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ワールド・エクステンダー  作者: 先々 まこと
リバーサライズ編
2/2

Act.2

 その日の放課後は、生徒会による各部活動の視察が行われていた。

 光心学園には一般的なものから魔導に関わるものまで、同好会を合わせると五十以上に上ると言われている。流石に生徒会役員だけで一つ一つを見て回るのは時間が掛かる為、数日に分けての視察となっていた。

 生徒会長である鴻上翔星は、副会長である皆森十和を伴って技術棟を見て回る。

 此処は主に文化部の活動拠点であり、つい先程も一つの部を視察していた。その一つである漫画創作部は在籍する人数こそ最低限なものの、皆が皆、机に向かって熱心に漫画を描いている様子からやる気が伺えた。何でも夏のイベントの為に、今の内から色々と準備が必要だという。


「十和、次はどの部になっている?」

「演劇部だね。演者班と大道具班が分かれてるみたいだけど、どっちに行く?」

「恐らく大道具班は工作室だろう。同じ技術棟だ。そちらを経由してから、演者班の居る多目的ホールに向かえばいい」


 翔星の問いに、十和は的確に言葉を返す。言葉のリズムに少々の違いはあれど、二人にとって気に掛けるものなど無い。幼い頃より互いを知っている為、翔星は十和を急かす事は無く、十和も翔星に対して無理にハキハキと話すつもりも無い。

 そもそも、相手に合わせるといった他人行儀な間柄でもなかった。

 その親しさや優れた容姿により、校内では二人が付き合っているのではという噂が絶えない。無論、本人達にその気は無いと度々伝えているが、隣り合う二人の姿が非常にマッチしている為、あまり信じられていないようだ。信じているのは、二人に想いを寄せている不特定の生徒達だけである。


「そういえば、今日も保健室に行ったらしいな」

「あ、うん。ちょっとね……」

「今年度から随分増えたな。以前までは、そこまで世話になる場所でもなかった筈だが……」


 隣を歩く十和に目を向ける。

 今日も彼女は保健室を利用していた。それまでは行く事など稀だった筈が、今学期に入ってから既に数度だ。幼馴染である翔星としても気にならない筈が無かった。


「最近、少し寝付きが悪いだけだから。そんな深刻なものじゃないよ」

「……」

「翔くん、私は大丈夫だから」


 翔星が自分を心配しているのは、十和はよく分かっている。だから彼に、ふわりと柔らかな笑みを浮かべる。大丈夫だから心配しないでと、想いを込めて。数秒間、互いを見詰め合う形になるが、折れたのは翔星の方だった。


「……はぁ、分かった。だが何かあれば、すぐに――」


 しかし、彼の言葉はそこで途切れた。


「これは風属性、探知(サーチ)タイプか」


 虚空を見詰めながら呟く翔星に、十和も頷いて同意する。

 二人が今感じ取ったものは、何処かで魔導による広域探知を行っているという事実だった。しかもその探知は精緻なもので、生徒の中でも魔力に対して特に鋭敏な感覚を持つ二人でなければ、そう簡単に気付けるものではなかった。


「誰かを探しているのかな?」

「探知ならば、そうなのだろうが……。だが、校内での魔導の使用は推奨されていない」


 肌で感じる魔力は、恐らく武道会館の方から流れて来ている。それに気付いた二人は、すぐさまその場所を目指して歩を進めた。

 どのような意図による行動かは分からないが、校内での不必要な魔導は控えるようにとの規則がある。


「工作室は後に回す。まずは会館の方へ行くぞ」


 まずは現場に向かい、術者に真意を問う。光心学園の生徒会長として、みだりに規律を乱す生徒を見逃す事は出来ない。

 それが鴻上翔星に与えられ、自ら背負うと決めた立場の在り方だった。





1


「翔星、十和、お前等どうして……」

「そんな事はどうでもいい。俺は今、この状況の説明を求めている」


 突然現れた二人の姿を見付けた一真は、その思わぬ登場に狼狽えていた。先の戦闘時の態度とは裏腹に、気勢を削がれた彼に覇気は見当たらない。それ程までに、二人の登場が予想外だったのだろう。

 対する銀髪の少年、鴻上翔星は堂々と向き合っている。切れ長の瞳は真っ直ぐ一真を捉え、彼を問い詰めていた。この状況に対する疑問の全てを……。


「いや、その、アレだ……コイツが十和に相応しいかってのを」


 妙な居心地の悪さを感じながら言葉を紡ぐ一真。歯切れまで悪くなったその答えを聞き、翔星は「またか……」と片手で額を押さえた。

 その様子を見るに、このような事は今に始まったものではないらしい。呼び出しやステージといった準備の良さは、その辺りの事情によるものなのだろう。

 そして当の十和は、一真と共にステージに立っている双人に走り寄っていた。申し訳無さを滲ませる表情は、双人が今朝見たものにそっくりだった。


「瑞代くん、大丈夫?」

「一応は……」


 一真同様、双人も突然の登場に驚いていた。傍らに立った十和は、彼の答えを聞くなり、更に表情を沈ませる。


「ゴメンね、(かず)くんが変な事に巻き込んじゃって」


 一人で勝手に実行したのは一真だが、結果的には原因は自分である。無関係の双人を巻き込んで、下手すれば怪我に繋がる状況に立たせてしまった。その事が心苦しいのだろう。

 自責の念が彼女の胸を締め付けていた。目立った外傷が見られない為、きっと加減はして貰えたのだろうが、それとこれとは別問題である。


「一くん、こういう事は止めてって言ってるでしょ」

「いや、でもな、瑞代がお前に」

「それを止めてって言ってるの。それと、瑞代くんとはそんな関係じゃないし、これからもそれは変わらないよ」


 顔には複雑な色を浮かべているが、決して声色や語気を荒げず、一真の行為を責めるのではなく諫めていた。幼馴染の勝手な行動に困りながらも、怒りに身を任せず相手に言い聞かせる。その姿は、心根の穏やかな十和らしいものだった。

 だがその顔を見ている双人は、ふと、本当にこれで良いのかと疑問を感じた。

 脳裏に浮かぶ、初めて見た十和の笑顔。とても柔らかく、包み込む優しさに溢れたそれを、素敵な笑顔だと思った。

 故に今、目の前で陰りを見せる彼女を放ってはおけなかった。半ば衝動的なものだが、これが自分の本心なのだと疑わずに……。


「本当に大丈夫ですよ、皆森先輩。ほら、怪我だってしてませんから」


 躊躇う余地も無く、双人はその感情を受け入れた。何でもない顔をしながら、気楽に十和に話し掛ける。ついでに自分の全身を見回す仕草で、怪我も問題も何一つ無いとアピールする事も忘れない。


「瑞代くん、そういう問題じゃ……」

「そういう問題ですよ。だから、先輩は責任を感じる必要なんてありません」


 眉をひそめて見詰める彼女に、双人はあくまで平静な態度で続ける。少しばかり戦闘(いざこざ)はあったものの、それはもう終わった事で、結果的には無事に済んでいる。何より巻き込まれた本人がそれを許容しているのであれば、これ以上のやり取りは不要だ。

 そうして双人は、十和の自責を少しずつ取り除いていこうとする。


「――って、血が出てるよ瑞代くん!」

「へっ? ……あっ」


 だが、世の中そう上手くいくものではなかった。

 左手の甲にいつの間にか出来ていた擦り傷から、血が滲んでいたのだ。彼自身、十和に指摘されるまで全く気付かなかったそれは、徐々に徐々に血溜まりを作り、真っ赤に染めていく。


「こ、これはですね、ちょっと転んだ拍子というか、そんな感じで……! 決して新堂先輩が悪い訳じゃなくてですね!」


 恐らくステージを転がった拍子で付いた傷なのだろうが、それの所為で得意げに行ったアピールが完全に台無しになった。慌てて弁明するが、苦しい言い訳にしか聞こえないと冷や汗を掻く双人。


