アイリスの実力
スライムウルフは人間界に比較的多く生息する魔物だ。
そのジェル状の体質と、見た目的には大型の犬のような容姿とは裏腹に、気性が荒く好戦的なモンスターとしてこの国では大変有名らしい。
捕食対象は他の魔物と同じで肉系統。
特に人間の肉を好んで食べる。
捕食する際に蛇のように口を大きく開けて、対象を丸のみにし少しずつ消化して栄養源に変えていくらしいが、その様を見た者は全て『二度と見たくない』と口にするそうだ。
だって、アイツの身体は基本透けているからな。
奴の中で捕食した生物がどのように溶けているのか鮮明に観察可能だから、本当にいろいろな物が見えてしまうんだろう。
「——現れましたねっ、我が道を阻む化け物! 今日こそはその無害そうなワンちゃんフェイスを無茶苦茶で、見るも無残なものに変えて上げます!」
「今日こそはって、何度も負けてるのかよ。相手はスライムウルフだぞ」
大声を上げながら二匹の魔物を指さし盛大に啖呵を切るアイリス。
どんなに気性が荒く好戦的だとしても、奴らは所詮当て馬モンスター。
強さも魔物の中では断トツの最下位なために、駆け出し冒険者でも簡単に討伐可能な魔物のはず。
であるのにも関わらず、アイリスの場合はまるで生涯のライバルでも相手にしてるかのような物言いだ。
しかも『我が道を阻む』ってな。
自称勇者の彼女がこの始まりの街にずっと滞在している理由が、このスライムウルフすらまともに倒せないと言うのもあながち間違いでは無いのかもしれない。
まぁ、別に俺には関係の無いことだけど。
「アイリス、そんなこと言って無いでさっさと奴らを倒せ。時間は限られてるんだぞ?」
「た、タクマさんは黙っておいてくださいっ! この戦いはわたしと、この悪魔の神聖な——って、きゃわっ!?」
魔物に対して真正面から啖呵を切るアイリスだが、魔物からすれば無防備な餌として認識されるだろう。
故にスライムウルフは容赦なくアイリスに襲い掛かった。
しかも、俺が彼女に話しかけ彼女が馬鹿正直に反応した隙を突いての攻撃。
とは言っても、攻撃パターンは噛み付く以外に存在しないんだけどな。
奴の身体は確かにジェル状だが、姿かたちを自由自在に変えることが出来るような便利すぎる体質では無いんだ。
短い腕から鋭い爪を出すことも出来ないし、その大きな口にサメのようなノコギリ歯を作り出すことも不可能。
食われる際には痛みを感じないが、一度でも捕食されてしまえば一巻の終わりだ。
それを彼女も理解しているからこそ、避けては逃げ、避けては逃げる。
「おいおい、スライムウルフに捕食されるのが怖いのは分かるけど、逃げてるばかりじゃ終わらないだろ」
「そ、そんなこと言ったって……ッ! はわっ、今腕かすったっ!?」
怖い物は怖いとでも言いたいんだろうな。
俺だって、もしも怖いと思えるものが背後から迫って来ていたとしたら全力で逃げ出す。
けれど、それは俺の場合だ。
直接的な迷惑の無いアイリスがどんなに怖い思いをしようが俺自身には大した影響はない。
だからこそ、俺は逃げるアイリスの行く手を阻むように《ヘルザフレイム》で炎の壁を作り出した。
「なっ! た、タクマさん!?」
「俺はお前にスライムウルフから逃げ続けろとは言って無いぞ? 俺は奴らを討伐しろと言ったんだ。さっさとしろよ」
「そ、そんな……鬼、悪魔、外道——きゃっ!?」
俺に対しての罵倒を口から放つアイリスだが、無論そんな無防備と化した彼女を放っておいてくれるほど魔物は優しくない。
スライムウルフは二匹同時に彼女に向けて飛びかかる。
寸でのところで避けるアイリスだが、炎の壁に逃げ場を奪われたために覚悟を決めたのだろう。
二匹のまったく息の合ってない雑な攻撃をなんとか避けてその場から抜け出す。
そして、何故か腰の剣では無く地面に落ちていた手ごろな長さの棒を手に取ってスライムウルフを見据えた。
「おい、スライムウルフに打撃系統の攻撃は——」
「せいっ!」
俺の忠告なんて耳に入っていないらしいアイリスは、木の棒をスライムウルフの顔面目がけて思い切り振り下ろした。
