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第1話_図鑑の中の世界

~図鑑の中の世界~



大学進学に合わせて、父さんの知人の紹介で借りることができた2LDKのマンションには、部屋のオーナーの趣味で作られた八畳の水槽部屋が付いていた。

小泉さんに手伝ってもらったのは三日前で、フィルターの水回しを兼ねて全ての水槽に水漏れが無いことを確認し終わったのは昨日の夜。水だけが入った水槽を眺めながら、どんな生き物を飼育しようか想像する。

明日は大学の入学式。熱帯魚好きの友達が、たくさん出来ると良いなぁ。



  ◇



……僕の昨夜までの余裕もとい妄想は、入学式が開始されて早々、ぶち壊された。現在進行形で、僕という人間が壊滅的なダメ男子である真実を思い知らされているから。

大学職員の人に空いている席に誘導されて、なぜか最前列に座らされたけれど、そんなことは関係ない。昨日の夜、緊張しすぎて寝不足だけれど、眠気なんて感じられる精神状態じゃないから、それも関係ない。



ただ一つ問題なのは、僕が座っているパイプ椅子の両側に、女の子が座っていること。中高一貫の全寮制の男子校という負の六年間は、僕を女性恐怖症にするのには十分な時間だったらしい。

そう言えば、自覚症状は少し有った。小学校では女子と普通に会話出来ていた自称リア充だったのに、身体と心が成長して行くにつれ、女性と目が合うことに苦手意識を感じていた。それでも、共学の大学に進むことに胸をときめかせていたというのに……何をどう間違えたのか?

隣に女の子が座っている、ただそれだけで変な汗が湧き出す真夏のソフトクリーム状態になっている僕がいる。



女の子にパーソナルスペースを侵されているだけで身体が反応するなんて……それなんていう**マンガですか? 進学校の偏差値と引き換えに、僕は男子として大切なモノを失ってしまったのかもしれない。軽い絶望感を覚えた。



「――入学出来てうれしく感じています。また、私達は――」

入学式用に設営された壇上で、新入生代表の、袴姿の綺麗な女の子がはきはきと答辞を述べている。別世界の人間に見えた。いや、神々しさすら感じてしまった。



僕の座っている端っこの位置からだと、女の子の横顔が見える。サラサラのロングストレートに赤いアンダーリムのメガネ。真っすぐ切りそろえられた前髪の下には、好奇心にあふれた茶色の瞳が浮かんでいる。桜色の着物と若草色の袴のコントラストが華やかで、何だか新入生っぽさというのか、光り輝いているみたいに見えた。

……。見惚れてしまった自分に気が付いて、何だか少し恥ずかしくなる。



「――ということで、結びの言葉にさせて頂きます」

袴姿の女の子が答辞を終えて、壇上から降りる。

あ、目が合った。速攻で逸らす。僕は、別世界に住む貴女を見ていませんよ?



大明丘鼎だいみょうおか・かなえ?」

ぽつりと、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。反射的に目線を上げていた。袴姿の女の子が、僕の方を見て微笑んだ。

「やっぱり鼎だよね? 久しぶり~」

「ひっ、久しぶ……」

一瞬どもってしまって、顔が赤くなるのを感じた。



女の子が誰か知らないけれど、話を合わせてしまったことに今更ながら後悔する。僕の周囲が若干ざわつく。教職員も、答辞を終えた直後の新入生代表の行動に、戸惑っているような様子。しまった、というような表情を浮かべて袴姿の女の子がはにかむ。



「後でゆっくり話そうよ。私の名刺渡すから、入学式の後に電話頂戴な♪」

そう言うと、女の子は僕に四角い紙を差し出した。「逆ナンだ、逆ナン♪」「新入生代表に比べて、男の方はそんなにレベル高くないぞ?」「でも、うらやましぃ~」周囲の好奇の視線にさらされる中、無言で名刺を受け取る。エンゼルフィッシュとカージナルテトラのイラストが描かれた可愛い名刺だった。



