第14話_2尾目_熱帯魚ブリーダーになるために必要なこと2
ダンボ系のグッピー、好きです。「ウィング系」と昔呼んでいたような気がしますが……。
~熱帯魚ブリーダーになるために必要なこと2~
翌日の夜二二時半過ぎ。
指宿店長に何か良いアドバイスをもらえないかと、営業時間が終わったグリーンファンタジスト与次郎店に僕らはやって来ていた。
ちなみに、指宿店長には前々から色々なアドバイスをもらっている。その中でも特に重要だと言われたのは、『生き物のブリーダーとして食べていくためには、販路を確保できるか常に考えなさい』というアドバイスだった。
具体的に言うならば、ブリードした個体を捌けるルートが無いと、どんなに高額な生き物を繁殖させても現金化させることが出来ないで持て余してしまうことになる。高価なポリプテルスや巨大魚を殖やしても、どんな珍しい両生類を殖やしても、売れなければ意味が無い。販売店が付き合いのある問屋からではなく、あえて僕らから買いたいと思えるような生体を用意することが、僕らがブリーダーになるためには必須の条件だと指宿店長は言っていた。
ディスプレイ水槽の明かりだけが灯っている喫茶スペース。水草の淡い緑色に宝石のように輝いている魚達。いつもの見慣れた空間なのに、ゆっくりと時が流れているような雰囲気が、とても幻想的だった。
コーヒーを飲みながら、商売人の顔をした真面目な表情の――でも、どこか嬉しそうな目をしている――指宿店長と一緒に、今後のブリード計画の方向性と次の主力商品になりそうな生き物の話をする。
「そっか、品数を増やす前に鯉ベタの価格が下がっちゃったのか。うちのお店の子達も何か手を打たないと危ないわね」
そう言うと、指宿店長はブラックコーヒーを口元に運んだ。
沈黙が生まれる。それはほんの一瞬。瞬き一回分くらいだったけれど、存在感のある静けさだった。
ゆっくりと、何か言いたげな表情で指宿店長が口を開く。
「さっき鼎君が言ってくれたけれど、日本国内で生き物の高額ブリードは難しいと言えるわ。『改良メダカ』の例を挙げるけれど――一部のマニアが新しい品種を作って、それを殖やして一攫千金を狙う人間が高値で買って、それなりの数が市場に流れて……最終的に大量に増えた品種は、爆発的な勢いで販売単価が落ちてしまう。今の改良メダカ市場で実際に商売になっているのは、新しい品種を作った当人とすぐに繁殖体制を確立できる一部のマニアのみ。その他の多くは、出遅れて高いメダカを買ったまま、投資が回収できずに痛い目にあっているか、出費とトントンで趣味の世界から抜け出せていない状態だと思う。それは消費者や愛好家目線で考えると、時間が経てば様々な稀少個体をそれなりに安く買えるようになるのだから悪いことじゃ無いのだろうけれど……ブリーダー目線で考えると、ブームになった人気種の養殖の最前線で食べていくのは、手間暇を考えると、とても後から新規参入するべきものじゃないのが簡単に想像出来るわ。と、いうことで――ね、私が何を言いたいか分かるかな?」
指宿店長の言葉に頷きを返す。
「ええ。まず前提条件ですが、僕らは高級メダカに今から手を出すつもりはありません。紅白エビや外国産クワガタの養殖も同様です。――その上で、今の指宿店長の話をまとめさせてもらうと、『流行の火付け役にならないと儲からない』ということですよね?」
ふふっと小さく指宿店長が笑う。満足げな笑いだ。
「鼎君の言うことで、正解かな。ブームを生み出さないと儲からないっていうのは事実。でも、ブームを作ったり、それに乗ったりするためにはコツがいるの。特別に教えてあげるけれど――」
そこで指宿店長が言葉を区切る。
「知りたい?」