「それに新堂先輩は、皆森先輩の為にと行動しただけで、ですから……!」


 他人に迷惑を掛ける行為でも、そこには一人の少女を想う大切なものがあったのだと。

 それを単なる迷惑行為と断じ、否定する事だけは止めて欲しい。迷惑を被った側の立場だが、それだけはきちんと伝えたかった。

 傍から見れば非常に滑稽な姿だろう。しかし、あたふたと必死に弁明する双人を見ている内に、十和の表情が少しずつ和らいでいった。


「……もう、分かったから」


 くすりと、とても小さな笑みを零しながら十和は呟く。


「取り敢えず保健室に行こう。その怪我だけでも手当てしないと」

「いえ、この位なら必要無いですって」

「駄目だよ。ちゃんと処置しないと化膿しちゃうんだから」


 そう言うと十和は、出入り口の鉄扉を指差して促した。楽観する双人の言葉はやんわりと退けられ、二人は演習室から出て行く。

 この場の一部始終を黙して観察していた響祈も、その後に続いた。

 必然、この場に残ったのは一真と翔星だけとなる。


「それで、お前から見て、彼はどうだったんだ?」

「んだよ翔星、あぁ言ってた割には気になってんじゃねーか」

「十和の事は関係無い。俺は純粋に、今の一年生の実力が知りたいだけだ」


 一真の茶化すような態度に素っ気無く返し、翔星は言葉を続けた。

 生徒会長とはいえ、彼が知り得るものには限界がある。巻き込まれた双人には同情を禁じえないが、同時に、翔星にとっては今の一年を知る良い機会でもあった。

 一人だけでは基準にはならないが、判断材料の一つにはなり得るのだから。


「瑞代についてか……。正直に言っちまうと、普通って感じだな」

「特に秀でている点は無い、という事か?」


 先程の戦闘を脳裏で思い返しながら、一真はその内容を一つずつ洗い出していく。

 見た限りだが、才能面で突出したものはあまり見受けられなかった。何となく気になったのは幻属性の魔導だが、それも自分に対して有効に働いたかと問われれば、簡単には頷けない。

 もし挙げるとするなら、正確な虚像生成に必要なイメージング。そして、生成した戦輪を巧みに操作する術だろう。


「イメージングや制御能力はかなり良いと思うぜ。その代わり、出力面が足を引っ張ってたけどな……」

「なるほど。パワーよりもテクニック寄り、といった所か」

「あぁ。だが最も気になったのは、魔導そのものよりも、アイツの戦闘スタイルだ」


 あの戦闘で、双人は一度たりとも先手を打たなかった。常に後手に回り、罠を張り、それを解放するタイミングを計っていた。中々に嫌らしい戦術だが、誰にでも出来るものではない。

 何故ならそれは、前提として相手の攻撃を的確に処理出来るからこそ成り立つもの。つまり、瑞代双人は……


反応迎撃型(リアクト・カウンター)。あらゆる攻撃に対し、有効な対処と反撃を瞬時に考え、行えるタイプだ」


 それは一歩間違えれば、相手に攻撃の機会を与え続ける愚行だ。しかし双人は、一真の攻撃に対して適切な防御や回避を行い、危機を脱していた。


「あれで出力が伴っていれば、もっとおもしれぇ勝負が出来たと思うぜ。勿論、勝つのは俺だけどな」


 パワー、そして経験不足が祟り、一真に一方的に押し込まれる形となったが、もし同程度の相手ならば問題無く機能しただろう。

 瑞代双人はそれだけの対応力、そして反応速度を持ち得ている。良い目をしている。そう口にした一真の意見に、翔星も同意した。


「不意打ちのつもりで撃った俺の魔導も、対処は出来ていたようだからな」

「つっても、本命は一発だけだろ。他はワザと外していたくせに」

「それなりの威力に調節した上での注意喚起だ。昏倒させる訳にはいかない」


 あのステージを打ち砕いた光の槍は、翔星による光属性閃光(シャイン)タイプの魔導だった。元々は二人を止める為に放った魔導だったが、無意味な闘争に対して灸を据える意味で、彼は手心を加えながらも直撃を選択した。

 だが結果は、両者共に健在。


「不意打ちに対して即座に判断し、周囲に設置していた虚像全てを防御に回す。確かに咄嗟の判断力に秀でていると言っていい」

「アイツまだ隠してたのかよ……」


 戦闘中、何度も一真を襲い掛かった虚像の歯車。両の指では足りない程の数を使用して尚、翔星の一撃を防ぎ切る数を残していたとは……。

 出力が低く、一度に生成出来る数が少ないが故の工夫なのだろう。弱点を補う術も完備している。中々(したた)かなヤツだと、一真は思った。


「纏めると、魔導に派手さは無いが見所はあるヤツだって所だ。戦闘に慣れていないくせに土壇場で妨害タイプを使うなんざ、肝も据わってやがるしな」

「そうか……」


 まるで新しい玩具を見付けた子供の顔だと、翔星は隣の幼馴染を観察する。玩具と言っても、恐らくは自分にとって良い訓練相手が出来たという認識だろう。

 学園内で幻属性を持つ生徒は全体のおよそ一%程度。更にその性質上、戦闘に向いていないとなると、こうして手合わせする機会すら稀だ。

 魔闘部エースである一真にとって、今回の出会いは降って湧いた幸運と言っていい。


「あまり苛めてやるなよ?」

「んな事はしねーよ。俺だって相手の意志は尊重するぜ」

「この状況を引き起こしておいて、どの口がそれを言う」


 懐深くに切り込んだ翔星の発言も、一真は全く意に介さない。


「専用の魔導器無しで、こんな使い辛い木刀でやったんだぜ? 充分良心的だろ?」

「それ以前の問題だがな」


 そもそもの話として、手加減どうこうの問題ではない事を一真は全く理解していなかった。その姿に翔星は、底知れない不安を抱く。

 そもそもコイツは、当初の目的を忘れているのではないだろうか。いや、そうに違いない。

 自身の至った結論に、翔星は思わず溜息を吐いてしまった。


「兎に角、さっさと後片付けをしろ」

「つかお前も壊したんだから手伝えよ」

「バリアの強度を弱設定のままにしたお前が悪い」

「ったく、しゃあねーな」


 ぶつぶつ愚痴りながら、傷だらけ穴だらけとなったステージの片付けを始める。

 とは言え、それ自体は非常に簡単な作業である。あらかじめステージに設定された空間タイプの魔導を起動する事で、空間記憶を基に本来の形へ自動再生させる。たったそれだけだ。

 その背中を見ながら、翔星は胸中で祈る。願わくば、瑞代双人の学生生活の平穏が、この男によって乱されぬ事を。

 生徒会長として、そう祈らずにはいられなかった。






2


 演習室、そして武道会館から抜けた三人は、教室棟にある保健室へ向かっていた。

 双人がステージに上がってから黙り続けていた響祈も、今は既に普段通りの様子で双人の隣を歩く。


「尾羽利、一つ聞くが、お前は新堂先輩の事は勿論知ってたよな?」

「当たり前じゃん。ランク・グリーンのバトルマニア筆頭だから、かなり目立つ人だもん」

「それじゃ、今回の事も……」

「勿論、予測してたよ」


 響祈の邪気の無い答えに、あぁやっぱりと肩を落とす双人。

 一真の行動は今回限りのものではないと言っていた。ならば、情報収集家にして噂好きの彼が、それを知らない筈が無い。きっと十和と一真が幼馴染の関係である事も知っていたのだろう。

 あの時浮かべた笑みは、予知ではなく確信の類だったようだ。


「本当にごめんね」

「いいんです。あまり経験したい事じゃないですけど、俺自身を見詰め直す良い機会でしたし」


 何度目かの十和の謝罪をすかさず止める。彼女に非が無い事は充分に理解している為、双人としてもこれ以上の謝罪は望んでいない。

 困り顔より笑顔が良い。自分が関わっている事なら尚更だった。


「見詰め直すって?」

「今の自分に、どれだけの事が出来るのか知りたかったんです」


 彼女の問いに、双人は静かに答えた。まるで自分に言い聞かせるような、そんな音色を感じさせる。

 自分の魔導について、それなりに把握しているつもりだった。だが一真との魔導戦闘を通して、改めて魔導師としての地力を実感した。要は、自分の非力さをまざまざと見せ付けられたという事だ。


