第3話_自己責任。熱帯魚を食べてみる
※本当に自己責任、自己責任、自己責任で、お願いします。(大切なので三回繰り返しました)
~自己責任。熱帯魚を食べてみる~
入学式から二週間。今日も桜島さんは僕の部屋にやってきている。
にこにこと飼育部屋のソファーでアクアリウム雑誌の今月号を眺めていた桜島さんが、顔を上げて、水草水槽のトリミングをしている僕に声をかけてきた。
「ねぇねぇ~、来週、鼎が通っていた高校から、アジアアロワナが宅配便で届くんだよね?」
「はい。本当は今週届く予定だったんですけれど、あちらの方も新学期で色々忙しいみたいで。でも、それがどうかしましたか?」
ピンセットを握った手を止めて、桜島さんの顔を見る。
「魚の搬入、手伝ってあげようか? 一人じゃ大変でしょ? 私、ペットショップでアルバイトしているから、大型魚の取り扱いにも慣れているよ?」
「ありがとうございます。丁度、アロワナの入った水袋を一人で持ち上げるのはきついかなと考えていたところでした」
桜島さんが可愛く微笑む。そしてゆっくりと言葉を発した。
「だから――アロワナが、食べてみたい」
小さな沈黙が流れた。
信じられない言葉が聞こえたような気がする。
「えっと? 今、何って言いました?」
「お手伝いするから、アロワナ食べてみたいの♪」
大きな猫娘が、じゅるりと舌なめずりをした。
「唐突に何を言うんです? うちの子はダメですよ」
「でも、アロワナを食べてみたいの! 現地では、貴重なタンパク源なんだよっ!?」
「両手で猫耳作りながら、可愛く言ってもダメです。……それに、タンパク源なのはシルバーアロワナやブラックアロワナだったと思います。僕が中学生の時にお年玉を全てつぎ込んで買ったアジアアロワナは、色々な意味で食べちゃダメですよ」
「別に鼎のアジアアロワナじゃなくても良いの。価格の安いシルバーアロワナで良いから、食べてみたいの!」
桜島さんが雑誌を広げて、シルバーアロワナの写真を指さす。でも、それはアルビノかつプラチナのシルバーアロワナ。普通に買ったら一〇〇万円くらいする高級魚。食べモノじゃ無い。
「あ~、えっと、桜島さん? そのアロワナの値段、分かっています?」
「知っている。アルビノプラチナじゃなくてノーマルを食べるつもりだから」
「いえ、ノーマルのシルバーでも大きいのは一万円前後しますよ。って言うか――桜島さん、ペットショップでバイトしているんですから知っていますよね? 金額以前の問題で、観賞用の熱帯魚って食用に向かない魚用の薬の影響を受けていることがあるって。加熱するのは必須だとしても、食べることはお勧め出来ないですよ?」
「うん、分かっている。でも自己責任で食べてみたいの」
「……で、何で僕の部屋にやってきて、それを言うんですか? アルバイト先のお店で言った方が、多分、協力してもらえるんじゃないですか?」
「え? そりゃ、まず鼎を道連れに――げふんげふん、何と言うか、感動は共感して分かち合いたいじゃない? 日本に住んでいたら未知の味だし、鼎は興味無いかな?」
桜島さんの試すような視線。興味が無いと言ったら嘘になる。
僕の顔を見て桜島さんが、勝ち誇ったような表情を浮かべたから――ピンときた。
「桜島さん、もしかして僕に『興味有る』と言わせて、魚購入費の半分を出させようという魂胆ですか?」
「う……うん、ばれちゃった? えへへっ♪ でも、体験してみる価値はあると思うんだ」
桜島さんの言葉に、一瞬、心をくすぐられた自分がいた。確かに、体験してみたい気持ちが僕の中でも湧き上がって来ている。
「そうですね、事実、僕も一度は熱帯魚を食べてみたいと思いますから。食べてみたい魚は、シルバーアロワナ、ピラニア、大型ナマズ辺りですけれど」
「ちょっと、そんなに買う予算は無いわよ? ピラニアはナッテリーなら数千円で大きいのが買えるだろうけれど、大型ナマズは高いわ」
「あ、やっぱりお店でも高いんですか?」
「大型水槽を占有しちゃう分、価格が高めに設定されているのよ」