彼女が全体重をかけて放ったその攻撃は、容赦なく片割れの頭に直撃する。
『ムニュ』というなんとも可愛らしい効果音を奏でて頭が盛大に陥没するスライムウルフだが、残念ながらダメージは期待できない。
だって相手犬のような容姿をしてると言ってもスライム。
余程の衝撃がある攻撃でない限り、打撃系の衝撃はジェル状の体質が吸収してしまうのだ。
「あれ……?」
結果、アイリスの攻撃はスライム特有の体質によって無効化され、彼女はものの見事に残った片割れのスライムウルフに飲み込まれてしまった。
「——ッ!?」
息が出来ないとばかりに奴の体内でもがき苦しむ自称勇者の末裔アイリス。
必死になって体内から抜け出そうと手の中にある木の棒を内側から突き刺していくが、これもまた効果無し。
そりゃそうだ、先の尖ってない木の棒なんかただの棒だ。
そんなもので突き刺そうが貫通するはずがない。
まぁ、やろうと思えば可能なんだが、アイリスの場合はよっぽど非力だからこそなんだろう。
「はぁ、まさかここまで弱いとはな。いや、無知すぎるだけなのか?」
流石にこのまま死なれたら後味が悪い。
俺はその場から奴ら目がけて走り出すと、彼女を飲み込んでない方のスライムウルフを拳で叩き潰す。
アイリスの時とは全く違う気色の悪い効果音を奏でて辺りに弾け飛ぶ化け物。
魔王である俺クラスになれば、ある程度のモンスターは素手で駆除できるんだ。
コイツの場合は指先だけでも十分なんだが、アイリスがいる手前そこまでの力の差は見せられないからな。
「さっさと出てこい。お前は死ぬには早すぎる」
序盤の冒険で命を落とした勇者に語りかける神のようにそう告げると、俺はスライムウルフの身体に腕を突っ込んで未だもがき苦しむアイリスの腕を取り強引に引っ張りだした。
無論、口からご丁寧に出すつもりも無かったから、奴はアイリスを引っ張り出した瞬間に絶命したよ。
人間の身体でいうなら、腹に腕を突っ込んで中身を取り出すようなものだからな。
そんなことすれば命を落とすのは当たり前だろう。
「はぁ、はぁ、た、助かりました……」
「お前は何を考えているんだ? 大した力も無いのにスライムに対してよりによって木の棒使うとか、魔物舐めてるのか?」
「くっくっくっ、あんな弱小モンスターごときこの棒一本で十分。真の我が力を使えばこの世界に災いが起こりう——あうっ!?」
面倒な言葉を並べて誤魔化そうとするアイリスの脳天に手刀を落としてやる。
結構痛いのか頭を押さえてその場で転がり回る彼女だが、知ったことじゃない。
誤魔化そうとするコイツが悪いのだ。
「それ以上馬鹿げたことをぬかすつもりなら俺は帰るぞ?」
「ごめんなさいッ、許してください! なんでも言うこと聞きますから、見捨てないでください!」
立ち去ろうとする俺の服を掴んで、必死に弁解する自称勇者の末裔。
スライムの身体が未だに付着している手で掴まれているから随分と汚らしく思えて、俺は強引に彼女の手を振り払う。
そして、冷たい視線を彼女に向けると
「それで、お前はなんで木の棒を使ったんだ? お前の腰にぶら下がってるその剣は飾りかよ」
「はい、飾りなのです。見ての通り鞘に収まってる剣なのですが」
アイリスが腰の剣を掴み引き抜くと、ものの見事に刀身のない物体が姿を現した。
柄の部分しかないために、本当にただの飾り。
脅し程度にしか使えない代物に、もうコイツを放って帰りたい気分にさせられたのは言うまでもない。
「なんでそんな使い物にならない剣を腰にぶら下げてるんだよ。聖剣はどうした!?」
「昨日まではあったのですが、タクマさんとの冒険者家業に備えてこの鎧を買うために……その」
「——売ったのか?」
短い問いかけに彼女は頷く。
それはもう見事なほどに堂々とだ。
まるで、自分のやった行いに後悔なんて無いような感じではあるが、勇者が聖剣を売るなんてどうかしてる。
俺は今にも頭痛が起きそうな頭を押さえながら、こんな奴を本当に仲間にしていいものかと真剣に悩むのだった。




