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【ちょっと前の話】第〇話_桜島さんと出会う前_水槽部屋のある暮らし

主人公が入学する前のお話です。

~第〇話_桜島さんと出会う前_水槽部屋のある暮らし~



鹿児島市にある大学への進学に合わせて、僕は一人暮らしをする物件を探していた。

大学へ路面電車か自転車で通えて、近くにスーパーが有って、最低でも一五〇センチの水槽と九〇センチの水槽が置ける物件。ちなみに水漏れが怖いから一階に限定。



でも、そんな物件はそう簡単には見つからず――僕が諦めかけていた時、親父の知り合いの友達と言う人から連絡が入った。「水槽部屋付きのマンションが空いているぞ」と。

短い時間だったけれど、電話で話したオーナーと名乗る人物は、女性の声だった。



  ◇



とんとん拍子で契約が決まり、荷物を運び込んだ物件は五階建てのマンションの一階。2LDKのうちの一部屋が、結露対策、防音対策、保温対策がされている水槽部屋になっていた。しかもオーナーが住んでいた五年前から引き継がれている水槽の数々が、部屋に備品として付いている。



全部空になってはいるものの、部屋の中央に置かれた一八〇センチ水槽一本を筆頭として、部屋の奥の壁に一二〇センチ水槽が四本置かれていて、加えてサイズの小さな四五センチ水槽や三〇センチ水槽が整然と壁面に並んでいる。小さいけれど、ステンレスの専用流し台も部屋の角に設置されていた。

夢の水槽部屋。どんな生き物を飼育していこうかなと期待が膨らむ。



――と、玄関のチャイムが鳴った。

今日は、部屋のオーナーが経営しているペットショップの人が、水槽と給排水装置に漏水や傷といった問題点が無いかチェックしに来てくれることになっている。多分、その人だろう。



玄関のドアを開けると、黒いエプロンをつけたお姉さんが立っていた。

身長は一六〇センチくらい? ふんわりとした栗色のショートボブに楕円形の黒フレームの眼鏡。細い糸目だけれど優しそうな表情で、ずっと見ていたくなる――じゃなくて。



見惚れてしまったのがバレたのか、お姉さんから、にこっと余裕の微笑みが返ってきた。馬鹿な自分に心臓がドキリとした。

大明丘鼎だいみょうおか・かなえさんのお宅ですよね? グリーンファンタジストの小泉と申します。今日はよろしくお願いします」



小泉さんというお姉さんが丁寧に頭を下げた。つられて僕も頭を下げる。

「大明丘です。よろしくお願いします」

「うふふっ、『鼎さん』と呼んでも良いですか?」

唐突な申し出。女の人に下の名前を呼ばれるのは、家族以外じゃ経験が無いからドキドキした。どんどん顔が熱くなって、三月だというのに汗が噴き出してくる。



「えっとぅ? 否定しないということは、鼎さんと呼んで良いってことですよね? あ、それとも、ダメなんですか?」

首をかしげて微笑む小泉さん。可愛かった。

「い、いえっ、大丈夫です、小泉さん」

「良かった♪ それじゃ、さっそく水槽まわりのチェックをさせて下さい。お部屋に上がらせてもらいますよ?」

くすりと笑うと、小泉さんは玄関で靴を脱いだ。

何だろう、この胸の高まりは。



  ◇



小泉さんと一緒に水槽のチェックをしていく。まずは水槽の傷の有無。建物と一緒で、傷をつけたら敷金から修繕費が引かれてしまうらしいから、気をつけて丁寧に使おうと心に決める。



次は水漏れの有無。一八〇センチや一二〇センチといった主要な水槽に水漏れが無いか、実際に水を溜めてチェックする。一八〇センチ水槽と一二〇センチ水槽と四五センチ水槽の一部には自動給排水装置が付いているから、それの動作確認も合わせてする。



水を溜めながら小泉さんが僕に話しかけてくる。

「鼎君って、彼女いるの~?」

悪戯っぽい瞳。気が付けば、いつの間にか「鼎さん」から格下の「鼎君」に呼び方が変わっているし、丁寧語も使ってくれなくなっていた。お客さんというよりも、年の離れた弟の友達的な扱いを受けている印象。……まぁ、別に良いけれど。

