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アイリスの実家へ③

 正直言って、俺からしたこのアイリスの実家兼宿の評価は上々と言ったところだ。

 と言うのも、先の知らせてもいないのにお湯が沸いていた件もそうなんだが、この宿の切り盛りをしている人はまるで俺の心を読んでいるかの如く行く先々で俺が欲しているものを用意してくれてるんだよな。


 例えば、風呂上り。

 これは他の旅館や宿でもあることだが、綺麗に折りたたまれたバスタオルが用意されていたことだ。


 しかも、風呂に入る前は適当に脱ぎ散らかしていた服が綺麗に折りたたまれ、更にはそれまで付着していた俺の汗が綺麗サッパリ消えているのだから恐ろしい。

 まるでこの世界には無い洗濯機で洗われた衣服のように着心地の良いソレは、風呂上りにはとても気分が良いものだよ。


 その他にも火照った身体を少し冷ますという意味で何処からか淡い風が吹いていたし。

 風呂場を出ると、二つに揃えられたスリッパが用意されていたりと、何かと気にかけてくれている感じがするんだよな。


 そりゃ客足の少ない宿だからこそ小さな気遣いで他を補いたいんだろうとは思う。

 それくらいする気概がなければ、言っちゃあ悪いがこのおんぼろ宿の経営維持は困難だろうからな。


 だけどさ



「流石にここまで気にかけてもらいすぎると逆に怖いんだけど」



 風呂に入りたいと思っていた時にちょうど風呂が沸いているのは良い。

 衣服が綺麗に洗われていてバスタオルが用意されつつ、宿を移動するためのスリッパまでもが用意されているのは過大評価しても良いところだ。


 しかし、いくら何でも『トイレはこちらです』って案内は必要ないんじゃないだろうか。

 紙の端っこに目立たないほど小さな字で『タクマ様』と書かれているのだから、間違いなく俺宛に書かれているだろう案内。


 風呂場に入る前には絶対に貼られていなかったのだから、俺が風呂に入っている間に貼られたものだと断定できるだろう。



「確かにトイレには行きたかったけど、失せるわこんなの」



 気遣いどころか軽いホラーだ。

 

 向かった先々で俺を待ち受けている小さな心遣い。

 その優しさには素直に感謝するが、別に頼んでもいないのに全てを事前に行われると嬉しいどころか怖いだけだ。


 ほぼ間違いなく俺の考えていることや思っていることが読まれている。

 深く考えなくともそう結論づけた俺は部屋へと一目散に帰ると、未だに部屋の中央で寝ころび時間を浪費させていた自称勇者の末裔に近づくと



「なぁ、お前の家では化け物か何かを飼ってるのか?」


「な、何ですか藪から棒に」


「さっきから奇妙なことばかりが起きてるんだ。風呂がちょうどよく適温で沸かされていたり、衣服が綺麗に洗濯されていたり、挙句の果てにはトイレの案内まで貼られていたんだぞ?」



 相手の心を読む化け物。

 そんな特技を持つ魔物は少なくとも俺は知らない。


 しかし、現にさっきから起きている一連の出来事は全て俺が次にやりたいことを表していると言っても過言じゃない。

 風呂から上がったらまず汚い服を洗おうと思っていたし、それを終えたらちょっと用を足しにトイレに行こうと考えていた。


 衣服に関しては旅館ではあり得なくはないことだが、トイレは確実にあり得ない。

 それこそ、俺の心を読むくらいの能力を駆使しなければ不可能だろう。



「あぁ、それはお父様の親切ですね」


「親切? あの怖いくらいの気遣いがか?」


「はい。お父様はお客さんに満足のいく宿泊をしてほしいということを第一に考えている人ですから、物事全てをお客さんが頼む前に終わらせているんですよ」



 物事全てを頼まれる前に終わらせる、その考え方は素晴らしいことだとは思う。

 例えるのなら、親に勉強しなさいと言われる前から勉強していたり、上司にここまで終わらせておいてくれと頼まれるん前に仕事を済ませておいたりするものだ。


 確かにそのやり方自体は問題ないだろう。

 言われなければ出来ないよりは、言われなくとも出来る奴の方が優秀なのは当たり前だからな。


 だけど、ソレを生活感の漂う宿でするのはどうかと思うぞ?



