始まりの街
反抗的だった部下達に別れを告げて新魔王の誕生した魔王城を悠々と出た俺は、外の空気をいっぱいに吸い込み吐き出した。
まぁ、普通に深呼吸だ。
「やっぱり外の空気は最高だな。何百年と外に出てなかったから空気が美味しく感じるよ」
「確かに魔王様は部屋に籠り、魔王という職業を全うしておられましたからな。どうぞ、空気は無限に存在しますので心ゆくまで深呼吸なされると良いかと」
「おう」
アガレスに言われて深呼吸を繰り返すが続ければ続けるほどに本当に空気の美味さを感じる。
これまで掃除機だとかそんなものから縁遠い魔王城に数千年間も住んでいたもんな。
多少なりとも掃除をしていても、やっぱり引き籠りすぎるのは良くない。
ある程度は外の空気を吸っておいた方が良い、それを実感した気分だった。
「さて、もう十分出来たし行くか」
「彼らの処分は本当によろしいのですか?」
「奴らには一応釘刺しといただろ。人間界に攻め込んできやがったら俺が相手をしてやるってさ。魔王は言ったことは必ずやり遂げるんだ。たとえ、アイツらが俺の知らないところで攻め込んでいやがっても消し炭にしてくれる」
いざとなれば嗅覚、視力、魔力感知を最大限に生かして奴らを徹底的にいたぶってやる。
まぁ、これまで俺を馬鹿にしすぎた軽い罰だと思えば良いだろうう。
奴らからしたら、少しの侵入も死に直結してるからたまったものではないだろうけど。
「じゃあ今度こそ行くぞ? 目指すは始まりの街、『ヴォルトゥマ』だ!」
「かしこまりました」
俺は言うや否や背中の巨大な翼を羽ばたかせて宙を舞い、ヴォルトゥマ目がけて一直線に飛んでいく。
隣を見ればアガレスもいつの間に生やしたのか、真っ黒な鳥の翼のようなものを生やして飛行していた。
そんなアガレスだが、何やら思うことがあるらしく俺に視線を向けると
「魔王様。始まりの街と言われますと、王都からかなり離れた所にあるものと存じ上げているのですが。何故、そのような辺境の地に目的地を指名なされたのですか?」
「どういう意味だ?」
「あなた様は魔王です。そのようなお方が赴くような地ではないと思うのですが」
「ふっ。確かに攻め込むのならば王都であるキングスタスが一番だろう。しかし、今回の俺達は人間界に住むために赴いてるんだ。最初から王都などと言った都会に繰り出す必要もないだろ?」
そりゃ王都の方が商業も盛んだし、魔法使いもたくさんいるだろう。
それこそ何不自由なく暮らすのなら、これほどまでに適した場所は無いと言っても過言ではない。
だが、俺は元人間とは言っても魔王だ。
そして、俺を信じて付き従うアガレスもまた魔族。
正体が人間達にバレないように細心の注意を払いながら人間界に溶け込むつもりではあるが、やっぱり不安なことは山ほどある。
暮らし方から食すもの、衣服に至るまで全てが違う。
それを全て覚えて人間界に完全に溶け込めるまでは王都に住むような贅沢はせず、田舎でゆっくり常識を学ぼうというわけだ。
「俺達は魔族。見つかれば即殺処分間違いないだろう。だからこそ、ボロを見せないように人間界に溶け込む。そこから始めようと思うんだ」
「なるほど。確かにキングスタスは人間界の要とされる地ですからな。警戒も厳重でしょうし、我らの正体がバレやすいと」
アガレスは有能だ。
ちょっと説明すれば自分なりに考えて伝えたいことを瞬時に理解してくれる。
本当にできた良い家族だ。
「そういうことだ。——っと、そろそろ着くな。この辺りで降りるぞ」
「分かりました」
ヴォルトゥマが見えてきた時点で俺達は飛ぶことを止めて地面に足を下す。
そして翼から牙。身体から生えた体毛を全て消し去って見事なまでの人間に変化。
