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ワールド・エクステンダー  作者: 先々 まこと
リバーサライズ編
1/2

Act.1

 夜の帳を貫く鉄の体躯が、騒音を立てずにゆっくりと停止する。光間(ひかりま)市のほぼ中央に位置する光間駅、そこを走る最終電車だ。

 時刻も既に日付変更まで十分を切っており、明かりに照らされた駅前に見える人影は数人程度。近場のファーストフード店やファミリーレストランは未だ開店中ではあるが、利用客自体はそれ程多くない。

 もう少しで光間は眠りに就くのだろう気配が窺える。


 だがどのような場所にも、そのサイクルからはみ出す者は存在する。

 駅の出入り口から裏側へと伸びる高架下トンネル、丁度裏へと抜ける出口付近に彼等は居た。

 か細い電灯に照らされるその姿は、如何にもな不良といった風体である。不躾に着崩れた制服に身を包む四人の高校生男子。

 気だるそうに壁に寄り掛かりながら、場所を弁える様子も無く駄弁っている。時折発される品の無い笑い声がトンネル内部に響いていた。

 それから幾分経った頃だろうか。

 トンネル内を吹き抜けていた風が、徐々に強まりだした。それは次第に不自然な程の強風に至り、(たむろ)していた彼等も何事かと駅側の出入り口に目を向ける。

 だが、見えるのは暗がりに差し込む光間駅から漏れる光だけだ。その間にも風は更に勢いを増し、最早顔を向ける事すら困難になる。悪態を吐きながらトンネルを抜けようとする四人。


 しかしその時、今度は彼等の体に突然の衝撃が襲う。

 何の前触れも無く全身を貫く痛みに、気が付けば全員がその場に倒れ伏していた。途切れ途切れの呼吸、滑稽な姿を晒しながら気を失っているようだ。

 徐々に収まっていく風。そしていつの間にか、彼等の傍らには今まで居なかった筈の人の姿があった。

 小柄ながらダボついたパーカーにショートパンツで、顔はフードに隠されている。

 だが倒れ伏す彼等を見て、唯一見える口元が吊り上がった。


「ごめんね、おにーさん達」


 不意に、少女のような声が響く。その声色は無邪気で朗らか、頼りない光源と周囲の状況にはあまりに不釣合いなものだ。

 その人懐っこい音色と高架下の風景のアンバランスさは、ともすれば底知れぬ妖しさを漂わせている。

 そしてそれは、少女の浮かべる笑みをより深く歪めていった。


「でも此処、通り道だから。ちょっと眠っててよ」






1


 自宅の玄関を開いた瞬間、柔らかな日差しが全身を照らした。反射的に顔を手で覆いながら、指の隙間から零れる暖かな光に笑みを一つ。

 今日も良い天気だと、瑞代(みずしろ)双人(ふたり)の表情が物語っている。

 少し伸びた黒髪から覗く同色の瞳、利発さを感じさせる顔立ちは現代的な少年そのものだ。


「よしっ」


 紺のブレザーに濃灰のスラックス、校章を模った留め具が付いた青のループタイ。肩に掛けた白のショルダーバッグと、身に包んだあらゆる点が、彼が学生である事を示していた。

 事実、彼はこの光間市に存在する『光心(こうしん)学園』の生徒であり、今から登校の時間となっている。

 右手首に着けられた細身のブレスレット、紅紫色の輝きを放つ珠玉を一瞥して、少年は歩き出した。



 有り触れた住宅街を抜けると、学園へと続く桜並木の大通りへ出た。既に葉桜の季節は過ぎ、新緑の葉が茂っている。

 通りには同じ制服を着た生徒が、様々な表情を浮かべながら歩を進めていた。

 片や暗い顔付きで「早く放課後にならねぇかな」と嘆く者、片や盛大なあくびをしながら「後五分だけでも……」と寝床への想いを引き摺る者。友人との談笑に花を咲かせる者や、朝食なのか菓子パンを頬張りながら早足で向かう者も居る。

 その姿を横目に、双人は自分のペースで歩いていく。

 曲がり角で食パンを咥えた女子転校生とぶつかる、見知らぬ女子高生から唐突に前世がどうのこうのと説明される、空から女の子が降ってくる等の奇妙なアクシデントが起こらない限り、時間的な問題は無いだろう。

