第20話_タウン雑誌の打ち合わせ
9月第1週の木曜日。
塾講師のアルバイトを終えて部屋に帰るなり、桜島さんが興奮した様子で僕に抱きついてきた。
「鼎、お帰りっ!!」
「さ、桜島さん? どうしたんですか?」
桜島さんが抱きついてくるなんて、とても珍しい。
いや、毎晩のように抱き枕にされているのだけれど、こうして寝ぼけていないときにされるのは、ちょっと気恥ずかしいだけともいう。
「鼎、鼎、鼎、聞いて欲しいの♪」
興奮している桜島さんに、視線を向けることで言葉の続きを促す。
「あのね、今日、バイトに行ったら――指宿店長から『タウン雑誌の熱帯魚コラムを書いてみないか?』って言われたの!!」
「え!? それは面白そうですね! その話、受けたんですか!?」
「ううん、一応保留にしてある」
「えっと? 受けないともったいないですよ?」
「実は、鼎にお願いがあって……」
ああ、なんとなくだけれど、話の流れから理解した。
「いつものレポートみたいに、僕と桜島さんの2人で作りたいんですか?」
「楽しそうじゃない?」
可愛い笑顔の桜島さん。ダメだなんてとても言えない。
雑誌のコラムを書くのは大変だと思うけれど、やりがいもあるだろうし、なにより、桜島さんが生き生きしている姿が見られそうだ。
「……ダメ、かな?」
僕が黙っていたのを否定の返事だと勘違いしたのか、桜島さんの表情が曇ってしまった。
慌てて口を開く。
「何を言っているんですか、大歓迎ですよ♪」
「鼎、ありがとうっ!!」
ご機嫌な桜島さんに、再び抱きつかれてしまった。
ちょっと恥ずかしいから、さりげなく脱出すると……桜島さんの顔が真っ赤になっていた。
「ごっ、ごめんね。つい興奮しちゃって、はしたないことしちゃった……」
「可愛い桜島さんが見られたから良いですよ。それよりも、うがい手洗いしてきますね。一緒に晩御飯、食べましょう」
「うんっ♪ 鼎、大好きだよ」
「僕も桜島さんのことが、大好きです」
自然とそう言い合える関係。
それが、無性に嬉しく感じられる、今日この頃です。
◇
翌日の午後。
僕と桜島さんは今、グリーンファンタジスト与次郎店のカフェスペースにやって来ている。
いつものようなプライベートなお茶――ではない。雑誌の話を受けるにあたって、若宮さん、西郷さん、指宿店長を交えての、企画内容の打ち合わせをするためだ。
何と言うのか緊張してしまう。女性恐怖症のこともあるけれど、自分達が作るものが雑誌に載るというのは何だかプレッシャーだ。
と、お店の入り口に若宮さんと西郷さんの姿が見えた。
スーツ姿の二人は、仕事ができる大人の女性っていう感じのオーラを放っていた。こう言ったら失礼になるかもしれないけれど、前回、ボトルアクアリウム講座で出会った時とは雰囲気が全然違う。柔らかくて、ほんわかしていたのが、ピリッとしている感じ。
指宿店長や桜島さんと一緒に椅子から立ち上がって2人を迎える。
「お世話になります。先日はありがとうございました。改めまして、南日本ラズベリ出版の若宮です」「西郷です」
軽いあいさつの後に名刺交換をしてから、席に着いて話を始める。
2人とも、僕と桜島さんを覚えていてくれたみたいで、すぐに打ち解けることが出来た。
ちょっとした雑談の後、口火を切ったのは若宮さんだった。
「この度は、熱帯魚コラムの話を受けていただけるとのこと、ありがとうございます。我が社の雑誌に新しい風が入ります」
それに指宿店長が応える。
「大げさですよ。こちらの2人が頑張りますので、読者の方が熱帯魚に興味を持ってもらえるきっかけになるような記事にしていければ良いなと思っています。私の店も、上手く行けば売上げ増加に繋がりますので、よろしくお願いします」
「「僕達からも、よろしくお願いします!」」
僕と桜島さんの言葉が重なる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」「よろしくお願いします」
笑顔の若宮さんと西郷さんの声が同時に発せられた後、若宮さんが言葉を続ける。
