2話
「…えっ…ううん駄目じゃない。えっと…また遊べるなんて思ってなかったから…」
それは少し、涙まじりの小さな声だ。
そして顔を見せずに、彼女は一歩公園の方へ足を進める。
「公園なんて何年ぶりだろ…」
小さな公園の入口を通った瞬間、彼女の顔が少しほころんで笑った様に思えたのを覚えている。
それは彼女の声が、本当に嬉しそうだったからだろう。
僕は何て言うかホッとしたと言うよりも…とても嬉しくなって、彼女の後ろ姿を見たまましばらく立ち尽くしていた。
「なぁ、お前ってさ…」
「えっ?」
「引っ越して来たのか?」
突然なげかけた疑問に少女は振り返り問い返す。
「何で?」
「いや、今まで一度も会わなかったし」
そう言って目をそらす僕に、彼女は静かに口を開いた。
「……ずっと…寝てたのワタシ」
「寝てたって、それって病気か?」
風が吹くように言葉は流れる、あるのは沈黙。
僕の質問も流された。そう思った時、彼女は空を見上げて答えともつかない答えを返した。
「凄い凄い長い時間…寝てたんだと思う」
それが彼女の答え。僕はそれを聞いて、質問は肯定されたと思ったんだ。
「おい、じゃこんな所にいていいのかよ」
「どうだろう」
「どうだろう。って、病気はちゃんと治ったのかよ?」
「お父さんとお母さんはワタシの中にある悪い物を取り出せる様になる日まで、寝てなさいって言ってた…」
「じゃあ治せる様になったから治して、こうして自由に出歩いてる訳だ」
彼女は無言でたたずむのみ。最後の言葉に、答えは返らない。
子供ながらに悪寒が走ったのを覚えている。
「治したから、病院で寝てなくてよくなったんだよな?そう言うことだよな」
再度、今度はちゃんと質問として、でも答えは返らない。
僕は少し混乱していた。
病気に深い知識があったわけじゃないけれど、それでも、いやだからこそ、このとき頭に浮かんだのは母さんのことだったんだ。
病気で死んだ母さんのこと。
もし公園に入っちゃいけないって言うのが運動がいけないって事だとしたら?もしそうなら、まずくないか?それだと事情が変わってくるんじゃないか?
僕は、慌てて彼女を呼びとめた。
「おいっ、お前っ」
でも彼女は言ったんだ。背中を向けたまま。
「ワタシは病気じゃないよ」
そう言ったんだ。
「だからなんだけどね」
「え?」
続く彼女の言葉、この時の僕にはその意味が分からなかった。
そして、さらに続いて聞こえてきた言葉が、僕に疑問すら抱かせなかった。
「あそぼっ」
笑顔。彼女は振り返り初めて、こちらに微笑んで見せたんだ。
「一緒に遊ぼっ」
そこにいたのは明るい笑顔の女の子。今までのイメージとは全然違う、やや痩せてはいるものの元気な女の子。
それを見た途端、僕の頭からは病気などという疑念は消え失せていて、驚きがあった。
(何だよ…そんな顔できんのかよ)
「ねぇ」
彼女が一人、公園の中へとかけていく。
「あぁ、そうだな遊ぼうか」
あぁそうだ。
このころ意味もなく女子に対して斜に構えていた僕が、結構あっさりと女の子からの誘いに応じたんだ。
そしてこの夕暮れの公園でのひと時があったから、彼女に対しては素直に世話が焼けるようになったんだと思う。夕暮れのこの公園は、今でも彼女とセットで思い出す、そんな場所だ。
学校のしがらみとは切り離された存在で、周りに知り合いはいなくて、小さな公園には冷やかすような奴も、笑うような奴もいない。
だから僕は彼女を追いかけた。無邪気に、多分だけど妹と遊ぶようなそんな感覚だったんだと思う。
夕暮れが近づいた公園で、僕は彼女と並んで立ったんだ。
「で…何するんだ?」