「そうですよね……えっと、こういうのはどうです? 各熱帯魚ショップをめぐって、下取りになった格安の巨大魚を探すんですよ。大型の成魚は持て余しているところも多いでしょうし、交渉次第では値下げも可能かもしれないと思ったんですけれど?」
「あ、それ、良いかも♪ 手始めに、早速、うちのお店の店長と交渉してみようかしら♪」
ご機嫌そうな表情で、両手で猫の手を作って、うにゃうにゃと動かす桜島さん。
可愛くて鼻血が出るかと思った。
◇
「君達さ~、頭の良さそうな大学に通っているのに、馬鹿じゃないの? 下取り魚なんて何を食べているのか、どんな薬品をいつ使ったのか、全然分からない危険な毒魚よ? そんなモノを食べたいだなんて、私が許可すると思っているの?」
グリーンファンタジスト与次郎店のバックヤード、普段は関係者しか入れない事務所で僕と桜島さんは指宿お姉様、もとい指宿店長に叱られていた。指宿店長の言葉は止まらない。
「ねぇ、下取り魚を買ってみました。そしていざ食べようと捌いたら、大量のコオロギの死骸が内臓に詰まっていました――とか、背骨がベコベコに曲がっていました――とか、トラウマ級だと思うんだけれど、君達はそういう目に遭いたいの?」
「うぁ……」「嫌ですね……」
桜島さんと僕の言葉が重なる。想像しただけでも、血の気が引いた。
指宿店長が僕らの顔を見て、ため息をつく。
「大型魚にコオロギをあげる人間は割と多いわよ。餌付きが良くなるっていう人もいるくらいだし、シルバーアロワナは現地で昆虫を良く食べているみたいだから。あと、飼育環境にもよるけれど、奇形になった魚は食べるもんじゃないわ。重金属とか怖いでしょ?」
「でも、店長、それでも――アロワナを食べてみたいときには、どうすれば良いですか?」
桜島さんのおずおずといった様子の言葉に、指宿店長が両手を組んで考えるような仕草をする。
「そうねぇ……どうしても熱帯魚が食べたいのなら、幼魚の頃から自分で育てて、大きくして食べるのが一番安心じゃない? アロワナなら、一年でかなり大きく育ってくれるしさ?」
「……店長……どうしても、今、食べたいんです……と言ってみても良いでしょうか……」
下を向きながら、桜島さんがおそるおそる指宿店長に聞く。
「はぁ~っ」
指宿店長が、僕らに聞こえるように、ため息をついた。
「桜島ちゃんの言いたいことが分かったわ。――自己責任なのは変わらないけれど、どうせ食べるのなら、うちの店の魚にしなさい。デッドストックで大きくなっちゃった子達は薬品も抜けているだろうし、餌も人工飼料かワカサギの切り身、冷凍エビみたいな、普通の奴しか食べさせていないから――って、言えば良いんでしょ?」
「ありがとうございます、店長!」
桜島さんが笑顔になった。心なしか両手が猫の手に変わっている。それを見て、指宿店長が仕方なさそうに笑った。
「でも、本当に自己責任だからね? ここで反対して、変な魚をどこかで食べて、体調を崩されると私も困るから。桜島ちゃんはうちの店の貴重な戦力だから。――あ、知っているかもしれないけれど、コリドラスは毒を持っているから食べたらダメよ?」
「はい。淡水フグも当然食べちゃダメで、淡水ハオコゼも毒を持っているから――ミノカサゴみたいに加熱したら食べられるのかもしれないけれど――止めておいた方が賢明ですよね?」
桜島さんの言葉に、指宿店長が小さく頭を抱える。
「どっちも食べるのは絶対に止めて。さっきは気安く自己責任って言ったけれど、食べると分かっていて売ったら私の責任問題にもなりかねない……私、夫と子どもがいるのに、新聞沙汰とか絶対嫌だからね?」
「そういえば、タイガーシャベルノーズの粘液には毒があるって聞いたことがあるんですけれど、食べられないんですか?」
僕の言葉に、指宿店長が不思議そうな表情を作る。
「多分、ガセよ、それ。だってアマゾンの市場でシャベルノーズは食用として大量に売っているもん。非加熱はヤバいんじゃないかなと思うけど……いや、やっぱり一応、今回は止めておいて。万が一、何かあったら大変だからさ」