「なぁ。まさかとは思うが、このやり方……俺だけに対してやってるわけじゃ」


「無論ないですよ! 我が宿は事前になにもかもを終わらせてあげるというのを売りにしている宿ですからね。それが無ければ他の宿と少し年季のある以外では違いが無いですから」



 胸を張って堂々と言いきるアイリスに、俺は額を抑えてため息を吐いた。


 ハッキリ言って、このやり方はもう少し他のところで活用した方が良い。

 何故なら風呂だとかトイレだとかそういうものにまで干渉されると、嫌でも自分の周りを気にするようになてしまうからだ。


 もしかして、自分は監視されているんじゃないかと気がかりになる。

 その結果、周りに視線がいくばかりで全然休めず、結果的には散々な宿泊となって終わるのがほぼだろう。

 もしくは、視線やとても小さいとは言えない気遣いが逆に怖くて逃げだしてしまう。


 この宿の客足の悪さは、そういういらない気遣いが原因なのかもしれないよ。



「お前、今すぐに両親の所に行ってこのやり方を止めるように言ってこい」


「えっ、何故ですか?」


「客足の悪さはその怖いくらいの優秀な気遣いのせいだ。普通無いだろ、何気なくトイレに行こうかなって適当に思っていたら、目立つ場所に案内が貼られてるなんてよ」


「そ、そうでしょうか? わたしの場合はこのやり方がおかしいとは思えないのですが……」



 おそらくは小さなころから手伝いとかを経験しているんだろう。

 事前に全てを終わらせておくということが身体に刻み付けられて、何が悪いのか分からない様子のアイリスは首を傾げてしまった。


 いや、人様のやり方に口を挿むつもりは毛頭ないよ。

 あくまでコレは俺の意見で合って絶対ではないんだからな。


 真に受けるつもりが無いのなら聞き流してもらって構わないんだ。

 だけど、流石にもう俺に対してはしないでほしい、それが俺の本音である。


 そんな討論を繰り広げていると、部屋の扉が開け放たれて先程俺達の前から姿を消したアイリスの母親であるリースが、ピンクの目立つエプロンを着用して入って来た。



「アイリス、タクマさん。お夕食の準備が整ったのだけれど、大丈夫かしら?」


「わたしは大丈夫なのですが、タクマさんは……」


「リースさん。少し話しておきたいことがあるんですが、良いですか?」



 アイリスに関しては言ったところで頷いてはくれるが理解はしてくれない。

 そもそも、今は俺の家に住んでいるわけだし実家である宿のことをあれこれと考えさせるのは酷だろう。


 ならば、ちょうどいいタイミングで来訪したリースに告げれば良いだけのことだ。


 彼女はこの宿で働いているようだし、現状をどう判断しているのかは知らないが少しでも改善するようなら話くらいは聞き入れてくれるはず。

 だからこそ、俺は今すぐに小さいようで余計なお世話を今すぐやめてほしいと進言するつもりで口を開いたんだが、何を勘違いしたのかリースは胸の前で両手を合わせて困ったように苦笑すると



「申し訳ありません。タクマさんが住んでいた城のものとは風呂の広さもお湯の温度も満足のいくものではなかったようで」


「いや、風呂に関しては適温だったし満足はしたよ。だけど、俺が気になったのは……」


「『魔王様』の機嫌を損ねたのであれば、本当に申し訳ないとしか言えません。けれど、そこは宿の売りである事前に全てを終わらせるでカバーいたしますから、安心してくださいね?」


「——」



 満面の笑みを浮かべて、いやこの場合は営業スマイルとも言えるのだろうか。

 母性ある優し気な笑みを浮かべて、リースはとんでもないことを口走りやがった。


 『魔王様』と、間違いなく告げたその口は未だに弧を描いているが、わざとらしさは皆無だし自然に浮かべられた見本のようなスマイルだと言える。

 そして、俺を見据えるその瞳には恐怖と言われる負の感情は見当たらず、あるのは客と愛娘を見つめる優し気な感情のみ。


 何がどうして俺が魔王だと知っているのか分からないが、悪逆非道で悪の親玉で通っている俺を前に平然といつもの状態を崩さない様子からして、確実に俺の置かれている現状を把握していると言えるだろう。


 どうやってかはやっぱり理解できないが、気持ち悪いと本気で思えるほどの気遣いを可能とさせている心を読むに近い能力がソレを実現させているに違いない。


 まぁ、そんなことはどうだっていい。

 問題視するべきは



「た、たた、タクマさんが……魔王、様……?」



 他の誰でもない自分の母親が口にした言葉を復唱して、困惑と恐怖の混ざった表情を浮かべて俺を見つめるアイリスだろう。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その後、今まで隠していたことをアッサリと暴露され複雑な心境の俺と未だに理解が追い付かず困惑した様子のアイリスは、リースの案内の元食堂まで足を運んでいた。

