アイリスへの手紙
身なりの良い役人は、自分の役目を果たしたらしくアガレスに一礼するとすぐさま姿を消していった。
見た目同様に割と良い家系の人間らしく、歩いて姿を消すかと思ったら空を飛んで消えるその姿は流石はお偉いさん所の役人と言ったところだろうか。
生まれがどうなのかは知らないが、魔力とかの質や量も結局のところ遺伝だからな。
まだ断定できる要素なんてものは無いけれど、高貴な人特有の雰囲気と立ち居振る舞いからして貴族関係の人には間違いない。
そんな憶測にしか過ぎない考えを彼に浮かべつつ、俺はアイリスと共にアガレスの前まで歩み寄っていくと
「ただいま、アガレス」
「お帰りなさいませ、タクマ様、アイリス様」
「ただいまです、アガレスさん。——ところで、さっきの人はどうしたのですか? 見たところ、王都からきた方のように見えたのですが」
「あぁ、それなのですが——コレをアイリス様にと預からせていただきまして」
そう言ってアガレスが見せてきたのは、先程彼が役人らしき人物から受け取っていた手紙だった。
白を基調としたシンプルな物ではあるが、所々に見られる金色の装飾と封が高貴なイメージを持たせてくれる高価そうなもの。
ほのかに香る上品な香水の香りが鼻をくすぐってきて少々変な感じではあるが、見た目的にも何かしら俺達に害を与える要素は無いと言えるだろう。
まぁ、アイリスのような駆け出し冒険者の命を狙う貴族がいるはずも無いだろうけどな。
「誰からだ?」
「この紋章は、グラーニ伯爵家のものなのです。となると、彼女しかいませんね」
「知り合いの貴族か何かか?」
「はい。親友の家名ですから」
アイリスは俺の問いにそう答えると、アガレスから手紙を受け取ってその場で開封する。
そして、綺麗に折りたたまれた中身の手紙を広げると、ゆっくりと内容に目を通してくんだが、文章量が多いんだろう。
なかなか終わってくれそうにない。
「アイリス。目を通すのは勝手だがまだ荷物が残ってるんだ。読むのは後回しにしてくれないか?」
「——これ、は……」
「アイリス?」
手紙に目を通していたアイリス。
親友からの手紙なのだからきっと笑い話や最近どうしてるかなどと言った他愛もない内容なんだと思っていたんだが、彼女の浮かべる真剣な表情からその線が無いと窺えた。
俺が話しかけても手紙を読むことを止めずに目を通し続け、彼女が俺に視線を戻したのはそれから一分ほど後のこと。
親友からの手紙を読み終えたにしては焦り様が半端ではないアイリス。
彼女は勢いよく俺に顔事視線を向けてくると
「た、タクマさんっ、大変なのですッ!」
「何が?」
「親友が……勇者候補に選ばれて、どうすればいいのか分からなくて、わたしに会いたいと!」
「勇者候補?」
俺はアイリスの言っている意味がよく分からず聞き返してしまう。
だってそうだろ?
勇者というものはおそらくは人間界で最強の称号を得たものを言うんだ。
魔力の量から体力や筋力等の身体能力、そしてそれを補う剣技や体術といった戦闘に特化した奴が選ばれるものだろう。
魔王を倒すことを前提とした人間での化け物を意味する言葉でもあるのだから、生半可な強さじゃ話にもならない。
たとえそれがここ最近では世界各地に勇者の候補になり得る人間がいるとしてもだ、その候補にアイリスの友達が選ばれるとはどういうことなんだろうな。
本気で何かの間違いなんじゃないかと思えるくらいんだけど。
「あの……今、わたしに対して失礼なことを考えていないですか?」
「気にするな。ただ、お前の友達が勇者の候補に選ばれるなんて、やっぱり世も末なんだなと思ってよ」
「わ、わたしの力量を知ってるからこそ言えることではありますが、わたしと親友に対して失礼ですよッ!」
反論するアイリスに言葉だけで全く感情の籠ってない謝罪をしてから、俺は話の続きは家の中でしようとくちにして不満そうなアイリスの背を押して家の中に移動する。
俺達が食材を買いに行っている間にアガレスが隅々まで掃除してくれていたんだろう。
埃一つ見当たらず真新しい雰囲気の感じるリビングが俺達を迎えてくれた。
そんなリビングの奥にある二つのソファーに俺達は腰掛ける。