僕が名刺を受取ったことを確認してから、小さく微笑むと、女の子は自分の席に戻って行く。

受け取った名刺を見ると、熱帯魚のイラストとともに「桜島沙織さくらじま・さおり」と名前が書いてあった。

……まずい、記憶にない名前だ。少なくとも、あの桜島さんの様子では、僕のことを知っているか覚えているといった反応だった。しかも名前を呼び捨てにするくらい親しげな。



とりあえず女子との交友関係なんて小学校以降は一切無いから、多分、小学校以前の同級生なのだろうけれど、悲しいかな、一番好きだった吉野真美ちゃん以外の記憶は、もうほとんど残っていない。

桜島さんの記憶は――うん、どうやって思い出そうとしても、全然出てこない。っていうか、知らない人かもしれない。いや、それは無いか。だって僕のフルネームを知っているのだから。



――とか悩んでいるうちに入学式が終わった。

僕が式の最中に女の子から名刺を渡されたことなんか、全然気付いてもいない能天気な両親を大学の入口まで見送る。



両親は今夜の船で奄美大島に帰ると言っていた。両親がタクシーに乗って見えなくなったのを確認してから、桜島さんの名刺をポケットから取り出す。

それには『ペットショップ/グリーンファンタジスト与次郎店 生体担当 桜島沙織』と書かれている。でも、表を見ても、裏を見ても、肝心の「携帯番号」は記載されていない。唯一記載されているのはお店の住所と代表電話のみ。



流石にお店の代表電話にかけて「桜島さんいらっしゃいますか?」なんて聞く勇気は僕には無い。事情を説明すればするほど、ストーカーや不審者に間違われてしまうのがオチだろうから。



ちょっともったいない気もするけれど、桜島さんとは御縁が無かったということにして忘れよう。

名刺を二つに折って、近くにあったゴミ箱に捨てようとした瞬間――背中に衝撃。金属音を立てて、足元にコーラの缶が転がった。後ろを振り向くと、ほっぺたを膨らませた桜島さん。



「あの、えっと――」

「鼎ッ、今、何をしようとしてたのっ!?」

険しい表情で、桜島さんが僕の前にやって来る。



「えっと……ね……」

思わず目線を逸らしていた。

桜島さんからもらった名刺を捨てようとしていました、なんて正直には言えない。



「私があげた名刺を捨てようとしたでしょ!?」

否定できない。現場を見られてしまったのだから。

「うっ、はい、そうです。でも――」

「でもじゃないっ。なんでそんな悲しいことするの? 私、入学式が終わった後、ずっと鼎からの連絡待っていたんだからね? どうして電話こないんだろうって思って探してみたら、私の名刺を捨てようとしている馬鹿な人に遭遇しちゃうし!」