「はい。分かりました。シャベルノーズ以外のナマズにしようと思います」
僕の言葉に、指宿店長が頷く。
「あっ、あとさぁ、今回は考えていないのかもしれないけれど、水草は食べようとしない方が良いわよ。身近なものだと、ハイグロフィラに毒があるという説を聞いたことがあるから。他にも、ウォーターウィステリアとかベトナムスプライトにも毒があるとか。あくまでも噂程度で、真偽のほどは私には分からないけれどね。事実、水質に敏感なエビの水槽に入れても、全然問題無い訳だし」
「水草、食べちゃダメなんですか?」
桜島さんが残念そうな表情を浮かべた。……この人、食べる気満々だったみたいだ。
「どうしても水草を食べたいのなら、『スーパーで売っている』ミツバやオランダガラシ、ワサビくらいにしておきなさい。残留農薬とか硝酸態窒素濃度とか考えると色々怖いでしょ?」
「は~い。今回は止めておきます」
桜島さんは「今回は」と言った。……そのうち、僕を巻き込んで「次回」がやってきそうで嫌な予感がした。暖かくなったら、ベランダで食用水上葉の水耕栽培とか始めそうで怖い。
◇
四〇分後。魚を捌く準備が出来た。
流石に営業中の喫茶スペースのキッチンは衛生的な意味も含めて使わせてもらえなかったけれど、お店の事務所にあるキッチンを借りることが出来た。一般的なガスコンロとステンレスの流し台が付いていて、テーブルの上には、氷の入った発砲スチロールの箱に入った魚達+α(赤いヤツ)がいる。
「こうして見たら、結構な数になりましたね」
僕の言葉に桜島さんが頷く。その表情は嬉しそう。
「予想外だったけれど、うちのお店のスタッフが面白がって集めてくれたから。味の感想を写真付きレポートにまとめることを条件に、店長も三分の一に値引きしてくれるって言っていたし♪」
「指宿店長、『自己責任』とか『私はお勧めしない』とか言っているわりには、ノリノリでしたね」
「みんな、実験が好きなタイプの人だからさ~」
桜島さんと一緒にテーブルの上の魚を眺める。いずれも、水槽から取り出してすぐに活け締めをして血抜きもしてある。熱帯魚が美味しくない原因の一つが、血抜きを十分にしていないからだとインターネットの掲示板に書いてあったと桜島さんが言っていたから。
「五〇センチのシルバーアロワナに、二〇センチの傷だらけのピラニアナッテリー。育ち過ぎた四〇センチのカイヤンに、二五センチのセルフィンプレコ――」
僕の言葉に桜島さんが続く。
「あとなぜか、店長に感想を聞かせてと言われて渡された、肉食魚の餌用のアメリカザリガニLLサイズが八匹。元々は、ハーブで育てた健康志向の養殖アメザリって言っていたけど、大丈夫かな……?」
若干、引き気味の表情の桜島さん。僕もアメリカザリガニを食べるのはどうかなと思う人間だけれど……今更、撤退する道は残されていない。
「とりあえず、火を通せば行けるんじゃないですか? オマールエビみたいな感じで」
そう言いながら、食材の写真をデジカメで撮る。レポート用に使うから、手ぶれしないように気をつけて。
夏休みの自由研究みたいで、ワクワクしている僕がいた。
「それじゃ、早速料理を始めるわよ♪」
桜島さんが、僕が写真を撮り終えたのを確認してから、包丁を持った。
◇
とりあえずアメリカザリガニとプレコを除いた他の魚を三枚におろす。まず取りかかったのは、捌きやすそうなナッテリーとカイヤン。
「桜島さん、上手ですね」
「ん? 釣りが趣味だからかな。自分で釣った魚は、なるべく自分で食べるようにしているから」
「日本のナマズも捌いたことあるんですか?」
「もちろんあるよ♪ 川の中流で釣りをしていたら、たまに喰いついて来るからね」
「どんな味がするんですか?」
「場所にもよるかな。街中で釣ったのはバイクオイルみたいな身体が拒絶する味がして食べられたものじゃないんだけれど、田舎の小川のトロ場で釣ったのは、ほのかな甘味と川の風味がしてめちゃくちゃ美味しかったのを覚えている――っとか言っているうちに、三枚おろし完了♪ ねぇねぇ、アロワナ、私が捌いても良い?」