 入学から一月半、そう楽観出来る程度には通学路に慣れていた。


 学園への道は、遠いという程のものではなかった。先の懸念も杞憂のままに、およそ二十分で学園へ到着する。

 校門前で待ち構えている教師と挨拶を交わし、今度は昇降口までのレンガ道へ。

 視線の先には昇降口を中心に、左右へ伸びた五階建ての純白の建物が映る。この光心学園の校舎であり、いわゆる教室棟と呼ばれるものだ。

 更にその奥には中庭を挟んで、専用授業や部活動の為の技術棟が重なるように鎮座している。

 他にも、様々な行事に用いられる多目的ホールや体育室、専用の道場に演習室を包括する武道会館といった大規模な学内施設が惜しみなく配置されている。


 行き交う生徒を尻目に廊下を通り階段を上り、程無くして彼は最上階の五階へ辿り着く。

 そのまま端から数えて三番目の教室へ。一年三組、彼のクラスである。

 開けっ放しの出入り口を通ると、既に半数程の生徒が談笑その他諸々に勤しんでいた。自分に気付いた何人かに挨拶を返し、窓際の前から二番目にある席に着く。


「おはよう、ミズシロ君」


 不意に横から声が掛かった。鈴を転がすような音色に、凛とした芯を併せ持ったそれは、双人にとって聞き覚えのあるものだ。


「あぁ、おはよう。フォーシュバリ」


 紺色のブレザーに濃灰のプリーツスカートという光心学園の女子制服に身を包み、腰まで伸びる白金色の髪を靡かせる麗姿。

 遠方よりこの地に来訪した少女、ウルリカ・フォーシュバリ。彼女とは入学時に何故か行われた席替えによって、偶々隣になった事が切っ掛けで知り合った仲である。


「いつも通りの時間ね、感心するわ」

「そんな所で感心されても困るんだけどな」


 彼女の余裕ある微笑みと言葉に、何気ないように軽く返す。が、何故か笑みを深められた。


「何だよ」

「いえ、大した事ではないわ。気にしないで」


 口元に手を寄せて、優雅に笑みを浮かべるウルリカ。妙に含んだような言い回しに、彼女の目を見詰めながら双人は返した。


「そう言われると余計に気になるんだが……」

「なら尚の事ね。しつこい男は好きじゃないの」

「そっか。悪いな」

「フフッ、分かってくれればいいのよ」


 冗談染みた言葉に謝罪する双人。

 互いに本心からのものではないと理解している為、こういった軽いやり取りは日常的に繰り返されている。


 その眉目秀麗を体現する容姿ながら、誰に対しても隔てなく接する性格のウルリカ。当然の如くクラス内では男女問わず人気が高い。

 双人もその例に漏れず、彼女に対し素直な好感を抱いている。

 そんなクラスメイトとの他愛ない会話の時間は、彼にとって学校生活の楽しみの一つだった。


「そういえば尾羽利(おわり)は?」

「オワリ君? まだ見てはいないけれど……」

「ボクがどうかした?」


 二人の会話に割って入るように、そこに一人の男子が現れた。

 栗色の短髪に中性的な顔立ち、人懐っこい笑み、ともすれば女子と間違えられなくもない華奢な容姿。

 その姿を見た双人は、片手を上げて挨拶を口にする。


「よっ、おはよう尾羽利」

「おはよう、オワリ君」

「うん、二人もおはよー!」


 明るく朗らかに、弾けるような笑顔を湛えて尾羽利(おわり)響祈(ひびき)は挨拶を返した。


「また朝っぱらから学園内を走り回ってたのか?」

「情報は鮮度が命だからね」

「情報って……どうせ唯の噂話だろ?」


 グッとサムズアップで答える彼に、双人は間断無くバッサリと切り捨てた。

 口を尖らせて文句を言いたげな響祈だが、その姿は何処か愛らしく、本当に同い年の同性なのだろうかと疑問を抱かざるを得ない。


「まぁ確かに『学食には券売機に存在しない特別な裏メニューがある』とか『技術棟には地下へと続く階段がある』とか、眉唾物も多いけどさ。他にも――」


 次から次へと彼から語られるのは学園内外で広まっている噂話。

 夜中に理事長の銅像が走り回る怪談話。光間市の番長と呼ばれる者が、隣の市の不良グループをつい最近一掃したという時代錯誤な噂話。

 他にもジャンルを問わず様々な情報を、響祈は淀みなく口にする。


 何処からこれだけのネタを、というのも彼がそういう類を集める事を趣味としているからだ。

 その懐っこい性格によって学内外での交友関係は広く、本人曰く「十人程度まで広まれば充分に掴める」との事。

 その手腕たるや、最早一種の天才と言っても差し支えないレベルである。


「で、これが本命なんだけどさ。二人共、断続的に起こっている『通り魔破壊』は知ってるよね?」

「あぁ、深夜に無差別で建物が破壊されてるってヤツだろ。この光間市内で起きてるんだよな」

「私も聞いてるわ。大きな建造物や周囲に、何の音も立てずに大穴を開けるとか」


 そして本命として彼が提供したのは、巷を騒がせている『通り魔破壊』事件についてだった。

 概要は彼等が話した通り。深夜の内に建物を無差別に破壊……正確には壁面に大穴を開けたり、地面を刳り抜くという奇妙なものだ。

 今から一ヶ月前から起こったこの事件は、犯人や犯行動機、その手段すら不明のまま既に五件の被害を出していた。


「事件は連日じゃなくて突発的に発生してるから、警察側も対処が難しいらしいんだって」

「駅近辺のファミレス、中学校、ビルとか事件現場も色々だからな。確かに、それぞれの現場に共通点は見当たらない……警察も人員を割き辛いって事か」


 口元を手で覆い、考え込む仕草を見せる双人。

 それなりに被害が広がっている為、ニュースで何度か取り上げられているのは彼等のみならず周知の事実だ。

 共通点の無い現場、不規則なタイミングでの事件発生、目撃証言すらない現状に警察機関でも手を拱いているのが現状なのだと響祈は言う。


「でも何より問題なのは、犯行手段そのものじゃないかしら?」

「そうそう、その通り! それが今回の一番の情報なんだよ!」


 双人が考え込んでいる横で、ふと呟かれたウルリカの言葉を待ってましたと言わんばかりに食い付く響祈。

 思い切り身を乗り出す様子は、それが一番伝えたかった事柄だったのだと否応無しに理解出来た。

 そこまでの反応を見せられると、気になるのが人間の性というもの。二人の視線は自然と響祈へ注がれ、その口が開くのを今か今かと待っている。

 だがしかし、それは無情にも阻まれる事となった。


「不可解な現象に対して、今後は――」


 彼の言葉を遮るように、甲高いチャイムが鳴り響いた。それまでクラスメイトと談笑していた者は、その音と共に自分の席へ戻っていく。

 先程まで双人の席の前を堂々と陣取っていた響祈も同じく、あーあ、と零しながら席へと戻っていった。


「……むぅ」


 その後ろ姿を見送りながら、何とも形容し難い表情を浮かべる双人。

 此方の興味を引いたまま、このようなお預けを食らわされれば無理も無いというものだろう。

 あの余計な噂話さえ無ければ時間的余裕はあったろうに……と思う彼だが、その話を振ったのが自分だったと思い出した為、形容し難い表情を深めた。


「フフッ」


 横の席から楚々とした笑い声が聴こえたが、敢えて聴こえない振りを決め込む。

 余裕な笑みを浮かべる少女と不服気な少年、その何とも対照的な二人の表情劇は担任教師が来るまで続けられた。




 光心学園は在校生七百名程の、設立から十年という新設校。

 広大とも呼べる敷地に惜しみなく建てられた校舎群は、この光間市における一つのシンボルとも言える。

 しかし、本来ならばこのような状況はあり得ないだろう。

 光間市は人口二十万人に満たない市である。

 そのような場所に、これ程の規模の学園を置くなど正気の沙汰とは思えない。


 だが、それにはある一点の理由がある。


「――つまり、『魔導』において属性とは大まかなカテゴリーであり、そこから幾つものタイプへと細分化されていく」


 教師の声が室内に響く。

 教壇に立つ男性の姿は堂々と、凛々しくも厳かな雰囲気を纏って教鞭を執っている。

 その姿に釣られてか、生徒側の面持ちも真剣なものだ。いや、少しばかり緊張している者も居る。


「属性は現在までに八種が判明されており……火、水、風、土の四源属性。そして光、闇、空、幻の四象属性となっている」


 黒板にチョークの白線が走り、説明と同時に幾つもの図と説明書きが記されていく。後を追うように生徒達もノートにペンを走らせる。

 すると不意に教師は言葉を切り生徒達を見回すと、その中の一人に視線を合わせた。


「では瑞代、水属性のタイプを三種答えてみろ」

「はい。水流(ウォーター)治癒(ヒール)凍結(フリーズ)です」


 双人の淀みない答えに、宜しいと一言告げて彼に着席を促す。その後も何事も無く、板書と共に教師による説明は続けられる。


 先程の理由、それはこの『魔導』の授業そのものである。

 魔導とは今から五十年前に発見・提唱された、科学とは全く異なる人類の技術。

 体内や空気中に存在する魔力と呼ばれる精神エネルギーを操り、火や風を発生させるといった超常的な現象を起こす事が出来る。

 魔導はその特異な性質と神秘性、科学と比肩する高いパフォーマンスを有する事から、瞬く間に世界中に広まり、数十年の時を経て科学と対を成す一つの技術として台頭した。

 その魔導の提唱者が日本人。更に才を有する子供の出生率が、他国が平均十%以下の横這い状態でありながら、日本は順調に増加率を伸ばし、現在では約二十%に達している。

 先の二点によって、日本が魔導技術の先進国として世界で認められている。


 光間市はその日本国内において、光心学園の設立と同時期より特例魔導学指定地区、通称『魔導学区(まどうがっく)』と呼ばれる、魔導学問の奨励と魔導技術向上の為に必要な援助を、国より受けられる制度の対象地区となっていた。

 光心学園の過剰なまでの設備は、そういった背景によるものである。


 現在、双人のクラスである一年三組の授業は魔導学問の初歩。内容は近々行われる中間考査の為の復習の授業となっている。

 とは言え初歩は初歩でしかない。高校にて初めて公的な魔導学問を受ける立場にある彼等だが、大半は独学やそれ以前の特別教室で既に学び終えているレベルだ。中には家庭内で特別な学習をしている者さえ居る。

 故に教室内の緊張感は、教師の持つ張り詰めた空気によってのみ保たれているに他ならなかった。


「そして我々魔導を操る者、魔導師の属性を決めるのは、心象世界と呼ばれる人の内面に存在する原風景だ。火属性を持つ人間の心象世界には炎やマグマが絶えず存在し、水属性ならば泉や海が広がっているという風になる」


 一年三組の担任、及びこの授業の担当である高儀(たかぎ)誠司(せいじ)は、元は魔導に関する研究職に就いていた根っからの研究者だった。しかし数年前、当校の理事長のスカウトにより教員となった経歴を持つ。

 現在三十八歳ながら実直が過ぎる性格故の強面が、実年齢以上に見えるというのが生徒達の印象だった。


「魔導のプロセスは次の通り。体内に存在する精神エネルギーである魔力を操り、自身の心象世界を通す事で各々の属性に加工し、イメージングを以って外界へ出力するという三工程だ」


 勿論このクラスだけではない。他の教室でも魔導、もしくは一般の学問による授業は執り行われている。校庭や体育室では体育の授業、演習室ならば魔導の実践学習もある。

 日々の学習や研鑽による、未来の魔導技術の発展。その理念に基づいた光心学園の日常が、そこにはあった。




 四時間目の授業を終え、昼休みを迎えた。教室内ではそこかしこで友人達と寄り合い、もしくは学食へ足を運んで昼食を取っている。

 その中で双人は自分の弁当箱を取り出しながら、前の席に移動してきた響祈に告げた。


「漸く警察側も、魔導方面に目を向けたって事だろ?」

「え?」

「朝の話。お前が言い掛けたのって、そういう事じゃないのか?」


 予鈴によって阻まれてしまった響祈とウルリカとの会話。本人にとって不本意なまま終わりを告げた為、その後、彼は自分なりにその内容を予想していたらしい。

 だが運命の悪戯によるものか、二時間目以降の移動教室や選択授業によって、それを確かめる暇が全く無かった。

 そのようなお預けを喰らった状態の双人に、響祈は意味深な笑みを浮かべながら頷いた。


「まぁ、大体はそんな所。よく分かったね」

「寧ろ当たり前じゃないか? 通常の方法で不可能なら、魔導の可能性を疑う。どちらにしても方法の見当は付かないけど、少なくとも可能性の幅は広がる」


 当然のように答える双人に、響祈も同調しながら言葉を続ける。


「まぁね。でも警察だって馬鹿じゃないから、そういった動き自体は前々から検討していたらしいよ。事件が散発的だから、纏まった人員を確保出来ないみたいだけど……」


 最初の事件発生から約一ヶ月。その間に発生した被害は五件で、どれも壁面に大穴を開けたり床を刳り抜くといった物理的破壊による被害。

 警察側としても、この事件への対応に窮しているのだろう。


「魔導犯罪って言ったら、魔導衛士の人達だって動くんじゃないか?」

「うん。だから捜査と平行して、光間や他の所で活動している魔導衛士に応援を要請して、足りない人員を補うんだってさ」


 魔導による犯罪には、本来の罪に加え有害魔導罪が付加される為、必然的に併合罪となる。

 これは魔導という強力な技術によって行われる犯罪に課せられた法制度で、その被害規模や故意によって、重有害、中有害、軽有害と分けられる。

 魔導の無限の可能性も、犯罪となれば問答無用で重罰となるのだ。


 それでも犯罪を犯す者は存在し、故に魔導犯罪を専門とする者達が必要だった。

 国家公安委員会に設置された『阿頼耶識(あらやしき)』という名の機関、そこに所属する魔導衛士と呼ばれる者達である。

 厳しい審査によってその資格を得た彼等は、魔導犯罪の抑止力として日夜様々な場所で活躍している。光心学園のような、魔導の育成機関に所属する者達にとって、衛士は花形職業でもあった。