悪戯っぽい年上のお姉さんの笑顔。なぜか微笑んでいるのに、緊張してしまう。それは僕の隣にいる桜島さんも同じだったようだ。そんな僕らを見て、指宿店長が悪戯っぽく言葉を紡ぐ。
「私と、桜島ちゃんや鼎君の関係は、どんな関係かな?」
店員と客でもあり、仕事の依頼主と被雇用者でもあり、年の離れたお姉さんと姉弟みたいでもあり、そして何よりも――
桜島さんと目線を合わせる。桜島さんも、ソレに気付いたみたいだった。
「「今回は、ビジネスパートナーです」」
指宿店長が満足げに微笑む。
「それが正解♪ その言葉が欲しかった。今の私達は、熱帯魚や小動物で生きていく決意をした仲間であり同志だもの。よろしい、それじゃ、お姉さんがビジネスパートナーの二人に特別に教えてあげよう。ブームを生む秘訣は『人間の欲を刺激すること』よ♪」
「欲を刺激する? ですか」
不思議そうな桜島さんの声に、指宿店長が頷く。
「そう。『この品種を買って殖やしたら儲かりそう』とか『この魚を飼っていたらステータスになる』って思わせられたら、ニーズが生まれるの。さっきの高級メダカが良い例でしょ? 他にも紅白エビとかオオクワガタとかアジアアロワナとか、ブームになったモノはおおむねこの法則を持っているわ」
「でも、それを演出するのは……難しくないですか?」
僕の言葉に、指宿店長が苦笑いを浮かべる。
「インターネットが発達した今の時代、希少価値がある生き物や繁殖させづらいと言われていた生き物を、比較的簡単に繁殖できるかもと他人に思わせられたら、ある程度成功よ? 例えば、飼育マニュアルと一緒に売るとか、抱卵している個体を売るとか、成熟したペアを売るとか、繁殖経験のあるペアを売るとか、色々と工夫点はあるわよね?」
そこで指宿店長が言葉を区切る。そして、真剣な目を僕らに向けた。
「私はね、生き物のブリーダーが『今の仕事は、好きじゃないと出来ない』とぼやいている声をたくさん知っているけれど――君達二人がそんな言葉で思考停止してしまうのはもったいないと感じるの。だから、しっかりと二人には儲けを出して欲しいと思うし、同時に私のお店や系列のグループ店を儲けさせてもらいたいと考えているの」
そう言って、指宿店長が言葉を区切る。その視線の先には桜島さん。
「桜島ちゃんは、今後とも熱帯魚のブリーダーとしてやっていきたいんでしょ?」
「もちろんです。小さい頃からの夢ですから」
「それなら、頭を使って、しっかりと利益を上げ続けなさい。覚悟を決めて、ねっ?」
「はいっ」
桜島さんの言葉に、指宿店長が満足げに頷く。
「んじゃ、心のメモ帳に刻んでおきなさいな♪ 『他人と同じことをしていても、第一人者にはなれない』ってね。例えば、今日会ってすぐに二人は『何かお勧めの生き物は無いですか?』と私に聞いてきたけれど、正直、私の中にお勧めの品種が有ったら、私が自分で繁殖させるとか、知り合いのブリーダーに委託するとか思わない? あるいは、そんな生き物がいたら、世の中で先手を取って繁殖させている人がいると思わない?」
真面目な表情で指宿店長が言った。でも、どこかその表情が、妙案が浮かんでいる顔に見える僕がいた。指宿店長と目線がぶつかると、指宿店長がにこっと小さく笑う。
「でも、それと同時に『効率化と成功の秘訣は、先人の知恵を盗むこと』とも言うわ。ということで――インペリアルゼブラプレコなんてどうかしら? インペリアルゼブラプレコなら、この数年あまり値崩れが起こっていないし、繁殖にチャレンジしている人は多いみたいだけれど技術と多少の運が必要だし、流通量もそれなりだから手を出してみる価値があると私は思うわ」
優しい笑顔に変わった指宿店長が、悪戯っぽく微笑む。
