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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋と言われて

作者: 山川葉流

 冬の冷たい風が吹く学校帰りに、俺は同じ高校に通う友人、類が一人で暮らしているアパートに寄った。

 俺が手洗いとうがいをしている間に類が暖房の電源を入れてくれたおかげで暖かい室内。映画を観ようと言い出したのは俺で、俺と類がテレビの前に置いてある三人掛けのソファーに座ったのは随分前に感じる。

 流れる映画をぼんやり観ていると、ソファーに添えていた俺の右手に類の左手が重なった。類と俺はソファーの端の端に座っていて、偶然触れるなんてほとんどないから不思議に思い、俺はテレビから自身の右手に視線を移した。類の手は少し冷たくて、少し震えている。

「キスしていい?」

 そんなことを類に訊かれたので、俺は驚いて視線を上げた。彼の表情は真剣で、これから俺は類とキスするんだなとどこか冷静な部分が納得する。不思議と嫌ではない。

 俺がうなずくと類の長い睫毛が近づいてくるので、俺は瞼を閉じた。唇にマシュマロよりずっと薄くてやわらかくて弾力があってしっとりしている熱が重なる。俺の心臓がドクドクと音をたてる。俺は初めてのキスをこの友人に奪われたわけだが、なんだろう、ぼうっとする。

 三秒くらいしたら、唇から熱が離れた。

 瞼を開けると類の目と合う。彼に絡め取られた指が熱を帯びてきて、これは類の熱なのか、俺の熱なのか考えているうちに、また類が近づいてきた。何度も角度を変えて、唇に熱が重なる。俺の左頬に添えられた類の大きくて骨ばった手が熱くて、ああ、俺はいま類とキスしているんだと思った。

 唇と手の熱が離れると、類にゆっくりと抱きしめられる。俺の鼓動はさらにはやくなる。

 この感情は初めて誰かとキスをしたからなのか、それとも類だからなのか自分でわからなくて、俺は類を抱きしめ返せない。

「キス、嫌だった?」

 耳元でささやく類の声はどこか元気がない。元気がないというより、自信がないのかもしれない。俺は首を振る。類とのキスは嫌ではなかったが、なんだかドキドキして落ち着かない。

「俺、類のこと好きなのかなあ」

 俺は自分の感情なのに自信がなくて。俺から離れた類は呆れたような表情を浮かべている。

「大好きだよ」

 ため息交じりに類が言う。

「想像してみなよ。春明は俺以外とキスできる?」

 彼に言われた通り、俺は想像してみる。類以外の人にキスしようと言われたとしたら、俺はどうするか。例えば、アルバイト中でこの場にいないもう一人の友人を思い浮かべた。凛太郎が俺にキスしていいかと尋ねてくる。俺は戸惑って、初めてのキスは好きな人とした方がいいよと説得する。そもそも凛太郎は俺相手にキスしようなんて言わない。

「凛太郎はそんなこと言わない」

「あいつもお前相手には言わないけど、恋人ができたら言う」

 彼にそれで? と先をうながされながら、俺は彼の大きな両手で頬を包まれた。それから恋人を相手にするように唇を撫でられ、俺の答えなんか彼には全部わかっているのだと気づく。

「俺が誰かとキスしている場面にでくわす」

「類、性格悪いよ」

 俺は類が誰かと触れあう姿を想像し、苦い気持ちになる。できるなら、想像することも拒否したい。そうして、ストンと落ちるように自分の気持ちに気づいた。類がにやりと笑う。

「ね、大好きでしょう」

 嬉しそうな彼に俺は抱きしめられる。なんだか悔しくて、それ以上に類の腕の中が温かくて、俺は小さく唸りながら彼の背中に腕を回した。



 放課後の学校は騒がしい。外で部活をしている生徒たちの声と音楽室から聞こえる楽器の音が混じる。

 俺が通っている高校の図書室は、美術室や音楽室などの移動する授業時のみ使う教室と同じ別館の二階にある。薄暗く、司書さんと図書委員以外はあまり居座らない。だから俺は図書室が好きで、類と凛太郎を待つ日は必ず図書室に向かう。

 冬の廊下はコートを着ていても寒いので、コートのポケットに手とカイロを入れて暖を取る。暖房がよく効いた図書室までの我慢。マフラーに顔をうずめる。

「鈴木」

 別館に繋がる短い廊下で後ろから声をかけられた。俺は足を止め、振り返る。そこには同じクラスの田中くんが立っていた。田中くんは学校指定の制服のままで、上にコートを着ていないし、バッグも持っていない。

