弟子と王都へ
翌日の朝。
俺は結局一人じゃ心細いという弟子の泣き言に押され、半強制的に彼女の親友の家に赴くことになった。
例によって、俺がまたアイリスを抱きかかえて空を飛んでの移動だ。
馬車で時間を掛けてゆっくり行くのもいいのではないかというのはアイリスの言葉だが、俺としてはたかが名前の知らない親友のお宅を訪問するのに数日も掛けたくはないんだ。
アイリスの親友が住む場所と言うのは驚いたことにエレウェン国の王都であるキングスタス。
そこまで移動するのに馬車なんか使っていたら、往復で少なくとも二日ほどは時間が削られてしまう。
その間に依頼をどれだけ受けられるかを考えると、やっぱり俺には空を飛んでさっさと用を済ませてほしいものなんだよ。
「あの……毎回思うんですけど、この体勢ってどうにかならないのですか?」
「お前が空を飛べるようになれば毎回抱きかかえる必要も無いと思うが、それを期待するのは無理な話だ。それとも、お前は地面を全力疾走したいとでも言うのかよ」
「何故わたしがタクマさんに調子を合わせることになるのですか!」
「俺について来てくれと言ったのは他でもないお前だろ」
正論を突きつけてやれば、俺の腕の中で唸り声を上げて抗議しようとする勇者の末裔。
しかし、開いた口は発する言葉を見つけられ無かったようだ。
唇を噤んで俺を睨むその様には、可愛らしさはあっても迫力に関しては皆無と言っていいだろう。
それにしても、随分と慣れたもんだな。
前の経験もあってか俺はコイツを抱きかかえて空を飛ぶ際にはそれなりに速さに対して加減を加えているつもりだ。
吐かれては困るし、何より胸元でずっと唸り声をあげて『気持ち悪い』だの言われるのが嫌だからな。
今日に限らずこの一週間の中では、それなりに遠い依頼を受ける時は毎回のように抱きかかえての移動になってた。
往復で二時間かかる場所にも赴くこともあったからそれなりに耐性が付いたということだろう。
最初空の旅に出た時は顔を真っ青にしていた小娘が、今では俺に対して睨みを利かせながらブツブツと小言を言えるくらいに余裕がある状態だ。
流石にまだ全力で飛ばすことにまで耐えられる状態では無いだろうけど、ある意味では成長とも思えるものだからか不思議と嫌な気分ではないかな。
まぁ、結局のところ移動する時は全て俺が馬車の代わりを請け負ってるようなものだから、少し苛立ちもあるけども。
「ところで、お前は親友の誘い。つまりは、『勇者』を請け負うつもりなのか? 正直言って、今のお前じゃ素質が無いと俺は思うが」
「受ける受けないは向こうに行って親友の言葉を聞いてから決めるつもりなのです。……それにわたしには魔法の剣を使わなければ強い力が無いのは知っていますから」
自分の手に負えない件だと言うのにも関わらず、友の為だからと話は聞き入れる。
そこからどのような答えに達するのかは知らないが、そう簡単に承諾しないことはこの会話で理解できたよ。
だが、コイツの……いや、勇者の血筋を考えるとあまり楽観視できないのは確かだ。
昔から勇者と言う存在は、大半が正義感溢れる真っ当な人間と言う設定が多い。
だからこそ困っている人を放っておけない面があり、押しに弱いところがあるんだよな。
それこそ、親友だとか家族同然に思っている人が相手なら自分の身がどうなろうと知ったこっちゃないの精神で困難に自ら進んで行くもんだ。
アイリスもそんな勇者の血を受け継いでいるかもしれないのだから、放っておいたら何をしでかすか分からない。
今回、ついて来て正解だったのかもしれないな。
「——でも、タクマさん。もしも、本当に彼女が困っている時は……」
「俺は助けません。魔王なんて相手にしたくないし、何より今の生活が気に入ってるんで」
「は、薄情すぎやしませんか!? それに、こういう場面は弟子が困ってるのですから、師匠として力を貸すのが必然でしょう!?」
「お前の頭はいつも通りお花畑だな」
弟子が困っているのを見過ごせない。
そんな師匠の鏡とも思える存在に俺はなったつもり無いし、なりたくもない。
そもそもアイリスにとっては親友だろうが、その名も知らない彼女は俺からすれば赤の他人なんだ。
目の前で危機的状況に陥ってしまっているのなら反射的に助けてしまうかもしれないが、これから勇者となって魔王を倒すために長い時間を費やす相手に対して伸ばす手はない。
それに、相手は俺が人間界に送り返した存在だと言うじゃないか。
接触してもしも俺が元魔王だと知られたら、面倒なことになるのは明白だし、標的を俺に変える可能性だって十分にあり得るんだ。
俺にメリットがほとんどない。
「でも、魔王を倒さないとこれからも人間界は魔族の侵攻を受けて滅亡の危機に瀕してしまうのです!」
「じゃあそれこそお前が勇者になって世界を救えよ。ただし、俺の鍛錬を受けて完璧になってからな」
「……そこは、突き放す台詞なのでは?」
「俺は中途半端に鍛錬を終わらせるのは嫌なんだよ」
もう二度と半端な部下は作らない。
ソレがたとえ勇者であろうとも変わることは無いし、無駄に根性のあるコイツを今更捨てるというのももったいないからな。
アイリスにどう思われようが知ったこっちゃないが、コイツを魔王討伐に向かわせるのは最強に育て上げてからだ。
それ以外で魔王の元に向かわせる気は無い。
「とにかく、お前が勇者を引き受けるかどうかはお前の勝手だが、引き受けても魔王討伐に向かわせる気は無いからな?」