「ねぇねぇ、黙ってないで――どんな娘がタイプなの? お姉さんに教えなさいよ!」

「えっと……小泉さんみたいな人が好きです」

社交辞令を返しておく。半分、本気だけれど。



「巨乳が好きなの?」



空気が凍り付いた。

まさかそんな返事が返ってくるなんて想像もしていなかった。

「ねぇねぇ、大きなおっぱい、大好きなの?」

悪戯っぽい声で小泉さんが追い打ちを掛けてくる。その表情はどこか嬉しそう。



「す、好きか嫌いかで言ったら……す、す、す、好きです」

「うふふっ。そんなに怯えなくても良いのに。でも、残念。私Bカップしかないから、鼎君の期待に応えられないわ♪」

エプロンの上から、小泉さんがもきゅもきゅと胸を揉む。とても目を向けていられない。

「む、胸じゃなくて、小泉さんの優しい雰囲気が、良いなぁって僕は思うんですけれど……」

「あら、お世辞が上手いのね♪ でも残念、年上には通用しないわよ~♪」



小泉さんが得意げに、くすりと笑った。半分以上本気だったのだけれど、恥ずかしいからお世辞だということにしておこう。

「あはは……やっぱり、お世辞だってバレました?」

「こ~らっ、ここは冗談でも『お世辞じゃないです』って返すのが世の中の常識よ? 覚えておきなさいっ♪」

じろりと小泉さんに睨まれてしまう。



「わ、分かりました。すみません……」

僕の返事に、小泉さんが嬉しそうに噴き出した。何だか恥ずかしくて顔が熱くなる。

話題を変えよう。

「ところで、小泉さんの方こそ、彼氏いるんですか?」

「……」

小泉さんの目元が、一瞬、光ったような気がした。

「……鼎君は知らないのかなぁ? ある一定の年齢を超えた女性に、その質問を投げかけることがどんなに危険なことなのか」



「え?」



小泉さんのわざとらしい作り笑顔で、一瞬遅れて言葉の意味を理解した。

彼氏のいない女性には「良い年なのに、彼氏いないんですか?」と嫌味に取られてしまうし、他にも「彼氏いないなら、合コンとか街コンとかお見合いでもして、早く結婚したらどうですか?」という意味にも取られかねない。おまけに「自分は彼氏候補になりませんか?」という誘い文句にも聞こえてしまう。



本当に色々な意味で危険すぎる。

「……すみませんっ!」

「謝るなっ! それこそ、本当の意味で失礼だぞ!?」



そう言って僕に突っ込みを入れると、小泉さんは可愛く笑った。

「なんてね♪ この私に、相手がいないとでも思っているの~?」

「……」

「何で無言なのよ!」

小泉さんが叫ぶ。



「いや、えっと――お約束? みたいな」

「しなくて良いから、そういうこと。お姉さん、怒るわよ? ――っと、いけない、話し込んでいたら水槽の水が満タンになりそうになっていたわ。給水が自動停止するか、チェックしなきゃ!」



あわてて小泉さんが作業に戻っていく。

水が正常にオーバーフローして行くか、循環しているか、一つひとつチェックしていく。その作業を僕も一緒に確認していきながら――結局、小泉さんに彼氏がいるのかどうか、はっきりとは聞けなかったなと思ってしまった。……ちょっとだけ、いなければ良いなと思ってしまった僕がいるような、いないような、分からないけれどそんな気持ちがする。



  ◇



水槽の水を入れ終えたら、あとは水漏れが無いか一時間くらい放置。

小泉さんはやることが無いからと言って、他の水槽に水を入れるのを手伝ってもらえることになった。水道の蛇口をひねるのが小泉さんの担当。四五センチ水槽や三〇センチ水槽にホースで水を入れるのが僕の担当。声を掛け合いながら水を入れていく。



  ◇



数十本ある全部の水槽に水を入れて――気が付くと、一時間はあっという間に過ぎていた。お茶を淹れようとしたけれど、遅くなったからと言って小泉さんにやんわりと断られた。



