第2話_双頭アカハライモリの作り方(繁殖)
※アカハライモリの繁殖情報は、中盤以降に記載してあります。結構、本気の飼育情報を書いてある「つもり」です。
~双頭アカハライモリの作り方~
女の子が隣の席に座っているだけで大量の汗をかいてしまう女性恐怖症の僕、大明丘鼎が、桜島さんを初めて見たのは大学の入学式。新入生代表として挨拶をしていた女子力が高そうな女の子が桜島さんだった。
サラサラのロングストレートに赤いアンダーリムのメガネ。真っすぐ切りそろえられた前髪の下には、好奇心にあふれた茶色の瞳。着物姿が華やかで、大学の新入生の中では桜島さんの周りだけが光り輝いているように見えた。
そんな彼女と知り合って一週間。気が付けば、毎日のように桜島さんは僕の部屋にやって来るようになっていた。気だるい日曜日の朝の一〇時過ぎ。小奇麗に片付いていることだけが自慢の2LDKのマンション。セミダブルのベッドの上に桜島さんと二人きりで寝そべっている状態。今日はアルバイトが休みだと言っていた桜島さんの方向から、若干、アルコールの匂いがするのは気のせいじゃ無い。
「鼎――ねぇ、もう鼎は満足したよね? ――私、限界なの」
僕の隣で聞こえる桜島さんの甘い声。
「まだまだです。もっと頑張りましょうよ。せっかく深夜の薬局でたくさん購入したのに、まだ一八個分しか使っていないじゃないですか」
真横にいる桜島さんが「私は手が疲れた」とアピールするように視線を逸らす。
「信じられないよ。一八個分も鼎と一緒にやったんだよ? もう良いじゃん、普通なら満足じゃん、今日はこのくらいで終わりにしようよ? 私、もう手がつっちゃう」
「ダメですよ。まだ二つ残っています」
さっきから、桜島さんは僕に甘えてくるけれど、ここで桜島さんを甘やかしたら今後の僕らの関係のためにも良くないと感じた。だから、妥協することは出来ない。
そんな僕の思考が伝わったのか、小さく桜島さんが微笑む。
「分かったよ、この欲張りさん。――でも、嫌いじゃないよ、鼎のそういうところ。それじゃ、続きをしようっか? 仕方ないから、私も最後まで付き合うよ」
「はい、ありがとうございます」
桜島さんと目線を交わして、ベッドの枕元に無造作に転がっているソレを拾う。
……決して、いかがわしいことをしているのではない。
僕ら二人は、日曜日の朝から――ベッドの上で――双頭のイモリを作る「偽キメラ育成計画」を実行していた。最初はリビングの机の上でお上品に作業していた僕らだったけれど、気が付けば材料になる新鮮な(?)髪の毛が一番落ちているセミダブルのベッドの上に寝そべって作業する状態になっていた。
「桜島さん、そっちにあるイモリの卵、取って下さい。『新しい髪の毛』拾いましたから」
「了解。アルコールで滅菌したシャーレ、いる?」
「はい、貰えると嬉しいです」
「ラジャー♪ 深夜の薬局で買った特別シャーレをどうぞっ♪」
若干テンションの高い桜島さんの声が部屋に響く。助手役に徹してサボろうという魂胆が見え見えだ。
「……言い出しっぺは桜島さんなのに、サボったらダメですよ?」
「え~、少し休むくらい、良いじゃん?」
大学のオリエンテーションが終わって学食でお昼を食べていた時、「イモリの卵を髪の毛で結ぶと、双頭のイモリが出来る」と高校の生物の教科書に書かれていた話題で桜島さんと大盛り上がりして、そのまま飼育機材が揃っている僕の部屋に桜島さんが上がり込んで来たのが四日前の午後。
夜中に桜島さんのオフロードバイクを走らせ二人きりで野生のアカハライモリを採集に出掛けたことは、また別のお話。
色々な苦難をともに乗り越え、気が付いたらこうして、スカート姿の桜島さんと一緒にまったりとベッドを共有しているっぽい形になっているけれど……正直、桜島さんに♂として認識されていないこの状態は、少し悲しい気がするのは気のせいだろうか? ――うん、多分、気のせい。それを気にしたら、心の中の大切な何かがポキリと折れそうな予感がするのも、多分、気のせい。
