24話 大浴場に入りたいなぁ
*2週間前*
両親に捨てられ、この「見捨てられた街」の領主代行として走り回って、もう二ヶ月が経とうとしている。
噴水ができ、水路が街を巡り、巨大な樹木の壁が街を守るようになった。
インフラは整いつつある。商業ギルドも大工ギルドも、不器用ながら回り始めた。
だが……。
俺の魂が、限界を訴えていた。
「……風呂。風呂に入らせてくれ……」
鏡に映る五歳の自分の姿を見る。
リーリャが毎日、お湯を沸かして体を拭いてくれる。それはとても丁寧で、愛情に溢れたものだ。
だが、違うんだ。
日本人という人種にとって、風呂とは汚れを落とす場所であると同時に、魂を洗浄する場所なのだ。
桶に溜めたぬるま湯を被るだけでは、この心の渇きは癒やせない。
肩までどっぷりと浸かり、「あぁ……」と声が漏れるような、あの圧倒的な解放感。
それが今、この街には決定的に欠けている。
(……よし、作ろう。大浴場を!)
幸い、井戸の建設で掘削技術は確立されている。
水路のおかげで排水も容易だ。
あとは大量の水を効率よく沸かす仕組みと、建物の場所だけだ。
俺はさっそく、祭りの喧騒の中で密かに行っていた「市民アンケート」の集計に取り掛かった。
「リーリャ、整理できた?」
「うん、これだよね。……ルカ、本当に作るの? みんなが一緒にお湯に入るなんて、ちょっと想像できないんだけど……」
困惑するリーリャから受け取った紙には、切実な市民の声が並んでいた。
1.大浴場ができたら入りますか?
結果:圧倒的に「はい」。ただし、「そもそも何それ?」という疑問符付き。
2.入るとしたら、どの時間帯に入りたいですか?
結果:仕事終わりの「夜」。これは予想通りだ。
3.一番重視することは何ですか?
結果:圧倒的に「近さ」。
「やっぱりみんな、重い桶を運んで家で沸かす苦労に疲れきってるんだな」
広場に近く、水路の合流地点で、かつ夜道も安全な場所。
俺は大工ギルドの棟梁を呼びつけ、熱のこもったプレゼンを行った。
石造りの巨大な浴槽、蒸気を逃がす高い天井、そして湯冷めしないための脱衣所。
俺の執念に、棟梁は「領主様の風呂への情熱は、もはや狂気を感じるぜ……」と引きながらも、見事な設計図を書き上げてくれた。
*今日*
ついに、その日が来た。
街の中心部、広場から少し歩いた場所に、立派な石造りの建物が完成した。
一度に七十人が余裕を持って入れる巨大な公衆浴場だ。
「さあ、今日からここは公衆浴場だ! ルールを守って楽しんでくれ!」
俺は入り口に大きく書かれた木札を指差した。
一、まずは脱衣所で服を脱ぐこと。
一、湯船に入る前に、備え付けの桶で「かけ湯」をして体を清めること。
一、湯船の中で泳がない。騒がない。
一、男と女で入浴時間を分ける。
最初は恐る恐る近寄ってきた市民たちも、建物から立ち上る真っ白な湯気と、鼻をくすぐる温かい水の匂いに、次第に目を輝かせ始めた。
「ハーおじさん、行こう! 一番風呂だ!」
「おう! ルカ、お前がそこまで言うんだ、期待させてもらうぜ」
俺は、仕事終わりのハーレンの手を引いて建物の中へ。
だが、その前に寄るべき場所がある。訓練場だ。
「おーい、ユーノ! お前も来い! 汗くさいままじゃ風邪引くぞ!」
「……は? 大浴場? なんだよそれ。……べ、別にいいけどよ。そこまで言うなら付き合ってやる」
ツンとした態度のユーノを連行し、俺たちは脱衣所へ。
扉を開けた瞬間、熱気が顔を包み込む。
「うわっ、なんだこれ! 真っ白だぞ!」
ユーノが楽しそうに声を上げる。
俺はテキパキと服を脱ぎ、ルール通りにかけ湯を済ませた。
そして、待ちに待った瞬間――。
石造りの広い浴槽に、たっぷりと溜まった無色透明の熱いお湯。
そこへ、ゆっくりと身を沈める。
「……ふぅ。……し、染みるぅぅ……」
その隣で、ハーレンが飛び込んできた。
あっ、これもルールに追加だな。
魂が抜けていくような感覚。
二ヶ月間、この肉体に溜まっていた疲れと、精神的な重圧が、お湯の中に溶け出していく。
「なんだこれ……。なんだよこれ……めちゃくちゃ気持ちいいじゃねえか……」
隣でユーノがお湯に浸かり、見たこともないような「骨抜き」の表情を浮かべていた。
そして、その横でハーレンが潜水しようとして、俺の「泳ぐな!」という怒声に慌てて頭を出した。
「おい、フォル。お前、たまには良いことするな。……ってか、なんだかお前たち兄弟みたいだな」
ハーレンがそういうと、
「ふん、お前が弟だろ?」
「はあ!? 俺の方が一個上だろうが!」
「中身の成熟度から言えば、俺がお兄ちゃんだね」
「意味わかんねえよ!」
ジャブジャブとお湯を掛け合い、俺たちは笑った。
それを見ていたハーレンが、髭を濡らしながら豪快に笑う。
「がははは! なら、俺はこの兄弟の父親ってところか?」
「「それは絶対にない」」
俺とユーノの声が重なった。
ふと見渡すと、後から入ってきた市民たちも、最初は「他人の前で裸になるなんて」と恥ずかしがっていたが、お湯の魔力には勝てなかったようだ。
おじいさんが孫の背中を流し、若者が仕事の愚痴をこぼしながら肩を回す。
そこには、階級も借金も関係ない、平和な光景が広がっていた。
(……よし、次はフィオナさんに頼んだ『秘密兵器』だ)
実は、フィオナさんに、入浴剤を依頼していたのだ。
俺が作った、あの質の低い薬草。
ポーションとしては力不足だが、お湯に溶かして「薬湯」にすれば、皮膚からじわじわと成分が入り、大工や警備隊の筋肉疲労を劇的に和らげる効果がある。
「ルカくん、例のやつ、試作ができたわよ」
湯煙の中から、番台(受付)に座るフィオナさんの声が聞こえる。
(彼女には、街の女性たちへの指導も兼ねて、番台を任せてある)
「ありがとうフィオナさん! 明日からは『薬草の湯』も解禁だね」
「あんたの野望、本当にとどまるところを知らないわね。お風呂の中にまで薬を仕込むなんて」
俺はニヤリと笑った。
この街の人間を、俺は誰一人として病気や過労で死なせたくない。
清潔、安眠、そして癒やし。
これが揃ってこそ、人は明日も頑張ろと思えるのだ。
湯気に包まれた広場に、市民たちの笑い声が響く。
噴水の水音とお風呂の喧騒。
この街は今、本当の意味で生き返っていた。
俺は熱くなった体を少し冷まそうと、湯船の縁に頭を預けた。
(幸せだ……。あとは、サウナも作りたいな……)
五歳児の夢は、湯煙と共にどこまでも膨らんでいくのだった。
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