「小泉さん、すみません、最後まで付き合って頂いて」

玄関まで小泉さんを見送る。何だかちょっと名残惜しい気がするのは、気のせいじゃ無いと自分で気付いていた。

「ううん、良いよ。私も魚が好きだから、水槽部屋の立ち上げに関われるのは嬉しかったし。もし、何かトラブルがあったらさっき渡した書類の『問い合わせ先』に電話してね。お店のスタッフがすぐに対応してくれるから」

「? 小泉さんは来てくれないんですか?」

思わず呟いてしまった僕の言葉に、小泉さんが悪戯っぽく笑う。

「あら? お姉さんをご指名かしら? 私の指名料は高いわよ?」



「い、いやっ、そう言うわけじゃ――」

「ごめんね、本来、私の仕事は法人関係――全国各地の水産会社とか水族館とか――なの。今回は、うちの会社の鹿児島法人責任者がこの部屋のオーナーだったし、この部屋の水槽の設置責任者が昔の私だったから、特別に来たのだけれど、私、明後日から神奈川県に出張が決まっているし、その次は北海道に行かないといけないし、多分もう、鼎君の部屋を見ることは出来ないの」

やんわりとした声で、きっぱりと断られてしまった。



「お仕事、忙しいんですね」

そんな言葉しか、かけられない。

「残念そうな表情ね? もしかして――うふふっ、私に惚れちゃった?」

言葉に詰まる。何と言って返事をすれば良いのか分らない。

「ダメよ? そこは、冗談の一つでも返せるような男の子になりなさいな」

「でもっ、僕は――」



「鼎君は、私と目を合わせてくれないよね? そんな男が私に何を言うつもり?」

少し冷たい声で、小泉さんが僕の言葉を遮った。

小泉さんに言われて初めて気が付いた。僕は、一度も、小泉さんと目線を合わせていなかった。

「すみません――中学高校と男子校だったので、多分、女の人に免疫が無いんです」

「そうなんだ? で? 言い訳して最後まで目を合わせてくれないんだ?」

小泉さんの視線を感じる。ゆっくりと、顔を上げて――



「あはっ♪ やっと目を合わせてくれた。ねぇ、私の瞳の色は何色に見える?」

糸みたいに細いと思っていた目。でも、はっきりと優しそうな光が灯っていた。

「小泉さんの瞳は、透き通った綺麗な焦げ茶色です」

「ありがと♪ でも三〇点よ」

「三〇点、ですか?」

一瞬、点数の意味が分からなかった。ゆっくりと小泉さんが口を開く。



「これからは、勇気を出して、色々な女の子の瞳の色を見てみなさい。もっと上手に、女の子の魅力を表現出来るようになると思うから。そうしたら――鼎君に惚れちゃう女の子が出てきてくれると思うよ?」

遠まわしに振られているのだろうなと分かってしまった。でも、諦めきれない僕がいる。



「小泉さんとは、もう、会えないんですか?」

小泉さんが小さく笑って、腕を組む。

「はっきりと言ってくれないと、お姉さん、分からないなぁ~」

僕を試すような表情。それは、全てを理解している顔だった。



でも、だから、はっきりと言葉にしよう。自分の気持ちを誤魔化したく無い。

「僕、小泉さんのことが好きです。今日出会ったばかりですが、小泉さんのことをもっと知りたいです」

「私、結婚しているの♪」

……このお姉さんは、悪戯が酷過ぎる。一瞬、泣きたくなった。



くすりと小泉さんが笑う。

「勇気を出して告白してくれたから、特別に教えてあげる。私の結婚相手の名前は『お仕事』と言うの♪ 今の私、仕事が楽しくて、楽しくて、男の人を見ている余裕なんて全然無いんだ♪ 君も大人になったら分かるかもしれないし、一生分からないかもしれない。だから――」

小泉さんは言葉を区切ると、小さく息を吸い込んだ。



「鼎君は――大学で良い彼女を見つけるんだぞっ♪」



そう言うと、小泉さんは唇に人差し指を当てて、玄関から出て行った。

男の子の振り方も綺麗な人だなと思った。

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