「ちょっとお値段張るけれど、うちの店から種親を仕入れて繁殖させてみない? 繁殖した個体を定期的にうちの店に卸してくれることを条件に、成熟した個体をまとめて五匹売ってあげるからさ?」
指宿店長の言葉に、桜島さんが考えるような仕草をする。成魚だと五匹でざっと一〇万円~一五万円くらい。柄の綺麗さによっても値段が変わるけれど。
「店長、インペリアルゼブラプレコですか……。繁殖できるかどうか考えると、値段が高いですし、ちょっと私は怖い気がします」
「僕も怖いと感じます。何より高価ですし、繁殖に運が必要な魚は、繁殖が上手くいかなかった時が持て余しそうです」
指宿店長には悪いけれど、そこまでプレコに詳しくない僕らじゃ、不良在庫を押し付けられるという危険性もある。もちろん、顔には出さないし、指宿店長のことを信頼しているから大丈夫だと感じるけれど。
「それなら、五匹のうち一ペアは繁殖の経験がある子達にするわ」
僕らを値踏みするような指宿店長の微笑み。嘘や誤魔化しは無理だろう。
「――僕らとしては、魅惑的な商品なのも事実です」
だって、ブラジルからの輸入が禁止されたことが要因となって――未だにワイルド個体が出回っていることは知っているけれど、そこは深く考えないことにしても――インペリアルゼブラプレコは長期間高値で売れ続けているし、これからも値下がりしそうな兆候が無いことを感じているから。でも、インペリアルゼブラプレコの値段を考えてしまうと、躊躇してしまうのも事実。
そんな僕らの思惑が伝わってしまったのか、指宿店長が首を傾げる。
「桜島ちゃん、鼎君、二人はプレコの仲間の繁殖の経験は無いのかな?」
「……。私は、有りません」
困ったような表情で桜島さんが僕を見る。
「僕は、オトシンクルスネグロを大量養殖した経験はあります」
「ネグロの養殖?」
指宿店長が興味深そうな顔で聞いてきた。
「はい。高校の時に、オトシンクルスネグロにハマった後輩がいて、彼と一緒に五〇〇匹位ネグロを殖やして、他の高校の生物部と物々交換で色々な魚を手に入れたことがあります」
「ネグロの養殖かぁ。五〇〇匹も増やせるなんて上出来じゃない♪ 今はしていないの?」
「色々調べたんですが、インターネットオークションでのオトシンクルスネグロの相場が大体、一匹二五〇円から四〇〇円なので、労力に見合った利益が見込めないんです。あと、輸入物のミニブッシープレコの方が安価で手に入るのでニーズが薄くなっているという背景もあります」
「あ~、ミニブッシーはあまり大きくならないし、水草に悪さもしないし、見た目も黒地に白いスポットが入って綺麗だし、ネグロよりも使い勝手が良いのは事実よね」
苦笑いを浮かべた指宿店長に、桜島さんが声を掛ける。
「店長、ブリードして効率的に利益を上げるためには、珍種や繁殖が難しい生き物が狙い目なんですよね? 私はプレコの繁殖の経験はありませんが、インペリアルゼブラプレコに興味があります。幸い、インペリアルゼブラプレコを購入できるだけのお金が手元にありますし」
桜島さんが言っているのは、アルビノアマガエルの子どもと鯉ベタが売れたお金の利益部分のことを言っているのだろう。昨夜の話し合いで『利益を分配せずに次のモノに投資する』と二人で決めたつもりではあったものの、五割近い金額をインペリアルゼブラプレコに注ぎ込む――もとい、投資するのは危険だと思う。
「桜島さん、あの、リスク分散を考え――」
「一応、勧めておいた私の立場で言うのもアレだけれどさ?」
僕の言葉を遮って、指宿店長が言葉を続ける。