「ねぇ、縮れた毛で結んだら、双頭になる確率って上がるのかな?」
にこにこした顔で、さらりとセクハラして来る桜島さん。一瞬、返事に困った。
「そういう悪戯は止めて下さいよ」
「あ、悪戯じゃないよ、失礼だな。純粋な知的好奇心からの質問」
ピンセットで縮れ毛をつかみながら、ふるふると振り回す女子大生。
桜島さんは、見た目は可愛いのに、中身はちょっと残念な娘。……いや、ちょっとじゃなくて色々と残念な娘という表現の方が正しいかもしれない。入学式の日に、コーラの缶を背後から投げつけられたこともあったし。
でも多分、それを言ったら桜島さんは怒るだろう。
「……とりあえず、残りの卵も少なくなったので、全部の卵を結んだら終わりにしましょうか」
「分かった。私も頑張るよ」
◇
黙々と作業を続けて二〇分。用意していた全部の卵を縛ることに成功した僕は、コーヒーを淹れることにした。一人分ずつ小分けに入っているペーパードリップ式のコーヒー。手軽に淹れられるから最近の僕のお気に入り。近所のスーパーのプライベートブランド商品だけれど。
「桜島さん、コーヒー入りましたよ」
「鼎、ありがと。ミルクは適量、お砂糖は三つ入れて頂戴な。私の方も、もう終わるから」
真剣な表情で両手のピンセットを動かしながら、桜島さんがシャーレに視線を向けたまま言った。
「砂糖三つだなんて、カロリー取り過ぎになりますよ?」
「いいの、いいの。私、太りにくい体質だし、脂肪は胸に行くし、脳にエネルギーが足りてないと頭が回らないから。――っと、良しっ! 最後の卵、お~わった♪」
世の中の女性を敵に回しそうな暴言をさらりと言い終えて、桜島さんが笑う。反対しても素直に聞くような人ではないから、桜島さんの言葉に従うことに決めた。
「そうですか。それじゃ、指示通りに」
ミルクを適当に、角砂糖を三つ、コーヒーに入れる。ふと、視線を感じて目線を動かすと、ベッドに寝そべりながら、桜島さんがにこにこと僕を見ていた。
「ねぇ、あっちの部屋でお茶にしない?」
「飼育部屋ですか? 良いですよ?」
「それじゃ、私は先にソファーに行っているから、コーヒーとお菓子持ってきて~♪」
勢いよくベッドから起き上がる桜島さん。
サラサラの長い髪の毛と、ふわふわのスカートの端が、ぽわんと揺れた。
それの間にある別のモノも同じように揺れたけれど……まぁ、そちらの方は見なかったことにした。桜島さんに嫌われると嫌だから。
「何というか、今日は、よく僕をパシらせますね、桜島さん?」
「ん? いいじゃない。そういう気分なんだよ♪ んじゃ、先に飼育部屋に行っているね」
そう言って可愛く笑うと、桜島さんは飼育部屋に入って行った。
2LDKのマンションは一人暮らしの大学生には広過ぎるという世の中の意見もあるけれど、僕の場合、完全に一部屋分は生き物の飼育部屋となっているから、その意見は当てはまらない。
冷暖房完備の八畳間は、小学生からの夢だった生き物専用の部屋。
ペットショップでアルバイトをするくらい生き物が大好きな桜島さんが僕のマンションに入り浸りになる理由も、飼育部屋が僕の部屋にあるから。でも、桜島さんは単純に僕の水槽を見に来るだけじゃない。毎月の使用料を払うという形で、飼育部屋の半分の水槽を桜島さんは僕から借りている。
桜島さんは、現状いくつかの水槽に底砂のソイルを入れて水回しをしているけれど、何を飼育するのか僕が聞いてみても「今はまだ秘密♪」という返事が戻ってくるだけ。高級熱帯魚をブリードするとか、アマガエルを飼うとか言っていたけれど……このままでは、ちょっと遠い道のりになりそうだ。
