできませんでしたから。ギルドでは『勝ち無しのアイリス』とまで言われてる始末です」
苦笑して答えるアイリス。
コイツにとってはギルドで勝手につけられたあだ名は黒歴史にも匹敵するほどのものだというのに、その顔に羞恥心や怒りと言った感情は見られない。
もはや昔の話だとでも割り切っているのか。
大して本人の実力は上がっていないはずなのだが、聖剣の加護を受けた勇者としての彼女の実力は所謂化け物だし気にするようなものでもなくなったということだろう。
ギルドで再びあだ名で呼ばれようものなら、聖剣を持ってして実力を見せればいいとでも思っているんじゃなかな。
どんなふうに思っていようが別に構わないけど、その場合俺が聖剣を貸さなかったら終わりだろ。
「ギルドで働く冒険者は力があってこそだからね。仕方ないよ。——ところで、そちらの方が君の”お師匠様”かな?」
会話を繰り広げているうちに対象が俺に変わったんだろう。
ジャンニは相変わらず表面上は暖かな笑みを浮かべているが、俺を見据える視線だけは凍えるような冷たさが消えていない。
もはや、殺す気なんじゃないかと思えるほどに鋭い眼光だと言えるだろう。
「そうなのです! 彼はわたしの冒険仲間で鍛錬をつけてくれているま……まるで、化け物みたいに強いタクマさんです」
「お初にお目にかかります。タクマと申します」
俺はその場でお辞儀をして挨拶を告げると同時に、背中にまたもや冷や汗をかくことになった。
昨日といい今日といい、俺の正体を知る人間って言うのは何故こうも暴露しやすいんだろうな。
シオンの場合は呪いで抑え込んでいるからこそ口には出せない仕様になっているんだが、アイリスの場合はそんなものはかかっていないからな。
コイツが自分で爆弾発言に気が付かなかったら、危うく目の前にいる俺が魔王だとバレるところだったぞ。
「そうですか。化け物のように強いのですか、それはお師匠様としては申し分ないでしょうな。あぁ、申し遅れました。わたしはジャンニ・フォルセクス。この屋敷の主です」
「よろしくお願いします。では、お互いに挨拶は交わしましたからそろそろ本題に入りませんか? あなたは公爵だ。お忙しいでしょうし」
「えぇ、そうしましょうか」
ニコリと微笑み父親の横から一歩前に出てきたシオンが、引き攣った笑みを浮かべて答えてくる。
父親共々俺を殺しかねない冷たい視線は、向けられてきてあまり良いものじゃない。
一応この冷たい視線には慣れているつもりではある。
魔王城にやって来た勇者の大半はそんな視線を向けてきているし、文字通り俺の命を奪いにやって来ているんだからな。
そんな殺意だけを浮かばせたものに比べれば、飛びかかっても勝てる気がしないと弱腰になっている奴の小さな抵抗じみた視線なんてかほども怖くない。
だが、一応アイリスの親友でもあるため出来ることなら仲良くしたいところだ。
何せコイツは昔魔王城に単身突っ込んで来た経歴があるらしいからな。
一緒に育てることになれば、これ以上にもないほど面白くなりそうだし。
「じゃあ、アイリス。遠回しにするのも面倒だ。あなたの返事を聞かせてほしい」
「——そうですね、勇者候補ということですが、嬉しい限りだとは思っています。けれど、まだわたしはその器に見合った実力を持っていません。だから、今回はお断りさせてもらいます」
アイリスを真剣に見据えていたシオンだったが、彼女から発せられた拒否の反応を見て唖然とする。
親友から頼みを断られたからなのか、それともこれ以上にもないほどの名誉たる勇者の称号を自分と同じく不必要と断ったからなのか。
どちらにしても彼女からすればアイリスのこの返答は予想外だったらしい。
短くため息を吐いて困ったようにアイリスを見据えると
「今回は、か?」
「はい、『今回』は遠慮させてもらいますよ。わたしが勇者に足る力を得たならば、次こそは受けさせてもらいますよ。とは言っても、その頃にはシオンも気が変わっているかもしれませんが」
肩をすくめて口にするアイリスに、シオンもまた苦笑を返す。
だが、すぐさま横目で俺を確認すると
「つまり、コイツの下で鍛錬を積み強くなると言うんだな?」
「はい。だって、タクマさんは最強ですから。それはシオンも知ってるのでしょう?」
「——ッ!?」
最強の意味をどう捉えたのかは分からない。
だが、少なくともアイリスも俺の正体を知っていると判断したらしいシオンは何かを口にしようとしたのだが、その行為は隣から差し出された腕によって制させれた。
それはジャンニの腕だった。
屈強で丸太のように太い腕を見せつけるだけでも十分シオンの発言を止めさせる効果はあったのだが、それ以上に彼女から発言の意志を刈り取ったのは父親から溢れ出ている闘気のようなものだろう。
目には見えない不思議な気迫とでも言えば良いのか。
流石はフォルセクス公爵家の主、凄まじい威圧感で場がピリピリと殺気立ってるのを感じたよ。
「アイリス。君がお師匠様を信頼しているのはよく分かるよ。けれど、最強と言われてはわたしも黙っていられないかな」
「ジャ、ジャンニ様?」
「フォルセクス公爵家は武闘派な貴族でね、このエレウェン国随一の力を誇ると自負しているのだよ。それを差し置いて最強と言われると、少しだけ興味が沸いてしまうのさ」
そんな風に言葉を並べながら俺を見据えるオジサンを前に俺が思うこと、それは『絶対に嘘だ』という短い言葉だけだ。
だって部屋に入った時から俺のことを目の敵として見ていたし、アイリスがたとえ俺のことを『最強』呼ばわりしなくとも何かにつけて決闘に持ち込んだことだろう。
つまりは、最初から俺を血祭りにあげることしか頭になかったということだ。
「さて、タクマ君、だったかな? わたしとしては君の実力も知りたいところなのだ。わたしの申し出を受け取ってはもらえないだろうか?」
「——公爵様たってのご希望であるのなら、それを無下には出来ません。わたしで良ければ、お相手を務めさせていただきます」
殺気と闘気を交ぜたようなとんでもな睨みを利かせる公爵に対して、俺は微笑みを崩さないまま淡々と答えた。
別に断っても構いはしないんだが、ここで実力を調べるという名目の決闘に乗らなければアイリスの師匠として認められないだろうし、何より最近運動不足な俺だからな。
この国で随一と自称している男を相手にするのも、これはこれで面白いかもしれない。
久しぶりに少しくらいは面白い戦いが期待出来そうだと、俺は目の前で敵意の眼差しを少しも緩めないジャンニにお辞儀をしつつほくそ笑むのだった。