「国内での繁殖例が増えているとはいえ、インペリアルゼブラプレコは素人の思い通りに繁殖してくれないから、投資金額を考えると大きなリスクになると私は思うわ。下手したら、不良在庫になっちゃうかもしれないし、何の結果も出さずに星になってしまう子も出ないとは言えない。それに『繁殖するまで待つ』というのは、資金を回転できないから機会損失という意味でもリスクが高いと思うの」
指宿店長の言葉に、桜島さんが再び困ったような表情を浮かべる。
「それじゃ、どうしたら……」
「でも、今後も本気で熱帯魚のブリーダーを続けていくのなら、良い経験になるのは間違いないわよね? ここはリスクを取る場面じゃないかな?」
そう言って指宿店長は真面目な顔で微笑んだ。
……。僕らには、もう後に引くという選択肢は残っていない雰囲気。少しずるいと思った瞬間、指宿店長が噴き出した。
「ねぇ、鼎君。今、私の提案をずるいとか思わなかった? でもさ、私も二人のことを応援しているんだよ? で、もう一つ提案があるんだけれど――三種類くらいグッピーを飼ってみない? 鼎君の水槽部屋、まだいくつか水槽を空けることが可能でしょ?」
唐突に、指宿店長がそんなことを言った。
「グッピーですか?」「三種類?」
僕と桜島さんの言葉が重なる。僕らが拍子抜けをしたような顔をしていたのだろう。指宿店長が苦笑いを浮かべた。
「あれ? グッピーは嫌い? インペリアルゼブラプレコという繁殖に運や時間が必要な商品と、国産グッピーという殖やしやすくて回転率の高い商品を組み合わせるのはリスク分散になると私は思うんだけれどさ?」
リスクの軽減。それはちょっと魅惑的。でも、引っ掛かるところもあるのが事実。
「グッピーって、あまりお金になるようなイメージが無いのですが――」
僕の言葉を、指宿店長が微笑みながら人差し指を自分の唇にあてて途中で遮る。
「国産グッピーは、最低でもペアで一五〇〇円から二〇〇〇円くらいで売れるわよ? 値段も下げ止まっているからこれ以上、暴落する危険性も少ないし」
「それでも、私が思うに、ちょっと単価が低いです。簡単に殖えるイメージがありますが、手間に対して売り上げが少なそうですし、そもそもニーズはあるのですか?」
桜島さんの言葉に、指宿店長がやれやれといった表情で笑う。
「売る時は、一度に三ペアくらいをまとめて五〇〇〇~六〇〇〇円くらいの価格設定で売れば良いのよ。それに考えてもみてよ? グッピーって過密飼育も、短期間での養殖も、品種の固定も可能でしょ? 自分で品種改良しようとしたら大変という言葉じゃ足りないくらい大変だけれど、間違いのない良い種親さえ仕入れられれば、一水槽あたりの費用対効果は抜群だと私は思うのだけれど?」
指宿店長の言葉にぴくりと桜島さんが反応した。
「で、でも、品種ごとの市場規模はかなり小さいですよね? 事実、うちのお店でも国産グッピー一品種に限って考えると、月に一〇ペア売れたら良い方ですし……」
「そうね、マニアや愛好家向けの国産グッピーは、ごく一部の品種を除いたら月に数セット売れるか売れないかという程度だと思う」
桜島さんの言葉に頷きながら、指宿店長が言った。そして言葉を続ける。
「だからこそ、確実に売れるという根拠が欲しいんじゃない?」
「えっ、店長、売れる根拠があるんですか!? 教えていただけると嬉しいです!」
「将来的にインターネットで売るなら、『ニッチ商品』でも『ロングテール商品』でも勝負できるわ」
大学の講義で聞いたから知っている。ニーズは少ないけれど、確実に買ってくれる層がいるマニアックな商品がこれに該当する。普通の実店舗ではいわゆる死に筋商品だけれど、その分、他が取り扱っていないから市場の価格にとらわれない値段設定が出来る。
でも、何故だろう? 指宿店長は「将来的に」という言葉に一番意味があるようなイントネーションだった。