――とかいうことを考えながら、コーヒーとお菓子を持って移動する。飼育部屋のドアを開けて、ソファーに座っている桜島さんの前にあるガラスのテーブルの上に置く。
「コーヒーとお菓子をお持ちいたしましたよ、お嬢様♪」
「ありがとう、執事さん。――それにしても、やっぱ、良いなぁ~。生き物好きの夢が、ここにあるよぉ~♪」
部屋の中央に設置した二人掛けのソファーに腰掛けながら深呼吸をして、桜島さんが満足げに笑った。そして言葉を続ける。
「この部屋の半分が、私のモノだなんて、ああ、なんか素晴らしいっ♪ 入学式の日までは、自分の飼育部屋が持てるなんて思いもしなかったわ」
大げさに言う桜島さんにつられて、思わず笑ってしまった。
「あ、何を笑っているのよ? 失礼ね~」
「いえ、僕も、まさか自分の飼育部屋の半分を桜島さんと共有することになるとは思いもしませんでしたから。そもそも生き物を飼うという自分の趣味を、他人に喜んでもらえるなんて考えてもいなかったですので」
「ん? そうなんだ? まぁ、犬猫以外の生き物を飼う人間は、少数派だからね」
「ちょっと寂しいですけれどね」
「だからこそ、鼎とは、こうして仲良くなれたじゃん? 私は、それが嬉しいよ?」
さらりと可愛い顔でこういうことを言ってくるから、桜島さんには困ってしまう。
若干、体温が上がって、心臓の鼓動が速くなっていくのを感じるけれど、ばれたら恥ずかしいから顔には出さない。
「ありがとうございます。僕も嬉しいです。えっと……ところで――隣、座っても良いですか?」
「ん? ああ、ごめん。私のこと気にしないで座ってくれたら良かったのに。どうぞ、お座り下さいな、執事さん♪」
はにかむような笑顔の桜島さんの隣に座る。
自分用にゆったりしたソファーが欲しいと思って買った二人掛けのソファーは、僕と桜島さんの二人で座るのには少し小さかった。でも女性恐怖症であるはずの僕が、桜島さんが相手ならパーソナルスペースを侵されても変な汗をかかないで済むのは不思議なこと。
「鼎、ちょっと良い?」
僕の真横で、耳元でと言ってもいいくらいの近い距離で、桜島さんが言葉を発した。ソファーが狭いから仕方が無いことだけれど――前言撤回。緊張して変な汗が吹き出しそう。
「これから後の飼育方法を確認しておきたいのだけれど? ん? 鼎、どうかしたの?」
「いや、別に……ちょっと気管にコーヒーが入っただけです」
「大丈夫? 汗かいているよ?」
桜島さんが顔を覗き込んでくる。……近いです。
「だ、大丈夫です。それで、話の続きは?」
「そうそう、卵を縛った後の流れについて知りたいの。卵の管理や幼生の給餌とか、朝夕にすることになるから、基本的に鼎に任せきりになっちゃうでしょ? でも、飼育知識は私も頭に入れておきたいなぁと思って」
「そういうことですか。なら、少し待って下さいね、紙とペンを持ってきますから」
リビングにコピー用紙とボールペン二本を取りに行く。そして、桜島さんの隣に戻って、ペンを一本桜島さんに手渡す。
「お待たせしました。――えっと、これからの流れの説明ですが、縛った卵は水に入れてヒーターで二六度に加温します。一週間ほどで卵割が終わり、小さな幼生が卵の中に見えるようになりますから、そこで今回の実験の正否が分かります」
話しながら、紙にイラストを描いていく。入れ物、卵、二六度で一週間、という重要事項も忘れずに書き込む。
「私達の縛り方が上手く行っていれば、双頭の幼生が卵の中に見えるのよね?」
確認するように桜島さんが言った。それに頷いて返事をする。
「はい、卵の中に見えるはずです。その後は、幼生を小さな容器に入れてブラインシュリンプを与えて、ある程度の大きさに育てます」
桜島さんが紙にブラインシュリンプと書いた。その下に「水一リットルに食塩二五グラム=一リットルペットボトルで作ると分かりやすい」と書き加える。