 無論理由は用意できた食事を済ませることと、先程の会話の続きである。


 俺としては遅かれ早かれいつかは伝えるべきことだったから大して気にしてはいない。

 だって現在も魔王であるのなら別だが、今の俺は間違いなくただの一般市民に他ならないからな。


 そりゃあ『元魔王』ってだけで評価は駄々下がりだろうが、過去の俺がどうであれ今の俺は人間に対しては無害すぎる存在だ。

 アイリスは勿論、他の人間には手を出すつもりは無い。

 まぁ、俺の逆鱗に触れるような真似をしたらどうなるかは知らないけれども。



「本当にごめんなさい。わたしってば、てっきりタクマさんはアイリスに全てを話しているものだと思っていたものだから」


「いや、構わない。いつかは教えることだったからな。それが少しばかり早まっただけだ」



 話すタイミングは正直考えていなかった。

 だからこそ、逆に考えていれば話す機会が出来たのだと思えば良いだろう。


 少しばかりアッサリしすぎていて、話す側の俺も戸惑ってしまったけれどさ。



「それより、俺が魔王だと知ってるということは、アンタが俺の心を読んでいるのか?」


「流石は魔王様。心を読んでいるというのは正解よ。けれど、残念ながらソレをしているのはわたしでは無いの」


「と言うと、旦那さんか?」



 俺の言葉にリースは頷く。

 聞けば彼女の旦那、つまりアイリスの父親は心を読む能力に長けた人物らしく、その力を活用して裏方に精を出しているのだという。

 風呂の準備や衣服の洗濯、そしてトイレの案内まで全てが彼の気遣いだったということだ。


 この宿に来てから一度も姿を見ないと思ったが、まさかそんなことをしているとはな。

 こんなことになるのなら、最初から魔力探知で把握しておくべきだったかもしれない。

 そうすれば、多少の対処くらいは出来ていただろうよ。



「ロベルさんは昔からシャイな性格をしているものだから、あまり人前には姿を出せないの。多分、あの人の相手の心を読むという能力が関係しているのね」


「まぁ、出たくないというのならそれで構わない。知りたいことは知れたからな。——つまり、俺が魔王だと心を読んで知ったのはロベルさんで、アンタはソレを聞いただけということだな?」


「えぇ、そうよ。それと、相手は魔王様だから絶対に怒らせないようにと、散々言われたわ」



 相変わらずニコニコと微笑みながら全てを隠すことなく教えてくれるリース。


 ことと次第によっては心を読む能力なんて喉から手が出るほど欲しい力だ。

 それを手に入れたい願望が俺にあったとしたら、確実に旦那さんは酷い目に遭っているだろう。


 そのことを把握しているが俺の人となりを知っているからこそ教えてくれているのか、それともただ彼女がお喋りなだけなのか。

 どちらかは分からないが、かなり心配な人だと素直に思う。

 流石はアイリスの母親だ。



「そうか。それはまあいいとしてだ。俺が魔王だという存在だということは宿の外で口外しては……」


「ええ、いませんよ。大事なお客様で、娘のお師匠様ですからね。たとえ魔王様でもそのようなことはけして致しませんよ」


「それを聞けて安心した」



 知らない間に宿の外を包囲されたんじゃたまったもんじゃない。

 今まで隠し通してきたことが全てミスの泡に帰ることは、俺としても回避したいところだからな。


 仮にリースか旦那さんが俺のことを暴露してたら、キングスタスという国が丸々一つ消えてしまうところだっただろう。



「じゃあ、話は変わるが……ここの宿のやり方は変えられないのか?」


「ソレに関しては、わたし達も何度か検討したんですけどロベルさんが人前に出られない性格ですからそれはちょっと厳しいかもしれませんね。それに、このやり方を受け入れてくれてる方もいらっしゃいますから」



 苦笑というより、純粋に嬉しいのか笑みを浮かべるリース。


 客が願うことを言うより先に済ませておくというやり方の受けがよろしくないのは、やっぱり彼女たちも自覚はしていたんだろう。

 それで何度も廃止して別の方法をとろうともしたが、やはりこのやり方が一番だという結論に達したということだ。


 手間も省けて楽だと気に入っている人もいるらしいのだから、俺の意見は余計なお世話だったということだろうよ。



「貴重な意見をありがとうございます。他のお客様は怖がるばかりで意見を口にしようとはしない方ばかりでしたから」


「いや、俺は思ったままを伝えたかっただけだ。礼を言われるようなことはしてないよ」



 そんな会話をしているうちに食堂へとたどり着いた俺達。

 そこにはやっぱりというか、事前に用意されたであろう木製の丸テーブルと、その上に置かれたお世辞にも豪華とは言えない夕食が待ち構えていた。


 俺が魔王だからと豪華な造りにするつもりはないようで、わりと簡単そうな料理だ。


 フランスパンのようなパンが幾本か刺されたバスケットを中心に、俺とアイリスの席であろう椅子の前にスープやサラダが置かれてある。


 流石に肉までは用意出来ないらしく料理はそれだけなんだが、魔族である俺からすれば食事は人間だったころを忘れないためと、これからも人間として生きていくためのものだ。

 基本的に水だけでも生きていけるわけだし、どんなに少なかろうとも問題ないさ。


 だけど、テーブルの前に置かれているのはそれだけじゃない。

 何か小さな物体が置かれてあったのだが、ソレを視界に収めた瞬間俺は目を見開いた。



「な、何でコレがここにあるんだ!?」



 小さくて手のひらサイズに納まる黒色のソレ。


 電波がある場所であればどんなに遠くのものともメールや通話を可能とさせる現代科学の結晶、またの名を携帯電話がそこには置かれてあった。

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