「にしても、どんな方法で壁に穴を開けてるんだろうな」

「穴の大きさは人一人分程っていうのが発表されてる内容だね。だけどそれを周囲に気付かれず、音も立てずっていうのは難しいよ。魔導を使っても破壊音は免れないし」

「……」


 じっと弁当箱を見詰めながら玉子焼きを咀嚼する双人。会話が途切れた事で響祈も食事を進めるが、その視線は目の前の少年に向けられている。

 何かを探っているような、期待しているような視線だ。


「もし犯人が魔導師なら、どんな方法があると思う?」

「そうだな……。単純な破壊じゃ音で気付かれる、それは普通の手段も魔導も同じだ。思い付くものとなると、空属性の空間(スペース)タイプの魔導で一定範囲を固定して、その後に移動(ムーブ)タイプで何処かに転送するとか?」

「でもそれなら、現場に残骸が見付からないから不審に思うでしょ。警察だってもっと早く魔導へ注目してるんじゃないかな?」


 ふとした思い付きを答えたら、あっさりと否定された。

 とは言え響祈の言葉に間違いはない。警察も捜査のプロフェッショナルである以上、不審な痕跡を見付ければすぐに魔導の可能性に着目する筈。

 それにニュースや新聞の内容にも、きちんと『破壊』と報道されている。双人の言った手法は無いと言っていい。


「まぁ、適当に思い付いたもんだからな。そもそも物体そのものなら兎も角、その一部分だけを切り取って転送なんて不可能だろ。パソコンのカット&ペーストじゃあるまいし」

「まぁね。どんなイメージングや出力があっても、そこまで魔導は万能にならないよ」

「でも魔導方面のアプローチとなると、俺達がまだ知らないタイプによるものも否定出来ないな」

「今の研究で心象世界がどれだけ解明されてるか分からないからねー。もしかして、タイプじゃなくて属性の可能性もあったりして」


 詰まる所、事件に関しては全く分からないという事だった。

 そもそも二人は光心学園の生徒ではあるが、一般人とそう変わらない。警察が手を拱いている状況に一石を投じれる事など、土台無理な話である。


「取り敢えず、休みになったら現場に行ってみるかね」

「あっ、子供の頃に探偵(・・)を目指してた血が疼いちゃった?」

「おい止めろ、人の恥ずかしい過去を掘り返すんじゃない」


 何気ない呟きに反応した響祈の突然過ぎる暴露に、微妙に顔をしかめながら制止する。不快感というまでもないが、本人はそれなりに羞恥を感じているらしい。

 小さかった頃、幼心に探偵というものに憧れていた自分の姿に……。


 それは至極単純なものだった。テレビドラマで活躍した探偵の姿に心奪われ、翌日に光間市を駆け回って謎を探すという、子供らしい衝動に任せた一時。そして、その時出会った一人の女の子。

 それが双人という少年の、探偵を目指す切っ掛けとなった想い出だった。

 だが時と共に現実を知っていく内に、純粋な想いは徐々に消えていくものだ。今の彼にとってその記憶は、若気の至りという一言で片付けられている。


「単なる好奇心。何となく気になっただけで、分からなかったらそれまで。その程度だっての」

「ふぅん。まっ、その辺は双人の自由だしね。ボクもこの件は興味あるし、必要だったら情報も提供するよ」


 朗らかに笑う彼を見て、胸中に少なからずの不安を抱いてしまう双人。


「……警察の人達に迷惑とか掛けるなよ?」

「ボクがそんな間抜けな事する訳ないじゃない」


 なんだかなぁ、と華奢な少年の自信満々な姿に溜息を吐く。信じていない訳ではないが、無邪気にも似た彼の様子は、否応無く不安を誘う。

 麗らかな春の陽気の下、再び味わった玉子焼きの甘みが少し薄く感じた。






2


 翌日。

 晴れ渡る空と比べて、通学路を歩く双人の顔は曇っていた。だがそれは不快によるものではなく、単に難しい事を考える際の悩みの色である。

 昨日の響祈との会話以降、彼の中では通り魔破壊についての考えが常にチラついていた。

 学校からの帰宅後もテレビや新聞、ネットの関連事項を見直し、授業の予習ついでに魔導関連の教科書を読み進め、日課のランニング中には犯行手段について考えを巡らせていた。

 だが結局は、今もこうして思考の海を潜るに至っている。勿論答えは全く出ておらず、しかも今朝のニュースで通り魔破壊の新たな被害が報道され、気付けばいつもより早い時間の登校に至っていた。


「……」


 昨日は響祈に「単なる好奇心」と言ったにも関わらず、こうして一日経っても気を向けている。考える材料があるにしても、もう少し気楽に考えていい筈。

 そんな自分に何だかなぁと思いながらも、足は学園へ、意識はより研ぎ澄まされ……


「きゃあっ!」

「へっ?」


 突如、雷鳴のような叫びが降ってきた。

 発信源は頭上、浮上する意識と共に顔を持ち上げた双人、その先には濃灰色のヒラヒラとした布と――――人の姿が。


「って、おい!」


 気付いた時には遅かった。重力に逆らわぬ自由落下は瞬く間に距離を詰め、双人へ強制接触(ダイレクトアタック)をかました。


「ぐぉっ……!」


 人生で初めて潰れたカエルのような声を発した。突然過ぎる人体アタックも人生初だが、そんな事を考えられる余裕などありはしない。

 コンクリートの地面に尻を強かに打ったものの、気にする暇も無く現状の把握に努める。

 彼の元に降って来たのは一人の少女だった。

 リボンで二つ結びした艶やかな菖蒲色のセミロング、服装からして光心学園の女子生徒のようだ。

 上空からの落下という事だが、見た感じでは怪我らしいものは見受けられない。接触の直前、無意識に半身を引きながら腕で受け止めた双人の働きによるものだろう。

 無事である事を確認し、ふう、と安堵の息を吐く。そして少女の方はというと、双人の腕に支えられながら小さな呻き声を漏らしていた。


「いたたたっ」

「あの、大丈夫です、か?」

「えっ……あれ?」


 そう問われ、此処に至って漸く自分の状況を察し始めたらしい。

 ゆっくりと目を開けて、ゆっくりと周囲を見渡し、そして自分の身を支えている双人と視線が合う。

 穏やかな、たゆたう湖面のような優しげな瞳だと双人は思った。

 最初は呆然としていた彼女だったが、徐々にそれが驚きに変わっていく。


「あ……ご、ごめんなさい!」


 謝罪と共にすぐさま双人から離れる少女。

 腕に残る体温の残滓を感じながら、彼女と相対すように双人も立ち上がった。

 身長は双人より頭半分低い位だろうか。未だ平静を取り戻せず、更には申し訳無さまで感じている様子に、寧ろ双人の方が申し訳無い気持ちに駆られる。


「えっと、大丈夫ですか?」

「は、はい。その、本当にごめんなさい」

「いや、俺は大丈夫なんで気にしないで……って、もしかして先輩ですか?」


 ふと目に付いた少女のループタイ、その色は緑だった。

 光心学園のループタイの色は、学年の違いを視覚的に理解出来るようにする為の措置である。赤、緑、青の順のサイクルが毎年割り振られており、赤が三年ならば緑が二年、そして青が一年。翌年になれば繰り上がり、三年が緑に二年が青で一年が赤というようになる。