「えっと――桜島さんは、ブラインシュリンプ湧かしたことありますか?」
「グッピーの稚魚の餌として使ったことがあるけれど……正直、めんどくさいよね。ペットボトルの置き場所にも困るし、専用のエアポンプを用意しないといけないし、塩水って傷みやすいし、孵化容器に使うペットボトルがヌルヌルするし」
もうこりごり、そんな表情で桜島さんが言葉を口にした。
「あれ? 桜島さんは『皿式』って湧かし方知らないんですか?」
「皿式? 何それ?」
「プラケースに二センチくらい塩水を入れて、そこに薄くブラインシュリンプエッグを撒くだけで、ブラインシュリンプを湧かせることが出来る方法です。インターネットで調べるとすぐに出てきますよ?」
桜島さんがスマホを取り出して検索を始めた。
「ふむ、ふむ、ふむ~ぅ♪」
すぐに目的のページが見つかったみたいで、納得したような表情を桜島さんが浮かべた。それを確認してから、言葉をかける。
「皿式でも、毎日こまめに孵化させないといけないから手間がかかりますが、ペットボトルを使うよりも簡単に管理が出来そうですよね」
「そうね、今度から私もこの方法で試してみるわ。プラケースなら、容器がヌルヌルなっても洗いやすそうだし。――で、ブラインシュリンプを与えて育てた後は、どうするの?」
「大体三センチ前後になったら、今度は冷凍赤虫に餌付かせて、上陸個体になるのを待ちます」
「上陸個体?」
「名前の通り、上陸することが出来る個体のことです。水中にいる時には、イモリの幼生には『エラ』があるのですが、上陸個体にはエラが付いていません」
ウーパールーパーみたいなイモリの幼生のイラストを紙に描いて、ふさふさのエラを強調する。ペットショップでアルバイトをしている桜島さんは、すぐにピンと来た表情を浮かべた。
「例えるなら、おたまじゃくしがカエルになって水の中から地上にあがるのと同じ感覚? 両生類って、子どもの時は水中に、大人になったら地上で暮らすよね?」
「そう、そんな感じです。――それで、イモリの子どもが上陸したら、湿らせたキッチンペーパーを敷いたプラケースで飼育します。この時、餌を生きたコオロギやシロアリ、ショウジョウバエなどに切り替えて、子イモリを大きく成長させるんですけれど、これが結構難しいというか手間がかかります」
「手間がかかるの?」
「子イモリの餌になる虫は、ゴマ粒サイズなんですけれど、このサイズの虫をストックしておくのが手間なんです。コオロギなら、繁殖させて常に幼虫を誕生させ続けないといけませんし、シロアリはコロニーを維持するのが大変ですし……唯一、管理が楽なのは『フライトレス』もしくは『ウィングレス』って呼ばれる飛べないショウジョウバエを餌にする場合なんですけれど、これも高温に弱いという弱点があります。恒温機を使うか、エアコンで温度管理が出来ないと、夏場の鹿児島じゃ繁殖が難しいんです」
説明する紙に「高温にさらすとショウジョウバエは生殖機能を失う」と追記しておく。それを見て、桜島さんが口を開く。
「あれ? でも、今回の私達の場合は、飼育部屋のエアコンが使えるから――大丈夫よね?」
「はい。夏場に飼育するのは今年が初めてなので試してみないといけませんが、一番管理が楽そうなショウジョウバエを子イモリの餌にしようと考えています。コーンスターチを餌にすれば、放置プレイで、大きめの試験管で無限増殖が可能だと思いますし。――でも、桜島さんはショウジョウバエ、大丈夫な人ですか?」
「もち。染色体の実験に使うために、生物部でうじゃうじゃ飼っていたことがあるから♪ ちなみにコオロギもシロアリもOKよ。ということで、子イモリの餌の問題は大丈夫そうね。餌をあげて成長させた後はどうするの?」
「八センチほどに育ってくれれば、後は親個体を飼うのと同じように水中飼育に移行させて、冷凍赤虫や人工飼料で飼育が可能です。ここまでくれば、今回の計画が成功したと言えると思います」