「分かってたけど、やっぱり俺じゃ無理だよな」

「そうかなぁ? ギリギリだけど、先輩に喰らい付けたでしょ」

「そんな訳あるか。どう考えても手を抜いてたぞ、片手しか使ってなかったし」


 鮮明に思い出せる先程の戦闘。

 その最中、一真は一度たりとも木刀を両手で握らなかった。常に片手で振るい、双人の魔導を片っ端から弾いて砕いた。

 更に相手はランク・グリーンにして魔闘部のエース。それを鑑みれば、手を抜いていたと考えるのが自然である。


「まぁ、そうだよねー。ボクがあの場に居なかったら、確実に双人はステージに沈んでたんだし」

「お前は何もやってないだろ」

「そんな訳ないでしょ? 会長達を呼んだのはボクなんだから」

「もしかして、あの時の探知は尾羽利くんが?」


 演習室から放たれた探知魔導の使用者、響祈は十和の疑問にピースサインで応える。


「そういえば、尾羽利は探知と加速(アクセル)の風属性二タイプだったな」

「つまり、双人を救ったのはボクって事だよね?」

「そうなるのか。ありがとな、尾羽利」

「ふっふっふっ、存分に敬いたまえー!」

「調子に乗んなっての」


 胸を張って偉ぶる響祈に、コツンと添えるように頭を叩く双人。何気無い会話の応酬、その中に窺える二人の仲を感じ取り、十和は微笑んだ。


「仲が良いんだね」

「そうですね。小学校から一緒ですから」

「もう十年目になるんだねー。ボク達の付き合いも」


 記憶を辿りながら話を続ける双人と響祈。小学一年生の頃に出会い、友達になり、気付けばそれだけの歳月が経っていた。憶えている限りでは、クラスも全て一緒だった。

 そんな運命染みた縁に繋がった二人に、十和は近しいものを感じていた。

 彼女もまた、翔星や一真という幼馴染が居る。この二人程ではないが、それでも長い時間を共に過ごしてきた。

 だからだろう、彼等に親近感を覚えたのは……。


「着いたよ、此処が保健室」


 終始和やかな雰囲気のままに保健室へ辿り着いた。ノックの後、失礼しますと告げて入る十和。それに倣い、続けて入室する双人と響祈。

 教室とほぼ同じ位の一室。前半分には一目で分かる薬品棚と本棚、他にも身長計や体重計、壁には視力検査表が貼られており、奥に保険医用のデスクが鎮座している。後ろ半分は、保健室の象徴とも言えるカーテンに区切られた白いベッドが並んでいた。

 保険医の姿は見えない。しかし鍵が掛かっておらず、不在の札も無い所から、恐らく少しだけ離れているだけだろうと三人は解釈した。


「取り敢えず、私が手当てするね」

「あっ、はい。お願いします」

「それじゃ、そこの水道で傷口をよく洗って」


 十和の指示に従い、室内の水道で左手の傷口を洗い流す。流れる水が、手の甲で滲んでいた血液を流していく。残ったのは摩擦によって皮膚が剥けた痕。いつの間にか血は止まっていたらしい。


「洗い流したら、こっちに来てね」


 言われた通りに彼女の元へ行くと、その手には――――ラップ。


「ラップ?」

「うん。湿潤療法って言ってね、こういう傷には簡単で効果的なんだよ」


 そう言うと十和は、双人の傷口に一回り大きいラップを当て、包帯で固定し始める。急に手と手が触れ合い、双人は少々顔を赤らめている。

 唯の治療行為なのだが、女子に手当てをして貰っている事実や、彼女の手の温かさに気が向いて、どうしても意識してしまう。


「双人、どうしたのかなー?」

「な、何でもない……」


 十和の方は至って平静である為、その差異は余計に分かり易い。それは見学していた響祈が、思わず笑みを零してしまう程だ。

 もし相手がウルリカであれば、意識しない事はあり得ないが、此処までの変化もまた無いだろう。

 友人でない異性の先輩、双人の初々しい反応はその認識によるものだった。


「はい、これで終わりだよ。ラップは一日一回、傷口が上皮化するまで取り替えてね」

「消毒とかしないで大丈夫ですか?」

「消毒液って、免疫細胞とか上皮細胞まで巻き込んじゃうから、逆に治りが悪くなるんだよ」

「そうだったんですか」


 その説明になるほどと納得し、救急箱を棚に戻している十和を見る。

 知識に基づいた処置は的確で、まるで無駄が無い。物の配置にも理解が及んでいる辺り、保健室に慣れているのだろうと推測出来た。


「丁寧で的確な手当て。流石、校内一の治癒(ヒール)使い」

「大袈裟だよ。私なんて、治癒しか出来ないだけの魔導師だから」

「だけって……。それでランク・レッドなんですから、充分凄いですよ」


 謙遜する十和に、あくまで彼女を称賛する二人。

 光心学園に在籍する五人のランク・レッドは、類稀なる魔導の才と、それぞれ特化した分野における能力がずば抜けていると言われている。

 十和は、その中で水属性治癒タイプ、つまり癒しの力に特化した魔導師だった。


「あ、瑞代くん。これに記入して貰っていい?」


 ふと思い出したように、一冊のノートを双人に手渡す。B5サイズの、至って普通の大学ノートだ。


「保健室を使った人は書く決まりになってるの。今日の日付と時間、名前と怪我、それと使った備品を書いてね」

「分かりました」

 

 十和の言う通りに必要事項を記述していく。

 その時ふと、同じページに書かれた内容が目に入った。一つ上は今日の四時間目に書かれたもので、切り傷の処置に絆創膏を使ったというもの。

 そしてその上にあるもう一つは、朝のホームルーム前までの時間にベッドを借りたという記述だった。その利用者は――――皆森十和。


「んっ……?」


 声にならない程の小さな声が漏れる。

 朝、自分は彼女と会っていた。ベッドを借りたという事は、体調が思わしくないという事が考えられる。

 だが昇降口で別れるまで、双人の目には特に問題があるようには見えなかった。その後に何かあったのだろうかと、脳内で疑問が過ぎる。

 双人はちらりと十和を見遣った。今の彼女の様子は至って普通で、顔色も良く健康体としか思えない。少し気に掛かった双人だが、流石に唯の後輩が尋ねるにはプライベートに関わる事柄である。その為、頭の片隅に残すだけに留めた。


「でもそれだけの魔導を持ってても、こういう地味な手当てもやるんですね」

「治癒は体に負担を強いるから、寧ろコッチの方が重要なんだよ」


 響祈の疑問に、十和が丁寧に答える。

 彼女の持つ水属性、治癒の力はとても便利なものだが、決してノーリスクなものではない。魔導による治癒は、体の再生機能を通常の何倍にも活性化させる。

 だがそれは一種の強制効果であり、同時に肉体に負担を掛ける行為でもあった。


「怪我をしている人の状態を鑑みて、魔導による回復と手当ての配分を見極める。それが、治癒を使う魔導師の常識だから」

「ふーん。体を治す魔導そのものが体に負担を強いるなんて、変な話だなー」


 思ったままを口にした響祈だが、その言葉はある意味では当然と言える。

 しかしそれに、双人は異を以ってを返した。


「病気を治す薬にも、副作用って弊害は出る。『薬も魔導も毒物と紙一重』ってやつだな。最近の研究では、過度の治癒は身体機能の劣化に繋がるって結果も出てる」


 魔導によって再生機能を引き上げる効果は、過度に使用すれば機能そのものに障害を起こす可能性がある。双人の言うように、薬と同じく過剰な使用は毒と同等なのだ。


「へぇ、よく知ってるね。瑞代くん」


 その語る内容に、十和が感心を示した。

 彼の口にした心得は実際に医療業界で浸透しており、即効性のある治癒による治療ばかりを望む患者に対する、一種の抑止の言葉でもある。

 だが十和が感心したのは、その次の研究結果の方だ。

 何年にも及ぶ魔導研究によるもので、結果が出たのはつい最近。医療方面の知識がある十和は知っていたが、一般には知られていないものである。


「昨日、魔導についてネットで調べていたんですけど、その時に偶々見付けて」

「魔導についてって……。もしかして、通り魔破壊を調べる為に?」


 響祈の疑問に頷く双人。流石に教科書を眺めているだけではヒントを得られないと思った彼は、ネットを通して様々な情報を閲覧していた。事件当時のウェブ情報や、魔導研究に類する記述。先の研究結果も、その時に見付けたものだ。