桜島さんが、若干、困ったような表情で口を開いた。
「指宿店長、買いたいという人が定期的に現れないと在庫を抱え過ぎることになりそうですし……上手く売れたとしても、ロングテール商品だから、五〇〇〇円で月に四セット売れた場合でも二万円前後の売り上げにしかならないです。正直、少し物足りないというか、何というか……」
「ちょっと待ってよ、桜島ちゃん。勘違いはいけないわ。桜島ちゃんの単価で計算しても三種類取り扱うことにしたら、月に六万円の売り上げにはなるわよ? 今回はアルビノアマガエルと鯉ベタの売り上げが四ヶ月で五〇万円を超えたらしいけれど、一ヶ月で考えると約十二万円。それに対する六万円は無視できない数字だと思うわよ? ブリードの手間が簡単なことも考えると、かなり美味しいと私は思うのだけれど、止めておく?」
にこっと指宿店長が笑う。そして言葉を続けた。
「でね、これが一番重要なことだと思うのだけれど――海外のコンテストで特別賞を取った、グリーンファンタジスト一押しの『新しい品種』が手元にあるのだけれど、興味ない?」
「「新しい品種ですか?」」
桜島さんと僕の声が重なった。その様子に、指宿店長が満足げに頷く。
「そう。エンドラーズ系の蛍光的なオレンジを活かした品種や、ウィング系って言って胸鰭が羽みたいに伸びる碧い宝石みたいな品種がいるのよ」
その言葉に、桜島さんが何かに気付いたような顔をした。
「あ、お店のバックヤードで飼われている子達ですよね? この間、グリーンファンタジストの本店から届いたっていう」
「そうそう。で、うちのお店、今、グッピーの専属ブリーダーを探しているの。種親はこっちで用意するから、あとは転売しない信用できる人材が欲しいんだ♪」
「転売しない、ですか? インターネットとかで売ったらダメってことですよね?」
僕の言葉に、指宿店長が頷く。
「そう。契約から一年間半は、うちの店や特約店以外に卸されると困るの。あ、でも、一年半経ったら自由にネットオークションで売っても良いわよ? 新品種って、すぐに殖やされて劣化版がネット上に出回っちゃうから」
指宿店長の言葉に、桜島さんと視線を交わす。
「どう? グリーンファンタジスト系列のお店や特約店で大々的に売り出す予定だし、きちんと殖やしてくれたら、それなりの数を『それなりの値段』で毎月買い取る計画だけれど――良い話だと思わない?」
にこっと、指宿店長が笑った。
桜島さんを見ると、目線がぶつかった。桜島さんと頷き合う。
「「この話――」」
そこで言葉を区切る。
「「乗ります!」」
◇
指宿店長にグッピーの繁殖のアドバイスをもらいながら、お勧めされたグッピーを養殖用に各三ペア譲ってもらうことになった。「W・E・ラピスラズリ」「エンドラーズ・X・X」「W・エンドラーズ・Z」という新しい品種で、いずれも華やかさや野性的な煌めきを持つ魅力的な品種達。
指宿店長によると、エンドラーズ系の二品種は水草を密生させておけば、産まれた子どもをあまり食べない品種で増やしやすいとのこと。水草水槽にも映えるし、丈夫だし、僕らの主力商品に育ってくれることを願おう。
◇
家に帰ってから水槽の準備をする。本来は水を作ってから魚を導入するべきなのだろうけれど、水槽部屋の空いている四五センチ水槽をそれぞれのグッピーに使うことにした。
大磯砂を入れていた水槽の水を底砂の掃除をしながら半分入れ替えて、他の水槽から元気なアナカリスを大量に投入する。そして、水質浄化用のウォータスプライトを水面に浮かべる。あとは、水合わせをすればグッピーの導入は完璧だ。
念のため点滴方式で水合わせをしながら、桜島さんと様子を見守る。
桜島さんが水槽を見つめながら僕に声をかけてきた。