「なるほど。八センチくらいになったら、親イモリと同じような楽な飼い方でも大丈夫なのね。……それにしても、何も見ないで、よくすらすらと言えたわね? 予習でもしていたの?」
紙の上にペンを走らせながら桜島さんが聞いてきた。桜島さんは、僕と口で会話しながら、さっきまでの飼育の流れの要点をまとめている。
「あれ? 言っていませんでしたか? 僕、イモリの繁殖をしたことがありますので」
「マジで?」
「はい、色彩変異のアカハライモリを殖やしたくて、一時期はまっていました。なかなか思った通りの色が出なくて――大学受験と重なったこともあって――二年位で諦めちゃったんですけれどね」
「道理で。何だかイモリの採集、手慣れている感じだったもの」
「ええ、高校の生物部でフィールドには沢山行きましたし」
「私も、高校の時は生物部の友達と色んなところに行ったよ。三回くらい、ひざまで泥に埋まって動けなくなったこともあるけれど♪」
「分かります。田んぼの近くの川とか湿地って、意外とぬかるみが深いところがあるんですよね」
「一人で行っちゃダメだよね~。アレ、一歩間違えると事故死するから♪」
桜島さんが冗談っぽく笑顔で言った。それは、まるであり得ないといった表情で。
「……そ、そうですよね……」
事故死しかけたこと、僕あります。ぬかるみにはまって、手を着いたらそのままズブリといって泥の中で溺れかけた――なんていう過去は、お約束すぎて口に出せなくなった。
桜島さんの手が止まる。僕の様子がおかしいことに気付いたのかと思ったけれど、単に要点をまとめ終わったみたいだ。桜島さんが興味津々な瞳を僕に向けてくる。
「ところでさ、私達が今日まで結び続けた卵は約八〇個あるよね。そのうちの幾つが双頭になるかな?」
「そうですね――生物学者シュぺーマンが長きに渡って何百個、何千個と卵を結び続けていたことを考えると、技術が劣る僕らじゃ一匹出てくれれば良い方じゃないですか?」
「えっ、マジで?」
戸惑うような声で桜島さんが呟いた。今更ながら、知らなかった事実らしい。
「桜島さん、マジですよ。学食で言いませんでしたっけ?」
「いや、聞いていない。でも、一匹かぁ……しかも、それを無事に成体まで成長させるのが今回の最終目標なんだよねぇ……今更ながら感じるけれど、上手くいく可能性は限りなく低いよ……」
「でも、この目で見てみたいですよね、双頭のイモリ」
僕の言葉に桜島さんが大きく頷く。
「ロマンがあるもん。真っ赤なイモリや真っ黒なイモリ――色々な色のイモリがいるけれど、アルビノのイモリと双頭のイモリの生きている成体は、まだ確認されていない――はず。私達が最初の一匹を作り出すのよ」
「そう言えば、アルビノのイモリを作る方法がインターネットに載っていましたよ?」
「私も知っている。真偽は分からないけれど、幼生の時期から、薬品の入った水で飼育するんでしょ? 一般人の私達には難しい方法だわ」
「そうですよね。でも、だからこそ、誰にでも出来る今回の実験が上手く行くと良いなぁって僕は思います」
◇
コーヒーを飲み終えた後。ガラステーブルの上を片付けて、桜島さんと向かい合うようにひざ立ちしながら、縛り終えた卵を容器に分けていく。でも少し、なんというのか、ちょっと気まずい雰囲気。その理由は――
「ねぇ、シャーレが足りない分はどうするの? 二〇個しか用意していないじゃん?」
シャーレに入れた卵を下から眺めながら、桜島さんが僕に聞く。
「正直なところ、あえて滅菌したシャーレで観察しなくても良いんじゃないかな……と思い始めた僕がいるんですけれど、桜島さんはどう思いますか?」
「う~ん、確かに実験しているという気分になるからシャーレを用意したけれど、別に滅菌するメリットは特に無かったかな、と私も思わなくない……」
