弟子とお仕事②
人を抱えての上空飛行、それは思いのほか辛いことを俺は初めて知った。
別にアイリスが重いというわけでは無い。
前にも一度彼女を抱きかかえたことはあったし、その時から体重は一切変わっていないようにも思える。
なら、何が辛いのかと言うと
「おい、これ以上上げたらダメなのか?」
「お願いですから……ホントこれ以上はスピードも揺れも……酷くさせないで」
自分の思い通りのスピードで飛べないというところが問題点だろうな。
人を抱きかかえて飛ぶということは、つまり相手の命も一緒に抱えると言うこと。
スピードを上げ過ぎれば余程慣れていない限りは身体への負荷が半端なものではない。
例えるのなら、風を遮るための壁や窓がついていない飛行機に乗るようなものだ。
強力な風圧と急激な高度上昇によって引き起こるであろう身体の負担は、普通の人間では耐えうることが出来ない。
漫画やアニメの世界では普通に空を縦横無尽に飛び回る人々が存在するが、それを可能とさせたのは己の努力と知識をフルに活用したからだと言える。
まぁ、要するに空中浮遊はそんなに簡単ではないと言うことだ。
「分かったからもう少し我慢しろ。俺も最初から飛ばしたのは悪かった、気持ち悪くなったら教えろよ?」
「……あい」
車酔いならぬ空中浮遊酔いとでも言うべきか。
これまで生きてきた中で空を飛ぶという経験は絶対に無かったんだろうな。
早く現場に急行したいという一心でコイツのことを考えずに飛び続けた結果、約二分ほどで気持ちの悪さを訴えるアイリスの出来上がりだよ。
顔色は真っ青と最悪で、今にも吐きそうなのを口を堅く閉ざして堪えている。
腕は空中に投げ出されまいと俺の首にがっしりと回されているため使えず、かといって汚物をただ口から吐き出してスッキリしたいという感情に流されたくはない。
だからこその必死の抵抗なんだろう。
俺としては早く向かいたいところだが、面倒なことになったもんだな。
「それで、アイリス。リコット村はまだ見えないか?」
しかし、いくら気分が悪いからと言っても彼女に案内してもらわなければ目的地に着けない。
今まで生きてきた中で何度か人間界に足を運ぶことはあっても、ほんの二三日が最高の俺だ。
極小の小さな村の位置を知るはずがないので、申し訳ないが顔色が青色を超えて紫に変わりつつあるアイリスに問いかけた。
彼女は顔を苦痛に歪めつつ細目を空けると、筋肉痛なのかそれとも気持ちの悪さからなのか分からないが、ブルブルと震える腕を真っ直ぐにある一点へと伸ばした。
その先に見えたのは森。
緑一色に染まった地面の中に一ヶ所だけある開けた場所に目的地らしき村が確認できる。
民家が十数個並ぶまさしく村と思える小規模なソレは、遠目から見てもあまり栄えている雰囲気は感じられない。
理由が魔物の被害によるものなのか、それとも元から暗い村だからこそなのか。
とにかく暗い雰囲気だ。
「ここらで降りるか。上空から一気に下降し盛大な登場をしてやりたいところだが、お前がソレに耐えられるわけないよな?」
腕の中でうめき声を上げるアイリスは、俺の問いに弱々しく頭を立てに振る。
流石の目立ちたがりでも気持ちの悪さには勝てなかったということだろうな。
俺は苦笑しゆっくりと村から少し距離を置いた場所に降り立つ。
流石に村のあった場所の他には開けた空間は無さそうだったから、森の中に向かっての大胆な着地になってしまった。
事前に着地する場所にある木々を魔法で切り落としておいたおかげで無事に着地は出来たが、もしも何の処置もしないまま降り立っていたら串刺しとまでは言わないが、擦り傷は免れなかっただろう。
「ほら、着いたぞ」
「ひ、久しぶりの、地面……」