「ねぇ、鼎。今更なんだけれど」
ぽつりと桜島さんが呟いた。気になって桜島さんを見る。
「どうかしましたか?」
「鼎は、グッピーの効率的な殖やし方って知ってる? 一応、私もグリーンファンタジストの生体販売担当だから、それなりの商品知識は持っているつもりだけれど――指宿店長は『水合わせをしっかりして、【秘密の冊子】通りに掛け合わせと選別をしておけば適当で良いよ。無駄に増えるから』って言っていただけなのよ。【秘密の冊子】もとい詳しい資料は貰えたけれど、やっぱりブリーダーとして繁殖させるなら、少しでも個体をたくさん殖やす情報を知っておきたいと思わない?」
桜島さんの言葉に僕も頷く。指宿店長から貰った「秘密の冊子」の中身はざっと見たけれど、品種の維持の方法や選別の基準などが書かれているだけで、仔魚の数を殖やす方法は書かれていなかった。それと同時に、妹の咲希のことが頭をよぎった。
「僕もグッピーの繁殖は何度もしたことがありますけれど……個体の数に特化するのなら、妹の咲希の方が詳しいかもしれません」
「咲希ちゃんが?」
「はい。咲希はヤゴや水生昆虫の餌用に、グッピーを大量に養殖していましたから」
確か咲希が繁殖させていたのは、温泉地から採集してきた野良グッピー。強健で繁殖力が旺盛で低温に強くて大型化する野生の力に目覚めたグッピー達だ。そんなただでさえ殖えやすいグッピーを「いかに効率よく大量養殖するか」というテーマで、咲希は昨年の夏休みに一〇〇ページにわたる自由研究をまとめていた。きっと、何か良いアイディアを持っていると思う。
「それじゃ、明日の夜、咲希ちゃんに電話で聞いてみようかしら♪」
◇
翌日。パソコンの動画通信ソフトを起動させてから咲希に連絡を入れると、すぐに咲希から通信が入った。
全画面表示にしたパソコンのディスプレイに咲希が映る。
「お兄ちゃんおひさ~。そして沙織お姉ちゃん、おひさしぶりですっ!」
「久しぶり、咲希ちゃん。早速で悪いのだけれど――今度、私達、グッピーのブリードをしようと考えていてさ。グッピーの効率的な繁殖方法を教えてくれないかな?」
「はいっ。今日、沙織お姉ちゃんにお電話をもらってから去年の自由研究の資料を見直していたんですけれど――あっ、そもそも、咲希よりも指宿店長の方が詳しいと思うんですけれど、そこは大丈夫ですか? 指宿店長は何か言っていませんでしたか?」
咲希の言葉に、桜島さんが困ったようにはにかむ。
「あはは……店長は、秘密の冊子――もとい十数枚の資料を渡しただけで『血統の維持だけには気をつけて、後は失敗してみろ♪』って楽しそうに言っていたわ。他には『ある程度育ったら♂と♀を別々にして育てなさい』って。それだけかなぁ」
桜島さんの言葉に、咲希がうんうんと大きく頷く。
「血統の維持は大切です! 柄の綺麗さとか体格の良さとかを決めるのは、選別が命ですからっ!」
何だか咲希の瞳に熱い炎が浮かんでいるような気がする。でも、少し気になったことがある。
「えっとさ、咲希のグッピーって、野良グッピーじゃ無いの? 選別とかしていたんだ?」
「うん、お兄ちゃん、そうだよ。気を抜くと体格が小柄な子ばかりになるから、柄はともかく体格はがっしりした個体を選ぶようにしているんだ♪ ちなみに、今育てている子達の中で、最大サイズのグッピーはメスで七センチの子がいるんだ。将来的には、オスで一〇センチオーバーの金魚みたいなグッピーを目指しているの♪」
「金魚みたいなグッピー、それは夢が膨らむわね」
桜島さんの言葉に、咲希が嬉しそうに頷いた。だから「ソードテールみたいなグッピー、需要があるのだろうか?」とは口に出さない。
「はいっ、そんな咲希の自己流の方法で良いなら、お伝えできます!」