 そして目の前の彼女の色は緑、つまりは双人の一つ上の二年生という事実を示していた。


「そういう君は、後輩くん?」


 彼女もそれに気付いたらしく、双人に問い返すように言葉を発する。話題の転換によって、先程までの戸惑いが少しだけ薄れたようだ。


「取り敢えず行きませんか? まだ早い時間ですけど、あまり人目に付くのもあれですから」

「そうだね。それじゃ歩きながら話そっか」


 彼女の同意によって、二人は肩を並べ通学路へ歩を進めた。

 春の陽気にも似た、柔らかな笑みを浮かべる隣の少女は、もう落ち着きを取り戻している。刹那的な慌しさだったが、収束は拍子抜けする程呆気無い。

 それにしても、本当に空から女の子が降ってきた。まさかとは思っていたが、昨日のあれはフラグだったのか。

 そんなくだらない事を考えた双人は、自分の思考に呆れながらバッグを肩に掛け直した。



「つまり、降りれなくなった猫を助ける為に木に登ったんですか?」

「そうだよ。だって可哀想でしょ?」

「まぁ、そうですね」


 皆森(みなもり)十和(とわ)は風に浮かぶ羽毛のような、ふんわりとしたリズムで当然の如く答えた。

 その結果があの事態を招いたのでは、と突っ込みそうになる双人。だが、それが純粋な優しさによる行いであるならばと、余計な言及は無粋という結論に至った。

 余談だが救助対象だった猫は、十和の落下に合わせて茂みの方へさっさと逃げ出していた。


「勇気あるんですね」

「そんな事無いよ。怯えてる猫ちゃんを見たら、居ても立ってもいられなくなっただけだから」


 自分の向こう見ずな行動を恥じ、少し困ったような笑みを浮かべる。

 半ば本能的なそれは、確かに考え無しが過ぎると言っていいかもしれない。双人が受け止めたから無傷で済んだものの、もしそうでなければと考えば、決して楽観出来ないものだ。


「それでも、猫を助けようとした事は正しいと思います」


 唯、彼女の行いを否定出来ないのも事実だった。自分を省みずとも、目の前の小さな命への思い遣りは間違いじゃない。

 それを躊躇わず実行に移せる十和の想いは、きっと大切なものだと双人は感じ取っていた。


「優しいですね、皆森先輩」


 気付けば彼は、自然と笑みを携えて呟いていた。


「大袈裟だって。私はそんな良い人じゃないよ」

「別に謙遜しなくても」

「寧ろ瑞代くんの方がずっと良い人だよ。落ちてきた私を受け止めてくれたし、それに文句の一つも言わないし」

「いや、それこそ別に気にする事じゃ……」

「でも本当に大丈夫だった? 瑞代くんからすれば、突然上から落ちてきたんだよ?」

「だ、大丈夫ですって」


 伺うような視線を向けられた双人は、少し戸惑いの様子を見せる。それでも、きちんと答えを返せたのは幸いだった。

 彼女の優しさを慮っての気遣い、それを悟られてしまったら本末転倒だ。

 だが同時に、それは嘘偽りの無い事実でもあった。

 二人が接触する寸前、双人は体内の魔力を操作して全身に流す事で、身体の保護と機能の水増しを行っていた。強化の魔導、火属性の剛力(マイティ)タイプと比べれば効率は確実に劣るが、常識的な範囲からすれば充分な措置と言える。


「そっか。それなら良かった」


 それを知ってか知らずか、隣を歩く双人に、十和は優しく穏やかな微笑みを以って応えた。


「あ……」


 自分に向けられる穢れの一切無い笑顔に、思わず心臓が強く拍動する。

 とても柔らかい、慈愛のような優しさに溢れた十和の笑顔。それはウルリカの持つ、余裕と優雅さによる人を惹きつける笑みとは異なる、包み込むような思い遣りが込められていた。

 真正面からそれを向けられては、思春期真っ只中の少年には少々キツいものである。

 意識せず熱くなる顔を気付かれないよう、視線を逸らしながら平静に努めた。


「そ、それは俺の台詞ですよ。皆森先輩に怪我が無くて良かったです」

「うん、瑞代くんのお陰だよ。ありがとうね」

「……はい」


 何の恥じらいも無い感謝の意に、双人の心臓は更に鼓動を強めた。

 普段から年上と接する機会が少なかった為か、十和のふんわりとした柔らかい笑みに抗えずにいる。たった一つの年の差が、何故だか途方もない隔たりに思えた。


「……むぅ」


 そうだこれは慣れていない所為でそれ以外の何物でもない、と何度も自分に言い聞かせながら、彼女と共に通学路を行く。

 いつもの日常の中で生じた、少し変わった新たな出会い。それが何を意味するのかは分からないが、きっと悪いものじゃないだろう。

 隣を歩く十和の、その優しさを湛えた微笑みを見遣りながら、双人もまた小さな笑みを零した。




 学園に着いた二人は、別れの挨拶を交わし各々の教室へ進んだ。

 ハプニングはあったものの時間はまだ普段より三十分近くも早く、教室に居るクラスメイトは極少数だった。だが時間が経てばいつも通り、ウルリカの気さくな挨拶や、響祈の唐突な登場が双人を迎えていた。

 しかし今朝の響祈の様子は、何やらおかしい。双人を見るなり、ニヤついた顔で含み笑いをしている。

 一体何が面白いのか。また変な噂話でも持ち帰ってきたのだろうか。

 彼と相対する双人の脳裏にそんな憶測が過ぎると同時に、得も言われぬ感覚に襲われた。


「ねぇ双人。今朝、あの皆森先輩と登校してたって本当?」


 開口一番、前置きも何も無く口を開いた。

 何処でその情報を嗅ぎ付けたのかは分からないが、全身から滲み出る好奇心を隠そうともせず、瞳を爛々と輝かせている。


「どうしてお前がそれを……」

「何言ってるのさ。早い時間だから目撃者は少なかったけど、バッチリ噂になってたよ」

「噂って、そんな大袈裟な。偶然一緒になったから登校しただけで、気に留めるようなもんじゃ……」


 あれは単なる朝の登校風景であり、代わり映えのしないものだ。出会いは変わったものだったが、それを除けば話題に上げるようなものですらない。

 双人はそう思っていたが故に、響祈の言葉についていけない様子だ。コイツは一体何を言ってるんだ……。

 だがそれは、響祈も同じだった。


「もしかして、双人って皆森先輩の事を知らないの?」

「先輩の事って言われても、今日初めて会ったから、二年生って事しか知らないぞ」


 その返答を聞いた瞬間、響祈はこの世のものとは思えない物体を見るような視線を向けてきた。凄まじい豹変ぶりに、真正面から向けられている双人は思わずたじろぐ。

 人に向けるにはかなり失礼なものだが、何が彼をそこまで変えてしまったのか。双人にはさっぱり理解出来なかった。

 すると響祈は、間断無くブレザーの内ポケットから一冊の手帳を取り出した。彼の趣味、もとい仕事道具の一つである。


「本名、皆森十和。一月二十五日生まれの十六歳。光心学園二年二組にして生徒会副会長。更には、我が校で五人しか存在しない六色階位(ランクカラー)の最上位であるレッドを保有し、内包する魔力量に至っては、全国の魔導師の中でもトップレベルって噂の人だよ」

「……マジで?」

「マジもマジ、大マジだって」


 思わず目を見開いて響祈を見つめる双人。何せ伝えられた事実が、彼にとってあまりにも大き過ぎるものだった。

 先輩である事はループタイの色で分かっていたものの、まさか生徒会副会長だとは思いも寄らなかったのだ。

 しかもランク・レッド、これは先程まで抱いていた自身の認識を改めざるを得ない。


 六色階位とは、魔導を使用する魔導師に与えられるランクである。

 最上位をレッドとして、グリーン、ブルー、イエロー、マゼンタ、シアンの順に定められており、国内外問わず全ての魔導師に適用されている。

 その選定方法は国際適正審査ユニバーサル・トライアルと呼ばれる試験によって執り行われ、体内に保有する総魔力量、精密な魔力操作に不可欠な制御能力、瞬間的に放出出来る魔力量を司る魔導出力が選定項目となる。

 この三点に加え教育機関では、将来的に自身の才を活かす為の適正進路選択や、学業の成績も少々ではあるが加点対象となっている。


「レッドで魔力量が全国クラス……凄いんだなあの人」

「何しろボクがイエロー、双人はマゼンタの普通の魔導師だからね」


 響祈の指摘によって、双人は自分の手首に着けられたブレスレットを見遣った。紅紫色(マゼンタ)の輝きを放つ珠玉が目に入る。

 マゼンタ、下から二番目のランク。一年では最も多いランクと言われているが、レッドと比べれば月とすっぽんである事は明確だった。

 別にあの出会いを機にお近付きになろうという気がある訳ではないが、それでも気さくに接してくれた一つ上の先輩との差には、溜息を吐かざるを得ない。


「なるほどな、確かにお前が騒ぐのも無理ないか」

「寧ろ双人が副会長を知らなかった事にビックリだよ」

「入学式で見たの会長だけだったし。それに生徒会の人を見る機会なんて、学校の全体行事とかだろ」


 光心学園二年、生徒会長にして学園理事長の孫である鴻上(こうがみ)翔星(しょうせい)

 異彩を放つその姿は、今でも双人の脳裏に焼き付いている。癖の無い銀髪に、全体的にほっそりとしたフォルム。アンダーリムの眼鏡の先にある切れ長の瞳は、まさに眉目秀麗と称するに相応しい輝きを秘めていた。


