3/Miracle or Coincidence?(2)
対バンは一週間後に行われる。
その時間は無駄にしたくはない三森は、帰宅後直ぐに課題曲の練習を始めた。
北織が出した課題曲は三森が憧れているバンドの曲の一つ。くわえて初心者でも弾けてアレンジのしやすいものだった。しかし、バンドの今日なのだから当然その曲は歌唱パートも混在している。つまり歌唱パートが苦手な三森にとって最難関。そのため練習にも一苦労を要した。
だがそれでも諦めることはしなかった。三森が部活を諦められるようにとわざと歌唱のある課題曲を持ち出されたのも察してなお、軽音部への思いは揺らぐことはなかった。
一日、また一日と鉄を弾き、気づけば左手は擦り傷が生まれていた。痛む手に三森の柔らかな表情が歪むが手を止めていられないと、夢を諦めない為にと焦りがただひたすらに彼女を動かす。
楽器をする知り合いもいなければ、音楽教室にも通ってない三森。この一週間友人との誘いすら断り、一心不乱に練習を続けて、ついに対バン当日となった。
「お〜、二人とも揃ったね〜。改めて、今日の審査員を務める東原です〜。こう見えて厳し〜く審査するから覚悟してね〜」
元軽音部の部屋で対バンという名の勝負が行われることになり、審査員の東原。バンドマンの北織、三森がそこにいた。
「まずは北織さんからだね〜。準備し終わったら挨拶して自分のタイミングで始めてね〜」
椅子に座りにこにこと笑みを浮かべながらも、しっかりと進行を務める東原。北織から弾くのだから、ちょいちょいと三森を手招きし自身の横に座らせる。本来ならば舞台横や控え室で対バン相手は待機するものだが狭い教室にその場所はない。そのため審査員である東原の横へと誘導したのだ。
だが北織を眺める形で待機させることにした理由は他にもあるのだが、当然その企みは知る由もない。
「チューニング……よし、アンプ、よし……」
審査員側から見ているからこそ、アンプやチューニング等の準備がいかに大変かを垣間見られる。
ギターヘッドにチューナーをつけるクリップタイプ――他にもチューナータイプはあるが、クリップ式の方が比較的安価だ――をよく見るが、北織もそのタイプ。六弦から順にEADGBEと合わせ、ギターに接続されたアンプの音量を調整するためにギロロンと軽くならす。軽く弾いただけでもギターの高い音が空気を揺らす。
「じ、じゃあ、やり、ます」
長い髪を一本に結び準備が整ったと静かな部屋に北織のか細い声が響く。その声は全くもって頼りのない声。本当に大丈夫なのかと、ちゃんと対バンできるのかと不安が腹の底からのし上がってくる。しかしその不安は一瞬で消し去った。
どこまで行っても頼りない暗い雰囲気を纏っていたはずが、華奢な手で小さな体に包まれる鉄の塊を弾く仕草は、どこか不安さもあるが力強い音色を精一杯響かせ、狭い教室の中を自分の世界へと引き込ませ、肌がピリピリと痺れるような鳥肌の感覚が広がる。
さらに静かで如何にも口下手な雰囲気の北織から発せられる歌声は低く、しかし女性特有の柔らかな高温もあり通常時とはまるでイメージが違う。それでいてその曲が聴き手に何を伝えたいかを代弁しているような抑揚もあり、ギターの音色で広がった世界に歌が鮮明に描かれていく。
耳を傾けるほど北織が放つ音楽は圧巻で、自然と体でリズムをとってしまうほどに、心が昂っている。そしてなにより前髪から覗く瞳は儚そうで、しかし楽しそうで。まるで体全体で曲を演奏しているよう。
体に走る高揚の衝撃は、初めて生ライブを見た二年前と似ていた。けれどなにかが足りていない。確かに心が飛び跳ねるような高揚感を覚えるのに、あの時の興奮には全く届かなかった。
それでもやはり経験者ということも相まって、たった一人でアレンジをしながら弾き語りしているのにクォリティは落ちず、レベルが遥かに高い演奏に三森は心の中で焦りを感じていた。
身体の中に余韻が響き渡り、演奏が終わったと感じたのは静寂が訪れてから数秒後のことだった。
「す、凄い……まるで自分の曲みたいに……」
「そ、それは、おねえむぐっ!」
「よ〜し、それじゃあ次は三森さんの番だよ〜」
北織の奏でる音に感心して放心しつつあった三森の言葉に、何か返事をしようと試みていたが何故か東原が彼女の口を塞いで三森に課題曲を演奏するように促す。
「今何か言いかけてませんでした?」