一呼吸置いてから、咲希が話を始める。
「まず、単純に殖やすことだけを考えるのなら、大きなメスの個体を種親に使うと楽です。一度に三〇匹以上の仔魚を産んでくれる、そこそこのサイズのメスがいるだけで、あっという間に育成用水槽はグッピーの稚魚で埋まりますから」
「大きなメスほど、たくさん仔魚を産むってこと?」
「そうだよ、お兄ちゃん。それに感覚的なモノかもしれないけれど、小さいメスから産まれた仔魚は小さい気がするし、大きなメスから産まれた仔魚は大きくて丈夫な気がするの」
桜島さんが、咲希の言葉に頷いて口を開く。
「やっぱり産卵箱で仔魚を産ませるのが、一番効率が良いのかな?」
「そうとも言えません、沙織お姉ちゃん。飼育初期や品種改良とかで確実に特定の個体の仔魚が欲しいのなら産卵箱を使った方が良いと思いますが、大量に殖えてきたら、手間を考えるとアナカリスやマツモなどの大量の水草を水槽に投入してジャングル状態にする方が水槽の管理が楽なんです。水草を密生させることで親グッピーが子グッピーを食べるのを防げますし、子グッピーは水面に集まる傾向がありますし、水質の維持も期待できますので。えっと、つまり、毎日、朝と夜に紙コップで水面に集まった稚魚を掬って、水槽の横に設置したサテ*イトに収容してから、それなりの大きさになるまで育てると、効率良く大きくすることが出来ます」
「今回の私達の場合は、最初は産卵箱を使って、後々は水草を密生させた水槽で飼うのが良さそうね。仔魚はサテ*イトで飼育すれば良いのかな?」
「はい。多少の水草と食べ残した餌処理用のレッドラムズホーンを二~三匹入れたサテ*イトで仔魚が稚魚になるまで育てたら、稚魚育成用水槽に移します。あっ、ちなみにですが、サテ*イトでいつまでも育てているとグッピーが大きく育たないので注意して下さい。あと稚魚用水槽も水草を密生させておくのと、レッドラムズホーンを入れておくのはお約束ですが、この水槽の目的は、あくまでも稚魚の育成です。雌雄の判断が付くまで育ててから、定期的に選別をします」
「選別には、なにか基準があるの?」
桜島さんの言葉に、咲希が頷く。
「はい。今回は販売用とのことなので、種親や血統の維持という意味でもオスの選別が不可欠だと思います。綺麗な柄が出るかどうかは、ある程度成長しないと分からないので、独身のオスだけを飼育する水槽が必須になります。メスの方は、絶対的な数が増えるまでの間は何割かを種親水槽に入れて繁殖要員にして良いと思います。なお、水槽の大きさですが最低でも三〇リットルは欲しいです。今回は四五センチ水槽を使うということでしたので大丈夫だと思いますが、放置するとすぐに殖えたグッピーで水質の収拾がつかなくなるので注意が必要なんです」
「そこまで殖えてくれると、私達としては嬉しいのだけれどね」
「あははっ……言うまでもないことですが、濾過はスポンジフィルターをダブルで効かせて、強力な濾過を維持して下さい。グッピーの数が増えると濾過が追い付かなくなることもあるので、水換えは頻繁に、なおかつ水質浄化能力の高い水草を大量投入しておくことをお勧めします」
「了解♪ 他には、どんなことに気をつけたら良いかな?」
「そうですね……ブリードしていると、やっぱり鑑賞に向かない個体が出てくることがあるのですが、その場合には大型魚の餌にするも良し、他の水槽で混泳魚の一部にするも良し、判断は沙織お姉ちゃんやお兄ちゃんに任せます。でも、オス個体は綺麗な模様が早く出る個体もいれば、遅く出る個体もいるので、そこの見極めは柔軟に対応した方が良いかなと咲希は思います。さっきの説明と重なりますけれど、独身用の水槽を一本作っておけば、柄がきちんと出るまでの見極めが余裕を持って出来ると思いますし」