「通り魔破壊って、この辺りで起きてる事件だよね? どうして瑞代くんが?」


 唯の学生である双人が、どうして事件について調べているのか。市内で起きている事件とは言え、警察ではない以上、彼には関係無い筈だ。

 その十和の最もな疑問に、双人は数瞬だけ考えた素振りを見せる。


「別に大した意味は無いですよ。何となく気になっただけですから」


 だが、すぐにそう答えた。そもそも言い淀む理由でも無いのだからと、自分の本心を包み隠さず伝える。

 すると響祈が、何かを思い出したように言葉を続けた。


「そういえば、あの事件の捜査に生徒会が協力するって本当ですか?」

「お、尾羽利くん……どうしてそれを?」

「ふっふっふっ、ボクの情報網を甘く見ないで欲しいですね」


 穏やかな表情から一変、驚きを見せる十和に、調子付いた響祈はまたも偉ぶりだした。

 その様子に視線を向けながら、双人は手で口元を押さえながら思考する。生徒会が事件捜査に協力する。副会長である十和の反応から、それが真実であると理解は出来た。

 恐らく昨日の彼が言った一番の情報とは、警察の動きだけでなく、これの事も含まれていたのだろう。

 だが何故、生徒会が協力するのだろうか……。


「ボク達、光心学園の生徒が事件に加担していると睨んだ警察側。それに対して理事長は、学園の代表を捜査に協力させる事で、その身の潔白を証明すると提案したんですよね?」

「そこまで知ってるんだ……」

「それってつまり、皆森先輩も捜査に協力するって事ですか?」

「ううん。警察の了承を得てると言っても、夜間の活動になるから、女子は不参加って事になってるの」


 それを聞いて双人はホッと胸を撫で下ろした。いくらランク・レッドでも十和は女子高生。夜間の捜査に参加させられると聞かされては、人としてのモラルや男としてのプライドが許さない。それが、身の程を弁えないものであってもだ。


「会長の翔くんと書記の土門(つちかど)先輩、後は翔くんが一人連れてくるって言ってたよ」

「その三人が、警察に協力するって事か……」

「不足している捜査員の代わりなのかもね」

「もう一人は多分、一くんを連れていくんじゃないかな。正義感が強いから、本人も喜んでやりそうだし」


 確かに直情的な彼ならば、自ら進んで首を突っ込むだろう。演習室の一件で一真の人となりを知った二人は、彼女の言葉にもれなく同意した。

 何より相手は魔導犯罪者である。犯人と戦闘になる可能性は決して低くない。その点でも、魔闘部のエースである彼が適任と言える。


「瑞代くん。そんな訳だから、興味本位で出歩いちゃ駄目だよ?」

「いやだから、気になっただけですから。夜に出歩いてまで調べませんって」


 先輩として、そして副会長として双人を注意しているのだろう。だが彼女の気質によるものか、その姿と声色は子供に言い聞かせる母親のようだった。

 そんな事を考えながら、双人は事件の今後の成り行きを思う。未だ何も分かっていないが、せめて誰も傷付かない内に、悲しまない内に、何事も無く終わって欲しいと……。






3


 慌しさに包まれた放課後も、自宅に帰ってしまえばそれも無関係である。

 今日は特に用事も無い。その為、自室に戻った双人は、私服に着替えると机に向かって宿題に勤しんでいた。それが終われば、昨日の続きとばかりにパソコンで情報を集める。

 とは言え、出来る事など昨日の内に行っていた為、目に留まる情報など残ってはいなかった。


「まぁ、無理だよなぁ」


 ふぅ、と体に溜まっていた疲労感を吐き出す。窓から見える空は茜色に染まり、夜まで後少しといった所だ。

 椅子から腰を上げた双人は、そのまま部屋を出て階下へ降りる。玄関に繋がる廊下を通り、リビングに着くと、一人の男性がキッチンから料理を運んでいた。


「おっ、双人。ただいま」

「おかえり、父さん」


 笑顔で言葉を向ける父、徹也(てつや)を迎えると、双人も彼に倣いキッチンへと足を進めた。そこでは母である透子(とうこ)が、大皿に料理を盛り付けている。

 彼女は双人を見付けると、「お願いね」と一言告げて皿を渡した。受け取った双人は父と同じく料理を運んでいく。

 続々とテーブルに並んでいく料理の数々。そして用意を終え、三人は席に着いた。


『いただきます』


 声を揃えて、瑞代家の夕食の時間となった。


「いやぁ、やっぱり家の飯は美味いなぁ」

「ありがとう。双人はどう?」

「美味いよ。ビーフンは薄味の方が野菜の甘みが利いて良いね」

「そう、なら良かった」


 彩り豊かな料理に舌鼓を打ち、何気無い会話を交えつつ、和気藹々とした雰囲気で食卓を囲む。とても有り触れた一家の団欒である。

 瑞代家は父・徹也と母・透子、二人の息子である双人の三人家族。光間市の住宅街に居を構える、ごく普通の家庭だ。家族仲もご近所付き合いも良好で、大きなトラブルも無く順風満帆な毎日を送っている。


「む……。双人、怪我しているじゃないか」

「まぁ、ちょっと……」


 不意を突くように放たれた徹也の言葉に、誤魔化しながら答える。その態度に好奇心を刺激されたのか、彼は言葉を続けた。


「どうした、遂に喧嘩か? 誰とだ? もしかして上級生か?」

「貴方、双人がそんな事をする筈がないでしょう?」

「そ、そうそう。誰かの恨みを買うような真似はしてないって」


 透子のフォローが入るが、双人は少々冷や汗を掻いた。

 もし一真との戦闘を喧嘩と称するなら、少なくとも父の矢継ぎ早の質問は的を射ている。あまり触れて欲しくない案件だけに、どうしたものかと考えを巡らせる双人。それが顔に出なかったのが唯一の救いだった。

