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【別視点】 ハイゼル領外交官 バルト・スリマンの独白

 馬車がハイゼル領の城門をくぐった瞬間、私は隣に座るグスタフ閣下を一瞥した。


 閣下は腕を組み、窓の外をじっと見つめている。その表情は、近隣領地を飲み込まんとする猛禽類のように鋭い。


 だが、私にはわかっていた。


 閣下の右手の指先が、膝の上でピクピクと、まるで何かを求めて彷徨うように動いているのを。


「……バルト」


「はっ、閣下」


「あのような……あのような理外の作物を、たかが五歳の子供が、それもあの『呪われた地』で育てているというのか」


「事実、目の当たりにいたしました。あの瑞々しさ、そして……」


「……あぁ、わかっている。言わんでもいい」


 閣下は、まだ口の中に残っているであろう「肉汁のような野菜の余韻」を噛みしめるように目を閉じた。


(……閣下、あなたの口元、緩んでますよ)


 外交官として十数年。

 私は多くの貴族や商人と渡り合ってきたが、あんな衝撃は初めてだった。


 ルカ殿。あの五歳の領主は、一体何者なのだ。


 【精霊の加護】などという御伽おとぎ話を、野菜の圧倒的な説得力で真実へと昇華させてしまった。


 城に着くなり、閣下は私を執務室へ呼びつけた。


「バルトよ。例の『薬草の共同開発』……。これは、我が領が主導権を握らねばならん。だが、あの少年は『精霊は気まぐれだ』と言った。つまり、フォルデン家の機嫌を損ねれば、我々はあの至宝(野菜)に二度とお目にかかれんということだ」


「おっしゃる通りです、閣下。これは慎重な舵取りが求められますな」


「そうだ。……そこでだ、バルト。貴様に特命を与える」


 閣下の瞳が、ギラリと野心に燃えた。


「貴様、少ししたらあの領地に住み着け」


「はあ、少し?ですか」


「ああ、少ししたらだ。我々の欲望を表に出してはいけない。主導権はこちらにあるのだからな」


「なるほど。さすがです、閣下!」


「……いいか、これは『常駐外交官』としての派遣だ。表向きは共同開発の調整。だが真の目的は、フォルデン家とのパイプを太くし、あの野菜……いや、精霊の恩恵をハイゼルに安定供給させることにある!」


 私は、震えた。


 ……歓喜で。


「……よろしいのですか、閣下! 私のような者が、あの素晴らしい……いえ、不気味なほど発展を続ける地へ赴いても!」


「構わん。貴様はあの地の『風呂』も気に入っていたようだしな。……いいか、バルト。もし他の領地がルカ殿に接触しようとしたら、全力で叩き潰せ。手段は問わん」


「御意に! 命に代えましても、あの楽園……リバイラル・アルデンハイムを、我が領の最優先友好都市にしてみせましょう!」


 私はその足で、私邸へ戻り、一晩で荷物をまとめた。


 持っていくのは、ハイゼルが誇る最高級の石材職人のリスト、街道整備の設計図、そして……着替えのタオルだ。


(ふふ……閣下は『ハイゼルのため』とおっしゃったが、私にだって思惑はある)


 あの湯船、あの活気、そしてルカ殿の底知れない才覚。


 あそこには、この退屈な世界を変える「何か」がある。


 私は、外交官としてのキャリアを賭けることに決めた。


 ご命令通り、数日後、私は閣下から預かった特権状を懐に、再び馬車へと飛び乗った。


「急げ! ルカ殿が目覚める前に、門の前に立っているのだ! それと、街道の測量技師も連れてこい! フォルデンまでの道を、我が領の予算で金剛石ダイヤモンドのように磨き上げるぞ!」


 ルカ殿。あなたは「野菜」で私を釣ったつもりかもしれないが。


 おめでとう。私は、最高に美味そうなその餌に、魂ごと食いつきましたぞ。


 馬車の中で、私はまだ見ぬ共同開発の成果。


 そして、今夜入れるであろう風呂のことを思い、一人ニヤリと笑った。

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