魔王の提案
俺の朝は基本的に平和な起床から始まる。
魔王城にいた頃からそうだが、俺の周りは普段から騒がしさとは無縁な状態が多いからだ。
城の自室は魔力で強化された壁によって騒音はシャットアウトされていたし、こちらに越してからも辺りがゴーストタウンだから騒がしさは皆無。
近隣住民の痴話喧嘩や、何処かの馬鹿が放つ変な魔法の練習音に悩まされる心配もない。
まさに、魔王城に次いで理想の自宅と言えるだろう。
だからこそ、俺は今まで小鳥のさえずりをモーニングコールに心地の良い目覚めを迎えていたんだが、その日の目覚ましは意外なところから聞こえて来たのだった。
「いやあぁぁぁぁぁああああ~~ッ!」
それは明らかに悲鳴。
家の中で響き渡るその声は明らかに女性特有の甲高い声。
金切り声とまでは言わないが、酷く耳障りなその悲鳴を上げるのは確実にアイリスだろう。
何か悪い夢でも見たのか、それとも目覚めたら俺達の家にいたことにショックを受けたのか。
その真意は分からないが、俺の心地よい目覚めを邪魔したということだけは確かだ。
「朝っぱらから騒々しいな……。もっと静かに起きることは出来ないのかよ」
文句を口にしつつベッドから飛び起き、寝間着姿のまま俺はアイリスがいるであろう空き部屋に向かう。
すると、そこにはすでに悲鳴を耳にし飛び起きたのだろうアガレスが俺と同じく寝間着姿の状態で立っていた。
コイツも突然の悲鳴で叩き起こされたらしく、髪はボサボサ目も眠気の方が勝っているのか細くなってしまっている。
「おはようございます、タクマ様」
「あぁ、おはよう。お前もさっきの悲鳴に起こされたみたいだな」
「えぇ。無事目覚められて良かったとは思いますが、本音を言わせていただけますならもう少し静かに起きていただきたかったですが」
「それには俺も賛成だ」
二人して苦笑すると、俺達は目覚めの悪さを作った本人であるアイリスの待つ空き部屋の扉を開いた。
空き部屋と言っても、アガレスがちゃんと掃除をしてくれてるから埃一つ舞っていないからそこは清潔そのもの。
朝日が窓から淡い光を差し込ませ部屋の中を明るく照らしているなか、手入れの行き届いているはずのベッドの上で体育座りで暗い雰囲気を放つ彼女の姿がそこにはあった。
ただ一点をジーっと見据える瞳に光は無く、顔色も青白くてとてもじゃないが元気そうではない。
一応、コイツの身体には異常が発生しないように徹したつもりだったが、もしかしたら何かしら問題が起きたのかもしれないな
「おい、どうしたんだよ。朝っぱらから悲鳴を上げるなんてよ」
「どこかお加減が悪いのでしょうか?」
流石にそんな状態のアイリスに追い打ちをかけるような冷たい言葉を放つことが出来るはずも無く、俺達は彼女の調子を窺いつつもあくまで優しく問いかける。
そのくらい今のアイリスの表情には覇気というか、元気が見受けられないんだよ。
魔王である俺と、その部下であるアガレスが本気で心配するほど顔色が悪い。
そんなアイリスだったが、一応俺達の声は届いたらしい。
ゆっくりとその一寸の光も無い瞳を俺達に向け、おそらくは俺を視界に納めると
「こ……」
「こ?」
「こ……この、変態がああぁあぁぁぁああッ!」
昨日までスライムウルフに手こずっていた自称勇者の末裔とは思えないほどの速さで俺との距離を詰めると、アイリスは全く加減のされないビンタを俺の頬に放ってきた。
寝起きだということと、ついさっきまでアイリスの心配ばかりをしていた俺に、その人間を超えているのではないかという速さのビンタを避ける暇などあるはずも無い。
音速を超えているような気がするビンタは、無防備な俺の頬を容赦なく打ちぬいた。
「ぐおぉぉおおお~~ッ!」
魔王だからと言って全ての攻撃が無効化されるなんて都合の良い話があるわけもなく、渾身の力で振るわれたビンタは本気で悶絶するほど痛かった。
今まで剣技や槍術、魔法なんかを受けとめてきたことがあるが今回はその比じゃない。
おそらくは千年前に魔王城を訪れた多少の強さを持つ勇者の攻撃に匹敵しているんじゃないだろうか。
奴の勇者とは思えないハンマーという打撃接近武器による攻撃は、魔力で強化していない腕で受け止めると痺れた上に痛かったのを覚えている。
アレに匹敵するほどの痛みを発するビンタを放つアイリスは、まごうこと無き勇者の末裔なんじゃないか。
まぁ、身体を魔力で強化すれば確実に痛みなんぞ感じないんだろうけど。
「——い、いきなり何しやがる!? 命の恩人に向かってビンタかますとはよ、普通はあり得ないだろ!?」
「命の恩人とか、どの口でほざきやがるんですか! 気絶したわたしを助けてくれたことには感謝しますが、意識の無いことを良いことに人の服を脱がすとかそっちの方があり得ませんよ!」
自分の身体、主に絶壁で全く色気を感じない胸を中心に隠すアイリスは、俺を変質者を見るかのような冷たい目で見据えてくる。
そこには今までの妙に自分に自身があって多少の厨二病じみた振舞いは感じられず、普通の年相応の女というアイリスの姿があった。
自身を勇者の末裔と口にし目立つ行為大いに結構とでも言ってしまいそうなアイリス。
だが、そんな彼女にも女らしい一面があるのだと思いつつも、俺は未だにビンタの痛みでヒリヒリする頬を押さえながら
「どうもなにも、服を脱がさないと汗やスライムウルフの肉片を拭けないだろうが、それによく見ろよ。お前の甲冑は確かに脱がしたが、下着までは脱がしてないだろうが」