と言っても、アガレスは変化させる必要もないくらい人間に近い容姿をしてるからな。
変化させるとしたら、少し尖った長い耳を短くする程度。大した変化は見られなかった。
「どうだ? 上手く人間に変われたか?」
「はい。何処からどう見ても齢十七程度の男の子くらいにしか見えません。問題は無いでしょう」
「おし。あとは服なんだが、この格好で行くのは流石にマズいよな」
身の丈に合ってない衣服を身に着けた、いかにも怪しい少年の姿が今の俺だった。
しかも、真っ黒なマントに派手な装飾のついた服ときたもんだから目立つことこの上ない。
だからそんな服から装飾を強引にもぎ取って質素なものに変えると、ソレを俺の身の丈に合ったくらいにまで手刀で斬り刻んでいく。
こういう時ハサミだとかあればもう少し綺麗に出来るんだろうけど、今は非常時。
贅沢は言ってられないな。
「これくらいでどうだ?」
「流石は魔王様です。少し不格好な部分もありますが、これなら怪しまれずに済むでしょう」
ボロボロなローブと化した服を身に纏い、さっそくヴォルトゥマへと歩を進めていく。
見えてくるのは街の入り口である巨大な門。
石のブロックを重ねて作られたソレは、高さ二十メートルくらいはあるんじゃないだろうか。
魔王城の入口もこれくらいの門くらい立派であれば言うこと無しだとは思うけど、もう俺は魔族とは全く関係のない人間だ。
終わったことに対して頭を使う必要は無いだろう。
「すまない、そこの二人。少しだけ話を聞かせてほしいんだが良いだろうか?」
ヴォルトゥマを囲う石のブロックを二人して眺めていると門番らしき騎士が近寄って来た。
槍を携え向かって来る様は、確実に俺達を警戒している。
「何か?」
「いや、見たところ旅人のようだが服がボロボロなのでな。もしも近くで魔物に襲われたという理由でそのような格好になっているのなら詳しく教えてほしいんだ」
なるほど。
つまり、俺達を警戒はしているが、一応魔物の仕業ということも考えられるから事情聴取願いたいってところかな。
きちんと与えられた仕事を全うする意思のある人間。
家の魔物共とは大違いだ。
「その……俺の話が聞こえていないのか?」
「あ、あぁ、すいません。俺達遠いところから逃げて来たものだから。ヴォルトゥマまでたどり着くことが出来たと思うと安心出来てたんです」
「逃げてきた?」
「はい。わたしと、この……ま、孫はアルヘスから逃げてきたんです。突然オークの襲撃を受けて村は壊滅状態。命からがら逃げてきたというわけでして」
アルヘス。
それは確かつい最近オーク共が勝手に襲撃した実在する村の名前だ。
あの馬鹿どもが勝手に悪さを働いて壊滅状態に陥った村がどうなっているのか、アガレスにも確認してもらって生存者無しなのはすでに分かっている。
俺の知らないところで消えてしまったその村に住む人間には悪いとは思うけど、今回はソレを有効活用させてもらおうか。
「アルヘスだと! 魔王の手はそこまで伸びているのか!?」
「分かりません。しかし、わたしとま、孫は奴らに殺されかけました」
「そうか……すまない、傷口に塩を塗りこむような真似をした」
「気にしなくていいですよ。俺達はこうして生きてるんだから」
先程までとは違って申し訳ないオーラを放出しながら誤ってくる門番にそれだけ返す。
彼はただ自分の仕事を全うしただけだ。
怪しい人物を取り締まり、街の治安を守る。ただそれをしただけ。
気分を害したからって彼に当たるのも悪いし、それをやれば確実に目立つ。
街に入る前から早々に騒ぎを起こすのは面倒だからな。