「でも副会長も凄いんだよ。これまでに告白してきた男子生徒は数知れず、そしてその全てを断る強者(つわもの)だからね」

「それって、もうアイドルとかのレベルだろ」

「うん。学園のアイドルって、あぁいう人の事を言うんだろうね」


 響祈の言葉に、朝の光景を思い出す。

 二つ結びした艶のある菖蒲色のセミロング、整った顔立ちから生まれる柔らかく優しさに満ちた微笑みは愛らしく、自然と人を惹き付ける可憐さがあった。少しゆったりとした言葉のリズムも、彼女のらしさを表す一因を担っていた。

 アイドル的な人気があるのも頷けるというものだ。


「へぇ、ミズシロ君ってあぁいう人が好みなの?」

「フォーシュバリ? いや、別にそういうのじゃなくて……!」

「良いんだよ双人。青少年として、内なる衝動を抑えられないんだよね?」

「何故そうなる!」


 いつの間にか隣に立っていたウルリカが輪に加わり、朝の教室は賑やかさを増した。

 冗談めかして双人をからかう響祈に同調する彼女。その涼しい笑みの中に見える、悪戯好きな小悪魔のような愛らしさ。

 それはまさしく、ウルリカ・フォーシュバリの持つ彼女らしさだろう。皆森十和とは対極の、彼女だけの魅力だ。


「意固地になると逆に怪しまれるわよ?」

「そもそもお前が変な事を言うからだろ」

「異性の好みを訊いただけじゃない。恋バナというものよ」

「出来ればもっと詳細な情報が欲しいんだよね。双人、ぶっちゃけちゃいなよユー!」

「だから何でだよ!」

「今言ってたでしょ。恋バナってやつだよ」

「健全な高校生らしい会話じゃない。恋バナ」

「あぁもう、勘弁してくれぇ……」


 だが今は、そのらしさは控えて貰いたい。

 ついでに尾羽利もいい加減止まれ。頼むから、朝から無駄な体力を消耗させないで欲しい。

 二人に弄り回されながら項垂れる双人は、心の底からそう願っていた。予鈴が鳴るまで、事態が収束する事は無いとも知らずに。






3

 尾羽利の言っていた事は本当だったと、双人は今日一日を過ごして実感した。

 授業中や休み時間、必ず何処からか視線を感じ、正体不明のプレッシャーを浴びせられ続けた。直接的な手段に出るような輩は居なかったものの、突き刺さる幾つもの視線は針のむしろの如く。

 そんな慣れない状況に晒された彼は、放課後となった今も疲弊した様子で机に突っ伏している。


「はぁぁぁぁ」

「ハハッ、随分お疲れみたいだね」

「当たり前じゃぼけぇ」


 最早普通を装う事すら面倒なのか、口から出る言葉は限りなく力が無く、口調すら定まっていない始末である。

 これなら朝のじゃれ合いの方が万倍もマシだったと、心の底から思わずにはいられなかった。

 何よりこのような仕打ちを受ける謂れは無い。自分は唯、落ちてきた女の子を助けるという、人として正しい行いをしただけなのだから。


「それじゃ、余計な事に巻き込まれる前に帰ろっか」


 その響祈の言葉に、双人は途方も無い不安に苛まれる。

 散々な目に遭ったにも関わらず、未だ終わらない可能性を予期する彼の瞳には、何かを期待するような光に溢れていた。しかも満面の笑みをプラスである。

 十中八九ネタになるトラブルを求めているのだろうと確信出来た。

 お前は本当に友達かと思わずにはいられない瑞代双人十五歳、ジト目を以って無言の圧力。しかし尾羽利響祈には効果が無かった。


「そうだな。さっさと退散した方が良さそうだ」


 溜息を一つ吐いて、気だるい体のまま立ち上がる。

 放課後とは言え日が傾くには早く、教室にはまだ何人かのクラスメイトが和気藹々と談笑している。その様子を一瞥しバッグを肩に掛けると、双人は教室を出ていった。響祈も当然のようにその後を追う。


「こういう時だけは、部活に入ってなくて良かったと思うな」


 光心学園は部活への参加は校則で自由となっている。その為、大半の生徒が自分の興味や特技に合う部活に参加している一方で、様々な理由によって何処の部にも属さない生徒も居る。

 双人や響祈も無所属に類する生徒だった。


「そういえばさ、どうして双人は部活に入らないの? 割とスポーツ万能だし、文化系も出来なくはないでしょ?」

「いや、出来る出来ないっていうか、やりたい部活が無いんだよ」

「ウチって魔導の有無に限らず色んな部活があるから、双人のやりたい事、せめて一つは見付かると思ったんだけどなー」

「……悪いな、気に掛けさせて」


 響祈の言葉に、申し訳無い気持ちを抱きつつ答えた。

 双人は昔から勉強も運動も人並み以上にこなせる少年だったが、それ故に自分が好きなものや得意なものに明確な線引きが出来ずにいた。今の自分が一番したい事、今の自分が一番出来る事、それらが見付けられず悩む事が多かった。

 それは光心学園に来てからも変わらず。魔導を本格的に学ぶ事で視野を広げれば、それが見付かるかもしれない。そんな期待と共に入学したものの、一ヶ月半では何の感触も得られず今に至っている。

 響祈の落胆は、彼のその悩みを理解しているが故のものだった。


「今まで何回も言ってきたけど、取り敢えず何処かに入っちゃえば? やってる内にそれが一番になるかもしれないし」

「今まで何回も返してきたけど、そんな気持ちじゃ本気で取り組んでる人達に失礼だろ」

「そういう所は昔から律儀だよね、双人って」


 隣を歩く友人の発揮する妙な誠実さに、響祈は思わず笑みを漏らす。確信と言えるレベルで予想出来ていた返答だけに、本人には悪いと思いながらも安心感を覚えてしまった。

 双人は本当に昔から変わらない。勿論それは悪い事ではなく、寧ろ失くしてはいけない彼の美点なのだが……時折、無性にからかいたくなる気持ちがもたげてしまうのも事実だった。


「でもお前だって部活に入ってねぇだろ」

「仕方ないよ、ボクには情報収集っていう使命があるからね」

「だったら新聞部にでも入った方が、その情報にも使い道があるだろ?」

「別にそんな事の為に情報を集めてる訳じゃないしー」


 なら何の為に集めてるんだよ、と胸中で呟く双人。しかし、尋ねた所でマトモな答えが返ってくると思っていない彼は、敢えてそれを口にする事は無かった。


 その後も並び歩きながら会話が続く。

 今日一日浴び続けた視線も、やはり放課後という時間によって殆んど感じる事は無かった。

 このまま学校を出れば、それからも解放される。気分と共に軽くなる足取りでリノリウムの廊下を歩き、昇降口へ向かう。

 だがその時、校内放送のジングルが流れてきた。


『一年三組の瑞代双人君、高儀先生がお呼びです。至急、演習室まで来て下さい』


 突然の呼び出し。まさか自分の名前を呼ばれるとは思わなかった双人は、数瞬遅れてから反応を見せた。


「俺?」

「みたいだね。何か呼び出されるような事したの?」


 響祈の疑問に首を横に振る。日頃から品行方正を意識しながら生活している彼は、少なくとも教師に目を付けられるような事は何一つしていない。

 しかも、相手が担任である高儀先生ならば尚更だ。一体どのような呼び出しなのか、双人には皆目見当も付かなかった。


「まぁ、いいか。何の呼び出しか分からないけど、悪い事をした訳じゃないんだし」


 座学担当の先生がどうして演習場室呼び出すのかも疑問ではあったが、それも行けば分かる事だ。

 下駄箱で履き替え損ねた靴を戻し、演習室へ向かう為に中庭へと足を運ぶ。すると肩を並べるように響祈も付いてきた。


「待ってるだけじゃつまらないしね」


 最もらしい理由だが、その実、双人が呼び出された内容が知りたいだけという裏が透けて見えた。

 何せ入学してから初めての事、何かあるのではと内心気になって仕方ないのだろう。


「何も無いと思うけどな」


 興味津々といった友人の姿に呆れながら呟く。

 情報収集を趣味にしているとは言え、これ程までに節操無しで首を突っ込んできては、最早趣味ではなく習性なのではと疑ってしまう。

 確かに教師からの呼び出しは初めてだが、間違いなく響祈が望むようなものは無い。結局は単なる呼び出し、それ以上でもそれ以下でもないのだから。

 横並びする二人の表情が、その温度差を如実に表していた。



 演習室は魔導の使用を前提として建てられた武道会館内の一部で、内部には幾つもの円形ステージが設置されていた。無数の照明を取り付けた天井は高く、ステージの周囲は観覧用のスタンド席が存在する。

 その規模はさながら公民館レベルであり、同時に小型のアリーナとも呼べた。学園の施設の一部と言われても、常人では俄かには信じ難い光景だろう。

 双人と響祈は鉄製の扉を開いて入室すると、中では活気に溢れた声が響いていた。演習室の端では百数十名もの生徒達が集まり、先輩であろう一人の話を熱心に聞き入っている。


「光心学園内の最大規模の部活、魔導錬闘部だね」


 通称、魔闘部。魔導を主軸とした総合戦闘術を、より実戦的に鍛え上げる事を目的とした部活である。

 『鍛錬せよ、実践せよ』というモットーを掲げ、部員達は様々なトレーニングと共に、日夜このステージで激しい魔導戦闘の訓練を繰り広げている。

 その見栄えの良さと派手さ、そしてスパルタにして生粋の実力至上主義から、最も入退部が多い部活として校内では有名となっている。

 なるほど、と響祈の説明を耳に入れながら周囲に目を向ける。

 まだ本格的な活動の時間ではないものの、発される熱気は離れている此方にまで伝わってくる。

 聞く所によると、秋の新人戦の為にこの時期から(ふる)いに掛ける準備をしているとの事。その新人戦で好成績を収めれば、衛士の為の審査で優遇される。彼等の熱意も当然と言えた。


「……って、部活見学に来た訳じゃないだろ」

「アハハ、そうだったね」


 そう、此処に来たのは担任である高儀先生に呼び出されたからである。早く見付けて、話を聞かなければ。

 しかし周囲には教師の姿はおろか、魔闘部以外の生徒すら見掛けない。一体どういう事だろうか?


