勇者の弟子入り
俺の言葉を耳にしたアイリスは信じられないとでも言いたげな表情で俺を見据えたまま固まってしまった。
悲しみのあまり流れかけていた涙は、頬を伝う寸でのところで目元に残り大粒の涙となって留まっている。
ほんの少しでも衝撃を与えれば確実に飛び散るであろう涙を拭えとばかりに、俺は近くに置いておいたハンカチを放り投げた。
おそらく俺が現実を突きつければ泣きじゃくるだろうと先を見越して用意しておいたものだが、やっぱり使う羽目になったみたいだな。
「た、タクマさん? わたしはパーティを組むことは出来ないんですよね?」
受け取ったハンカチを使って涙を拭いたアイリスは、疑問に思ったことを素直に問いただしてくる。
先程までの悲しみ一色に染まった表情はもう無く、あるのは戸惑いと一寸の希望が見えてきたとでも言いたげな少し明るさを取り戻した顔だ。
「あぁ。一緒に仕事をする間柄にはなれないな。それがどうしたんだ?」
「あの、それじゃあ何でわたしを鍛えてくれるなんて……」
「無論、お前を強くするためじゃないか。俺の隣に立ちたいんだろ? それなら相応の強さを身につけてもらわないといけないだろうが」
何故か呆気に取られているアイリスを放置して、俺はカウンターの上に置いておいたティーカップに再び口をつけて中身の紅茶を喉に流し込む。
そして、数秒経ったというのに未だに現実味を感じられないのか目をパチクリと開く閉じるを繰り返すアイリスを見据えると
「あのな、あんまり信じられないのも分かるがそろそろ現実を受けとめてほしいんだけど?」
「えっ? あっ、はい!」
短く声をかけてみれば授業中に居眠りしている途中、急に先生に回答を求められた生徒のように声だけは立派な返事をするアイリス。
だが、返事は出来ても理解は出来ていないんだろう。
これは夢なんじゃないだろうかと頬をつねったりして夢かどうかを確かめようとしていた。
「おい、そんなに夢だと思いたいんだったら俺が永遠の眠りにいざなってやろうか」
「け、結構ですっ!」
「なら、ちゃんと話を聞けよ」
もう次に現実を受けとめないような素振りを見せたら放っておこう。
俺は一人そんなことを考えて、コイツが聞いていようがいなかろうが言いたいことだけは伝えようと口を開くと
「俺はお前を仲間とは認めない、そんな強さじゃ足手まといでしかないからな。だから、当分の間は一緒に仕事はしないがお前の能力アップの手伝いくらいはしてやろうと思ったんだ」
「つ、つまり、タクマさんがわたしの師になってくれると言うことですか?」
「まぁ、そうなるな」
俺は正直、最初はこんな小娘足手まとい以外の何物でもないと軽く見ていた。
自分のことを勇者の末裔だのなんだのと長所ばかりを口にして、実際能力は平均以下だったし。
その勇者の末裔だという信憑性を上げる肝心の聖剣までも簡単に売り払ってしまうバカだ。
そんな娘を拾い仲間にしたところで、面倒事しか起きそうにない。
だからこそ、俺はアイリスを放って一人で仕事をしようと思っていたよ。
だが、気が変わった。
その理由は、先のセンテの森での聖剣を使った彼女の尋常じゃないほどの戦闘能力向上だ。
聖剣を使いこなせる人間は、古来からずっと勇者の血筋かまたは素質がある者だけだとされているらしいからな。
少なくとも、アイリスにはその素質があったか、本当にブレイブの子孫かだろう。
「俺はお前は鍛えようによっては歴代の勇者よりも強い存在になりうる可能性があると思ってる。だから、鍛えてやるって言ってんだよ」
「可能性があるって……本当ですか?」
「まぁな」
不老不死の能力を得てこの世界に産まれ、数千年を生きてきた最強の魔王こと俺が鍛えるんだ。
自分の力を過信してるわけではないが、確実にアイリスは強くなるだろう。
今もなお俺に付き従うアガレスも何を隠そう俺が鍛え上げた奴だし。
アイツが本気を出せば、ヴォルトゥマの街は勿論魔王ドーザなんて瞬殺だ。
「でも、わたしは知っての通り弱いんですよ? 最弱モンスターと戦っても、捨て身の方法でしか勝ちを奪えないくらい弱小です」
「だが、歴代の勇者同様に諦めない根性だけは立派なもんだろ。強さはともかく、泥臭くさかろうが勝利をもぎ取ろうともがいていたお前のそんなところは評価できるんだ。じゃなきゃ、お前なんかを鍛えてやろうなんて言わない」
「泥臭かろうがって……まさか、タクマさん!」
「おう、見てたぞ。一部始終を少しだけ」
素直に答えてみれば、恥ずかしさを覚えたのだろう。
顔を真っ赤に変えて両手で隠し、その場で悶え始めるアイリス。
さっきから本当に表情豊かで見ていて面白いところもあるが、俺としては早く話を進めたいところもあるからな。
放っておいたらその場で羞恥のあまり転げ回りそうな彼女を冷めた視線で見据え
「それでどうするんだ? 俺の……まぁ、弟子みたいなものになるのか、それともならずに今まで同様強い冒険者にすがって生きていくのか。答えろ、今すぐに」