テンションの高い桜島さんの言葉に、手を止めて桜島さんの顔を見る。
「別に良いですよ?」
「やった♪ アロワナ捌くなんて、多分、人生に一度有るか無いかの貴重な体験だもん♪」
思わず固まっていた。人生に一度有るか無いかの貴重な体験。その権利を僕は自分から放棄してしまった。
「……桜島さん、あの――」
「分かっているって。半身を切り出したら、残り半分は鼎にバトンタッチするわよ」
「ありがとうございます」
◇
魚の下ごしらえが全部済んだ。
三枚おろしの写真を僕が撮ったのを確認してから、桜島さんが口を開く。その表情は、若干、緊張しているみたいに見えた。
「えっと、改めて調理方法を確認するけれど――切り身にした魚は、味の比較をするために『素焼き』『素揚げ』『素茹で』を少量作って、残りは美味しく食べられるように香辛料をたっぷり使った唐揚げに。内臓をとったプレコは姿焼きにして塩味、アメザリはお湯で充分に茹でてバジルソースで食べる――って感じで行くわよ?」
「分かりました。生の部分があると危険かもしれないので、きっちりと火を通して調理しましょう」
「了解。それじゃ、味付けするわよ」
◇
三種類の調理方法――『素焼き=グリルで焼く』『素揚げ&唐揚げ=油で揚げる』『素茹で=お湯で煮る』――を同時にこなすために、僕と桜島さんは役割分担をすることにした。僕が揚げ物担当、桜島さんが煮物担当、焼き物は適宜手の空いた人が担当。
「それじゃ、鼎、始めるわよ? 準備は良い?」
「はい、準備OKです」
「まずは一番焼くのに時間が掛かりそうなセルフィンプレコの姿焼きをグリルで――って、いきなりトラブル発生。大き過ぎて入んないよ」
「あれ? 入りませんか?」
「体高があるからギリギリ無理っぽい。外殻も固いから、突っかえちゃう」
桜島さんが困ったような表情を浮かべる。
「仕方ありません、コンロの方で網を敷いて焼きましょう」
「らじゃ~♪ 鼎に任せる」
桜島さんからプレコを受け取って、一度、皿に置く。網を棚から取り出してコンロに掛ける。
「鼎がプレコを焼いている間、私はアメザリと格闘するよ」
そう言うと、桜島さんはステンレスの大きなボールと料理酒を手に持ってテーブルの方に向かった。直後、固いものがぶつかる音が聞こえてくる。
「ちょ、なっ、あっ、跳ねてぃるっ! 元気良すぎっ! あっ、あっ!」
桜島さんの声が部屋に響く。若干、**チックに聞こえてしまったのは気のせいだろうか? うん、気のせいだ。だから静まれ、僕の魂。……なんて馬鹿なことを考えてしまった。
「桜島さん、大丈夫ですか? ――お酒入れると、もっと跳ねますよ?」
「え? マジで?」
困ったような表情を桜島さんが浮かべる。それに首を縦に振ることで返事をする。
「はい。昔、生きたクルマエビを締めるときに大失敗したことがあります。お酒をいれたら全部のエビが跳び出して、収拾がつかなくなりました」
「えっと、どうしたら良いの? 何かで蓋をすれば良い?」
「大きめの皿で最初に蓋をして、隙間からお酒を入れると良いみたいです。しばらくしたら、酔っ払って大人しくなりますから」
「分かった、試してみる」
桜島さんが大きめの皿を持って、料理酒を入れる。ビチビチと飛び跳ねる音がして――
「うひゃひゃひゃっ♪」
楽しげな桜島さんの笑い声が聞こえた。……桜島さん、結構、残酷なのが好きなのかもしれない。僕の視線に気付いたのか、桜島さんが僕の方を振り返って、じとっとした目で睨んできた。
「鼎~、さっきから生温かい目で私を見ているけれど、プレコは大丈夫? 焦がさないでよね?」
「分かっています。桜島さんがテンション高いので、ちょっと驚いているだけですよ」
「理科の実験みたいで面白いのよ♪」
桜島さんに「カエルの解剖とか、好きだったんじゃないですか?」――とは、料理中だから言わないことにした。でも、僕の方を見て桜島さんがにっこりと笑う。
「カエルの解剖とか、大好きだったわ♪」
……この人は、デリカシーってモノがちょっと足りない。
◇
あれから一時間三〇分。ついに、やっと、ようやく、全ての料理が完成した。