「気のせい気のせい〜、 ほら早く演奏してみて〜?」
半ば強引に突然口を塞がれたことで暴れる北織を連れて、三森と交代。ギターは北織が使っていたものを使用し課題曲を弾き鳴らす。
しかし結果は惨憺で終わった。というのも直前にプロレベルの演奏を聞き、勝たなければならないという使命感が焦りを生み出して演奏が走ってしまったのだ。
リズムを取るドラムはもちろん、メトロノームすらないのだから一度崩れたリズムは戻ることを知らず、三森の演奏はただ暴れ、グダっただけで終わってしまったのである。
当然演奏が走ったせいで、歌唱部分も不自然なものとなり、勝敗など言わずもがなの状態だ。
「え、と……まぁ、その、演奏自体は良かったと、思うけど、部活のことは、諦めて……」
是が非でも部活のことには触れて欲しくなさそうな北織。正直焦っていなければ可能性はあったと、内心心臓を唸らせている。とはいえ明らかに勝敗は目に付いておりやっと開放されると言わんばかりに安堵している様子だ。
だがその安心感はすぐに崩されることとなる。
「東原先生的には〜、部活動再開でありかなって思うよ〜。確かに三森さんの演奏は……正直に言うと酷かったけど、光る原石~って感じだし、北織さんがちゃんと教えたらすっごくなると思うんだぁ〜……それに、北織さんはお姉さんに憧れてるんでしょ? ならやっぱり再開するべきだと思うの〜」
「……えーっと、話が見えないんですが……え、私すっごいミスしてるのに、なんで部活を復活する方向に」
「いやぁ〜咄嗟に隠しちゃったけどね〜。さっきの曲……えーとグループ名なんだっけ」
「え、イロドリカルテットですけど、今全国ツアーしてる……」
「そうそう! そのグループのボーカルが曲を作ったんだけど、北織さんはそのボーカルの妹ちゃんなんだよ〜? で、北織さんは、お姉さんに憧れていたのね〜」
彼女達が演奏対決をするために選ばれた課題曲は、イロドリカルテットのオリジナル曲。それもイロドリカルテットが大ヒットするきっかけにもなった曲だ。
だが、それを北織は間近で憧れながら見ていた。対バンに緊張を示さず冷静に完奏していたのも納得が着く。
「え゛っ!? ま、マジですか……?」
憧れの人の妹が目の前にいるということに驚きを隠せず、目を見開く。奇跡と言うべきか、偶然と言うべきか。どちらとも言い難いものの運命的な出会いなのは間違いなく、その真実に胸が熱くなっていた。
「マジマジ大マジですよ〜。なんなら〜軽音部立ち上げた時は」
さらに追い討ちをかけるようにへらへらと柔らかな笑みを浮かべながら、東原は口を開くのだが、途中で今度は北織が東原の口を塞いだ。
北織の顔は真っ赤に染まっており、口から零れ落ちていた言葉は掘り下げて欲しくは無い黒歴史だと悟る。
「そ、それは……言わないで……で、でもその、約束は、約束だから……部活は、諦めて……そ、それじゃあ、えと、か、帰ります……!」
茹でダコのように赤く染まった顔で目を逸らしながら、もう一度部活の復活は無いと言い張る。
どことなくいけないことをしているように見え、なんとも言えない感情が込み上げそうな雰囲気。くわえて憧れのアーティストの妹という事実も重なり、三森の頭に軽音部のこと以外のことがよぎり思考を邪魔してくる。
そんなことはつい知らず、羞恥心に負けた北織がそそくさと自分の楽器を片付け逃げるようにして、軽音部から走り去った。
「ダメだったか〜。せっかく軽音部の活動してた時の部紹介パンフにすり替えて配布したのになぁ〜」
落胆して頬杖を付く東原。結果がどうであれ軽音部を復活させようとしていたのが伝わってくる。
「……え、あ、え゛!? あのパンフ、東原先生が仕込んだものだったんですか!?」
「私としては軽音部は続いて欲しかったからねぇ〜。あ、無断ではやってないから安心して〜?」
「だとしても誤解を招きますよ!?」
「それがねぇ、吹奏楽部もあるから誤解を招くほどではないつもりだったの〜。実際まだ君以外軽音部について聞いてきた人もいないし〜探してるって人も聞いてないからね〜」
「そういう問題では……まぁでもおかげで夢は見れましたからありがたいですが……そういえば北織先輩から聞けなかったんですけど、なんで廃部になったんですか?」
三森のその言葉に、ぴくりと反応する東原。にこにことしていた顔が一転しすんっとした真顔で、重い空気を漂わせる。
「三森さん。本当に、聞きたい?」