「そ、そんなもの、タクマさんについて行くしかないじゃないですか。わたしはもう鎧を買うために全財産を使ってしまって冒険者家業どころじゃないんですから」
「そうだろうな」
どこか諦めたような雰囲気のアイリスだが、その顔に浮かべられているのは笑み。
嬉しさからくるのか、それとも財産全てを使い果たして鎧を買った自分の醜態が今更ながらに笑えてきたのかは分からない。
だが、それでも俺の提案を受けるという意思はしっかりと伝わってきていたからこそ、俺も笑みを浮かべ返して
「ふっ、ならお前はこれから俺の弟子だ。今日から足腰立てなくなるくらいみっちりと地獄のような修行を用意して鍛え上げてやるからな、全身筋肉痛じゃ済まないことを覚悟しておけよ?」
「——えっ?」
修行内容を正確には告げないが、間違ってはいない比喩表現で今後のことを口にしてみれば、一瞬で彼女の顔が笑顔を保ったまま固まる。
肌も青白く変色し顔色も悪い状態の彼女は、しばらくの間固まっていたが少しすると笑顔を苦笑に変えてあからさまにワザとらしい笑い声を上げながら近づいてくると
「も、もう、タクマさん。流石に全身筋肉痛じゃ済まないなんてシャレにならない冗談はよしてくださいよ。少しだけ本気にしてしまったじゃないですか」
「冗談も何も、俺は本気だぞ? お前はそのくらいしないと強くなれそうにないし」
俺としては冒険者として依頼を受けることもあるから、アイリスの修行だけに時間を割くわけにもいかないとは思ってるんだ。
だが、アイリスの弱さは筋金いりと言っても過言じゃないからな。
生半可な鍛錬方法じゃ俺が求める強さにはたどり着けないのは明白だ。
だからこそ、アイリスには過去何度か本気で強くしてやろうと思った相手にのみ行った個人鍛錬をしてやろうと思ってるんだ。
ちなみにアガレスも本気で鍛え上げた奴の一人だ。
アイツは最初から強い方に分類出来る奴だったが、俺の個人鍛錬でその限界を超えたと言っても良いくらい強くなったんだよ。
まぁ、鍛錬中は汗や涙を垂れ流しにしてヒィヒィ言ってたけども。
「だが、俺も鬼じゃない。一応準備期間は用意していやる。二日後、一昨日スライムウルフ共と対峙した平原を利用して鍛錬を行うからな。それまでに出来る限りの薬草でも用意しておけ」
「そ、そんなに苦痛を伴う鍛錬なんですかっ!?」
「命に関わるような危険はありませんが、身体に傷が出来る程度の危険は伴うということですよ」
そう言って俺達の会話に入って来たのは、燕尾服に身を包み胸から膝の辺りにかけてまで覆っているエプロン姿のアガレスだ。
燕尾服の上ににエプロンを着こなすというなんとも不思議な身なりをしたアガレスだが、本人は気にしている様子は全くなくいつもの物腰の柔らかな笑みを浮かべている。
だが、そんな彼だが自身が受けたであろう当時の個人鍛錬を思い出してしまったのだろう。
手だけでなく足も小刻みに震え、顔には近くに寄らなければ分からない程度の汗を付着させていた。
「まぁ、そういうことだ。相応の危険はあるが、その分効果は絶大だと思うぞ?」
『なんせ、魔王であるこの俺直々の鍛錬を受けられるんだからな』と、そんなカミングアウトをしてしまいそうなところを寸でのところで我慢して俺は自信満々にアイリスを見据えた。
彼女は俺のこの絶対的な自信が何処からくるのか分からなかったらしく首を傾げた上に、今だに震えるアガレスを視界に入れて生唾を飲み込んだ。
信用の薄い物事ほど怖いものは無い。
例えるなら、突然あまり気心も知れてない知り合い程度の人物が、絶対に返すからと金を要求してくるときと言えば良いんだろうか。
何故金を知り合い程度の自分に借りようとするのか、金に困ってるから貸してくれと言っているのに本当に返すことが出来るのかとか。
信用に足る何かが無い限りは、簡単に信じることは出来ないだろう。
「信じるも信じないもお前の勝手だが、一度受けたからには泣き言を口にしようがいくら泣きわめこうが絶対に参加させるからな」
「お手柔らかにというのは……」
「アイリス様、お諦めなされよ。タクマ様は一度決めたら事を成す方です。それはあなたも存じていることでしょう?」
「分かってますけど、怖いものは怖いですよ」
本心を口にしたアイリスは肩を落として嘆息する。
だが、すぐに諦めたと同時に覚悟を決めたらしく顔を上げて俺を見据えると
「ですが、弱いままのわたしでいるのには飽きました。タクマさんの鍛錬に付き合うことで強くなれるのであれば、やってやろうじゃありませんか!」
「五体満足で済むように加減はしてやるから覚悟しろ」
「——あうっ!? ゆ、勇者ブレイブの末裔であるわたしは、どんな困難だろうと絶対に屈しません! ですが……少しくらいは手加減してくれるとありがたいです」
厨二病じみた言葉を口にして自分を鼓舞し、やる気を満ち溢れさせていたのは一瞬の間だけ。
やっぱりそう簡単には恐怖と言う感情に打ち勝つことは出来なかったんだろう。
肝心なところで弱気になるところは、見慣れたいつものアイリスなのだった。




