第8話「儀式」
翌日、二人は朝早くに教会に向かった。
教会は、街から少しだけ離れたところにあった。
その一角は少し寂れていて、所々ひび割れの激しい建物の群が軒を連ねている。教会も同様だった。
そこだけ見たらとても寂しく見えるだろうその場所は、子供たちの笑い声で溢れていた。
「教会って、孤児院も兼ねてるんだな」
クロトが小さく呟いた。メルは頷く。
「そういうところもあるみたいね。私の友達の一人は、ここみたいに教会と孤児院を兼ねたところで育ったって言ってたわ」
静かなメルの返答に、クロトは「…そうか」とだけ返す。二人はどこからか聞こえてくる子供の笑い声を耳にしながら、教会へと足を速めた。
中に入ると、すぐに老齢のシスターが出迎えた。
彼女は大きな眼鏡をかけていた。老眼鏡だろうか。顔に刻まれた深い皺は、彼女の浮かべる慈愛に満ちた笑顔に沿っている。
「あら、もしかして学園の生徒さん?」
学園側からは連絡がいっていたのだろう。シスターは開口一番にそう言った。二人は頷く。
「あなたたちが最後ね。早速だけれど、儀式の準備をしましょうか」
と言って、シスターはメルに目配せする。メルもこくりと頷く。
二人は簡単な自己紹介と段取りの確認をサッと済ませると、テキパキ準備を開始する。
その様子を、呆けた顔をしながらクロトは戸惑いながら眺めていた。学園やメルからは“各教会で魔祓い師が祈りを捧げる”ということは聞かされているが、守護者はその間何をしていればよいのか知らされていない。
“儀式”と言っているし、何か手伝うべきなのだろうか?
すると、クロトの様子にメルが気付いた。
「あ、しばらく私はシスターと一緒にここにいるから、クロはどこかで時間潰しててよ。でも、近くにはいてね」
要するに、“儀式”に守護者は特に必要ないということだ。
むしろここにいるのは邪魔かもしれない。
何のためにここに来たのか一瞬わからなくなりかけたクロトは、慌てて自身にこう言い聞かせる。
―守護者は魔祓い師を守るために存在しているのだ―
自分が暇だからといって、本来の役割を放棄するわけにはいかない。何か不測の事態に陥った時にすぐ対処出来るよう、目の届く範囲で待機しているべきだ。
そこでクロトはシスターに問いかける。
「儀式は見学していても?」
「特に問題はないですよ。静かにさえしていてくれれば、いてもいいわ。ただし、魔祓い師の集中力を使う作業だから、大きな音は立てない様にしてくださいね」
「わかりました」
今度はメルが口を開く。
「儀式は大体30分から1時間ぐらいかかるし、見てるだけってホント暇だと思うよ」
30分から1時間か…
「一応儀式ってのがどんなのか見ておきたいし、終わるまでは自由に過ごしておく」
「うん、わかった」
そして、メルとシスターの二人は奥の祭壇の方へ行ってしまった。クロトはあまり邪魔にならない様に、入口近くの席に着席してその様子を見守ることにした。
儀式というのは、想像以上に退屈なものだった。
まず、始めるまでに時間がかかった。
祭壇のところでメルとシスターは水盆を設置したり、経典を用意したりと忙しなく動いている。やっと準備が出来たかと思えば、メルは祭壇の中央で膝をつき、手を組んで一心に祈っている。何に対して祈っているのかはクロトにはわからない。
傍らでは、シスターが経典を厳かに読み上げ、時折メルもその中の一説を口にしている。それが延々と繰り返される。
(…今度からは何か本でも持ってこよう)
少し眠たくなってきたころ、クロトはそう考えた。
さすがにこのままだと眠ってしまいそうだ。
そう思ったクロトは、一度外の空気を吸ってこようと席を立つ。
(とりあえず近くにいろと言っていたし、終わるまでは 外で待機でもしてるか)
暗い教会の中で退屈な儀式の様子を見守ってるよりは、外の風景でも見てるほうが幾分かマシだ。
そんなことを思いながら、クロトは扉に手をかけようとして止まった。かなり近くで子供の元気な声がする。
どうやら扉のすぐ向こうに子供たちが集まっているようだった。
「せんせぇ、ここ~?」
微かにだが、そう聞こえた。
ここは孤児院も兼ねているから、“せんせぇ”は恐らくシスターのことだろう。どうやら、彼らはシスターに用があるらしい。
クロトは焦った。
そういえば、大きな音を出してはいけないとシスターは言っていた。それと一緒に、かなり集中力を使う作業だとも。ここで子供たちを入れてしまえば、まず集中はできないだろう。
こんなことで儀式を中断させるわけにはいかない。
何より、自分たちには時間がないし、終えられるものはここでさっさと終えてしまいたい。そして先に進みたい。
ここは自分が何とかしなければ…と、クロトは静かに扉を開け、そこから少しだけ顔を出した。
子供たちは扉が開くと、一瞬嬉しそうな顔をしたが、そこから見知らぬ顔が出てきたために、一様にしてきょとんとした顔になった。
「しぃー…」
クロトは口元に人差し指を当て、静かにするよう促した。
「だれー?」
「なにしてるのー?」
これだけじゃ効果がないらしい。
仕方がないな、と理由を説明する。
「今、シスターは大事な用事があるから、後でな。それと、ここで騒ぐなよ」
クロトは小声で言った。
「なんでー?」
「どうしてー?」
「ええっと…」
すぐさま疑問の声が沸き上がる。
まだ静かになりそうもない。クロトが困っていると、年長らしい女の子がやってきた。
「みんな、しぃー! 静かにしなさいって言われたんだからうるさくしちゃだめよ!」
小声で諭すと、途端にみんな静かになった。
どうやらこの子はリーダー格のようだ。
「助かったよ」
と、クロトはその少女に礼を言う。
少女はにっこり笑った。
「いえ。ところで、何してるんですか?」
この子は物わかりがよさそうだ。
クロトはもう少し詳しく理由を説明する。
「今、儀式の最中なんだよ」
「あ、もしかして お山の学校の人ですか?」
「うん」
さすがに課外授業のスタート地点で毎年のことなので、多くの学生がここでお世話になっている。彼女もすぐに察してくれた。
「へぇ、まだ残ってる人いたんだぁ」
「俺達で最後だよ」
「そういうことなら尚更邪魔しちゃいけませんね。みんな、先生と遊ぶのはもう少し後にして、向こうで待ってようね」
(成程、遊ぶ約束してたのか…)
恐らく、約束した時間になかなかシスターがやって来ないのでみんなで探しに来たのだろう。
「悪いがそうしてくれ」
だが、子供たちは不満たらたらのようだ。
「え~っ」
「約束したのにぃ」
「ぶぅ~~~」
途端にブーイングの嵐だ。一気に騒がしくなる。
慌てて年長の少女は子供たちを宥め始める。
「こらこら、仕方ないでしょ! 先生はお仕事してるの。あんまり困らせたら、先生が悲しむわよ」
「「うぅ~~~っ」」
目を潤ませた子供たちは納得いかずに唸ることで抗議する。
年長の女の子もこれには困ってしまい、目を泳がせている。これを宥めるのは大変そうだ。
時間がないとはいえ、シスターに子供たちとの約束を破らせてしまったことにクロトは罪悪感を感じた。
だから、ちょうど暇だったこともあったし、反射的に口が動いてしまった。
「じゃー…俺が代わりに遊ぼうか?」
そう言うと、子供たちのキラキラした目がクロトを隅々まで射抜いていった。