かなり怒っているご様子。若干、言い訳をしておいた方が良さそうな雰囲気。

「いえ、電話したくても――アルバイト先ですか? お店の代表電話しか書いていなかったから、電話出来ないですよ」



小さな沈黙が流れた。



あ、僕を睨んでいた桜島さんが、気まずそうに目線を逸らした。

「……マジで? 私の携帯番号は書いていなかった?」

桜島さんが、ひったくるように僕の持っている折りたたまれた名刺を回収し、広げて見る。そのまま数秒固まった後、少し恥ずかしそうな表情を浮かべて、小さく咳払いをした。



「ごめん、携帯番号を入れていない、古いタイプの名刺を渡しちゃったみたい」



てへっと笑って、桜島さんが首を傾げる。……今ので、可愛く言うことで、桜島さんは全部誤魔化すことに決めたらしい。

女の子相手に突っ込みを入れるのは可哀そうだから、僕も流すことにしよう。背中に投げつけられたコーラの缶は、かなり痛かったけれど。



桜島さんが、コンクリートの地面に転がっていたコーラを拾う。

「このコーラ、おごってあげるから、どこかに座って一緒に飲もうよ♪」

床に転がったコーラは危険物。不用意に開けると爆発する。そんなモノを着物姿の女の子に笑顔で手渡されても、ちょっと対応に困ってしまう。

「さ、桜島さん? あの――」

「あ、ごめん、落したものを渡すのって失礼だよね。私の缶と交換するわ」

僕が躊躇したのを落ちた物だからだと勘違いした桜島さんが、手に持っている別のコーラの缶を差し出してきた。とりあえず、受け取る。



「ありがとうございます。でも、桜島さん、ソレ、開ける時には気をつけて下さいね?」

「なんで?」

「いや、振動が加わったから、ぶしゃ~って飛び出す可能性が大ですよ」

「あははっ、『ぶしゃ~』って――『ぶしゃ~』だって! 猫の鳴き声、ぶしゃ~♪」

ぶしゃ~が笑いのツボだったのか、桜島さんが言葉を繰り返す。ちょぴっとむかついた気がするけれど、何だか桜島さんが可愛く感じるのは気のせいだろうか?



ひとしきり笑った後に、桜島さんが口を開く。

「ゆっくり開ければ、炭酸は大丈夫だよ♪ それよりもさ、あそこに座ろう?」

可愛い笑顔の桜島さんに促されて、桜の木の下のベンチに横並びに座る。春のポカポカ陽気。満開の桜から、花びらがふわふわりと舞い降りてくる。何だかちょっと良い雰囲気。



「えへっ、二人きりのお花見だね♪」

袴姿の女の子が僕の隣に座っているという事実&その可愛い言葉に、眩暈を感じた。もとい、正確には現実逃避しそうになった。僕に向かって、はにかむ桜島さんのせいで心臓の鼓動が速くなっていくのを誤魔化すために、コーラの蓋を開け――



「うゎわっ!」

蓋を開けた瞬間に、コーラが噴き出してきた。

「ぷははっ、私の罠に引っ掛かってやんの~♪」

嬉しそうな桜島さんの声。こうなることが分かっていたみたいだった。

「桜島さん、ちょ、これ、どういうことですか?」

「ん? 鼎に渡すちょっと前に、隠れて缶を振っておいたんだよ♪ 名刺を捨てようとしたバツとして」

「おいたんだよ♪ って、可愛く言っていますが、結構ひどい――あっ」



「あっ?」

「大変です、桜島さんっ。着物にコーラが跳んでいます!」

ポケットからハンカチを取り出して、桜島さんの胸元を拭く。軽く押さえてぽんぽんと動かすけれど、布地に染み込んで落ちそうも無い。

「桜島さん、急いでクリーニングに出さないと――」

布地の表と裏からハンカチで何度も小刻みに押さえるのを繰り返していると、がしっと腕を桜島さんにつかまれた。不自然なまでに、にっこりとした笑顔。



「鼎は、な~に~を~し~て~い~る~の~か~な~ぁ~?」



「何をしてって、コーラが――」

「コーラがじゃなくて、誰の許可があって、私の胸を弄んでいるのかって聞いているのよ!?」

血の気が引いた。男子校のノリがそのままで、悪気があった訳ではない。でも事実、女の子の胸元を思いっきり触っていた罪は消えない。

「すっ、すみませんでしたっ」

急いで頭を下げる。殺気だった視線が若干和らぐ。

「本っ当、男の子って変わらないものね。鼎は覚えている? 幼稚園の卒園式で、私をお嫁さんにしてくれるって言って、いきなり公衆の面前でキスしたこと」



その一言で全てを思い出した。あれは僕の黒歴史。大好きだった桜ちゃんとの甘酸っぱい思い出。



桜ちゃんに「大きくなったら結婚しようね」とか言って、「予約だよ」とかキザな台詞を言いながらキスをした。次の瞬間、桜ちゃんの前歯がガリッとぶつかって、病院で唇を一針縫うことになったのは、今では良い思い出――なわけない。

僕も桜ちゃんも赤っ恥をかいた。



その女の子が目の前にいる。良い感じに育ったな――なんていう冗談は置いておいて。とても大人しかったあの桜ちゃんが、こんな高圧的な娘に成長するなんて……女の子って正直怖いなと感じてしまった。