無事降りられたと思ったら、アイリスはまるで宇宙飛行士が危険な仕事を終えて地球に戻ってきた時に口にしそうな言葉を吐いて地面に倒れ込む。
よっぽど気持ちが悪い思いをしたんだろう。
少しの間はその場でうずくまっていたが、どうやら我慢の限界が訪れたんだろう。
その場から急に走り出したかと思うと、木の陰に移動して……うん。
己の感情に任せて口から汚物を吐き出した、んだと思う。
「はぁ。最近の人間って言うのは本当に脆弱だな」
空も飛べなければ、身体も強い衝撃には耐えられないほど脆い。
簡単に乗り物酔いに侵されるし、魔法も俺達に比べれば大した強さも感じられない。
勇者ブレイブが最前線で魔族と抗争を繰り広げていた時期の人間と比べれば、確実に劣化したと言えるだろうな。
まっ、俺は元人間だし、あまり人間を馬鹿に出来るようなことは言えないけどな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、猛烈な吐き気を思う存分吐き出してスッキリしたアイリスを連れて、俺は依頼を出したリコット村へと足を運んだ。
第一印象は活気のない村、まるで廃村と言ったところだろうか。
依頼書に書かれていた通り長い間魔物の被害に苦しめられているらしく、畑には作物が植えられてはいるが荒されまくっていて成長は著しくない。
木材を中心に作られたウッドハウスみたいな民家も、いたるところに打撃系統の衝撃でも受けたようなデカい傷跡を残していて酷い有様だ。
こんな状態にまでなっていると言うのに、ギルドの連中は一体何故この依頼を受けようとしなかったのか不思議に思えるくらいだな。
「酷い、ですね」
「この世は所詮弱肉強食ってことだ。とにかく依頼主の所に行くぞ、生きてりゃ良いんだけど」
「不吉なこと言わないでくださいっ!」
そんな風に活気など皆無な村を二人して歩き、村の奥にあるひと際大きな家に向かいその扉を三度叩くと
「すみません、依頼を受けて来たギルドの者ですが」
廃村に近い活気のない村だ。
最悪の場合も考えられるために正直人なんか出てこないんじゃないかと思っていた俺だが、その考えに反して目の前の扉が開き、中から俺達の様子を伺うような感じで老人が姿を現した。
質素な服と言うより、もはやボロ雑巾のようにしか思えない布切れを身に纏うその姿は奴隷の様。
俺達を見据える瞳からは一切の希望すら感じられず、一筋の光すらない。
「……ギルドの、方ですか……?」
「はい、依頼を受けて参りましたが、あなたがこの村の村長と言うことでよろしいでしょうか?」
「い、いかにも、わたしが村長のホセです……。外では何ですので、よろしければ中で……」
迎えられるままに家の中へと入ってみれば、まず感じたのは埃の匂い。
ウッドハウスなのだからてっきり木の良い香りが鼻をくすぐってくるのかと思ったが、その意に反して掃除の全くされていない埃まみれの汚い空気が俺達を迎えてくれたよ。
流石に依頼人に恥をかかせるわけにもいかないから我慢はしているが、少しでも気を緩めれば咳き込むレベルだよ。
アイリスに視線を向けてみれば、この埃まみれの室内は空中浮遊酔い直後の彼女には刺激の強いものだったらしい。
顔色を再び真っ青に染め上げ、咳き込むことを口元を手で押さえることで必死に我慢している。
ヘッポコ勇者の末裔でも一応は冒険者と言ったところか。
「どうぞ、おかけください」
「では、失礼して」
咳き込みたい感情を必死に抑えながらこれまたボロボロな机の前に座る。
椅子に関しても、いくらか補強しているくらいでいつ壊れてもおかしくない状態だ。
「さてと、長話は何ですから、依頼内容だけ教えていただけますか?」
「はい……」
それからは、聞いていてむかっ腹の立つ話ばかりだった。