いつも自炊しているとはいえ、流石に『焼く・揚げる・茹でる×味付け』のフルコンボは大変だった。それは桜島さんも同じだったみたいで、若干、ぐったりしたようなご様子。――と思ったら、いきなり桜島さんが歌い出した。
「実食タ~イィム♪ 実食タイィ~ム♪ 実食タ~イィィ~ム~♪ ――って、鼎、何変なモノを見るような目で私を見ているのよ?」
頬を桜色に染めながら、桜島さんが唇を尖らせた。
「いや、何と言うのか、古い歌を知っているんだなと思いまして」
「歌? 何のこと? オリジナルソングだけれど? 歌詞的にも、リズム的にも問題ないわよ? ここだけの話、ジャ*ラックが怖いから」
「あ~、そうですよね……そういうことにしておきましょう」
桜島さんと無言で笑顔を交わす。
「――んじゃ、シンプルに、味付けしていない『素茹で』→『素焼き』→『素揚げ』の順番で食べ比べてみましょ? まずはどれから食べてみる?」
「意外と脂が乗っていたカイヤンは一番後が良いかと思います。一番、身がパサパサしていたアロワナから食べてみましょうか?」
「了解。それじゃ、同時に行くわよ?」
「あっ、ちょっと――忘れていますよ?」
僕の言葉に桜島さんも気が付いたみたいだ。二人で目線を交わして両手を合わせる。
「「いただきます」」
僕らは自然と笑顔になっていた。
限りある生命を頂く。特に、今回は観賞用の魚達を食べるという行為だから、罪悪感が無いというのは嘘になる。でも、せっかく食べるのだから、美味しく食べてあげたい。その入口が「いただきます」を言うことだと僕は考えている。
「鼎って、何だか時々、真面目な顔になるよね?」
「そうですか?」
「そうそう。んで、大抵、そういう顔をした後には、優しいことを考えているみたいな表情になるの」
「僕のこと、良く見てくれていますね~」
「なっ、ちがっ、たまたま気付いただけだよ。――それよりもさ、これ以上冷めないうちに食べ比べしてみようよ♪」
「はい、そうですね。まずはアロワナの素茹でを試してみましょう」
切り身を箸でつかんで、桜島さんと同時に口の中に入れる。口の中でほろりと白身が崩れていった。カマスやニジマスの身に似た風味だけが残る。
「美味しい。……普通に美味しいよ」
桜島さんが驚いたような表情で呟いた。もっと癖のある味なのかもしれないと考えていたみたいだ。
「ニジマスの身に似た風味がありますね」
「そうかな? 私はタチウオに似ているかなって思った。身のほぐれ具合や口当たりがそっくりだから」
「やっぱり、血抜きをしておいたのが良かったのかも知れませんね」
言葉を口にしながら、レポート用のノートにお互いの感想を書き入れていく。
一通り書き終えて、次はピラニアナッテリーの素茹で。アロワナに比べると、身が細かく砕ける切り身。
「それじゃ、食べようか♪」
桜島さんと目線を交わして、ナッテリーの素茹でを口に入れる。風味は何も感じない。お湯に長く漬け過ぎてしまったのだろうか……と思っていたら、口の中で身が崩れて、その後に若干の甘味が残った。もう一口食べる。やっぱり、ほのかに甘い。
「ピラニア、甘いんですね」
「ええ? 嘘? 味がしないよ?」
「多分、素茹でしてうま味や風味がほとんど外に逃げちゃったんだと思いますが、後味が甘く僕は感じました」
桜島さんが、もう一度、切り身を口に運ぶ。もぐもぐと食べて、首を傾げる。
「私には分からないわ。でも、ほのかに甘いんでしょうから――それぞれの意見をレポートに書きましょう」
ノートにコメントを入れて、次のカイヤンに移る。
「栄養状態がかなり良かったのか、脂が浮いていましたよね?」
「カイヤン、混泳させると真っ先に餌を食べにやって来るからね……肥満状態だったのかも」
「それじゃ、行きますか」
「うん」
桜島さんと一緒に茹でた切り身を口に運ぶ。若干、癖のある味……これは何かに似ている。あ、思い出した。清流に棲む鯉がこういう味をしている。ほのかな川の匂い。僕は好きだけれど、嫌いだという人も少なくない。桜島さんは、どんな反応をするのだろうか?
