魔王発つ
「奴ら、結局は俺の言いつけを守らなかったってことかよ」
アガレスからの念話を受けて俺が抱いた感情は、怒りというより呆れだった。
人間界に行く前に俺が元部下達にした忠告。
アレは紛れもなく本気のものだったし、奴らが俺の言いつけを間に受けなかった場合は消し炭にしてやるとも思っていた。
一応馬鹿やらないように脅しも込めて多少力を見せたはずなんだが、どうやら俺の頑張りは無駄に終わったということだろう。
俺は残念な気持ち半分、言いつけを守ろうとしなかった馬鹿どもへの苛立ち半分に、魔力感知を最大限に駆使してキングスタスの状況を把握しようと試みる。
すると
「なるほどな。奴ら本気で人間界を滅ぼしにかかってるのかよ」
あまり鮮明に把握することは出来そうに無いが、王都キングスタス周辺に魔族特有の禍々しい気配のする魔力が大量に出現しているのご確認出来た。
数としては数千とも言えるだろうか。
移動して来たというよりはその場所に出現しているといったやり方からして、おそらく集団的に移動出来る《ゲート》と呼ばれる魔法を使ったに違いない。
階級にしてみれば最上級に位置するその魔法は、その名の通り何もない空間に通り道を作り出すものだ。
それを使えば一瞬にして思い通りの場所に集団で移動可能だが、魔力を大量に消費する上に扱いが難しいから俺は多用しない魔法だ。
「《ゲート》を使えば俺に悟られないとでも思ったのかよ、やっぱり馬鹿共だな」
ドーザのことだ、自ら口にしていた人望を最大限に活用して仲間を引き連れてやって来たんだろう。
たとえ俺が強かろうが、到着するより早くに人間界を征服してしまえば良いとでも思ったのか。
もしも俺がキングスタスに最初から移り住むと考えていたなら、確実に奴らは街に着く前に全滅していただろう。
今回はドーザの運が良かったと言える。
《申し訳ございません。もう少し早くにわたしが気付けていればいかようにも対処は出来たのですが》
「いや、お前は悪くないよ。勝手に始めやがった奴らにこそ非があるんだ、アガレスが気にすることはない」
気付けなかったという点を言えば、俺だって自分のことで連中のことを後回しにしてたからな。
俺にだって責任があるさ。
《いかがいたしましょうか。今からわたしが向かい、全てを殲滅致したほうがよろしいですか?》
「まぁそれも良いんだけどな、今回の場合は奴らを殺さず野放しにした俺の責任だ。後始末は俺が受け持つよ」
最初から俺が元部下達の息の根を止めて、魔王城を木端微塵に破壊しておけばこんな面倒な事にはなっていなかった。
今からでも十分に間に合うけれど、奴らの攻撃を受けているであろう人間側の被害も甚大になることだろう。
全てはそれを事前に止めることが出来なかった俺の責任。
その後始末を俺がしなくてどうするよ。
「アガレスはそのまま家で待機していてくれ。キングスタスへは俺が向かう」
《かしこまりました。お気をつけください、タクマ様。彼らは一応団長の座に腰を下ろしていた者達です。油断をすれば重傷を負い兼ねませんぞ?》
「その心配はいらないさ。俺を誰だと思ってるんだ?」
心配してくれるアガレスにそう告げて、こちらから念話を切る。
俺は勇者を数千年間退けて来た魔王だ。
俺の名前を勝手に使い悪逆非道な行いばかりをしてきた元部下達とは、戦ってきた修羅場の数が違うのさ。
そんな相手に負けるはずがない。
「あ、あの……タクマさん?」
「ん? あぁ、そういえばいたなアイリス」
「いたなとは何ですかっ!? 今さっきまでわたしに対して冷たい言葉を放とうとしていたのに、それを忘れて自分の世界に入るなんてあんまりじゃないですか!」
「お前に構うよりも気にしなきゃいけない問題が起きたからな」
「それはわたしのスライムウルフ討伐を見守ることより大事なんですか?」
拗ねた子供の様に頬を膨らませて俺を睨むアイリス。
よっぽど話を途中止めにされたことが気に入らないんだろう。
彼女にとっては今後を左右する重大な話であったのに、それをうやむやにされた挙句に存在を忘れられていたのであれば怒るのは当然だ。
だが、俺にだってアイリスを忘れるほどの問題を抱えてしまったのだから仕方ない。
俺は怒るアイリスを真剣な面持ちで見据えると
「王都キングスタスが魔王の侵攻を受けてるそうだ」
「キングスタスがッ!? っていうか、何でソレが分かるんですか」
「アガレスが念話で教えてくれたんだよ。さっきまで俺がブツブツと口にしてたの見てただろうが」