 だが父は、まるで「何を言ってるんだ」と言わんばかりの顔で見詰め返してきた。


「当たり前だろう。俺だって双人がそんな事をするとは思っていない。それにもし喧嘩だったとしても、そこには双人なりの理由があると信じているぞ」


 語る言葉は静かに、しかしそこには強く重い何かが込められていた。父である彼の、息子に対する信頼の証だ。


「双人、お前が何も言わないのならそれでいい。だが一つだけ教えてくれ。その怪我は、お前なりに納得した上でのものなんだな?」

「うん。ちょっとしたいざこざに巻き込まれた。でも、それも含めて受け入れた末の結果だからさ。仕方ないかなって」


 真っ直ぐに向けられる父の視線を見返して、双人は答える。

 新堂一真。彼の行動が、幼馴染である十和を想ってのものだと知った。迷惑な事に変わりはないが、その末に負った怪我に対して文句を吐くつもりは、今の双人には毛頭無い。

 一真の抱える真っ直ぐな想いも、それを知って彼と戦うと決めた自分の考えも、双人は全て受け入れた。受け入れてしまったのだから、納得するしかない。


「そうか、なら良い。これからも、自分の本心と向き合っていくんだぞ」

「分かってるよ」


 息子の答えに満足した父は、頷いて食事を再開した。それにより食卓の空気も徐々に戻っていき、双人も止まっていた箸を動かし始める。

 相対する父から受けた言葉に、自分への強い信頼が込められていると実感した。こんなにも自分を理解してくれる人は、きっとそうは居ない。

 双人の胸に小さな決意が宿る。これからも、大切な家族の信頼に応えられるようにしよう。


「それで話は変わるが、その手当ては誰がやったんだ?」

「え?」


 秘めたる決意を噛み締めている所に、父の素朴な疑問が飛び込んでくる。思わず双人の箸が再び止まった。


「そうね。包帯もとても綺麗に巻かれてるから、自分でやったって事は無いでしょうし」


 母に視線を向ければ、何やら興味あり気な微笑みが。自分の左手に巻かれた包帯に、改めて目を向けてみる。

 しっかりと固定されているが、締め付けられるような不快さは無く、軽く動かす分には不便に感じない。これまで意識すらしなかった程だ。

 母の言う通り、十和の巻き方が上手いのだろう。


「先輩がやってくれたんだけど」

「先輩……もしや、それは女子か?」

「そう、だけど」


 妙な追及の後に、口元に笑みを作る瑞代夫妻。互いに見詰め合うと、晴れ渡る空のような清々しい笑顔を双人に向けてきた。だが清々し過ぎるそれは、逆に不気味にも思える。

 そして事此処に至り、双人は漸く気付く事になった。この空気とよく似たものを、今朝も感じた気がすると。


「いや、別にその先輩とは何も無いから!」

「何も無い後輩の手当てをするなんて、あり得るか? 無いだろ? それが許されるのは小学生までだぞ!」

「しかもそんなに丁寧な巻き方、思い遣りが込められてるわね」

「あぁもう、だから……!」


 すかさず否定を口にするが時既に遅し。父も母も、自分達で勝手に盛り上がっていた。

 歴とした理由がありながら、あのいざこざに関しては話す事が出来ない。もし話してしまえば、十和や一真を怪我の原因に挙げてしまう事と何ら変わらないのだ。

 それ故に、双人は誤解を解けない歯痒さに襲われていた。


「お前は昔からそういう話に縁が無かったからなぁ。父親としてはもっとこう、積極的にだな」

「だとしても今の話とは関係無い。先輩とは今日会ったばかりだし、あっちからすれば、俺は唯の後輩だって」

「今が無理なら、今後に期待って事でいいのよね?」

「何でそうなるんだよ……」


 朝は響祈とウルリカに弄られ、夜は父母に弄られる。今日は厄日かと疑わざるを得ない。

 本当に自分と十和の間には、そのような感情は存在しない。彼女の笑顔に惹かれたのは確かだが、それはある種の憧れみたいなものでしかないのだ。

 しかしそれを言ってしまえば、弄られるネタを自ら差し出すという愚行に他ならない。故に口を閉ざし両親の追及を逃れる事が、双人に出来る唯一の抵抗だった。悲しい位に、それしか出来なかった。




 風呂上がり、自室に戻った双人はベッドの上で仰向けながら、今日一日を振り返っていた。

 皆森十和との少し変わった出会い。それによって家族や友人に散々弄られた事。見知らぬ誰かからのプレッシャーに晒され、その一件の延長で一真と行った魔導戦闘。

 普段は起こり得ないイベントが目白押しで、普段以上に蓄積された疲労感に襲われる。


「……っと、だらけてる場合じゃないか」


 緩慢な肉体に喝を入れ、むくりと体を起こす。そして手首に着けたブレスレットを一瞥し、言葉を紡ぐ。


「アクセプト・オン」


 自身に掛けられた魔導制限を解除し、彼は手元に一つの戦輪を生み出す。一真との戦闘でも使った、歯車型の戦輪である。サイズはあの時よりも一回り小さいが、全体の意匠に変化は見られない。

 双人はそれを操り、自室の天井ギリギリで滞空させる。その後も同じ工程を繰り返し、天井には四つもの戦輪が回転しながら漂っていた。


「……」


 声も無く操作を再開する。天井の四隅に戦輪を一つずつ配置すると、それらを時計回りに動かしていく。

 双人の部屋は正方形よりも長方形に近い形状で、四隅の間の距離は一定ではない。それでも戦輪は彼の操作によって、全てが寸分のズレも無く次の隅へと到達する。

 更に四つを追加し、今度は四隅を繋ぐルートの中間に配置して反時計回りに動かす。

 四角の軌跡と、その内側で菱形の軌跡を描く戦輪は、見る者に不思議な感覚を与える。

 しかし、それを実現させている双人の表情に変化は無い。

 これは彼にとって日課の一つであり、制御能力を鍛える為の訓練だった。もう何年も続けている成果か、行う際に神経を尖らせる必要も、意識を集中させる必要も無い。

 八つの戦輪程度なら、今の彼にとって指を動かすのと同等と言っていい。


「はぁ……」


 淀み無く動き続ける戦輪を呆然としながら見詰める双人。彼の頭の隅で巡るのは、一真との魔導戦闘だった。

 制御能力には自信があったものの、決定的な魔導出力の低さもまた自覚していた。何せ魔導との付き合いは幼い頃から、欠点など分かり切っている。

 それでも、あの一方的な展開には溜息しか出ない。

 一度の発動で生成出来る戦輪の数は二つ、その強度も充分とは言えないレベル。無理矢理出力を引き上げようとすれば、そもそも生成すら困難となる。

 まさしく、彼方を立てれば此方が立たず……。酷い話だと思った。


「仕方ないか」


 徐に手を握り締めると、天井を飛び回っていた戦輪にひびが入り、砕けながら霧散していった。

 双人は改めてブレスレットに目を向ける。紅紫色の輝きを放つ珠玉、自分に与えられたランク・マゼンタの証。


 制御能力は高く、総魔力量も平均以上。しかし魔導出力が足を引っ張っている。加えて幻属性の将来的な利用法を見付けられず、適正進路選択もままならない為に、バランスの悪い才能と入学試験の成績によってマゼンタの席に着いた。


「……寝よ」


 自分に物足りなさを感じるのは、今に始まった事ではない。気落ちしそうになる感情を振り切って、双人は部屋の照明を消し、ベッドに横たわった。まだ日付が変わる前だが、肉体と心は休息を欲している。

 そして明日は休日。昨日響祈に話したように、通り魔破壊の現場に赴く予定がある。早く寝てしまっても問題は無いだろう。

 そう結論付けた双人は瞳を閉じて、静かな呼吸と共に、精神を自身の奥深くへ沈めていく。

 取り替えた左手の包帯に違和感を覚えつつも、ゆっくりと眠りに就いていった。






4


 光間市は、東西南北四つの地区に分かれている。

 北は火ヶ美(かがみ)、東は風巻(かざまき)、西は土咲とさき、南の水澄(みすみ)。光心学園と双人の自宅は、風巻地区となっている。光間駅は市の中央だが、地図上では火ヶ美地区にある場所だ。

 駅周辺には大型デパート『中央百貨店』やファミリーレストラン『クラウン』を始めとした様々な施設が立ち並び、休日となれば市内外の人々が行き交う場所となっている。

 光心学園まで徒歩十五分という場所も、市外から学園に通う生徒にとって重要な意味を持っていた。


 近場の駐輪場で自転車を止めた双人は、目的地へ移動を開始した。一番新しい事件、つまり昨日起きた事件の現場だ。

 休日の為、今の彼は薄手のジャケットにジーンズといったラフなスタイルに、チェック柄のストールを首元に飾っている。

 双人は駅前通りの人の流れに乗り、駅近くの高架下トンネルを通っていく。

 だが彼の視線があるものを捉えた時、その足が止まった。トンネルの入り口に、張り紙の付いた小さな立て看板が立っている。

 内容は、トンネル内で起こった魔導による傷害事件についてのようだ。


「発生は昨日の深夜辺り、被害者は近くの高校に通う男子四名……」


 何となく気になった双人は、その張り紙の内容に目を通していく。だが、風属性を使う魔導師であるとしか書かれておらず、犯人の性別や背格好は一切記されていない。


「もし目撃した方が居れば、最寄の交番まで……って、情報少な過ぎだろ」


 内容に対して、双人は思わず突っ込みを入れる。

 犯人を特定出来るものが魔導の属性だけ、そんなものでどう捜査するつもりなのか。魔導学区である光間市で、それに該当する者がどれだけ居ると思っているのだろう……。

 しかも犯人が光間市在住でない可能性も充分にある以上、砂漠の中で特定の砂粒を探すのに等しい行為だ。


 張り紙から目を離した双人は、気を取り直してトンネルへ入っていった。出入り口に差し込む日の光が、電灯の頼りない明かりを補い、明るく照らしている。

 そこを抜けて駅の裏側に回ると、低層のビルやマンションが視界に広がった。立ち並ぶ施設の違いか、表側と比べると人通りは少ないようだ。


「えっと、確かこの辺り……あれか」


 程無くして、一棟のテナントビルを見付ける。双人は記憶を辿って、昨日のニュースで見た場所と同じだと判断した。


「流石に近付けないか」


 事件発覚から一日だが、ビル側は既に補修工事に入ったらしい。ビルの隙間はロープによって立ち入りを防いでおり、到底近付けそうにない。

 仕方ないとばかりに、双人は張られたロープの前まで寄って現場を目視する。大穴を空けられたであろう壁と地面は、既に新しいコンクリートで補修されていた。

 新聞等に載っていた現場写真を見る限り、壁の穴の形状は人が通れる程の大きさ、その横幅と同等の円形が地面の痕跡だと確認している。

 しかし今彼が見ている二箇所は、綺麗な真四角に埋め立てられていた。恐らく、作業し易いように形を整えたのだろう。


 だが、それにしては補修痕が大きいように思えた。少し離れた場所からだが、目測でも二メートルは超えているように見える。横幅も一般人が二人分程の広さだ。今回の痕跡は以前よりも大きかったのか……。