「鼎のその表情だと、やっと思い出したって感じかな? あれ、私のファーストキスだったんだよ? 血まみれになったけれど」

「い、いや、ちゃんと覚えていましたよ?」

思い出したくも無かったけれど。



「嘘言うな。私は鼎を一目見て胸がときめいたのに、鼎ったらハトが豆鉄砲を食らったような変な顔しかしなかったじゃないの!」

「え? ときめいた?」

「――っ、嘘よ嘘。嘘、嘘、嘘、嘘、嘘っ!」

桜島さんが顔を逸らす。でも、その耳はピンクに染まっていた。

ここで普通の男子なら可愛いなとか嬉しいなとかプッシュしようかなとか感じるのだろうけれど、女性恐怖症が染みついた僕の思考回路は、大炎上して機能停止。



消火活動が間に合わず、何も言葉が出てこない。っていうか、手が震えてしまって、とても恥ずかしい。

「……ぅ~、鼎、今の会話全部忘れなさいよ?」

「……」

声が出ない。恥ずかしながら、緊張のあまり桜島さんに対して声が出なかった。



「私を、しかとするの? 良い度胸ね?」

「……」

ちなみに「しかと」という言葉は、花札の鹿がそっぽを向いている絵が語源となっている。――なんてどうでも良いことが頭に浮かぶ。恥ずかしさで顔が熱くなる。とても、桜島さんと目線を合わせられない。

「えぅ……ちょ、そ、そんな反応しないでよぉ……も、も、もしかして鼎、いや、でも、そんな――いきなり困るよ。私にも心の準備ってモノが――」



桜島さんが暴走して、うにゅうにゅと一人言を小さく言い出した。「結婚」だとか「子どもは三人欲しい」だとか「人間ATM」だとか危険な単語が聞こえた気がしたけれど、全部気のせいだろう。……うん、気のせいだということにしたい。



とりあえず、二人で暴走していても仕方が無いから、このままだともっと危険な単語を桜島さんが呟きそうだったから、焼き切れそうになっていた脳の思考回路を無理やり再起動する。

「あの、桜島さん。色々と話はあると思いますが、とりあえず全部横に置いておいて――まずは汚れた着物をどうにかしませんか? 急がないとシミになっちゃいますよ」



僕の言葉に、桜島さんがきょとんとした表情を浮かべる。そして自分の着物を見つめた。

「あ、確かにコレは不味いわ。レンタル着物だし、早く返しに行かなきゃ」

少し前までの、普通の桜島さんの声に戻っていた。それがちょっと残念な気がするのは、僕の勘違いだということにしておこう。



桜島さんがベンチから立ち上がった。これで桜島さんから解放される。ほっと一息ついた瞬間、がしっと肩を桜島さんにつかまれる。

「コーラを跳ばした責任をとってよ? 鼎は荷物持ちとしてついて来て」

嫌とは言わせない、そんな問答無用の雰囲気を桜島さんは発していた。コーラを振ったのは桜島さんでしょ? ――なんて、怖いから、とても言えなかった。



  ◇



レンタル着物を大学近くの貸衣装屋さんに返した後、私服姿のジーパン&桜色のフリルつきシャツ&カーキ色のジャケットに着替えた桜島さんとデートすることになった。……うん、夢じゃない。幸か不幸か夢じゃない。女性恐怖症で女の子耐性ゼロの僕が、美人で可愛くてそれなのに口調と性格が優しくない桜島さんとデート。しかも、現在進行形でかなり密着しているから……変な汗が頭と脇の下から出てきてしまう。