二年ほど前に近くの山を突然根城にした《オークキング》が近場にあったこの村を標的として狙い、その人より優れた身体能力を駆使して襲い掛かって来たのだという。
刃向かった村の若い男達は全員命を落とし、育てていた作物は全て食い荒され、更に奴らは村に住んでいた女たちをさらって山に消えたらしい。
しかも、月に一度は栄養を養うためにと育てた作物を食い荒らしに山を下りてくるのだという。
全く、不愉快極まりない状況だ。
「分かりました。その化け物は責任を持って、わたしが討伐してきましょう。無論、さらわれた女性方も必ず救い出してみせます」
「あ、ありがとうございます……こ、この、日を、何度夢に見たことか。どうか……あの悪鬼共に天罰を置与え下され」
「お任せください、必ずや成し遂げてみせますよ」
泣き崩れ俺の手を握り感謝を述べる村長にそう告げると、俺はアイリスを連れて家を出る。
本当に胸糞の悪い話を聞いたもんだ。
魔物には実は二つの種類があり、片方は俺達のような知性と多少の理性を併せ持つ魔族側に位置する種と、理性の欠片も存在しないただの獣である本能型の種。
おそらくはこの村を襲ったというオークの集団は、後者である知性を持つ魔族側に近い魔物だ。
それもオークという種族からして、ドーザの手が伸びていないとも限らない連中だろう。
魔王という名を後ろ盾にして悪さをしているわけでは無いようだが、人様に迷惑をかける行いをしていることは事実。
しかも、連中がやっていることは非道極まりない。
弱肉強食の世なのだから仕方のないことだとは思うが、知性と多少の理性はあるのだから共存の道を歩もうとしてほしかったものだよ。
「タクマさん、やっぱりわたしにはやらせてもらえませんか?」
「奴らを討伐させてくれと、そう言うことか?」
「はい。さっきの村長さんの話を聞いていて、わたし凄く怒ってるんです。せっかく育てった作物を食い荒らし罪のない人達を殺め……あげく人をさらうなんて許せませんっ!」
勇者らしい見事な正義感とたたえるべきか。
彼女は先程までの気持ちの悪さなど感じさせないくらいご立腹らしく、今すぐ聖剣を貸してくれと視線でお訴えかけてきているよ。
まぁ、確かにコイツの気持ちも分からないわけでも無い。
事実、俺も奴らの行いにむかっ腹を立ててるんだからな。
だが、いくら同じように苛立ちを募らせているからと言って、俺は筋肉痛で尚且つ空中浮遊酔いもまともに治っていないコイツを連れてくほど優しくは無い。
「悪いが、お前は留守番だ」
「何故ですかッ!?」
「今後奴らがこの村を襲わないとも限らない。誰か一人がここに残って見張り兼、番人を務めた方が良いだろ。——で、戦力的に考えて、お前が残る方が適任だろ」
俺はそれだけ告げると、何か不満げなアイリスの胸にアイテムボックスから取り出した聖剣を押し付ける。
もとよりオーク共をこちらに向かわせるつもりは全くないが、もしもの時のために一応渡しておいた方が良いだろうと判断したが故だ。
「俺がオークを殺し損ねた場合、奴らは人質としてこの村を襲う可能性があるからな。その時は頼む」
「なるほど。では、出来る限り獲物をとり逃してください。わたしがこっちで成敗しますか——あうっ!?」
「村民にさらなる危険を冒させるつもりか、お前は」
どれだけ奴らを殲滅したいんだろうな、この自称勇者の末裔娘は。
「とにかく、こっちは任せた。奴らの根城殲滅は俺に任せろ」
「うぅ、分かりましたけど……気を付けてくださいね? 相手は一応、魔物なんですから」
俺を心配する素振りと言葉を投げかけてくるアイリスに、俺は手をひらひらと揺らし適当に返事を返すと、オーク共がいるであろう山の中へと向かって行った。