 双人はじっくりと補修痕を見た後、その場から離れた。


「……」


 歩きながら口元を手で覆うように添えて、思考を働かせる。

 現場そのものは見れなかった為、大した発見には出会えなかった。それでも、思考を止める事はしない。たとえヒントが無くとも、考えを突き詰める事は無駄ではない筈だ。


 改めて犯行方法について考えを巡らせる。

 ビルの壁厚は大体二十センチ前後、それを壊すのであれば相応の道具が必要となるのは明白。必然的に騒音という問題も出て来る。犯行時間が未明であろうと、ビルやマンションが立ち並ぶ此処での犯行は不可能に近い。

 ならば魔導の場合はどうなるか。

 まず、此方は道具の必要が無くなるだろう。出力の高い魔導師なら、あの壁を砕く事も可能だ。しかし先の問題と同様、破壊に伴う騒音がある。


「風属性の、音波(サウンド)タイプか?」


 発生する音を制御し、周囲への拡散を限りなく抑える事が出来れば、犯行が可能になるかもしれない。

 以前響祈に言った空属性による突飛なやり方よりも、充分に現実的な手法と言える。寧ろ、どうしてその考えに至らなかったのかと、双人は自身を少しだけ恨んだ。

 そこまで思考を働かせた末に、口から出た結論は……


「駄目だ、全然分からねぇ」


 落胆のようなぼやきだった。手元にあるのが状況証拠ばかりで、決定的な何かが全く見付からない。

 だが双人は、胸中でそれも当然だろうと思っていた。自分のような唯の学生が、警察ですら分からない犯行を突き止められる訳が無いのだ。身の程を弁えろと、自身を叱責する。


「取り敢えず、次に行くか」


 だが、彼はまだ諦めるつもりは無かった。駅近辺にはもう一箇所、事件現場がある。発生から既に一ヶ月近く経っているが、何かヒントになるものが残っているかもしれない。

 その限りなく小さいであろう希望を胸に、双人は足を進めた。




 駅近辺にあるファミリーレストランの内の一つ『クラウン』は、至って普通の洋風レストランだが、徹底したコストダウンによる低価格を実現し、若者から家族連れまで、人気を集めているレストランとなっている。


「これか……」


 双人が立っているのは出入り口とは真逆の位置、駐車場に面する白壁の中にポツンと佇むドアの傍だった。そこには『従業員用出入り口』とシールが貼られている。

 しかし彼の視線はバックヤードに続くドアから少し離れた、一部だけ出っ張りのある壁に注がれていた。

 黒い観音開きの鉄扉、大きさは全体で縦横一メートル弱、上部が双人の胸元辺りという低位置にある。取っ手の部分は南京錠で固定されていて、何処に繋がっているのかは分からない。

 だが、その鉄扉の周囲の壁だけが、妙に真新しい白色をしていた。もっとよく観察しようと、双人はその場所に近付く。


「補修した所だよな」


 既に本来の機能を取り戻しているようだが、間違いなく通り魔破壊による被害の痕跡だった。補修痕は扉より大きな正方形で、上辺は双人が見上げる程高く、二メートルはありそうだった。地面にも同じように四角の補修痕が見て取れる。

 それらをじっくりと観察する双人。だが、ヒントになり得る要素は見付けられず、頭を悩ませるだけに留まっていた。

 此処に来たのは無意味だったか。脳裏に過ぎる落胆に、仕方なくその場を離れようとした時、横から声を掛けられた。


「あれ、瑞代くん?」

「えっ……皆森先輩」


 振り向けばそこには、昨日妙な出会いを果たした学園の先輩、皆森十和が立っていた。カーディガンに膝丈のスカート。彼女の性格に良く似合う落ち着いた装いで、双人の傍らまで歩み寄ってきた。


「こんにちは。どうしたんですか、こんな所で」

「うん、こんにちは。友達とお昼を食べようって約束してて、待ち合わせの途中なんだ。瑞代くんこそ、此処で何をしてるの?」

「俺は、その……」


 その何気無い問いに対し、若干の躊躇いが生じた。昨日の保健室で、事件を調べる旨を咎められた事を思い出した為だ。

 別に今は日中で、危険な真似も警察の邪魔もしていない。だが実際にその場に立ち合われると、非常に気まずいという感情が表に出る。

 どう答えたものかと、内心困惑している双人。その時、キィという音と共に従業員口が開いた。


「ん?」


 現れたのは、白いエプロンに店用の制服を着た一人の男性だった。服装から、キッチンで働いている社員だろう事が伺える。

 その突然の登場によって二人の会話は途切れ、ほぼ反射的に男性に視線が向けられる。見詰めあう三人、先程とは別種の気まずさが漂う。

 だがすぐに男性は気を取り直して、双人達に声を掛けた。


「申し訳ありません。この辺りでは、あまり集まらないで頂けますか?」

「す、すみません!」

「申し訳ありません」


 見た目から一回り以上の年の差を思わせながらも、とても丁寧な言葉の対応に二人は頭を下げた。

 此方は入り口とは正反対の場所である。駐車場があるとしても、人の目の留まり難いこの場所に(たむろ)するのは、店側としても困るのだろう。

 すぐにその場を後にしようとする双人。もう少し調べたかったが、店の邪魔は出来ない。少しの落胆と共に足が動く。だがその時、脳裏にある案が思い浮かび、男性に声を掛けた。


「あの、この痕みたいなやつが気になって……」

「あぁそれか。もう一ヶ月前になるんだけど、ほら、今は『通り魔破壊』って言われてる事件があるだろ。最初の被害が此処なんだよ」


 破壊痕に指を差して告げると、男性は困ったような顔をしながら言葉を続けた。


「そこの扉を開けると、店の中にあるゴミの集積場に直接繋がってるんだよ」

「へぇ、だから此処だけ出っ張ってるんですか?」

「そうだよ。ゴミ収集車に積み込み易くする為にね」


 男性の説明になるほどと思いながら、双人は目の前の鉄扉に目を向ける。此処がゴミの集積場で、その場所に穴を空けられた。つまり……


「それって不味くないですか?」

「あぁ、そうなんだよ。ゴミが溜まってる所に穴が空いたから、もう蝿やら何やらが沢山集っていてね。発見した時は酷い有様だったんだ」

「うわぁ、想像したくない光景ですね」

「警察の人達も随分困ってたよ。現場保存の為に、ゴミを下手に動かせないから」


 その情景を思い浮かべ、十和は所感を零す。発見したのはこの男性で、時間は閉店後の作業が完了した深夜二時過ぎ。すぐに警察に連絡し、現場検証が行われた。

 同時に最後まで残っていた男性を始め、三人の従業員が朝方まで事情聴取を受けたようだ。「次の日が休みで良かったよ」と呟く姿は、その辛さを遺憾無く表していた。


「捜査の間は、ずっと此処は空きっ放しだったんですか?」

「いや、流石にそれは不味いよ。何たって店の営業に関わるからね。ある程度捜査が済んだら、すぐに補修工事を頼んださ」

「衛生的に問題がありますから、当然ですよね」

「で、あまり時間も掛けられないから、魔導建築技術に頼った訳だ」

「魔導建築……」


 男性のその言葉を反芻する双人。そこにすかさず、十和は説明を挟んだ。


「魔導と科学、二つの技術を合わせた発展型の一つだね。多分この場合、効率的な水和反応を起こせるように、セメントや水の性質を魔導によって改良したのかも」

「専門的な事は分からないが、確かに業者の人がそれっぽい事を言っていた気がするよ」

「私も医療関係は分かるんですけど、魔導建築に関しては全然です」

「不安は大きかったんだが、この規模だと打ち直しになってしまうから、流石に時間が無くてね。でも実際に補修して貰ったら、何の問題も無く今もこうして機能している。魔導技術も侮れないな」


 補修痕の残るそこを見詰めながら、男性は感心した声を上げる。十和も「そうですね」と呟き同意を示した。


「それにしても大きな穴ですよね。二メートル位はありそうだな」

「あぁ、それは削り落としたからだよ。壊れた部分だけなら、君の身長と大体同じ位だったんだ」

「俺の身長と……大分削りましたね」


 自分の呟きに応えた男性の言葉に、双人は腑に落ちない表情を浮かべる。

 双人の身長は百七十センチ辺り。男性の言葉が本当なら、三十センチも余計に削った事になる。今までの事件現場の破壊痕が円形というのは周知の事実だ。その為に補修し易い形に削るのはおかしい事ではないが、流石にそれはやり過ぎではないだろうか。