「ねぇ、さっきから無言だけれど、何をぼうっとしているの? 気を抜いて手を離したら、鼎、死ぬわよ?」

ヘルメット付属のマイク越しに聞こえる桜島さんの声。気を取り直して、桜島さんの背中に抱きつく腕に力を込める。バイクの二人乗りなんて初めてだから。

「桜島さんこそ安全運転でお願いします。さっきから、発進の時に、首が後ろに振られてしまって怖いんですけれど……」

「ん、分かった。もう少し丁寧に、クラッチ繋いで発進するよ」



桜島さんのバイクは、詳しい車名は忘れてしまったけれど、オフロードというタイプのバイクらしい。凸凹のタイヤが付いていて、田んぼのあぜ道や未舗装の林道なんかも走ることが出来ると得意げに桜島さんは話していた。

桜島さんの趣味は魚釣り。高校一年生でバイクの免許を取って以来、ほぼ毎週のように鹿児島県内を釣り歩いたと言っていた。



「さてと、目的地に着いたわよ♪」

桜島さんがバイクを止めたのは熱帯魚ショップ。桜島さんの名刺で見た店名と同じ看板が掛っている。グリーンファンタジスト与次郎店。入学式よりも前に、どこかで聞き覚えがあるような気がするけれど、多分、気のせいだろう。思い出せないから。

「ここ、熱帯魚カフェも併設されているから――中に入りましょ?」



  ◇



「「「桜島ちゃんが男の子連れて来た~♪」」」

店内に入るなり、三人のお姉さま方の嬉しそうな声が重なった。

その視線を余裕の笑顔でかわしながら、桜島さんがカフェコーナーに入り、メニューを僕に渡してくる。



「とりあえず、何か飲みながら話しましょ?」

「桜島さん、このお店で働いているんでしたよね? 名刺にも確か『生体担当』って書いてあった気がしますし」

「うん。中学生の頃からの常連なの。で、高校の推薦入試が終わった後から、アルバイトしているんだ」

「そうなんですか。あれ? 高校ってアルバイトしても良い高校だったんですね」

「定時制高校だったから、バイトもバイク通学もOKだったんだよ」

「定時制高校って何ですか?」

「知らないの? お昼から夜まで授業がある高校よ。ほら、不登校の子とか、社会人とか、朝起きられないヤンキーさんが、よく通っている高校。――まぁ、私の場合は普通自動二輪の免許が取りたかったから、定時制高校に決めたんだけれどね」



「バイクの免許は、やっぱり趣味の釣りに行くためですか?」

「そうよ。ヤマメ釣りに宮崎県の椎葉村に旅行に行ったり、奄美大島一周旅行をしたりもしたんだから♪」

「あ、奄美大島、僕の実家があります。笠利の町の中なんですけれど、海も山も近くにあって、小さい頃はよく自然遊びしていました」

「ん? その言い方だと鼎は、大人になってからは奄美で遊んでいなかったの?」



「えっと、中高一貫の全寮制の男子高校に入っていたので、正月や長期休み期間くらいしか実家に帰れなくて。でも――」

「そっか。鼎は小さい頃はカブトムシとか金魚とか好きだったけれど、今は、そう言うのは卒業しちゃったんだ。幼稚園で一緒に金魚の水換え当番したの覚えている? って、覚えていないよね~」



「えっと、金魚の水換え当番は忘れましたけれど、生き物の飼育は卒業していないですよ? 今は熱帯魚をメインにオオクワガタとかアルビノアマガエルとか飼育していますから。それに、中学と高校の生物部でフィールドには何度も出かけるくらい、生き物好きなのは変わっていません」

「まじで!? アルビノアマガエル飼っているの?」

桜島さんの目が輝いた。



「私さぁ、熱帯魚を飼っているんだけれど、カエルの飼育もしてみたいの。でも、鳴き声とか餌用コオロギの確保スペースの関係で家族に反対されていて……鼎、良いなぁ~」

「カエルの飼育、アマガエルとかベルツノガエルとか、種類によっては簡単ですよ? メス個体は鳴きませんし、餌も冷凍赤虫を解凍したモノやカエル専用餌にサプリメントを添加したもので終生飼育が可能ですから。夏場の高温にさえ気をつけてあげれば、飼育自体は難しいことじゃありませんよ?」