「早く来過ぎたのか?」

「いや、そんな事はねぇぜ」


 自分の呟きに突然返ってきた声に、双人は思わず振り向いた。

 そこには、入り口の扉に背を預けながら此方を見据える一人の生徒。燃え盛る炎のような赤髪、勝気さを見せる双眸が双人を真っ直ぐに捉えていた。


「お前が瑞代双人か?」

「そうですけど……えっと、誰ですか?」


 双人にとって全く記憶に無い顔だが、相手側は彼を知っているようだ。辛うじてループタイの色から、二年生である事だけは伺える。

 その先輩であろう人物は双人の元に歩み寄ると、無防備な肩を掴んで誘導するようにステージの上まで引っ張っていった。

 あまりに突然の事に、双人はなすがままの状態だ。


「あの、だから、一体何ですか?」

「実はあの呼び出しな、俺が頼んだんだよ」

「え、それは……」


 強引に肩を組まれ、気付けば身動きまで封じられた。

 先程よりも近くなった顔には、ニヤついた笑みと此方を伺う双眸が見える。親しげなポーズでありながら、どうも歓迎しているようには思えない様子だ。

 しかも教師の名前を使っての呼び出しだ。この人は一体何を企んでいるのだろうかと、双人の思考が働き出す。


「そんなもん決まってんだろ、瑞代」


 今度は唐突に双人を解放して、背を向けてステージを歩き出した。それは丁度、互いの距離を取って相対する形となる。


「お前を試すんだよ。この俺、新堂(しんどう)一真(かずま)がな」


 不敵な笑みと共に右手を突き出す。その手首のブレスレットには緑色(・・)に輝く珠玉。

 それが意味する事と、その行動の意図に気付いた時には遅かった。間違いなくそれは、魔導を使用する為のプロセス。


「イグニション!」


 力強いその一言により緑玉が一際強く輝く。

 次の瞬間、一真の手には一本の木刀が握られていた。何も無い所から物体を取り出す妙技、だがこれは手品でも何でもない。

 彼の手首に着けられたブレスレットは、魔導器(ディバイダー)と呼ばれる魔導推進補助装具であり、その物質転送の効果による恩恵だった。

 同時に、通常では制限されている魔導の使用も解除された。


「なっ……!」


 あの一連の流れからこの結果は分かっていたが、それでも驚かずにはいられない。

 理由も何も知らぬままステージに上げられ「試す」と言われ、更には戦闘態勢まで取られた。何も繋がらない、現状に至る意味が分からない。

 あの新堂という先輩は本当に何がしたいんだ?


「さぁ、瑞代も解除しろ。でないとお前を試せないだろうが」

「いやだから、さっきから俺の何を試そうとしてるんですか?」


 状況が進む度に混乱は増すばかり。

 しかし一方で、脳内ではこの場をどう乗り切るかの思索をしていた。訳が分からないとはいえ、戦闘態勢を整えた相手を前に、このまま呆けて流されるのは愚かだ。


「決まってんだろ、今のお前が――」


 だが突然、双人の全身に電流が走り、同時に思考が別方向へ切り替えられた。


『それじゃ、余計な事に巻き込まれる前に帰ろっか』


 脳裏に浮かぶのは、先程友人が見せた意味深な笑顔。更には、これから双人に降り掛かる何かを予知するかのような物言い。

 もしこれが虫の知らせであるならば、つまり……


「――アイツに、皆森十和に相応しいかだ!」

「やっぱりそれかぁ!」


 半ば予想していた答えに、打てば響くように迅速な突っ込みを返した。

 既に充分なまでの仕打ちを受けて尚、その問題は双人を捕らえて放さないようだ。もう彼は頭を抱えたくて仕方がなかった。


「ほらよ、分かったんならさっさと構えろよ」

「いや、だって今は部活の時間ですよ!」

「心配すんな。何たって魔闘部のエースだからな、ちょっとした模擬戦って伝えてある」

「えぇぇぇ……」


 腕を組みながら(いた)く満足げな一真。何という方便。エースとは言え活動の為のステージを私物化する様に、堪らず怪訝な表情を向ける。

 先程の呼び出し放送の件といい、この先輩はどうして此処まで手を尽くすのだろうか。双人は、その真意を図り切れずにいた。


「いやいや、そもそも何で先輩がそんな事をするんですか?」

「十和が俺の幼馴染だからに決まってんだろ」


 あっけらかんと言い放つ一真は、そのまま木刀を逆手に持ち替えると、剣先をそのままステージに突き立てた。

 するとカンと乾いた衝撃音の後に、ステージの円周上に幾つもの光の杭が現れる。それらは両隣の杭を光線で結ぶと、あっという間にステージを囲む光の円壁を構築してしまった。


「さぁ、これでもう逃げらんねぇぞ。観念しろ」

「……その台詞のチョイスは絶妙に間違ってると思います」


 まるで犯人を追い詰めた刑事のようだと、犯人役を押し付けられた双人は思う。

 しかし、くだらない事ばかりも言っていられない。ステージを囲むあの光は言わばバリア、擬似的な閉鎖空間として内外を遮断する光の檻だ。本来は競技を円滑に進める為の機能である筈が、今は強制的に退路を断つ為に使用されてしまった。


「……」


 これで、目の前で勝ち誇ったような笑みを浮かべる相手に立ち向かうか、無抵抗のまま一方的にやられるかの二択のみとなった。かなり納得しかねる話だが、事此処に至っては双人も腹を括るしかない。

 何せ相手が全く聞く耳持たないのだから、その妥協も仕方ないと言える。

 だがそれだけではない。双人の中で、一真の行動原理に対して思うものがあった。

 やり方は迷惑千万極まる強引さだが、それが本心から誰かの為であるというのなら、簡単に一蹴する事だけは憚れてしまう。


「……分かりました、やります」

「おう、そう来なくっちゃな」


 やる気満々な相手はランク・グリーンという、自分より三段階上の魔導師。どう考えても一方的な展開にしかなり得ないだろう。

 しかも万が一の確率で健闘しようが、双人に得るものは何も無い。この先輩に認められようが、彼と十和の関係が変わる訳ではないのだから。

 内側で渦巻く無駄な思考を一旦止め、双人は紅紫色の輝きを携える右手を前に突き出した。


「アクセプト・オン」


 呟かれた解除コードによって、ブレスレットのマゼンタ光と共に自身に掛かる魔導制限を解除する。流れる水のように、全身に魔力が満ちていく。

 同時に彼の両手は、掌大の鈍色(にびいろ)に染まった一対の戦輪を携えていた。


「その形状、思念操作型の魔導器って所か」

「はい。この世でたった一つの特注品です」


 一真の問いに静かに答え、双人は戦輪を上へ放り投げた。

 数メートルの上昇からの自由落下。しかし地面に落ちる寸前、まるで燕返しのように軌道を切り返し、双人の傍らで回転するまま滞空する。

 思念操作型とは名の通り、彼の意によって自在に動く魔導器である。

 これで、互いに戦闘の為の準備は済んだ。


「準備完了だな。だったら、早速行くぜ!」


 木刀を肩に担ぎ、体勢を低く、蓄えた力を一真は解放する。接近は瞬く間に、猛々しい気迫を以って木刀を振り下ろした。

 頭部への直接打撃、対する双人は戦輪の一つを操作して対抗する。


「だらぁ!」


 せめぎ合いは時間は極僅か、その一振りは双人の防御を強引に打ち払った。しかし彼は既に、防御と同時に背後へ飛び退いて距離を取っていた。

 だがそれを見逃す程、相手は甘くない。一真は躊躇い無く踏み込んで追撃する。


「せいやぁ!」


 すぐさまもう一つの戦輪を操作し迎え撃つが、弾丸の如く吶喊(とっかん)する彼を止めるには至らない。掬い上げる軌跡でそれを弾くと、一気に距離を詰めた。


「っ!」


 再び脳天に迫った一閃を横っ飛びで何とか回避、ステージに手を付きながら距離を空ける。

 相手もそれ以上の追撃は無いらしく、その場に留まったまま双人を見据えていた。

 だが油断は出来ない。少しでも気を抜けば一気に崩される。視線の先、右手で木刀を担ぎ直す少年は、やはり不敵な笑みのまま泰然としていた。


「んだよ、魔導器だけで魔導は使わねぇってのか?」

「……どうですかね」

「ハッ、随分余裕じゃねぇか」


 双人の返答を軽口と捉えたのか、笑みを深めて木刀を一振りする。その間に双人は、頭の片隅で相手の戦力の見直しに入る。

 まだ二撃のみだが、恐らくは魔導器である木刀での力強い攻めを得意とする近接戦闘型(インファイター)。好戦的な性格から属性は火、スタイルと照らし合わせれば剛力(マイティ)タイプがメインといった所だろうか。