俺のそんな言葉に納得したように手のひらの上に握り拳を落として頷くアイリス。
しかし、すぐさま事の重大さを認識してその顔が青白く変化してしまう。
「ど、どうしましょうタクマさんッ! キングスタスは王都なんですし、落とされでもしたらわたし達人間は魔王の配下に下って奴隷同然の生活を余儀なくされてしまいます!」
「そんなこと俺がさせねぇよ」
「させないって、どうやってですか!? 魔王は歴代の勇者ですら倒せなかった化け物です、いくらタクマさんが強いからって敵うわけありませんよ!」
だから逃げるしかないとばかりに俺の裾を引き、今にもヴォルトゥマへとその足を進めようとするアイリス。
勇者にも倒せない魔王からは逃げるという選択肢しか残っていないと言いたげな瞳は、俺を見据えてただ一つ『一緒に逃げてください』という感情を俺に向けていた。
何故俺のような赤の他人でしかない存在と一緒に逃げようとするのかは分からない。
俺という強者が居れば生活に困らないだとか、盗賊に襲われても大丈夫だとか思っているのか。
それとも、ただの気まぐれにしか過ぎないのか。
どちらにしても、アイリスと一緒に過ごせば……まぁ、退屈はしないだろう。
「悪いな、俺は行かない」
だが、残念ながら俺は彼女と一緒に行くことは出来ない。
短くそう告げて俺は裾を引っ張るアイリスの手から逃れると、一歩下がってその背に翼を生やした。
コウモリのようなその翼は漆黒色に染まり、大きさもこのヴォルトゥマまでやって来た時よりも更に大きなもの。
完全に広げてしまえば俺の身体なんか包み込められるほどに大きなソレを目の当たりにしたアイリスは、口を開けて放心していたがすぐさま我に返り
「な、何ですかその翼! タクマさん、人間ではないんですか!?」
「いや、人間だけど?」
「なら何でそんな化け物みたいな翼を生やしてるんですか。普通いないでしょ、背中に翼を生やす人間なんて」
俺が翼を生やした事に驚きはするものの、恐怖だとか嫌悪の感情を見せようともせずただ呆れ混じりの言葉を放つアイリス。
俺という存在と短い間とは言っても共に過ごしていたからか、人間としての価値観が少し麻痺してしまったのかもしれない。
何故なら大抵の人間は自分達と異なる容姿をしている者を受け入れようとはしないからだ。
魔王として魔族の頂点に君臨した俺が何度となく人間と共存の道を歩もうと奮闘しても、人間は翼の生えた奴や体格の大きな者を認めてはくれなかったもんな。
その結果が今の状況だ。
人間は魔族を受け入れず、魔族もまた人間を受け入れようとしない。
互いに互いを認めようともせず結果的に傷つけあい生存競争を生き抜こうと必死になってるんだ。
思い描いた魔族と人間の共存する世界は、絶対に実現しないのかと何度思ったことか。
だが
「やっぱり、こっちに来てみて分かることもあるってことなんだろうな」
勝手に共存は不可能だと決めつけて城に籠り、ただひたすらにやって来る勇者とその仲間達を打ち倒す事ばかりを繰り返す生活。
そんな生き方をしていれば、俺の知識は城の中だけに留まってしまうのは明白だ。
引き篭もり生活に嫌気がさして城を出た新生活だが、おかげで俺にとっては朗報を得た気がするよ。
「何を一人で嬉しそうにほくそ笑んでいるんですか!?」
「いや、案外お前と過ごしていくのも悪くないのかもしれないと思ってな」
「——えっ」
つい口から出た本音の真意を語ることなく俺は翼を広げて空に舞い上がる。
そして、俺のことを驚愕と期待の籠った面持ちで見つめるアイリスを見据えると
「だから、お前ももう少し頑張ってみろよ。今日行ったセンテの森で巨大な蝶を倒したのは他でもないお前なんだ。剣が無くてもお前の身体がやったことだ、アレより弱いスライムウルフなんて簡単だろ?」
一方的に告げて俺はアイリスの返答も聞かずにその場からキングスタスに向けて飛び立った。
背後からは勿論アイリスの叫び声が聞こえるが、今は彼女に構っている暇は本当に無い。
こうしている間にも、おそらくはドーザ率いているであろう魔族の軍は着実に人間勢を押しているのだから。
「ドーザ。俺の忠告がでまかせでないことを、その身にたっぷりと教えてやるからな」
脳裏に思い浮かべるのは、向こうに着いてから俺が行うべき制裁とも言うべき虐殺だ。
忠告も聞かずに押し寄せてきた連中に、元部下も元上司も関係ない。
全てを根絶やしにしてやるさ。