「それって本当? 私でも、カエル飼えるのかな?」

「今、言っていた『鳴き声』と『餌の確保』についてはクリアですよね? あとは、ご家族と相談してみて下さい」

「うわぁ~、ありがと♪ 鼎、使えるじゃんっ!」

ちょっと上から目線だったけれど、桜島さんの嬉しそうな笑顔の前では気にならない。ほんわかとした空気が流れているところに、一人の女性が近付いてきた。



「こ~んにちは♪」

三〇歳くらいの黒いエプロンをつけた美人さん。その人に桜島さんが反応する。

「あっ、指宿店長、お疲れ様です」「こんにちは」

僕らの挨拶に、指宿店長と呼ばれた女性が微笑みを返してくれた。

「今日は大学の入学式だったんだってね? 桜島ちゃんが早速、彼氏をゲットしてきたって聞いたから、急いで来ちゃった♪」



「コレは彼氏なんかじゃないです。ただの幼馴染み――いや、十数年ぶりに再開した、幼稚園の同級生です」

「え~、もったいない。青春は短いんだぞ~。で、彼氏候補君は熱帯魚好きな人?」

「あ、はいっ、ポリプテルス・デルヘッジとアジアアロワナを中心に、色々と熱帯魚を飼っています」

「お~、大学生でポリプとアジアアロワナとは小生意気だなぁ♪」

「あはは……アロワナは中学生の時にお年玉を二年分つぎ込んで買いました。学校が中高一貫の寮生活だったので、今はまだ高校の生物室で預かってもらっているんですが、来週明けに郵送してもらう予定なんです」

「うんうん、それは良い心がけ&楽しみだね~。ちなみに、今住んでいる場所は大型水槽が置けるお家なの? 一人暮らし?」



「えっと、一人暮らしです。なので、好きなだけ水槽が置けるマンションを選びました」

「お~、良いねぇ。私も若い時は似たようなことしたなぁ。そうそう、君達の大学に、熱帯魚好きな男の子が一人入っているから、探してみなよ。確か名前は『大明丘鼎』って子だったかな? 私が結婚する前に暮らしていたマンションを、知人の紹介で貸すことにしてあげたから♪」

「あ、それ、僕です」

僕の言葉に、一瞬だけ指宿店長が驚いたような表情を浮かべる。



「おおっ、そうなんだ♪ え~、じゃ、何? うちのスタッフが四日前に水回りのセッティングに行った部屋の子? 女の子に対する免疫が無いくせして、ちゃっかり巨乳が大好きな♪」

巨乳好きという言葉に思わず苦笑いを返していた。気が付くと、桜島さんの蔑むような視線。指宿店長が愉快そうに笑う。



「ねぇ、私が昔使っていた、かなり気合の入った飼育部屋、今はどんなんなっているんだっけ?」

指宿店長が色々と思い出すような仕草をして言葉を続ける。

「えっと、確かタイマーで自動給排水だったよね。一八〇センチ水槽が一本に一二〇センチ水槽が四本、四五センチ水槽や三〇センチ水槽は大量に壁面を埋め尽くしている。でも、それプラス、前の住人が何か改造していたんじゃない?」

「はい、クワガタ飼育用のプラケースが増えていました。あとは両生類飼育用のケージも何個か置いてありました」



「いいねぇ、鼎君も好きに使って頂戴な♪」

「ありがとうございます。本当にご好意が無ければ借りられなかったので、僕は運が良かったです」

「いやいや、私も生き物が本当に好きな子に住んで欲しかったから嬉しいよ。ちなみに、ここにいる桜島ちゃんも筋金入りのお魚マニアだから、一緒にいると楽しいと思うよ♪ そうだ、桜島ちゃん、一度彼氏候補さんの家に遊びに行ってごらんよ? 絶対に燃えるからさ♪」