「では、早速ですが――記事を書いてくれるお二人に企画の趣旨を説明したいのですが、よろしいですか?」
「はい、もちろんです」「私も大丈夫です」
「ありがとうございます。それじゃ、最初に――」
若宮さんが説明してくれた内容をまとめると、次のような感じだった。
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・写真も入れて、A4サイズの半分のページの記事。
・コラム形式でも飼育図鑑でも何でもあり。ただし、あまり広告っぽくしないこと。
・季節に合った内容が好ましい。
・ターゲットは若い女性。大学生、働いている女性、時間のある主婦など。
・原稿料は原則1つの原稿につき5,000円。
・掲載料は原則無料。希望に応じて紙面を広げる場合には、会社規定による価格が適用される。
……等々
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まぁ、原稿料とか掲載料とかは良く分からないけれど、それ以外の項目はごく一般的な常識を守れば大丈夫そうだ。指宿店長も今の話をまとめた書類に目を通して、間違いが無いか確認している。
原稿を作るのは僕達だけれど、契約は「南日本ラズベリ出版とグリーンファンタジスト与次郎店」となっている。僕らは、グリーンファンタジストの下請けのような形で、請負契約をグリーンファンタジストと結ぶことになっている。
もちろん、原稿料はグリーンファンタジストからもらえることになる。その額は昨日聞いたけれど……指宿店長が色を付けてくれたおかげで、ちょっと美味しい金額だった。
「さて、それじゃ契約は完了ですね♪ よろしくお願いします」
「「よろしくお願いします」」
僕らの声が重なり、全員が笑顔になる。
「――っと、そうだ。いきなりですが、第一回目の記事のテーマとか決まっていますか?」
西郷さんが僕に目線を合わせながら聞いてきた。
桜島さんと視線を交わして、西郷さんに頷きを返す。
「はい。僕らの方で、いくつか考えてきました。初回ということなので、いきなりマニアックなことをするよりも『熱帯魚の飼育を始めてみたいな』と思えるテーマにしたいと考えています」
僕の言葉に桜島さんが続く。
「具体的には、『小型水槽で作る水草アクアリウム』が良いかなと考えています。サイズが手頃ですし、中に入れる魚や水草を厳選すれば、手頃なインテリアとしてアピールできそうだと思っています」
その言葉に、若宮さんが口を開く。
「えっと、私共はボトルアクアリウムも良いかなと思っていたのですが、それをしない理由とかってありますか?」
「僕らが考えるに、ボトルアクアリウムも手頃に始められるインテリア性の高いアクアリウムですが、いくつか欠点がありまして――1つは、水温を加熱するヒーターが使えないことが多いのです。もちろんパネルヒーターなら使えないことも無いのですが、一般的に保温が出来ないと、秋~冬にかけて、中に入れられる生き物や水草に制限が出てしまいます」
僕の言葉に桜島さんが補足の説明を入れる。
「他にも、ボトルアクアリウムは、一般的な水槽に比べて水量が少ないので、中に入れられる生き物の数や種類が制限されてしまいます。それに、これは私共の我がままかもしれませんが、アクアリウムを本格的に始めるときには、小さくても30センチ角の水槽から上を用意してもらいたいなと思っています。使える機材も飼育できる魚や水草の数も飛躍的に増えますから」
若宮さんが納得した表情で頷く。
「なるほど、分かりました。アクアリウムの魅力に合わせて、そういった熱帯魚の飼育を始める時の『コツ』が伝わるような記事にしていただけると、私共としても嬉しいです」
「「ありがとうございます」」
「それじゃ――もう少し、打ち合わせを詰めていきましょうか♪」
◇
指宿店長、若宮さん、西郷さん、そして僕と桜島さん。5人で過ごす楽しい時間は、あっという間に過ぎて行く。
頑張って記事を作ろう!
でも「それ」は、また別のお話……。




