2話
日が完全に沈んで光が月明かりとわずかな街灯だけになった時、僕は彼女に見送られ帰路についた。僕が帰らないと彼女もここを動かないと悟ったから。
さよならを言ったあと彼女は手を振って見送ってくれたけど、最後に振り返った時、彼女は寂しそうに公園のほうを見ていた。多分シーソーを見てたんだと思う。
それがその日の彼女との別れ。釈然としない気持ちは今も憶えている。
そして次の日…日曜日、外は雨が降っていた。
「雨…か…アイツ…」
朝起きて僕は窓を開けると濡れるのも構わず外へ身を乗り出し家の隣の公園を覗き込んだ。
「はは…んな訳ねぇか」
呆れた声で僕は自分の行動に笑いながら窓を閉め少し濡れた頭をタオルでふくとすぐに着替えをすまし部屋を出る。
「さて…日曜日だし出かけよかな」
誰に言う訳でもなく言葉を漏らし玄関で傘を2本取り雨の降りしきる外へ出た…足が向かった先は家の横あの大きめの公園。
「はぁ…」
ザァザァと雨音はおさまる気配などなく傘にぶつかる雫の重みも増していく様だった…足音もグジュグジュと嫌な感触を持ち重くなった靴でその場所に立った。
「何してんだろな…オレ…」
その場所には雨が空を切り裂く音と雨が大地を削る音しかなく…いつもの子供の遊ぶ声も音も笑顔もありはしない公園の中には誰もいなかった。
「あと…お前も何してんだ?」
ただ、そこには誰もいない公園を…フェンスごしに眺める少女だけがいた。
「あっ…」
差し出した傘に気づいた少女が顔を向ける…もう既にずぶ濡れでずっと前からそこにいたのだと子供だてらに理解できた。
「ほら…ってもう遅いか…」
差し出した傘は引っ込め彼女の上に自分のさしている傘を持っていく。
「なぁ…何で…」
僕は言いかけた言葉を飲み込む。
「また眺めに来たのか公園…」
「うん」
静かに答え虚ろな瞳で僕の目に視線をむける…雨で何倍にも重くなっているであろう服と髪を背負い足をふらつかせ赤い顔をしていた。
「おいっ大丈夫かよっ」
「はぁはぁ…」
コクリと頭を降ろしうなずくがそれすらも危なっかしい。
「はぁはぁ…」
「熱っ熱あるんじゃねぇかっ」
「はぁはぁ…大丈夫…」
触れた額は熱くその触れた手ですら彼女を押し倒してしまうのではないかと不安になるくらい彼女はふらふらだった。
「何言ってんだよ…ふらふらな時点で大丈夫じゃねぇよ」
「えっ…誰がふらふら…」
「お前だ!お前!」
「えっ」
彼女がフェンスから手を離した瞬間その体は布切れのように何にあらがう事もなく地に伏そうと崩れ落ちた。
「危ねぇっ」
「あっ本当だ…ふらふら…」
「ふらふら…じゃあねぇ来いオレの家にっ」
「えっ…」
「ここにいたってしょうがないだろっ!」
強く言ったせいか彼女は瞳を小さくし、呆然としている。
「いいから行くぞっ」
答えは返ってこなかったけど、それでも僕はあの子の手を引いて歩きだした。
…この子がおかしいとか、壊れてるとか…可哀相とか…そう言うんじゃなく。
(あそこにいちゃ駄目だ…)
僕はそう思っただけなんだ。
「ちょっと待ってろ」
玄関に入って手を離すが彼女は無言のままうつむいて動かない僕はお風呂場へ行きバスタオルを持って戻って来た。
「ほらタオル」
「……うん」
うなずきはするが動きはしないそんな彼女の頭にタオルをかける。
「気兼ねするな…親父は仕事でいつも朝から夜まで家にいないから」
「…えっと……」
「母親はいねぇ…ずっと昔から」
「……そう何だ…」
「上がれよ雨宿りぐらいしていけ」
「うん…そうする」
かけられたタオルで頭と顔をふく。
「えっと…やっぱ着替えた方がいいか…」
僕は二階の自分の部屋を片付けて扉の向こうに待たせていた彼女を呼ぶ。
ガチャ
「着替えになりそうなの出しといた…から…オレ部屋を出るから…着替えなよな」
「…うん」
「じゃあ薬取ってくる」
「うん…」
「布団ひいてあるから着替えたら横になってろよ」
バタン…扉を閉めて一階へおり準備をすませ二階へ戻り扉を叩く。
コンコン
「入っていいか?」
「うん」
中からの返事に部屋に入ると布団で横になってる彼女がいた。
「どうだ体調は、一応薬と氷水持って来たけど」
「うん、ありがとう…」
風邪薬を飲み額を氷で冷やす…そして、しばらくの沈黙。
「なぁ…何であの公園なんだ…」
沈黙の中にぽつりとこぼした小さな言葉…答えはやはり返ってこない。
「…だってよ…入りたくないんじゃないのかあそこに」
また言葉は返ってこない…そう思い氷を変えようと立ち上がろうとすると。
「気がつくと…あそこにいるの…」
「えっ」
「寝たり…気を抜いたり…歩いてる時でも足があそこに向かってしまう…」
「何で…そんな」
「あそこはワタシの終わりの場所…いつかはあそこにいくの…でも今はいや…」
「なんだよ…終わりって…訳わかんねぇよ」
「ごめん…」
「あやまんなよ-」
僕は立ち上がりタオルとぬるくなった水の器を持ち上げ部屋を出ようと扉の前に立つ。
「あっそうだお前名前は?オレは堀川 春」
「ワタシは……」
言おうとして言葉に詰まる。
「えっと…」
「何だまさか記憶ないとか…」
「違う…えっと…ミカゼ…って言うの」
「ミカゼか…いい名前じゃねぇか」
うつむく少女に僕は言うが彼女は首をふった。
「ワタシは嫌い…こんな自分の名前が」
その小さな声は聞こえていたけど…どうして…と聞くもできずに僕は言葉を探した。
…だってあの時のアイツの顔は…
「あのさ…」
スゥっと息を吸い込みノブにかけた手をおろし。
「言いたくないなら別に…理由とかはさ…いいから…ここにいていいぞっ」
「えっ」
僕が振り返ると寝ていたはずの彼女は腰をまげ起き上がってこっちを見ていた。それと目が合いそうになり僕はあわてて視線をそらす。
「あのそのあれだ…えっと、親父にはちゃんと話すし親父は夜帰って来て寝るだけで朝も早いんだ…だから…あんま気にしないと思うって…事で…」
考えていた事の半分も言葉にならない…もどかしくて…恥ずかしくて。
「…………ありがとう」
でもその言葉を聞いたとたんに僕のあせりも恐怖も吹き飛んで…無性に嬉しくなった。
「だろっ何があったか知らないけど時間が解決するって事もあるもんなっ」
「…でも、ここにはいられない」
「えっ…」
あさはか何だ…僕の考えはいつだって。
「で…でもよ…家に帰れるのかよ…嫌なんだろ…」
迷惑も何も考えずに…突っ走って…困らせる。
「ケンカとかしたなら帰りづらいだろ…親と顔合わせたくないなら…」
無言の少女は混乱と戸惑いの表情をうかべ暗い顔でうつむいた…その時やっと自分の言ってしまった事を考えて真っ白になった。
「あっ…ぁ…ごめん…オレ」
「…うんでも…外雨だから…夕方くらいまではいていい…かな」
「おっ…おおっ!いいぜっ」
雨なんてやまなかきゃいい…そう思った。
続く幸せもあればそうでないものもある。この頃の僕には分からなかった。