「鼎の部屋にですか? ……」



桜島さんが何かを考えるような仕草をする。そして、じろりと僕を睨んできた。それに気付いた指宿店長が苦笑する。

「あ~、桜島ちゃん、年頃の女の子は貞操に気をつけてね。部屋に上がって『何か』あったら裁判で負けちゃうらしいぞ♪」

「ちょ、僕は、変なことはしませんよ!」

指宿店長が言葉を続ける。かなり悪戯っぽい表情で。

「男の子って、みんな、そう言うよね~」



  ◇



指宿店長も交えて三〇分ほど話をした後、僕の家に向かうことになった。

最初は警戒していた様子の桜島さんだったけれど――飼育部屋のドアを開けた瞬間に、子どもみたいにはしゃぎ始めた。



「凄い、凄いっ! これ図鑑の中の世界じゃない。お店の喫茶スペースで話を聞いて想像していたけれど、それ以上よ!」

桜島さんの言葉は止まらない。

「あれ? でも、九割方の水槽が、水しか入っていないけれど……どうしたの? この一二〇センチ水槽も、二本とも空だし」

「まだ実家や高校から魚が届いていない状態なので、入れる魚がいないんですよ」

「そうなんだ? 魚が届いたら、全部の水槽が埋まるのね♪ そしたら、自宅水族館が出来るのね~」



キラキラと瞳を輝かせている桜島さんに言葉をかける。

「あ、いえ、期待に水を差すようで悪いのですが――流石に全部の魚を持ってきても、埋まるのは五分の一くらいだと思います。そんなに数は多くないので」

「え~、じゃぁ、残り五分の四はどうするの?」

「当面は、水だけ回しておこうかなと思っています。いきなり魚を増やすお金も、管理する時間も、僕にはありませんから」

「……もったいない。絶対、絶対、もったいないよ!」

不服そうな桜島さん。でも、生き物は無理して飼育するものではない。

僕の考えていることが伝わったのか、桜島さんがうんうんと首を大きく縦に振った。そして言葉を発する。



「決めたよ、私、この部屋、半分もらうっ!」



「ええっ、半分もらうって――」

桜島さんは何を言っているのだろう? 唐突な提案に思考回路が停止しそうになった。

「だって、まだ何を飼育するのか決まっていないんでしょ? エアコンも付いているのに、水槽を空にしたまま水だけ入れておくなんて勿体無いよ。高級熱帯魚のブリードしよ? エアコン付きなら紅白エビの夏季ブリードや両生類の飼育も可能よね? インターネットオークションとか通販とかしてみようよ? そうしたら、個人事業主ということで、家賃や水道光熱費の大部分を経費に計上できるわ。節税にもなるし、私もここの家賃と水道光熱費の二割払ってあげるから、私にこの部屋の水槽の半分を使わせなさい♪」



最後の方、さらりと命令形だったような気がしたけれど、それよりも重大なことに心がぐらりと揺れた。頭の中で計算する。家賃と水道光熱費の二割を払ってもらえる……その分アルバイトが減らせるし、悪くない数字だった。



「了解しました。半分、使っても良いですよ。でも、水槽の基礎管理は自分でして下さいね?」

「もちろんよ♪ 自分で飼育する生き物は、自分で管理するのが飼育者の基本。それにしても、夢が広がるわ。カエルも飼えるしぃ~♪」

ご機嫌な様子の桜島さんを見て、なんだか僕の方も嬉しくなった。熱帯魚好きな友達が、出来たのだから。

――ん? あれ? 桜島さんが、僕の方を見て右手を差し出している。

「桜島さん、どうかしました?」

僕の言葉に、桜島さんが右手を軽く上下させる。



「ん」



「ん、じゃ分からないです」

桜島さんが小さくため息をつく。そしてゆっくりを言葉を発した。

「……私に渡すモノがあるでしょ?」



「え?」



「ぃかぎ……部屋の合鍵、渡しなさいよ?」

ぶっきらぼうに言葉を口にした桜島さん。でも、みるみるうちにその顔が赤く染まっていく。



くやしいかな、顔をそむけて左手で顔を隠しながら、右手だけ差し出している桜島さんが、とても可愛く見えてしまった。



(『第2話_双頭アカハライモリの作り方』につづく)

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