桜島さんが僕の方を見る。その顔は「やっちゃったね~」という表情。
「元々、用水路から採って来たイモリの卵だし」
「今更ですけれど」
二人で笑顔になる。何だか、身体の力が抜けた。
桜島さんが、ソファーに寝そべりながら、人差し指で蓋の閉まったシャーレをつつく。
エタノールは五〇〇ミリリットル入りの瓶で価格は一〇〇〇円くらい。一五円のモヤシなら、二ヶ月分くらい買えそうな金額。大型のプラスチックシャーレの価格は――ちょっと高すぎて、今は考えたくなかった。
「あはっ、夜はテンションが上がるのよね~。要らないモノをたくさん買っちゃったわ♪」
「まぁ、エタノールは魚の標本作りにも使えますから、持っておいて損はしないと思いますけれど」
「あ、標本作る時には声掛けて。私も興味有る」
「了解です。分かりました」
僕の言葉に、仰向けになりながら桜島さんが笑顔を作る。
「や~めたっ! 滅菌シャーレなんてもう使わな~いっ♪」
桜島さんが両足をパタパタさせた。スカートが……何と言うのか、スカートが……うん、スカートが。桜島さんが僕の視線に気付いて、ババッとスカートを直す。
「みっ、見た?」
「いえ、見ていません」
「嘘付き。見たんでしょ!?」
真っ赤に顔を染めた桜島さんの視線がちょっと怖い。目線を合わせていられない。
「鼎、正直に言いなさいよ? 正直に言わないと、後がひどいわよ!?」
後がひどいって……どういう意味だろう? でも、考えている余裕なんて僕には無い。正直に白状しよう。
「はい。見まし――」
「すっ、スパッツなんだから! コレ、スパッツだからぁッ!」
桜島さんが叫んだ。大きな瞳が潤んで泣きそうな顔の桜島さん。こんな表情の桜島さんは初めて見る。気まずい沈黙が訪れそうになった気がしたから、急いで話題を切り替える。
「――そ、そういえば、何だか、今までも色々ありましたね」
「色々? 何が?」
少し鼻声になった桜島さんが、僕を睨んでくる。その表情で分かってしまう。僕が見たのは、多分、スパッツじゃない。
「えっと、真夜中に桜島さんと二人で薬局に入って、シャーレと一緒に消毒用エタノールを買った時には、『薄めても飲んじゃいけませんよ?』って店員さんに真顔で言われましたし。あれ、絶対に誤解されていたと思います。僕ら、要注意人物になっていますよ、きっと」
しどろもどろになる僕を見て、桜島さんが小さく噴き出した。
僕を睨んでいた視線が急速に柔らかくなる。
「鼎は、嘘を付くのが下手くそね。そういうとこ、嫌いじゃないけれど。――ところでさ、話を元に戻すけど、滅菌したシャーレを使わないのなら、どんな容器を使えば良いのかな? 小型のプラケースにエアレーションを掛けておくとか?」
いつも通りの桜島さんの視線。ちょっとだけ、ほっとした僕がいた。
「折角なので、今回は『秘密兵器』を使おうと思います♪ 少し待っていて下さいね?」
◇
立ち上がって飼育用品を入れてある棚からソレを取り出す。実は、一昨日くらいから用意していたモノ。近々、別の用途でコレが必要になると思っていたから。
僕の行動に桜島さんが反応して起き上がった。
「秘密兵器? ――って、『サテ*イト』じゃん。水槽の外壁にひっかけることが出来るから、便利な飼育箱として爆発的な人気が出た二一世紀の水槽業界の革命児」
「そう、その水槽業界の革命児が――って、ちょっと桜島さん、褒め過ぎじゃないですか?」
僕の突っ込みに、桜島さんが不思議そうな表情を浮かべる。
「なんで? 外掛け飼育箱なのに、水の循環が出来るから冬でもヒーターいらないし、水変えの手間も掛からない。小型魚の繁殖を目的とした産卵箱としての使い方だけじゃなく、稚魚の飼育や隔離、餌メダカのストック、果ては小型で混泳に向かない種の飼育までもお手軽に可能にした究極の製品がサテ*イトなのよ?」