「今、いいか?」

 心なしか田中くんの纏う空気は張り詰めていて、俺も緊張する。入試で面接を受けるようなスッとした空気に、俺はコートのポケットから手を出した。冬の冷えた空気と緊張感。田中くんがスッと息を吸った。

「鈴木のことが好きだ。俺と付き合ってください」

 田中くんは制服の白いシャツから出ている首まで真っ赤で、それは寒いからとか関係ないのだと俺は思った。この人は俺のことが本当に好きらしい。その気持ちが俺にはくすぐったくて、温かくて、それから申し訳なくなる。田中くんに好きだと言われて真っ先に類が浮び、付き合ってほしいと言われて田中くんだけでなくクラスメイトたちとの関係を崩さず穏便に断る方法を考えた。俺は田中くんと同じ好意を持っていないということだ。

「ありがとう、気持ちは本当に嬉しい。けど、俺、好きな人がいて」

「うん」

「田中くんとお付き合いできない」

「そっか」

 田中くんは俺の拙い言葉にずっとうなずいてくれて、彼は優しくて誠実な人だと伝わってくる。

「ごめんなさい」

 俺が頭を下げると、田中くんは「うん」とうなずいた。

「握手していい?」

 田中くんの願いに、俺は顔を上げてうなずく。俺の右手を握る彼の手は温かくて、ごつごつしている。類の大きくて少し冷たい手とは違う。俺は田中くんの気持ちに応えられない。

「ありがとう」

 そう言って、田中くんは小さな笑みを浮かべた。

「春明」

 類が俺を呼ぶ声がして、田中くんは俺の手を離し、立ち去った。その背中をぼんやりと眺める俺は左手を握られて顔を上げる。大きくて、少し冷たい類の手。俺の隣に立つ類は田中くんの背中を見ながら眉をひそめていた。



 今日も類が一人暮らしをしているアパートに寄る。凛太郎はアルバイトがない日なのに、なぜか先に帰った。手洗いとうがいを済ませた俺は三人掛けのソファーの端に膝を抱えて座り、肘掛けにもたれる。きっと、いや確実に田中くんを傷つけた。時間が経つにつれて、優しい人を傷つけた事実がじわじわと蝕む。それだけではない。田中くんの好意は本当に嬉しかったが、この嬉しさは優越感のような気がする。俺は誰かに好かれているという事実が嬉しくて、こんな俺を好きな人もいるのだという高揚感があって、それなのに断ることしか考えていなかった。歪だ。どうしようもない。この気持ち悪さは自分への嫌悪だ。

「あー……」

 唸る俺の頬に、やわらかい触感。俺のコートをハンガーにかけていた類がいつの間にか隣に座っていて、俺は頬にキスされる。類に優しく右手を取られ、膝を抱えていられなくなった。俺は左膝を抱えたまま右足を毛の長いカーペットにおろす。

「田中となにかあった?」

 田中くんとの会話を見ていたかのような言葉に、俺はうなずく。

「告白された?」

 類からの質問に、今度は反応しない。なにも返さない俺に、類はなにも言わない。類と目が合う。彼がなにを思い、なにを考えているのか俺にはわからないが、じっと目が合ったそのあと、類は握ったままの俺の右手に視線を落とした。

「キスする前に好きだと伝えろって、凛太郎に怒られた」

 ごめん、とうなだれる類の頬に俺は握られていない手を添える。

「類に好かれていないなんて、俺、思ってないけど」

 俺たちが出会ったのは高校に入学してからで、俺は一年と数ヶ月間の類しか知らないが、彼が遊びでキスしていいかと訊くような人ではないと俺はわかっている。

 類が顔を上げる。心なしか彼が焦っているようにも見える。

「春明が好き。俺と付き合って」

 類に握られたままの右手から、彼の緊張が伝わってくる。そんな類相手に優越感なんかなくて、俺はただ胸の辺りが苦しい。この綺麗な感情が恋心なのだろうか。

 俺は類の頬に添えた手で彼のそれを軽くつまんだ。思ったよりも類の頬はやわらかくて、小さく笑ってしまう。それから俺は類の唇に自分の唇を寄せた。重なる熱、俺はすぐに離れた。一秒だけ触れたキスに、類は目を丸くしている。


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