 彼の疑問に、男性もまた腑に落ちない表情を浮かべた。


「いや、それがね……破壊された所が、ボロボロだったんだよ」

「ボロボロって、どういう事ですか?」

「もうそのまんまだよ。最初は綺麗な円形だったんだけど、警察の人が断面を触ったらボロボロに崩れたんだ」

「経年劣化とか?」

「そんな筈は無いよ。以前受けた耐震診断では問題無いって言われたから。それに、一部分だけ劣化するなんてあり得ないだろう?」


 その答えは当然だ。もし劣化しているなら、一部の補修ではなく店全体の建て直しという問題となる。

 先程、男性が浮かべた表情の意味を理解した。確かにこれは腑に落ちない、あり得ない事実だ。


「他の部分は大丈夫だったんだけど、もしもの為に大きく削ったんだ」

「不思議ですねぇ」


 十和の実感の篭った言葉に、双人と男性は頷く。確かにこれは不思議だ。それ以外の何物でもない。

 だがそれ以上に、男性の口の軽さに双人は内心驚いていた。

 確かに彼は、少しでも話を聞き出そうと話題を振ったが、まさか此処まで話してくれるとは思っていなかった。もしかしたら、この件に関して何かしらの感情があったのかもしれない。

 良い意味で予想外だったが、同時に罪悪感がふつふつと込み上げてくる。


「すみません。こんな長々と話してしまって」

「いや、私もすっかり話し込んでしまった。もういいかな?」

「はい。お仕事、頑張って下さい」

「出来れば、ご入店頂けると大変嬉しいのですが」

「私はこの後、友達と一緒に来ますから」


 十和の言葉に一礼して、男性はその場を後にした。とても気の良い人柄だったが、最後に商売人としての顔を見せる辺り、中々強かな性格のようだ。

 既に用を終えている自分に、少しだけ居心地の悪さを感じた双人。


「私達も此処から離れないとね」

「そうですね。邪魔になっちゃいますし」


 今の二人にこの場に留まる理由は無い。十和の言葉に促され、双人は彼女と共にクラウンの裏側から離れた。


「それにしても、さっきの人……魔導建築について『不安が大きかった』って言ってましたね」

「うん。でも、仕方ないと思うよ」


 男性の言葉を思い返す。本人としては何気無い、当たり前のように口にしたものなのだろう。だがその内容には、明らかに魔導技術に対する不信感が見られた。


「魔導という存在が発表されたのは、今から約五十年前。それから日本を始めとして、様々な国が研究している。けどその年月は、これまで培ってきた科学技術と比べたら微々たるものだから」


 男性の不信感も仕方ないものだと、十和は諦観にも似た力無い笑みを零した。


「確かに魔導と科学の技術融合は、始まってから十年しか経っていません。性質の違いから、色々難しい点があるのも分かります。だからこそ、その技術のモデルケースとして魔導学区が設置されたんですよね?」


 それまで互いに不可侵を謳い、独自に研究が行われていた魔導と科学。だが十年前より、その二つの技術を融合させ、より良い生活基盤を作り上げようと国が立ち上がった。魔導学区とは、そのプロジェクトの為の実験場のようなものだった。


「その魔導学区って制度も、国が勝手に進めたものだから。国を挙げて設備投資や技術開発に力を入れて、魔導の才を持つ人も少しずつ増えている。けど十年経っても、そこに住む普通の人達の心情は、それに付いて来れなかったんだと思う」


 不意に真剣な面持ちで、十和は淡々と意見を述べていく。

 光間に住む魔導の才を持たない普通の人々にとって、魔導技術を育む為の制度は快いものではないのだろうか。

 彼女の言葉を聞く内に、双人に言いようの無い感情が渦巻く。

 気付けばクラウンの入り口近くに辿り着き、二人の足は自然とそこで止まっていた。


「今言ったのは、あくまで私の考えの一つ。それが真実とは決まってないし、今回の事は偶々かもしれない。でもね、瑞代くん。やっぱり私は、この国は魔導に対して、行動が性急過ぎるんじゃないかなって思うんだ」

「性急過ぎる……」

「魔導の研究は日本が先陣を切ってるから、その分、結果を求められるのは当然だよ。魔導と科学の技術融合とか、その為の国内の魔導学区の設置とか……」

「でもそれによって、普通の人々と意識の差が生まれている」


 国策として魔導研究を推進している為、結果が伴わなければ、他国から見くびられてしまう。

 それを防ぎ、対外的に日本の有用性を示す為にも、多少強引であろうと技術開発に踏み切る必要があったのだろう。


「そこまでして魔導の研究を推し進める理由は、一体……」


 何故この国は、そのような国民感情に沿わないやり方で、魔導技術を進歩させようとしているのか。

 確かに他国より秀でた技術を持つのは悪い事ではない。しかしそれは、此処まで強引に進める程の事なのか……。

 彼の内から湧き上がる疑問に、十和が答えた。


「日本は昔、世界大戦によって敗戦国になった。戦争の影響で低下した国力、失墜した地位を取り戻すには、他の国より優位に立てる何かが必要だったんだよ」


 魔導の存在が世に広まる二十年程前、日本を始めとした数ヶ国による世界的な大規模戦争が勃発していた。

 枢軸国のとある軍の領地侵入から始まった戦争は、雪崩のように戦火を広げ、最終的に人類史上最大規模の戦争へと発展した。

 結果は枢軸国側の降伏による終戦、日本は敗戦国として名を連ねた。

 その影響によって多大な力を失った日本。失くしたものを補う為に(すが)った『何か』こそが……


「それが、魔導って事ですね」


 魔導は人間の体一つで起こす神秘の塊だ。小国は元より、大国であろうと見過ごせるものではない。

 結果として現在は、ごく一部の国を除いて、日本主導による魔導の研究が盛んに行われている。


「これも一説でしかないんだけどね。でも、今の世の中を見てると、あながち間違いでもないんじゃないかな?」


 国を挙げての積極的な魔導研究。しかし、それが一般に普及し切れていない現状は、どうにもズレが生じていると言える。

 十和の感じているものは、そのズレなのだろう。


「皆森先輩は……」

「ん?」

「魔導の存在に対して、否定的なんですか?」


 少し遠慮がちに、双人は彼女に問い掛けた。先程までの言葉が、あまりにも容赦無く核心を突いていた為か、十和の態度に不安を感じていた。

 ランク・レッドという最上級の証を持ちながらも、彼女は魔導の存在を快く思っていないのではないかと。

 だがその不安を、彼女は首を振って否定した。


「そんな事無いよ。私だって魔導技術が発展して欲しいって思ってる。でも、だからこそ、この現状をきちんと理解しなくちゃって思うんだ」

「現状の理解……」

「うん。世の中にはまだ、魔導技術に疑いを持つ人が居る。その事実に目を向けないと、きっと本当の意味での発展は出来ないと思うから」


 そう語る十和の瞳は、真っ直ぐに前を向いていた。普段の穏やかさではない、凛々しさに満ちた表情。

 双人は思わず、その顔をまじまじと見詰めていた。十和の笑顔ばかりが記憶に残っている彼にとって、彼女のこのような姿は驚きと共に、新たな発見でもあった。


「……」

「瑞代くん、どうかした?」

「いえ、ちょっと」


 先程までの真剣な面持ちから一変、普段の穏やかな笑みに戻っていた十和。呆けていた双人は、ゆったりとした彼女の声によって引き戻された。


「それにしても、瑞代くんが此処に来た理由って、通り魔事件を調べる為だよね?」

「まぁ、そうですね。でも、誰にも迷惑掛けるつもりはありませんよ」


 昨日の保健室のやり取りから、先んじるように双人は伝えた。


「けど、どうして調べようと思ったの? 警察の人達だって動いているのに」

「昨日も言いましたけど、本当に気になっただけですから」

「折角の休日を使ってまで?」


 その疑問は最もだ。片手間で新聞やネットで情報を収集するならば分かるが、実際に現場にまで赴く労力を割くとなると、単純な興味本位とは考え辛い。

 双人の本音が一体どのようなものなのか。十和は純粋に、それが気になっていた。


「昔から、興味が湧くと調べたくなる性質(たち)なんです」


 しかし彼は、本当に何気無い顔のままそう答えた。自分の中に興味以上のものは無く、単なる好奇心によるものだと。


「そっか。変わってるね、瑞代くん」

「尾羽利には負けますけどね」


 脳裏に一人の友人の姿を思い浮かべる。

 あらゆる場所であらゆる情報を手にし、自らの本能のまま調べ上げる彼からすれば、自分は赤ん坊のようなものだ。

 笑顔を浮かべながら告げると、十和も納得したように笑みを返す。


「って、先輩。待ち合わせの途中だったんじゃ……」

「……あぁ、そうだった!」


 その反応に、今の今まで忘れていたのだと理解出来た。

 するとその時、彼女のポケットからメロディが流れる。携帯の着信だ。十和は携帯を取り出すと、すぐに応答した。


「あっ、たまちゃん。今何処に居るの? え、今起きたの?」


 どうやら待ち人はこのタイミングで起床したらしい。待ち合わせをしているにも拘らず、随分と勝手な行動だと双人は思ったが、当の十和は全く気にする様子は無い。いつもの朗らかな笑みを浮かべている。