「それはそうですが、本人の許可なく服を脱がすのは——」
「気絶していて起きる気配の無いお前にどうやってそれを聞けば良いって言うんだ? それに心配しなくても、お前のその色気のない身体には興味なんて微塵も無いから見るつもりも無かったよ」
「それはそれで傷つきますよ!」
なら、見てれば良かったのか。
そんな言葉を吐いてしまいそうな口を寸でのところで閉ざし、俺は大きくため息を吐いた。
このまま口論を続けていても終わることは無いだろうし、確実に時間の無駄。
だからこそ、俺は自分の方から吐き出したい文句を抑え込み無理矢理口論を終わらせると
「とにかく風呂に入ってこいよ。今の状態じゃ気持ち悪いだけだろ? アガレス、悪いが風呂の準備を頼む」
「かしこまりました。——アイリス様、あなたの服は全てそこのチェストの中に収納させていただかせております。お風呂をお済ませになられましたら、ソレの中に入っている服にお着換えくださいませ」
「だそうだ。お前はさっさと風呂に入ってサッパリしてくるんだな」
汗や魔物の肉片で汚い身体をそのままにしておくのは気持ち悪いことだ。
だからこそ、俺は風呂を先に済ませることを提案しアイリスの返答も聞かぬままアガレスと共に部屋を後にした。
まぁ、俺としても着替えたりしたいし、アガレスの朝のモーニングティーを飲んでいないというのもあるけど。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、アイリスは風呂に入り、俺とアガレスは各々着替えたり朝食の準備に勤しんだ。
と言っても、アイリスとは違って俺は着替えるだけですることは終わるからな。
今はリビングにあるカウンター席の前で、アガレスの淹れてくれたモーニングティーに舌鼓を打っているところだ。
「ん? 出たみたいだな」
風呂場からこちらに向かって来る気配を感じ、俺は誰にも聞こえない程の声量でつぶやく。
女の子の風呂は長いと聞いたことがあるが、他人の家の風呂を長時間使うつもりは無かったんだろう。
視線を扉の方に向けてみればものの数分程風呂に入っただけで戻ってきたアイリスの姿が確認できた。
着ているものは先程まで身に着けていたグレーの寝間着のまま変わらなかったが、その湿った長い髪と妙にスッキリとした表情が彼女の身体が清潔に戻ったことを教えてくれる。
「終わったのか?」
「はい。……その、さっきはすいませんでした。わたしが勝手に勘違いしてビンタしてしまって」
「別に構わない。勘違いされるようなことをした俺も悪かったんだ、お互い様だろ。——まぁ、そんなことはいい。とにかく、お前に話さないといけないことがある」
そう口にして俺は手にしていたティーカップをカウンターも上に置くと、先程までの勢いが全く見られずしおらしい態度のアイリスに向き直る。
まるで、俺がこれから話すことが理解できているかのような面持ちの彼女は、どんな言葉にでも耐えてみせると言わんばかりに身体を硬直させていた。
拳を強く握りしめ、今にも泣きそうな彼女に俺のこれから口にする言葉に耐えうる強い心があるのかどうかは分からないが口にしないわけにはいかないからな。
ため息を吐きそうな自分を押さえつつ、俺は静かに口を開くと
「まず最初に、お前がスライムウルフを一匹倒したあの日からすでに二日が経ったってことを教えとく」
「えっ!?」
「あの日確かにお前は捨て身の戦法でスライムウルフを一匹ギリギリで倒すことが出来たが、あまりの疲労で回復するのに丸二日かかったわけだ」
一日経っても起きないし寝返りすら打たないアイリスの姿に俺達も焦りを覚えたりもしたが、俺の回復魔法は完璧だったし呼吸も正常にしていたからな。
心配する必要は無いと自分達に言い聞かせるまま日をさらにまたいで、結果が今日というわけだ。
流石に朝俺達が起きる時間と同時刻に起床するとは思わなかったけどな。
「じゃあ……」
「お前が思っている通り、お前は俺の出した条件を達成できなかったわけだ」
「——ッ!」
完全に意識を失っていたのだから達成も何もない。
そう文句を口にしようともせず、ただ自分が条件を達成できなかったことを認めるようにアイリスは握っていた拳をさらに強く握りしめる。
短い付き合いだが、意識を失っていただとか怪我を負って戦えなかったとか、俺がそんな理由で条件を一旦保留にするほど優しい性格をしている奴とは思えないと理解しているが故なんだろう。
「つまり、わたしはタクマさんとパーティを組むことは出来ない……と言うことですか?」
「まぁ、そうなるな」
消えるようなか細い声に俺はそう返す。
見れば、俺とパーティを組むことが出来なくなったことがよっぽど堪えたらしいアイリスは、放っておけばこの場で泣き出してしまうのではないかってほど目元に涙を溜めているのが確認できた。
彼女の心が今どんな状況で何を考え、何を思っているのかは分からない。
だが、一つだけ分かるのはこれ以上アイリスを追い込むようなことはしない方が良いということだろう。
そう自分の中で答えを出した俺は嘆息してアイリスを見据えると
「だが、半分とは言っても条件を達成したお前の根性は評価できるからな。だから、アイリス。お前、今日から俺の家に通うか住め」
「……えっ?」
「スライムウルフに手こずるくらいの弱さを脱出したいなら俺が徹底的に鍛え上げてやるよ。それこそ、魔王を倒せるほどにな」
今にも泣きそうな顔をしていたアイリスに、俺は得意気に笑みを浮かべてそう告げた。