「桜島さん、僕は清流に棲む鯉みたいな味だと思ったんですが、桜島さんはどう思いました?」
「日本のナマズよりも気持ち脂っぽいかな。もっと淡泊で甘味がありそうなイメージだったけれど、若干、舌にまとわりつくような風味がある。養殖の鯉って言ったらぴったりなイメージ」
今のコメントをノートに書いて、今度は『素焼き』『素揚げ』の味の確認に入って行く。
調理方法でどんな風に味が変わるのか興味があった。僕の隣で、桜島さんもよだれを垂らしそうな勢いで焼いた切り身を見ている。
「それじゃ、アロワナの切り身から食べましょうか」
僕の言葉に桜島さんが笑顔で頷く。
「もちろん♪ この調子でどんどん行くわよ!」
◇
実験的な食べ比べが終わった後は、お楽しみ。
香辛料をたっぷり使ったから揚げと魚のアラで作ったスープの登場。
スープは、最初は魚の骨や頭は捨てるつもりだったけれど、途中で勿体無いとなって急遽、パクチーを入れて作ることに決まったモノ。料理酒と塩のみのシンプルな味付け。味付けの調整で試しに一口飲んだ時には、濃厚なダシとパクチーの独特な風味が活かされていてとても美味しかった。
料理が完成した後、指宿店長やスタッフの人達に声をかけた。
みんな入れ替わり立ち替わりやって来ては、料理をつまんで感想を言ってくれる。「素焼きは歯ごたえの違いが美味しい」「湯引きはパサパサしている」「唐揚げはビールが欲しい」「パクチースープは売れる」といったように。
桜島さんと紙に意見をまとめていたら、指宿店長がやってきた。
「やぁ、食べてるかぃ?」
「指宿店長も食べますか? ザリガニも、意外と美味しいですよ?」
事実、ザリガニは美味しかった。たっぷりのお湯で茹でて剥き身にした後にバジルソースで炒めたのが良かったのか、さっぱりとした味で癖も無く、普通のエビみたいな感覚で食べることが出来た。
僕の言葉に指宿店長が、はにかんだ。
「いや、流石にアメザリは無いわ~。日本に入って来たのも、元々、ウシガエルの餌用だし、きちゃない用水路にいるような海老だし♪」
「え、いや、僕らをけしかけておいて、そのコメントは止めて下さいよ。ちょっとひどいです」
「あははっ、ごめん、冗談だよ~」
指宿店長が悪戯っぽく笑う。悪戯をしても軽く流すことができるから、美人は得だと思う。
「冗談に聞こえませんでしたよ」
「鼎君、とりあえず、新しい『ネタ』を持って来たから許してよ?」
「店長、新しいネタですか?」
僕の代わりに桜島さんが不思議そうな声で聞いた。指宿店長が微笑む。
「そうそう。コレ、食べてみない?」
そう言って指宿店長が差し出してきたのはエンゼルフィッシュの形をしたクッキー。
「あ、可愛い♪ 店長、これ、どうしたんですか?」
「喫茶スペースで提供する新商品の試作品だよ。ついさっき、委託先のお店の人が持って来てくれてさ」
「食べるのがもったいない気がします」
可愛い声で桜島さんが言った。指宿店長は満足げな表情。
「料理を食べた後に、食後のお菓子として食べてよ。んで、私に感想を頂戴な」
「分かりました」「了解です」
桜島さんと僕の言葉が重なった。
「それじゃ、私も少しだけ料理の味見させてもらおうかな~♪」
にこっと笑うと指宿店長が箸を取った。
五分後――指宿店長から、コンビニへおにぎりを買いに行くように指令が下ったのは、また別の話。香辛料を効かせた唐揚げが、指宿店長のツボにはまったらしかった。
◇
料理を食べ終えて、片づけをして、気が付いたら一九時を回っていた。
指宿店長とお店に残っていたスタッフの人に声をかけてから、桜島さんと一緒に、桜島さんのバイクが停めてある駐車場に歩いて行く。