「そう言ってくれると助かる。——そして、ようこそヴォルトゥマへ。旅と疲れを十分に癒やすと良い」
「ありがとうございます」
「ありがとうな」
門番にお礼を告げて、俺達は街の中に入って行った。
「一時はどうなることかと思ったが、流石はアガレス。見事な機転の利かせ方だったな」
「恐れ入ります。あの場所で足止めを食うのは我らとしても避けたいところでしたからな。それに、変に警戒されるのもどうかと思いましたので」
「あぁ。おかげですんなり街の中に入れた。やっぱり、お前が一緒だといろんな意味で助かるな」
アガレスは照れたように笑うと視線を辺りに向け始めた。
無論、俺もそうだ。
魔族として城の中で暮らし始めて数千年。
やっぱりこの人間界の街は新鮮で、見ていて面白い物ばかりだったからだ。
「思った以上に発展しているようだな。俺が前に来たときはまだ人間は魔法はおろか武器すらも剣と槍だけだったのに」
「魔王様は城に籠りきりでしたからな。人間界はここ五百年の間に随分と文明が発展していっております。今では、食事から生活まで全てのものが魔王様の知る人間界とは違っているはずです」
「まぁ、見た限りでは全然違うな」
視界に入る建物も木製だけでなくレンガ造りのものもあるから、前世でいうところの中世ヨーロッパくらいの文化くらいと言ったところか。
魔法という概念が存在するから、俺の知る中世ヨーロッパより進んだ文明ではあるが基本的にはそれに近い。
「俺としては前世の俺が住んでた頃くらい発展してくれていれば苦も無く暮らせると思ったんだが」
「魔王様の前世と言われると、人間だったころですな?」
「あぁ。この人間界よりも進んだ文明で、魔法では無く化学が進歩した時代かな」
アガレスを含め、俺は気を許せる存在には自身が転生した存在だと打ち明けている。
人間界に進行しない理由と、豊富な知識の理由を聞かれたら正直に答えるしかなかったからな。
だから、ソレを知る奴は俺の人間への妙な優しさに疑問を覚えることは無い。
むしろ、俺と同じで人間と共存する意思を持ってくれる。
本当に、何処かの馬鹿どもとは大違いだ。
「まぁ俺も魔法が存在するこの世界で携帯電話だとかに再びお目にかかれるとは思って無いし、別に前世に思い入れが凄くあるわけでも無いから別に良いんだけどな」
「そうですか」
「あぁ。俺は今のこの世界が嫌いじゃないからな」
微笑みを浮かべながら俺は答える。
この世界は嫌いじゃない。
だからこそ、勝手気ままにそれを壊そうとした馬鹿どもが嫌いだ。
もしも人間界に足を踏み入れようものなら、本当に消してやる。
「さてと。街の観光も良いが、まず俺達は住む場所を考えないといけないな。アガレスはこの街で何処か住めそうな場所に心当たりは?」
「残念ながら、わたしもこの街には初めて来たものですからな。文明の進歩に関しては理解できているところもあるのですが、住居に関してはなんとも」
「だよな」
ため息を吐きつつ辺りを見回してみるが、やっぱりこっちの世界に不動産屋なんてあるはずも無いし。
かと言って、信頼できる知人がいるわけでも無い。
本当に参ったな。
「仕方ない。情報は自分の足で調べるに限る。とにかく話を聞いて回るぞ。俺はこの辺りで物件と職について探してくるから、アガレスは質屋を探して服の装飾売って金を作ってくれ」
「かしこまりました」
俺はアガレスに金で出来た純正な装飾を手渡して別れる。
しっかり者で信頼できるアガレスだ。
交渉とかは全部任せてしまえば良いだろう。
「さて……問題は俺の方だが、見つかれば良いんだけどな。お手頃物件」
見つかるかどうかも分からない物件求めて、俺は聞き込みをしながらヴォルトゥマの街をさまよい始めるのであった。