「そんじゃ、こっちから使わせて貰うぜ――――『バーン・アップ』!」


 その宣言により、双人の思索が途切れた。一真の握り締める木刀が赤い光に包まれる。予想通り、剛力の強化魔導だった。


「っ、来る……!」


 先程とは比べ物にならない威圧感が突き刺さる。それを肌で感じ取った双人は、来る脅威に対して身構えた。

 先のやり取りはほんの遊び、本番はこれからだと一真の目が告げている。


「お熱いの、くれてやるよ」


 再び一真は駆けた。狙い違わず、真っ直ぐに双人(ひょうてき)へと襲い掛かる。

 受身は危険だと感じた双人は、すぐさま戦輪を飛ばし、自身も突撃から逃れるように走った。左右から弧を描く軌跡の挟み撃ち、放たれた刃は吸い込まれるように彼の元へと


「弱ぇ!」


 だがそれは唯の一閃で軽く弾き飛ばされた。刹那の攻防も無く、触れた瞬間には負けていた。

 地を蹴り方向転換、すかさず双人に肉薄しようと踏み込む。疾走はさながら猛獣を彷彿とさせる。

 慌てて飛ばされた戦輪を手元に引き寄せ、双人は迫り来る一撃に備えた。


「砕けろ!」


 木刀は二つの刃を捉え激突。そして数瞬の拮抗の末に、その形状を跡形も無く粉々に打ち砕いた。

 発生した衝撃に吹き飛ばされ双人は体勢を崩し、ステージに倒れる。


「っ!」


 しかし呆けてはいられない。視線の先には木刀を構えた一真の姿、すぐさま体を転がせて回避する。

 耳を(つんざ)く破壊音と後ろ髪を揺らす風に冷や汗を掻きつつ、体勢を立て直し距離を取った。

 だが既に接近はなされている。上体を反らして側頭部を払う一撃を辛うじてかわし、その勢いのまま後方転回(バクてん)。息吐く暇も無く迫り来る切っ先には、真横に飛び込んで事無きを得た。

 呼吸を忘れてひたすら避ける。仕損じればそれで終わり、まさしく綱渡りのようだ。


「中々動けるじゃねぇか。反応も良いようだしな」


 体勢を整えて視線を戻すと、そこには新堂一真が不敵に笑っていた。

 魔力による肉体保護がある為か、攻撃の手に躊躇いは一切無い。獲物を狙うギラついた双眸に、双人は少しだけ息が詰まった。


「それは、どうも……」


 深呼吸で荒げた息を無理矢理静め、何とか答えを返した。

 別段返す必要の無いものではあったが、賞賛を受けた以上、無言を貫くのも気が引けた。そんな自分の妙な律儀さに胸中で苦笑を零す。

 だが楽観出来る状況でない事もまた、重々承知していた。


「んで、魔導器を失くしたお前はどうするんだ?」

「……」


 そう、今の攻防で双人の魔導器は粉々に砕かれた。未だ魔導を使っていないが、現状は手も足も出ないと言っていい。元よりこの状況は彼自身も分かっていた。

 相手は完全な格上。真正面からどれ程ぶつかろうと、実力差が当然のように立ち塞がる。

 しかし、双人は思考を止める事をしなかった。


「ダンマリかよ」


 木刀を肩に担ぎ直し、一真は徐に近付いてくる。

 最早、誰もが勝負あったと見て間違いない。彼にとっては、もう少しやれるだろうと思っていただけに期待外れの結果だ。所詮、マゼンタではこの程度か……。

 落胆とも呆れとも取れる表情が、顔一面に張り付けられていた。

 だから気付かなかった。双人がほんの少し足を上げていた事に。無防備に近付いてくる彼を、真剣な瞳で真っ直ぐに見据えている事に。


「――『ギアーズ』」


 そして双人は、持ち上げた足で床を叩いた。終わりを見ていた彼にとって、それは全くの意識の埒外。

 次の瞬間、地面から幾つもの影が飛び出し、一真へ殺到した。弧を描きながら四方を囲む陣形にて、不意を突く襲撃。

 しかし戦いに慣れた者の性か。脊髄反射染みた動きで体を低く、回避行動によって何とか切り抜けた。


「そこ、ありますよ」

「何っ!」


 体勢を立て直した次の瞬間、眼下の地面を砕きながら影が飛び出す。同時に左右からも一つずつ迫った。

 小さく舌打ちをしながら、それでも一真の体は回避をする為に動く。だがその先の地面からも同様の襲撃が待っていた。


「くそっ!」


 先程までの余裕は無く、既に回避するのみに終始している。今まで培ってきた経験のお陰か、直撃を貰う事は無い。

 だが何がどうなっているのか、彼には全く理解出来なかった。その動揺によって、既に迎撃という選択肢が頭から抜けてしまっている。

 そしてそれが止んだのは五度の後。周囲を警戒しながら、一真は双人へ視線を向けた。


「瑞代……」


 いつの間にか双人の周囲には、戦輪が飛び回っていた。その数は十にも上り、形状も先程の物とはまるで違っていた。半透明の灰色をした歯車、見た事の無い形の魔導器だ。

 まだ同じような魔導器を隠し持っていたというのか。まさかの事態に内心でまたも舌打ちをする一真。

 だが少しずつ冷静さを取り戻すと、ふと違和感を覚えた。あれらは全て、ステージから飛び出してきたものではないか。


「まさか、ソイツは……」

「はい、全て俺の魔力で模った虚像(・・・・・・・・・・)です」

「それじゃ、さっき俺が砕いたヤツも……」


 その言葉に応えるように、双人の両手に新たな戦輪が現れる。

 それは先程、一真によって粉々に粉砕された筈の鈍色の輪と瓜二つ、いや、完全に同じものだった。


「言ったじゃないですか、この世でたった一つの特注品だと」


 確かにその通りだ。双人が制限解除したあの瞬間に生み出されたのであれば、それはこの世に二つとない特注品と言っても差し支えない。

 それが本物の魔導器であれば、の話ではあるが。


「魔力でイメージした物体を模る虚像を作り上げる。お前まさか、幻属性か!」


 双人はそれに答えなかったが、一真にとっては既に確定事項として認識していた。

 現在判明している属性の中で、そのような性質を持つのは唯一つ。現存する魔導師の中で最も保有者の少ない幻属性、その虚像(ヴィジョン)タイプに他ならない。


「本当は隠しておきたかったんですけどね」


 自分の周囲を滞空する、半透明の歯車を一瞥しながら呟く。

 幻属性はイメージした形を魔力で生成する虚像や、対象の感覚認識を阻害する妨害(ジャマー)等のタイプを持つ属性である。


「なるほどな、お前が魔導を使わなかったのは……」

「まぁ、そんな所です」


 自分の戦法を魔導器のみと意識させつつ、その間に反撃の為の準備を行う。まさか、回避中に自然に地面へ手を付いた仕草が、この反撃に繋がっているとは夢にも思わないだろう。