にこっと笑って咲希が頷く。
「これで大体のことは伝えられたかなって思います♪」
「咲希、ありがとう」「咲希ちゃん、ありがとうね」
僕と桜島さんのお礼の言葉に、咲希が誇らしげな表情を浮かべた。
「ふっふっふ~。咲希も伊達にグッピーを育てているわけでは無いのですよ。水生昆虫の餌用だから、いかに効率良く手間をかけずに育てることが大切だもの。あ、そうだ。なんだったら、お兄ちゃん、東南アジアのブリーダーさんがやっている究極のグッピーの飼育方法の『屋外自然大量養殖』も教えることが出来るけれど、興味有るかな?」
咲希がにぱっと笑う。とてもキラキラした瞳で言われてしまったら、僕に拒否権は無い。隣を見ると、桜島さんが優しい笑顔で頷いてくれた。
「聞かせてもらおうかな」「咲希ちゃん、教えて?」
「はいっ。それじゃ、屋外自然繁殖について、お兄ちゃん達に教えてあげます♪ まずは最低でも二〇〇リットルくらい水が入るコンテナを用意して――」
◇
……長かった。
東南アジアの熱帯魚養殖業者の手法を参考にしたグッピーの屋外養殖の話に加えて、先月桜島さんが咲希に送った鯉ベタの話、そして最近手に入れた元高級メダカ――値崩れして、今ではそんなに高くない品種――の飼育方法の話にまで話が飛んだ。でも咲希が生き生きと魚について話をしてくれるなんて、少し信じられない。ちょっと前まで、水生昆虫だけが好きだったのだから。
この間のゴールデンウィークに指宿店長のお店でアルバイトしたことで、咲希が成長したのを感じる。うん、でも、ちょっと、話が長すぎた。
◇
水槽部屋で水草が大量に入った水槽を眺める。三ペア×三種類のグッピー。この子達は、僕らの新商品に無事に育ってくれるだろうか? 出荷できる量産体制が整うのは早くても三ヶ月後。その時までに、僕らのブリード計画をもっと安定化させる方法も模索しないといけない。
気が付くと僕の隣にいる桜島さんと目線が合っていた。その表情は笑顔だ。何と言うのか、それだけで僕には確信出来てしまう。
「鼎、二人で山分けするつもりだったお金でインペリアルゼブラプレコを買うことにしちゃったけれど、怒っている?」
「怒っていませんよ。チャレンジしなきゃ、何も始まらないですから」
「受け入れ水槽の準備が出来てから、迎えに行く予定だけれどさ――全滅させちゃったらどうしよう、って今から不安になるよ」
「僕も同じ気持ちです。でも、水槽部屋の水に慣れてくれたら、強い品種ですから、滅多なことが無い限り大丈夫ですよ。一二〇センチ水槽を半分に区切って飼育することも決めましたし……桜島さんは、楽しみじゃ無いんですか?」
少し意地悪な僕の言葉に、桜島さんが笑顔に変わる。
「ん、楽しみ」
「その顔ですよ、桜島さん。桜島さんのそういう笑顔、僕は好きです」
素直な感想。未だに女性恐怖症が治らない僕だけれど――二人きりの時なら、桜島さんが相手なら、自然と言える。はにかむように笑ってくれた桜島さんが、僕に視線を真っ直ぐに向けてくる。
「私も、鼎の笑顔、大好きだよ」
……あ、何と言うか、改めて言葉で伝えられると、恥ずかしい。
可愛い過ぎる桜島さんを認識してしまって、顔が熱くなるのを感じた瞬間、桜島さんの顔もみるみるうちに赤く染まっていく。ぷいっと顔を逸らした桜島さんの瞳が、若干、恥ずかしさで潤んでいるような気がした。
うん。このままじゃ、ちょっと気まずい。
えーっと、えーっと、どんな対応をしたら良いのかな?
(第15話_七月二〇日「海の日」を前にへ続く)
※(2015/12/17)本文が長かったため、話を二話に分割しました。内容的には変わっていません。