位置としては俺の隣にアガレス。
そして、テーブルを挟んだ向かい側にアイリスが座るという構図だ。
「それで? お前の友達が勇者候補に選ばれたのは分かったが、結局のところ『どうすれば良いのか』ってうのがそもそも分からないんだけど」
俺は今まで魔王をしてたからな。
正直勇者と言う称号がどれだけ凄くて名誉なことなのか全く理解できないんだ。
だって勇者と言っても俺からすればただの雑魚だし。
加えて言うならば、一昔前の俺の部下にも勝てそうにないほどの力量に落ちてしまった堕落共に他ならないわけだ。
しかも、アイリスと知り合い一緒に過ごすことで知ることが出来たが、アイツらの他の人間を凌駕した力はほとんどが聖剣の加護によるものだからな。
つまり、自分の力では無く仮初めの力を振りかざしていると言うだけのもの。
それを知ってるからこそ、俺は『勇者』という称号に何かしら感じるものがあるわけでも、ましてや憧れることも出来ない。
精々がへぇ~そうなんだ、で済ませる程度だ。
「その友達は勇者を辞退したいのか?」
「いえ、文面からはそのような意図は見られないのですが、ただ彼女は一度魔王に戦いを挑んで負けているらしいのです」
「なるほど。つまり魔王s……の強さに恐れおののき、あの場に赴きたくないとおっしゃられているということですな」
魔王様と言いかけそうなのを必死に堪えつつ告げたアガレスに、そういうわけでは無いと首を横に振る。
一度魔王城にやって来た勇者一行。
彼らが再び俺の元にやって来た前例は、実は意外と少ないんだ。
人間界を魔族、延いては魔物の手から救うために魔王へと戦いを挑む勇者。
自分の故郷を守るためだとか、大切な人を守るためだとか、来るたびに聞いてもいない台詞を口に出す迷惑集団としての一勝しかない彼らだ。
ゲームのように戦闘で倒れても、経験値を上げて再びやって来るのだろうと俺は何度となく思ったさ。
しかし、結局一度勝てもしない戦場に身を放り出す奴はいなかった。
せっかく命を奪わないまま人間界に送り返してやってると言うのに、再び俺の前に身を投げようとしないのはよっぽどの意気地ないということなんだろう。
だが、アイリスの親友という存在はそういうわけでは無いらしい。
ならどういうことなのかと視線で訴えてみれば
「彼女は努力家ですし、根性も座っているはずなのです。この文面から察するに、魔王にもう一度戦いを挑むことには相違ないようなのですが」
「じゃあなんなんだ? 勇者って称号は、一般的に考えたら喉から手が出るほど欲しい物なんじゃないのか?」
「それはそうなのですが……彼女自身が、その……勇者というものに興味が無いと言いますかで」
「じゃあ結局のところどういうことなんだよ」
口を開けどどもってしまって中々核心を切り出そうとしないアイリス。
このままじゃ埒が明かないと判断した俺が、単刀直入に簡潔に答えろと告げてみれば
「彼女が……わたしに『勇者』をやってくれないかと……」
「お前にか!?」
アイリスの親友と名乗る名も知らない女。
どれほどまでに目の前の自称勇者の末裔を信頼しているのかは知らないが、少なくともコイツの親友なんだから力量くらいは知っていて当然だろ。
いくらコイツがブレイブの末裔だと口にしていても、それを信じるに値する力を持ち合わせていないんだ。
そんなアイリスに勇者なんて重荷を背負わせたら、世も末どころか終わりだ。
俺がもう魔王の座にいないのだから負けることは無いだろうが、それでも勝てる見込みも同じくらいに無いのである。
「何を考えてお前にそんなことを頼んできてるのかは知らないが、手紙じゃ面倒だ。直接会いに行って真意を問いただしてくるのが賢明だろ」
「はい。わたしもそう思うのです。ですから……」
「なんだよ」
上目遣いに俺を見るアイリスに不機嫌を全面的に出した威圧ある声で答えてみるが、日頃から俺に鍛えられているかいもあってか動じないアイリス。
彼女は俺の態度なんて関係ないとばかりに口を開くと
「一人では心細いので、一緒に来てもらえませんか?」
面倒くさいことこの上ない言葉を吐くのだった。




