SS_成瀬さん編_金魚と帰宅
13話の成瀬さん視点です。
~成瀬さん編_金魚と帰宅~
「それじゃ、今日は色々とありがとうございましたっ♪」
「成瀬ちゃん、ばいばい」「気をつけて帰ってね~」「また話しようね」
沙織お姉さんや三人の先輩達、そして大明丘先生に見送られて路面電車を元気に降りる。
まばらな街灯に照らされている道を家に向かって歩いていると、両手で抱えている私の金魚が入った大きな袋に雨粒が落ちてきた。
「やだなぁ、天気予報は晴れだったのに――」
そこで気が付いてしまった。自分の声が震えていることに。さっきまで精一杯の空元気を振り撒いていた自分自身に。
雨粒だと思いこもうとしていたモノは、私の目からこぼれた涙。
やっぱり、私は本気で大明丘先生のことが好きだったのだろう。
あえて「好きだった」と断言できないのは、こういう気持ちを自覚したことが今まで無かったからだと思う。同年代は幼く見えてしまって恋愛感情の対象外だった。とはいえ、最初に大明丘先生を見た時には、「何か、弱そう」っていう印象しか持たなかった。誰に対しても丁寧語を崩さないし、優しいし、怒った様子を想像なんてとても出来ないから。
でも、気が付けば、そんな柔らかい大明丘先生の雰囲気の近くにいたいと思うようになっていた。歳の差とか色々があるからお付き合いするのは無理だとしても、大明丘先生に自分の存在を知って欲しいと考えるようになった。大明丘先生の日常の一部に私も溶け込みたいと考えるようになっていた。
だから勉強をそれまで以上に努力した。得意だった理科は当然頑張ったし、苦手だった国語の現代文も克服したし、大明丘先生に積極的に質問をしたりもした。最初は恥ずかしかったけれど、大明丘先生に冗談を言って困らせられるくらいの関係にもなれた。それだけで幸せだった。
今考えると、それが「好き」という言葉の意味だったのかもしれない。
「沙織お姉さん、良い人だったなぁ……」
私があと六年早く生まれていたら、沙織お姉さんみたいになれただろうか? 大明丘先生の隣で笑っていられただろうか? 悪戯っぽいキスをして、年下少女の乙女心のリセットに協力してくれるような優しい――そしてちょっぴりずるい――女性になれただろうか?
ここで「もし」を考えても仕方が無いことは頭では分かっている。
でも、考えずにはいられなかった。沙織お姉さんのおかげで大明丘先生が手に入らない存在だと認識出来たし、諦めることも出来た。でも、なぜだろう? 涙があふれて止まらない。
止まらない。止まらない。止まらない。
「止まってよ……っぅ……」
誰も聞いていないことを知りながら、いや、知っているから――私は、その言葉を声に出していた。
◇
家に帰って、殺菌用のメチレンブルーを適量入れたプラスチックのタライに金魚を放す。当然、水合わせは万全だ。ゆらゆらとゆったり泳ぐ金魚達の中に、一匹の大きな黒出目金がいることに気が付いたのはその時。確か、一度自分で掬って洗面器に入れたけれど、大明丘先生の登場に驚いて逃がしてしまったところを、屋台のおじさんが再び網で掬ってくれた個体だったと思う。
ゆったりと泳ぐ金魚達を見ながら、思い付いたことがある。
きっとすぐには無理だろうけれど、今の気持ちに整理が付いたら、大明丘先生と沙織お姉さんを私の家に呼んで、金魚の棲む池を見てもらおう。私は大明丘先生の恋人になるのは無理だけれど、年下の友達――魚が好きな同じ趣味を持つ仲間――になれたら嬉しい。いや、なりたい。金魚や色々な熱帯魚や海の魚とかについて話をしてみたい。
そんなことを想像していたら、思わず笑みがこぼれてしまった。
「あ~あ、私、いま青春しているのかなぁ」
だから、もう大丈夫。泣き過ぎて目尻がちょっと痛いけれど、それは成長の証。
今の私は、強いんだ。今度、大明丘先生に会った時には、最初に「ありがとう」を伝えよう。
大明丘先生のおかげで、私はこの夏、一つ大人になれたような気がするから。
(第14話_熱帯魚ブリーダーになるために必要なことへ続く)