 その後、短いやり取りの末に十和は通話を切った。


「まだ掛かりそうですか?」

「そうみたい。でも、まだ待ち合わせの時間まで二十分はあるから」

「随分早いんですね」


 どうやら彼女が来るのが早かっただけのようだ。野暮な事を考えて申し訳無いと、『たまちゃん』と呼ばれる見知らぬ通話相手に心中で頭を下げる。


「癖なんだ。待ってる時間も好きだから、苦じゃないし」


 彼女の答えに、昨日の事を思い出す。

 いつもより三十分早く家を出た双人だが、その彼へと十和は落下してきた。つまり、それよりも前からあの場に居た事になる。

 ゆったりとした性格ながら、行動は極めて早い。これもギャップというやつだろうかと、双人は頭の片隅でくだらない事を考えた。


「それじゃ皆森先輩、俺はそろそろ行きますね」


 本当ならば、待っている間の時間潰しの相手でもするべきなのだろう。

 しかし先程の彼女の言葉に、それは邪魔でしかないと悟った彼は、この場から離れる事を決めた。


「折角の休みの日なんだから、ちゃんと休まなきゃ駄目だよ?」

「分かってます。では、失礼します」

「あ、ちょっと待って」

「え?」


 突然呼び止められて、数瞬だけ固まる双人。その間に十和は彼の左手を取ると、そこに巻かれている包帯を解いて、改めて巻き直し始めた。


「ちょっとずれちゃってたから」

「あ、その……」


 彼女の行動があまりに急だった為か、詰まり気味に答えてしまう。

 繋がる手から感じる彼女の温もりに、自然と顔が熱くなっていくのが分かる。そんな彼の事などお構いなしに、十和は包帯を巻き終えた。


「これで大丈夫」

「あ、ありがとうございます……」

「うん。それじゃ、ばいばい」


 微笑みながら小さく手を振る十和に、ぎこちなく頭を下げてその場を離れる。まだ顔は熱いままだ。羞恥心からそれを悟られまいと、そそくさと退散する双人。


「瑞代くーん!」


 だがまたしても呼び止められてしまった。それなりに距離が開いたというのに、一体今度は何だというのか。

 彼としては、十和に赤くなった顔を見せたくはない。だが彼女を無視する事もまた出来ず、ちらりと彼女に視線を向けるに止めた。

 そこに居る少女は、変わらずたおやかな笑顔のままだ。


「はい?」

「そのストール、すごく似合ってるよー!」

「……」


 最早、口から出るものは何も無かった。濁りない笑みでそんな事を言われてしまっては、今の双人に到底耐えられるものではない。

 素早い動作で一礼すると、彼は足早にその場から去っていった。無意識に早まる歩調は、彼の鼓動のリズムを表しているようだ。


「……むぅ」


 そして口から溢れそうになる喜びを、真横に結んで蓋をする。

 双人の身に着けるストールは、大切な家族から託された形ある想い。それを褒められた事は、彼にとって家族の絆に見合う人間であると認められたに等しい。

 緩みそうになる口元を手で覆う。深く思考する時の癖が、この時は非常にありがたかった。

 左手の感触(いわかん)は、もう感じない。






5


 分かっていた事ではあった。

 そもそも警察が捜査し終えた後に続いた所で、ヒントになり得るものなど到底見付けられる筈がないのだ。そんな諦観の念を抱きながら、双人はベッドに身を沈めた。


 十和と出会った昨日、そして今日、市内の被害に遭った現場を巡った。どの場所も風巻地区の自宅から自転車で向かえる程度の距離であり、行動は比較的迅速だった。

 中学校、工業地帯にある中間処理施設、スーパーマーケット等々。それぞれの被害部分を見ると、中学校はプールを囲む高い塀の一部、処理施設は敷地外壁、スーパーは商品倉庫の壁といったように、どれも人目に付き難い場所という訳ではなく、かと言って目立ち過ぎる場所でもなかった。

 今では完全に補修が成され、それぞれ問題無く機能している。クラウンと同様、魔導建築による早期補修だった。


「まさか、な……」


 昨日の昼間に十和と話した影響か、彼の中に一つの疑惑が浮かび上がっていた。

『普及し切れていない魔導建築技術を広める為の、業者側の策略』

 現状で得られた情報から推理し、答えの一つとしてそれが挙がった。

 正直、考えた双人自身が「それは無い」と言い切れる程度の推論である。十和との会話から、この光間での魔導技術への不信感を知り、被害が魔導建築技術によって助けられている事実を知った為に至った推理。

 だが、状況証拠ばかりで決定的なものは何一つ無い。何より犯行の手段も分かっていないのだから、早とちりもいい所だ。


 他にも気になる点はあった。全ての場所にではないが、幾つかの現場の周辺で、不可解な魔導師による襲撃事件があったのだ。光間駅の高架下トンネルの張り紙と同じ内容、風属性の魔導師による一般人への傷害事件。

 風属性と言えば、推理のネックとなっている騒音問題を解決出来る可能性を秘めている。

 未だ目撃すらされていない『姿無き魔導師』が犯人なのではないかと、双人の思考は訴えていた。

 此方は先の業者よりも信憑性を増しているが、同じく状況証拠のみであり、犯人と決め付けるには無理がある。


 とは言え、物証や犯行手段に拘って論理的に分析していては、今のように推理がそこで行き詰まる。気分や視点を変える意味でも、あらゆる可能性の提示は必要だった。

 難しい顔を崩さない今の本人には、あまり効果は無いようだが……。


「明日、尾羽利と話してみるか」


 友人である彼もまた、独自に調査すると言っていた。ならば、お互いに顔を突き合わせて話し合うのも良いかもしれない。

 その結論に至った双人は、部屋の明かりを消して再びベッドへ身を沈めた。

 事件の真相に至るには、まだ遠い。






どうも、先々(さきざき)まことです。

リバーサライズ編の第二話、お読み下さりありがとうございます。

またしても二万五千文字オーバー……長くてすみません。

もしかして、もう少し短くした方が良いのでしょうか?


今回は双人が肉体的に動き回ったり、精神的に動き回されたりする話でした。

彼、基本的に良い子なんですが、そういう所が弱いんで……。

それと世界観の会話が妙に長ったらしいですが、結局の所は『日本は他国にデカい顔をしたいから、魔導技術の研究にご執心。でも自国民を省みないから、付いてこれない人も出て来てる』という本末転倒な状況です。

そんなんじゃ国内で魔導技術が発展する筈も無く、魔導という技術がありながら、生活水準は現実世界と大きな差異が無い状態になっています。


物語中では色々と謎が出てミステリーっぽくなっていますが、ぶっちゃけ深く考えずに読んで下さって全然大丈夫です(そこは味付け程度なので)

それと本当なら一話に一度、バトルシーンを入れようと思っていたのですが、今回は断念致しました(入れようとしたら三万文字は覚悟です)

なので次回は、序盤からバトルになるかもしれません(まだ着手していないので予定ですが)


次回の更新は、遅くなると思います。

一話二話は投稿する前に大体完成させていたのですが、それ以降は手付かずなので。

もし待って下さる方が居るなら、気長にお願いします。

作品に関する意見その他諸々は、遠慮無く書き込んで頂けると非常に嬉しいです。

では、今回は此処で失礼します。

ではでは~。

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