隣で立つ彼女に聞く。彼女は講演を何度も見まわしていた。
僕も軽く辺りを見回す。公園の中にあるのはすべり台にブランコあとはシ-ソ-だけ、草刈りがされているのが唯一の救いのような本当に忘れられてもおかしくない、そんな小さな公園。
そう言えば、僕は今でもこの公園の名前を知らない。
「シ-ソ-のろシ-ソ-」
「シ-ソ-だぁ?」
彼女の思いがけない言葉に僕は思わず問い返すんだ、でも。
「うんっシ-ソ-」
彼女のキラキラと輝く嬉しそうな視線は、真っ直ぐにそのもっとも使用頻度の低いと思われる遊具にそそがれていた。
シーソー、別名ギッタンバッコン。もはや説明は不要であろう公園の代表的な遊具の一つ、だが知名度にくらべて使用される機会は少ない遊具であるといえる。
その理由は、これもまた説明は不要であろう。
「何であんな…すべり台もブランコもあるじゃねぇか」
「ワタシはシ-ソ-がいい、せっかく二人いるんだもん、一人じゃできないシ-ソ-がいい!」
そうこれが不人気の理由。たいていの公園にはすべり台とブランコ、この2台巨頭が存在する。さらにシーソーは一人ではできない。でも彼女は、だからこれがしたいと言ったんだ。
「先行くね。一緒にやろ」
そう言って少女はパタパタとシ-ソ-の方へとかけていく。
「くそっ…急に明るくなりやがって」
(断れねぇよ…そんな嬉しそうにされちゃ)
「いいか少しだけだぞっ。オレは…その、やりたくてやる訳じゃないんだからなっ!」
「うんっ」
笑っていた…彼女のその顔が、心地よい返事が僕を観念させた。
キ-… ストン
シ-ソ-の片側に彼女が座っている。上にあがったもう片方に僕は登る。
キ-… ストン
少しさびた音をたて僕の乗った方が重みで落ちる、僕はまたがって両足に力を込め飛び上がる様に地面を蹴った。
キ-… ストン キ-… ストン
シ-ソ-は一時僕の重みで傾くもののその力で少女が座る側を下へさげ、そしてすぐまた重みが彼女を上へもどした。
(これで…いいのか?楽しいか?)
自分の斜め上でニコニコと笑う少女に向かって僕は、その疑問を投げかけずにいられなかった。
「た、楽しいか、これ?」
「うんっ楽しい」
(オレには理解できん。どう考えてもブランコ百歩譲ってすべり台の方が楽しいと思うんだが)
そんな僕の考えなど気づく様子もなく、目の前で楽しそうに笑う少女。彼女の顔を見ていると僕は自分のそんな考えも忘れ、いつしかその繰り返される上下運動を楽しんでいた。
キ-…ストン キ-…ストン キ-…ストン キ-…ストン キ-…ストン キ-…ストン
赤く染まった空の下、小さな公園で響くのは、少し物寂しげなそんな音。
でも少女は終始笑顔で、僕もそうだったんだと思う。寂しい音も気にならなかったくらいだから。
キ-…ストン キ-…ストン キ-…ストン
やがて日が暮れて、僕は別れを予感する。
家に送っていってやるという僕の言葉に少女は首を振り、だから僕と彼女は、この小さな公園の前で別れたんだ。
かたくなに彼女が、ここでいいと言ったから。
もう暗くなった空の下、ただ悲しそうに首をふる少女の顔が、最後まで僕の心を苛立たせた。
日が完全に沈んで光が月明かりとわずかな街灯だけになった時、僕は彼女に見送られ帰路についた。僕が帰らないと彼女もここを動かないと悟ったから。
さよならを言ったあと彼女は手を振って見送ってくれたけど、最後に振り返った時、彼女は寂しそうに公園のほうを見ていた。多分シーソーを見てたんだと思う。
それがその日の彼女との別れ。釈然としない気持ちは今も憶えている。
そして次の日…日曜日、外は雨が降っていた。