 それによって、油断した相手の虚を突く。事此処に至り、まんまと術中に嵌ったと一真は理解した。

 だが当の双人には、彼に対し一矢報いたという感情は無かった。寧ろ逆、あの波状攻撃によって与えられたものが何一つ無かった事に危機感を抱いていた。


「確かに少しヒヤッとしたぜ。だが、次はそうはいかねぇからな」

「……ですよね」


 もう油断も慢心もないと、彼の表情が告げていた。

 如何な奇襲であろうと、同じ手に掛かる者など当然居ない。常態の相手に手の内を晒したのは、それだけで充分な痛手と言える。

 二人の間に張り詰めた空気が漂う。

 先程の奇襲を警戒し、同時に接近のタイミングを図る一真。双人はその彼の出足を伺い、傍らの戦輪達(ギアーズ)を従える。


「行くぜ!」


 またも先陣を切ったのは一真だ。警戒で動きを鈍らせるのは下策と切り捨て、躊躇せず双人目掛けて疾走する。

 すぐさま双人も動く。ステージの円周を沿うように距離を取り、同時に傍らのギアを三つ射出する。それぞれが別の軌跡を描き、目標へ吸い込まれる。

 だが結果は変わらず、強化された一振りで薙ぎ払われた。


「だったらっ……!」


 地面に設置したギアを三つ、更に手元の四つが一真へ向けて飛翔。七つの刃による包囲陣形が組まれる。


「甘ぇよ!」


 それでも彼の中に焦りは無い。

 靴裏で急制動を掛けると、木刀を力強く握る手を引き、体を大きく開いた。迫り来る七刃へ誘うように笑みを向けると、大振りに薙いで全てを弾き飛ばす。いや、その内の幾つかは触れる事すら叶わずに軌道を捻じ曲げられていた。

 そして全ての刃は、数瞬後に空中で砕け散った。

 何というパワー。強化されたとは言え、一方的に双人の攻撃を打ち払う姿は、何一つ寄せ付けぬ嵐そのもの。自身に放たれた攻撃を物ともせず、楽しむように潰していく様は、相手にとって脅威以外の何物でもない。

 相対する双人に計り知れない重圧が襲う。


「まだまだぁ!」


 一足飛びに近付く彼の勢いは猪の突進を髣髴とさせる。体から滲み出る激しい気性は凄みを増し、双人を貫かんと得物の切っ先を向ける。


「ギアーズ、セット!」


 その覇気に息が詰まった双人は、それでも重圧を飲み下してギアの生成と指示を与える。残り三つと今作った二つ、更に手近に設置したギアによる一点集中。

 小細工では止められない。彼の獰猛な突きに対抗するには、それを以ってしても足りない位だ。


「はぁぁぁぁぁ!」

「これでっ!」


 一真の眼前に見える十を超える歯車の群列。しかし恐るるに足らず。どれだけ数が揃おうと薄皮も同然、悉く突き破るまでだ。

 彼の雄叫びに呼応して、木刀は触れた歯車を次々と打ち砕く。悲鳴にも似た破砕音をも貫いて、目指すはその先に居る標的――――瑞代双人へ。


「なっ……!」


 だが切っ先が双人に触れる瞬間、その姿が一瞬だけブレた。映像の乱れのような些細なものだが、気付けば木刀は双人の体をすり抜け、切っ先はステージを覆うバリアに突き刺さった。

 勢い余った一真の一撃は、バリアと苛烈なまでに鎬を削り合う。しかし、状況を認識した彼によってすぐさま引かれた。


「チッ、妨害タイプの魔導か」


 振り向いた先には、肩を上下させながら呼吸を繰り返す双人の姿があった。息吐く暇すら与えない攻勢に、彼の肉体も精神も疲労が溜まりつつある。それでも距離を稼げた分だけ、心の重圧は和らいだ。

 これも直前に使用した妨害タイプの魔導、相手の視覚認識を誤魔化す『ミラージュ・カーテン』のお陰だろう。

 一真の魔力に対する抵抗力が高い為に効果時間は僅かで、発動のタイミングはシビアだったが、充分な時間稼ぎになり得た。


「見た限りじゃ実戦経験は皆無みたいだな。だが、それにしてもやるじゃねーか」

「いや、マジでキツいですって」


 腹から大きく息を吐き、双人は呼吸を整える。

 一真の見抜いた通り、彼に実戦経験など無いに等しい。光心学園に入学してまだ一月半では、授業は基本的なものが殆んどだ。加えて幻属性は、他の属性と比べて戦闘に向いた性質ではない為、今回のような機会らしい機会が無かった。

 此処まで双人が立ち続けていられるのは、ひとえに彼が考える事を止めなかったからだろう。そうでなくては、元々ある実力差から無様を晒すのは目に見えていた。


「そんじゃ、そろそろ終わりにすっか」


 そう告げる一真の顔は、心底楽しそうな笑顔だ。

 恐らく最初の趣旨は既に忘れ、この戦闘を訓練の一環として取り組んでいるのだろう。戦闘狂とまではいかないが、実力主義の魔闘部エースらしい一面だった。

 彼は木刀を眼前に掲げ、魔導(ことば)を紡ぐ。


「コイツの熱さは一級品だ。『バーニング・ハーツ』!」


 掲げた木刀に炎が迸り、蛇のように巻き付く。すると炎は刀身全体を包み込み、木刀の倍近くの長さを持つ炎の剣となった。

 彼はそれを軽く横に払い感触を確かめ、満足げな顔で一度頷いた。


「マジかよ……」


 一目見ただけで分かる。アレは、先程までの強化した一撃とは比べものにならないレベルの魔導だ。

 その事実に思わず口が開いた双人だが、すぐに頭を切り替えた。

 何であれ圧倒されている場合ではない。今の自分は、それを凌ぐ手立てを見付けなければならないのだ。


「さぁ、これで終わらせようぜ」


 双人の脳内が焦りで埋まる。未だ有効な手段は見付からない。

 ギア程度では、あの炎に触れた瞬間に消し飛ばされる。ミラージュ・カーテンも同様、同じ相手に何度も有効なものではない。他の魔導も同様、幻属性は真正面のぶつかり合いに全く向いていない。

 進退窮まるとはこの事かと思わずにはいられなかった。

 そして、一真が走った。炎の剣を携え、双人の元へ疾駆する。


「くそっ……」


 互いの距離が徐々に縮まる。後数歩で剣の間合いに入ってしまう

 どうする、どうやって凌ぎ切る。アレを受け切る防御を、今の自分に用意出来るのか。いや、やらなければならない……!


 覚悟と共に魔導を発動させる……しかしその時、ステージに光が差した。

 備え付けられた照明とは比較出来ない程の強烈な閃光。それは周囲を隔絶するバリアと拮抗し、貫き、二人の元に降り注いだ。


「「はぁっ!」」


 対峙していた筈の二人はあまりに突然の事態に驚きを示すが、間も無く閃光は槍のようにステージに突き刺さった。衝撃によって地面が砕け、轟音と共にステージに煙が舞い踊り、二人の姿を覆い隠してしまう。

 だが光は一本だけでは終わらなかった。三本、五本……いや、十本以上もの光が次々と殺到し、それに合わせて更なる轟音と煙が噴き上がる。

 分厚い煙幕に包まれたステージに、流石に周囲の者達も何事かと注意を向け出した。


 噴煙を撒き散らすステージが、稼動する空調設備によって少しずつ晴れていく。

 その中に二人は居た。煙を吸った為か咳き込みながらも、その体には傷らしい傷は見当たらない。

 その代わり、彼等の周囲は至る所が砕かれ、突き刺さったような痕跡が幾つも広がっていた。あの凄まじい光の襲撃を前に、奇跡的にも無事だったようだ。


「っ、一体何が……」

「コイツは光属性の魔導か。ったく誰だ、横槍なんざ入れやがったのは」


 戸惑いながらも現状を把握しようと、二人は周囲を見回す。

 ステージの使用法や特性を鑑みれば、外側から強引にバリアを貫くなど、そうそう行われるものではない。一体誰が、何故このような真似をしたのか。


 そこに、二人の立つステージに近付く者が現れた。男子と女子の二人である。

 男子は銀髪にアンダーリムの眼鏡を掛け、クールで落ち着いた空気を醸し出している。

 女子の方は二つ結びした菖蒲色のセミロング、穏やかな光を宿す瞳がとても印象的だった。

 どうしてこの二人がこんな所に……。その姿に見覚えのあった双人は、半ば反射的に口を開いていた。


「皆森先輩に、生徒会長……」


 ほぼ忘れ掛けていた、双人と一真の戦いの要因であった少女、皆森十和。そして

「さて、説明して貰おうか」


 この光心学園の生徒会代表である、生徒会長――――鴻上翔星だった。






どうも初めましてです。

この『ワールド・エクステンダー』は、最近の作品にはあまりない「小難しい設定や理屈の無い魔法」を題材とした現代ファンタジーです。

いや、最低限の設定はありますが、あまり気にしなくていい、気楽なものだと捉えて頂けるとありがたいです。

ですが初っ端から二万五千文字オーバーで、申し訳ありません。

このリバーサライズ編と銘打たれた最初の話は、恐らく四話程で完結すると思われます。

まずはそこまで、お付き合い頂ければと思います。

それとこの作品は実験作のようなものなので、作品に関して意見諸々があれば遠慮無く仰って下さると非常にありがたいです。

誤字脱字は勿論、内容におかしいと思った所など、何でも大丈夫です。

読んで下さる方々の、生の声を聞かせて頂ければ、作者としてこれ幸いです。

長々となりましたが、今回は以上です。

では、失礼致します。


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