真面目な表情で熱く流暢に語った桜島さん。ちょっと引く――なんて言ったら怒られるだろうか? でも、聞いてみたいこともある。
「……桜島さん、ここだけの話、メーカーから何か貰っています?」
「んなわけないじゃん。貰っていたらサテ*イトって伏せ字にしないし」
「それもそうですね。んじゃ、話を元に戻しましょう」
桜島さんが小さく咳払いをする。そして、言葉を口にした。
「でも、私、サテ*イトに対する愛はあふれているわ♪」
「そんなサテ*イトに、今回もお世話になります」
「どんな風に?」
「さっき桜島さんが言ってくれましたけれど――卵や幼生の飼育を考えたら、小さい容器で飼育しないといけないんですけれど、保温や水変えが大変ですよね? でも、水が循環するサテ*イトならそこら辺をほぼ自動でやってくれるので、放置プレイが可能です。容器も透明なので、観察にも便利ですし」
「さすがサテ*イト。保温も水変えもしなくて良いのは、メリット大きいわよね♪」
「ただし、一つだけ注意点があります。サテ*イトの排水口のスリットが純正のままだと大き過ぎて幼生が落ちてしまうんです。なので、ひと工夫――排水口の外に上部フィルターマットをカットしたモノを設置して流れないように――しておく必要があります」
「なるほど、そうしておけば本体の水槽に幼生は落ちないのね♪」
「追加でもう一つ。このフィルターマットなのですが、餌のブラインシュリンプが溜まって、良くない臭いの発生の原因になります。ですので二~三日に一回は、水道水でもみ洗いしてきれいにして下さい」
「分かったわ。重要ポイントとして紙に書いておく」
「それじゃ、さっそく箱から出しますね」
箱に張られた透明テープを剥がす。それを見ながら桜島さんが口を開いた。
「あれ、新しいの買って来たんだ? 言ってくれれば、私の家にも使っていないのがあったのに」
「そうですか? でも、桜島さんを驚かせたかったから良いんですよ」
「驚かせたい?」
「えっと、桜島さんが高級熱帯魚をブリーディングしたいって言っていたから、そのうち必要かなって思って買っておいたんです。喜ぶ顔が見たかった――って、あぅ、えっと、別に――他意は無いですよ?」
口がすべってしまった直後に、唐突に訪れた沈黙。
何だか無性に恥ずかしい気持ち。水槽のフィルター音だけが部屋に響く。視線を合わせることは出来なかったけれど、桜島さんの両耳も真っ赤に染まっているのが分かってしまった。
「っ、あっ、ありがとぅ。――ん、んんっ! せっかくだから、私が設置してあげるわっ。私のために鼎が買ってくれたのだから!」
気まずい沈黙を取り繕うように、桜島さんが両手を出す。
どんな言葉を返したから良いのか分らなかったから、素直にセッティングは桜島さんに任せることに決めて、サテ*イトを箱ごと桜島さんに渡す。
「えっと、どの水槽から水を取って良いの? 水温とか関係あるよね?」
ずらりと並んだ部屋の水槽を眺めながら、桜島さんが僕に聞く。その声は、平常運転のいつもの声。
「えっと、この部屋のエアコンが二二度と低めなので、ヒーターの入っている水槽から水を取った方が、卵割が速くなると思います。あとは、観察しやすい場所が良いので――桜島さんの正面から二つ隣の六〇センチ水槽が良いと思います」
「この水草水槽? OK、それじゃ設置するわよ。エアポンプはある?」
「あ、エアポンプでも良いですけれど、今回はフィルターの排水パイプから直接水流を取りましょう」
「排水パイプから?」
一瞬、桜島さんが不思議そうな顔をしたから、それに対して説明をする。
「はい、排水パイプの突起がちょうどサテ*イトのホースにぴったりなんです。だから今回も水流をダイレクトに取り込もうと考えています」
「ああ、なるほど。確かにエアホースにぴったりだわ」
「それでは、設置をお願いします」
「了解~♪」