「何か今日はいっぱい食べたね~」
「作り過ぎたかなとも思いましたが、ちょっと足りないくらいでしたね」
「スタッフのみんなが、つまみ食いしに来たからだよ。店長も、唐揚げパクパク食べていたし」
「でも、指宿店長が『写真付きレポート』を買い取ってくれるって言ってくれたのは驚きました」
それは帰り際に指宿店長が言った言葉。
「料理は美味しかったし、真面目にレポート用の写真を撮ったり、感想を集めたりしてくれているみたいだから――写真付きレポートが出来たら、今日の必要経費分で買い取らせてよ♪ 最初は三分の一の金額で魚を売るだけのつもりだったけれど、気が変わったわ」
あの時の指宿店長は、とても嬉しそうな表情をしていた。
桜島さんが笑顔で口を開く。
「ん~、店長も面白がってくれていたし、お店のアピールに使うみたいだから、まんざらでもないって感じだったよね。でも、その分、レポートは気合い入れてまとめないといけないよ。この後、鼎の部屋で一緒にまとめて良~い?」
桜島さんが笑って首をかしげた瞬間――僕らの手がぶつかって、絡まるように手を繋いでしまった。
「っきゃ!」「ご、ごめんっ」
思わず二人して飛びのいて、気まずい沈黙が流れてしまった。
「……そういえばさ、はっきり聞いたことは無いけれど、鼎は女の子が嫌いなんだよね?」
桜島さんが、立ち止まって呟いた。聞こえなかったことにしたり、誤魔化したりは出来そうにない雰囲気。恥ずかしいけれど、女性恐怖症のことを白状するしかなさそうだ。
「嫌いというか、苦手というか――全寮制の男子校に六年間もいたので、今更どんな対応をしたらいいのか分らないんです。内緒にしていましたが――」
「あれ? 鼎は内緒にしているつもりだったの?」
「え? どういう意味です?」
「鼎が女の子苦手なの、学科のみんなが知っているよ。大学で鼎の様子を見ていたら、かなり変な対応しているもん。私の友達と話している時でさえ、たまに小型犬みたいに震えている時があるからさ♪ 『初心で可愛いよね~』っていつも私の友達、言っているよ?」
悪戯っぽい表情で桜島さんが笑った。何だか、一気に顔が熱くなっていく。
「そっ、その言い方は傷付きます。自分でも上手くいかなくて、困っているんですから」
「あはっ、ごめん。それならさ――」
桜島さんが、言葉を区切った。
さっきまで笑顔だったのに、真剣な顔をしていた。
「私のことは? 私、鼎の中で、きちんと女の子扱いされているの?」
「それは――」
桜島さんは女の子ですと言ったら意識してしまって気まずくなりそうだし、そうは思わないと言ったらそれはそれで気まずくなりそうだし、何と言ったらいいのか迷ってしまう。――と、桜島さんが口を開いた。
「すぐに返事をしないで迷っているってことは、『そういうこと』だよね。分かったよ♪」
一瞬、「そういうこと、ってどんなこと?」と聞きそうになったけれど、桜島さんの顔が笑顔になっていたから、あえて聞かないことに決めた。
「そういうこと、です」
僕の言葉に、桜島さんが噴き出した。
「ふふっ♪ ――『特別な存在』なのは、嬉しいなっ♪」
それと同時に、バイクのところまでたどりついた。何か言わないといけないような気がしたけれど、桜島さんの言葉がそれを遮る。
「それじゃ、鼎の部屋に向かおうかっ♪ 今夜は徹夜でレポート仕上げるわよ?」
桜島さんが言うには、僕にとって桜島さんは特別な存在らしい……逆に、桜島さんにとって僕はどんな存在なのだろうか?
ちくりと心が痛んだ。
(『第4話_魚の引っ越しと僕らの決意』につづく)