「わ、分かってますよ。わたしだって、まだまだタクマさんには教えてもらいたいことがあるんですから」
そんな会話をしつつ、俺達はキングスタス近くの荒野に降り立った。
前に馬鹿共の侵攻を受けた跡が未だに残っていて、所々には陥没した地面や不自然な形に変わり果てた岩が存在してるよ。
どうやらあれから魔族の侵攻を受けた様子は無く、以前俺が来た時と何ら変化は見られない。
「そういえば、お前の親友はなんで勇者候補に選ばれたんだ? 勇者になり得る素質があるのは分かるが、一度魔王に敗れた経験がある奴を勇者に祭り上げるなんてあり得るのか?」
「普通はあり得ないでしょうね。魔王に敗れた元勇者の方々は、全員精神的なダメージを受けて廃人になったりしてるのがほぼですから」
アイリスによると、稀に廃人になることなく元気に過ごす元勇者もいるそうだが、基本的にはみんな戦うことが出来なくなっているのだという。
人類の希望として祭り上げられた人間界最強の勇者。
だが、俺の元にやって来れた勇者はほとんど手も足も出せない輩が主だった。
絶対的な強さを誇る自分が倒されるわけはないと魔王に挑むが結果は惨敗。
それも埋まることのない力の差を見せつけられたうえでの負けなのだから、二度と俺に挑もうとする奴はいないだろう。
プライドは粉々に砕かれ、中には悪夢以上の恐怖を植え付けた奴もいるからな。
精神が崩壊して廃人になるのも仕方ないだろう。
ちなみに、恐怖を植え付けると言っても全ての奴にはしないよ。
ただ後ろに美少女を数人連れている勇者限定で、他よりもずっと厳しめの戦闘方法で戦っているだけなのさ。
無論、たった一人で俺の所まで来た奴は優遇させてるよ。
主に手加減してやるという意味で。
「なら、お前の親友はそれだけメンタルが強く、魔王に対して憎悪とかを募らせてるから勇者に選ばれたと言うことか?」
「魔王に戦いを挑んで生きて帰り、そして廃人にならずに済んだその精神力が評価されたのもあるのでしょうが、おそらくはこの前に起きた戦いでの功績が大きいのだと思います」
「この前の戦い? 何かあったか?」
「忘れたのですか? ほら、わたしがスライムウルフをたった一人で倒したあの日、タクマさんはキングスタスが危機だからと一人こちらに来たことがあったじゃないですか」
「あぁ、それか。確かにあったな。魔族の侵攻を受けて壊滅寸前だったのを覚えているよ」
思い返せば見事なまでの劣勢に陥っていた人間勢力だった。
いくら技量や身体能力が俺が直々に育て上げていた頃とは段違いに下がっているとは言っても、魔族である以上人間より秀でた部分が多かったんだろう。
奇襲を受けたこともあるし、何故か送り返した勇者が最前線に出てこなかったのも理由の一つだが、あの時俺がここに来てなければ人間側には滅亡の二文字しか残されていなかったろうな。
魔王城から直接ゲートを使ってカマキリの卵から出てくる幼虫並みに湧いて出てくる魔族を相手に、ギリギリ持ちこたえられていたのは最前線で槍を振るっていた女騎士の功績だと思うよ。
「それがどうしたんだ?」
「直接タクマさんは見たかもしれませんが、何を隠そうあの時魔王の勢力をたった一人で相手して、見事王都を守り抜いた彼女こそがわたしの親友なのです!」
胸を張ってまるで自分のことのように誇らしげに笑みを浮かべるアイリス。
よっぽど強い信頼を置いているからこそそう思えるんだろう。
しかし、そんな彼女とは裏腹に俺は頭が少し混乱していた。
まず一つ目は、俺のやったことが別の人物の功績になっていると言うこと。
いや、こちらは別に問題視する必要は無い。
元々俺の存在を公にするわけにはいかなかったのだから、別の誰かの力で王都は救われたという話になれば良いと思っていたからな。
コレは計画通りと笑えば済むことだ。
だが、問題なのはその功績を受けて勇者候補に選ばれたという『女』がアイリスの親友で、これから会いに行こうと思っている相手だと言うことだ。
当時戦場にはアイツの他に女戦士はいなかった気がするし、いたとしても後ろで回復魔法に専念する衛生兵が妥当だろう。
それを踏まえて考えてみれば、これから会いに行こうとしている人物はおそらく俺の正体を知っている奴となってしまうわけだ。
「——一応聞いておくが、その女の髪の毛は赤色で、ショートヘアーか?」
「はい。名前はシオン・フォルセクス。公爵家の一人娘なのです」
「……そうか」
名前は聞いたところで心当たりはないんだが、その容姿は鮮明に覚えているために溜息を吐かずにはいられなかった。
どうやら、俺がこれから会いに行かなければならない相手は思い描いているソイツで間違いないらしい。
自分の背丈以上の槍を振り回して倒していた魔物の数は両手両足の指を総動員したって数えられず、俺が魔王だと知った時の殺意の籠った瞳。
おそらくは俺を探そうと躍起になっているんだろうな程度にしか思っていなかった相手に、また再び会わなきゃいけないことになるとは驚きだよ。
しかもよりにもよって公爵家のご令嬢とか面倒なことこの上ないぞ。
世間に俺の正体がバレていないことから察するに、俺=魔王ということを伝えられないようにかけた呪いの効果が持続しているのは確かだから問題は無い。
だけど、直接会うとなると相手は公爵家の令嬢だからな。
権力と言う名の力を使って俺を抹殺しにかかるだろう。
相手は貴族だ。
どんな無茶苦茶な要望だろうが叶えてしまう。
全く、本当に面倒くさい相手に正体を知られたもんだよ。