五分後。途中で電源を切っていなかったフィルターから水が大量に跳ねるという事故があったものの、それ以外は無事に取り付け作業が完了し、イモリの卵を投入する。
「水合わせも自動でやってくれるから、便利よね~」
そう言いながら、桜島さんが笑った。桜島さんのサテ*イト好きは、相当なレベルなのだと心のメモ帳に刻む。でも桜島さんが喜んでくれたから、正直、僕も嬉しかった。
◇
イモリの卵を結ぶのに日本人の髪の毛は太すぎるから向いていないことを知ったのは、その直後だった。インターネット検索をしていた桜島さんがたまたま見つけた実験サイト。そこの注意事項に書いてあったらしい。
「鼎~、どうする? もう一回、縛る元気はもう無いよぉ~?」
桜島さんが情けない声を上げる。僕も正直、再びあの苦労を繰り返す気力は残っていない。
「……向いていないとはいえ、僕らは無事に縛り終えたのですから、見なかったことにするのはどうですか?」
「だっ、だよね~。実験が失敗したと決まったわけじゃないし、今回はこのまま様子を見る方向で良いよね……」
二人とも疲れていた。
「そうしましょう……」
「……そうするわ」
◇
一〇日後。一匹の双頭イモリが生まれた。
「きゃ、きゃわゅ~い♪」
初孫を目にしたおばあちゃんみたいな反応をする桜島さん。ちょっと引く。
「鼎、なにをドン引きしているのよ?」
桜島さんに鋭い視線で睨まれた。バレたらしい。
「いや、えっと、その反応はナシですよ、桜島さん。僕ら良い年齢なんですから」
「もうっ――そんなことはどうでも良いの! さっさと餌をあげなさいっ! 今日は、この子が餌を食べるのを見に来たんだから!」
桜島さんの顔が、若干、赤くなっているのは気付かなかったことにしよう。
「はい、それじゃ孵化したてのブラインシュリンプを与えます」
二四時間前にセッティングして孵化させておいたブラインシュリンプをスポイトで茶こしに集める。それを茶こしごと真水の飼育水で洗ってから、再びスポイトで吸い、双頭イモリの前で解放する。
「ぴょこんと跳ねた♪ ねぇ、今、ぴょこんと跳ねたよ!」
イモリが身体を動かして餌を食べたことに興奮する桜島さん。何だかとても可愛く思えた。
そのまま二人でイモリが餌を食べるのを観察して五分。順調にブラインシュリンプを食べていることが、イモリのお腹の中がピンク色をしていることで分かる。
「決めた、私、この子に名前を付ける」
唐突に桜島さんが口を開いた。その表情は、とても真剣。
「どんな名前を付けるんですか?」
「大明丘♪」
「いや、それ、僕の名字です……多分、あっさり死ぬと思いますよ?」
「えっ、ちょ、な、だめっ! そんなこと言っちゃダメだよッ! 大明丘は死なないの!」
「その言い方、僕が死にそうな印象受けますから、止めて下さいよ……。桜島さんも、ペットに自分の名前を付けられると嫌ですよね?」
僕の言葉に、桜島さんが腕を組む。まんざらでもない表情。
「ん~、私は別に。――あ、そうだ。それならさ、二人の名前の一部を取って『サクラダ』って名前はどう? サクラダ・ファミリアみたいで格好良いし♪」
「僕の名前、ダしか入ってないですけれど、桜島さんがそれで良いなら」
「よしっ、決まりね。サクラダ、元気に育つのよ~♪」
サテ*イトの中でブラインシュリンプを頬張る双頭イモリを見ながら、桜島さんが嬉しそうに笑った。その横顔をずっと見ていたいと感じてしまった僕がいて、ちょっとだけ、心の奥に火花が散ったような気がした。
言葉に出来ない不思議な感情。でも、それは確実にそこにある。でも、だけど――いや、だから、という言葉が適切なのかもしれない。
桜島さんから目線を逸らしてしまった僕がいた。
◇
なお、この「サクラダ」が元気に育って二〇年以上も長生きするのは、また別な話である。
(『第3話_自己責任。熱帯魚を食べてみる』へ続く)