data.2/初めての待ち合わせ
モニュメント前で 人間観察をして待つ。
時間が経つにつれ少しずつ人が増えてきたみたいだ。
スマホをもう一度見ると「ごめん。人身事故で電車、一本遅れた」とだけメッセージが届いている。
ただの文字なのに、どこかよそよそしく感じてしまうのは、私の心が勝手にそう感じているだけだーーと、自分に言い聞かせ、とりあえず“ドンマイ”のスタンプを一回だけ押しておいた。
「冷えてきたな……。今日のためにオシャレしてもらったのが裏目に出たかも……」
前髪を軽く整えて、チェスターコートのポケットに手を入れると肩をすぼめる。
『対象者を乗せた列車、まもなく到着します。……心の準備はお早めに』
突然、駅の構内アナウンスが流れる前に、ニアがそれを知らせてきた。
「……まさか、どうやって知ったの?」
『駅の無線と周辺センサーから情報を受信しました。伊達に高級車並みの価格じゃありません』
「わぁー、それ自分で言う?」
『アピールもツンデレの基本です』
呆れて笑ってしまう。
けれど、心の奥の緊張はまだほどけないのは、凛と外で会うのが、リハビリを終えて初めてだからだろう。
『緊張による心拍上昇を確認。再度、深呼吸の実施をオススメします』
「もう、余計な機能つけすぎなんだよ」
『それでも、私がいてよかったって思ってるでしょう?』
「……そ、そういうの、言わせないでよ。……でも、まあ、うん。思ってる」
『素直にそう言われると、悪い気がしませんね』
ニアの声には、どこかくすぐったそうな響きが混じって、ごまかすように、ゆっくりと車椅子の向きを変えたとき、駅のエレベーター乗り場のほうから小さなどよめきが聞こえた。
「……ねえ、あの人見て。モデルさんかな?」
「脚に装具つけてるよ。でも、めっちゃきれい……」
「オーラ、すごくない?」
そんな声に導かれるように目を向ける。
黒髪をひとつに束ねた女性が、AI搭載の下肢装具を使って、ゆっくりだけど確かな足取りで歩いていた。
まるで、スポットライトの光を受けているように、髪をふわりと揺らして――。
彼女もこちらに気づいたのだろう。
“ぱっ”と表情が明るくなり、小さく手を上げたの見えて私も思わず手を振り返す――言葉にできない見えない気持ちが、二人の間に飛び交ってるように思えた。
――柿椿凛。
同い年の女の子。そして、私が密かに恋している人。
凛が近づいてくるたびに、胸の鼓動が高なる。
歩幅はまだゆっくりなのに不思議と堂々としていて、視線を奪われずにはいられない。
髪の揺れ、装具の金属音も、全てが今の凛を物語っていて――目の前に来た瞬間、時間が止まったような気がした。
「二週間ぶりだね……凛。すごいよ、本当に歩けてる……!」
「へへ、驚いた? お互い頑張ったね。でも、それより――遅れてごめん!」
「気にしないで、事故なら仕方ないじゃない。それに、私が早く着いただけだから」
私の声が震えたのは、嬉しさのせいだけじゃない。
あのとき、あんな言葉をぶつけてしまったのに……それでも、笑ってくれるなんて――また少しだけ、距離が近づいた気がしてしまう。
「ニアっちも待たせてごめんね。元気してた? 彩夏に迷惑かけてない?」
『元オーナー、こんにちは。あいにく“元気”という概念は搭載されていませんが、不具合もなく快適に稼働しています』
どこか誇らしげな口調に、二人とも思わず笑ってしまう。
「ニアっち、そういうとこ――もうちょっと素直になればいいのに」
『それは、ご意見として受け止めますが、改善の予定は今のところありません』
すかさず返ってきたツッコミに凛が小さく肩を震わせる。その横顔がどこか懐かしくて胸がまた、ときめく。
少しの沈黙のあと、ニアがぽつりと続ける。
『……ただ、アヤカさんの苦労は、ワタシのAI心に刻まれています。その点は反省中です……ほんの少しだけですが』
私が目を丸くして驚き、凛は目を細めニヤける。
「なんだかんだで、ニアっちは可愛いやつだなあ。もしかして最近ツンデレモードに変えた?」
「いや、ニアは最初からこうだよ。もしかして……勝手にツンデレモードに設定されてる?」
『ご安心下さい。今はオーナーに寄り添うように設定された初期設定モードのままです。宜しければ変更いたしますが』
「いや、いい! これ以上は勘弁して!!」
必死になって止める私の姿に凛は大きく笑う。その賑やかな声につられてか、周囲の視線が自然と集まりはじめていく。
「車椅子の私」と「下肢装具の凛」そして「話す車椅子」――事情を知らない人には珍しい光景に映るのだろう。
前なら「見られてる」と身構えていたはずなのに、今は違う。
私たちは、ちょっと変わってるかもしれないけど、ちゃんと、自分たちの力でここに立ってるーーそう思えたら、少しくらい視線が集まったって平気になっていた。
ふと、凛は遅れたことをまだ気にしているように見えた。
その姿が、どこか居心地の悪い子どもみたいで、思わず“よしよし”と軽く頭を撫でてあげると、凛は照れ隠しのように片足を上げて走るポーズをとってみせた。
「じゃあ、さっそく行こうよ! 遅れちゃうよ、彩夏」
「ちょっと、危ないってば! ……まったく、遅れてきた人のセリフじゃないよ」
「あはは――、もしコケても、これも“思い出”ってことで。さあ、行こ!」
そう言って凛が手招きして歩き出す。それに合わせるように、私はニアに自律走行モードの変更を伝えると、車椅子は凛の隣へと滑るように移動していった。
『自律走行モード、開始。なお、歩行者二人のテンションが高めなので、安全距離を二割増しに設定します』
「ニアっち、うるさーい。私たちのテンションは通常通りです!」
『了解。元オーナーの通常通り=賑やかです』
凛はニアに向けて下まぶたを引き下げ、軽く舌を出す。
まるで、子どものように無邪気な笑顔だった。
(なんで今日の凛は、可愛くも大人っぽくも見えるんだろう……あっ! そうか、病衣じゃないからだ!)
久しぶりの再会に感動してしまい、今頃、凛の私服姿を初めて見たことに気づく。
オーバーサイズのパーカーに黒のジョガーパンツ、軽いリュックを背負った姿はラフなのに不思議と洗練されている。
“病室の凛”とは違う、ちょっと大人びた雰囲気に思わず見惚れてしまう。
その視線に気づいたのか、凛が先に口を開いた。
「彩夏、今日の服、すごく似合ってるよ」
不意に褒められて照れてしまう。
「え……ありがと。凛も、いつもと雰囲気違ってて……なんか、モデルさんみたいだよ」
そう――?と、凛は頬に手をあて、はにかんだ。
『アヤカさん。ワタシも“ヨイショ”してください』
唐突にニアが口を挟む。
「はいはい……ニアも綺麗なフレームだね」
『よく言われますが、それほどでもありません』
ニアとのやりとりを聞いて、凛はくすくす笑いながら歩いている。なんか、いい感じだ。
しばらくして、少しガタつく歩行者専用道路を進むと、頬に冷たい風が触れだした。暖かかったといっても、もう十一月。寒暖差の激しさを実感する。
「ちょっと寒くなってきたね」
上ずった声でそう言うと、すぐに反応したのはニアだった。
『外気温低下のため、ヒートシーターを作動します。……オシャレ優先による判断ミスは、記録済みです』
「ニア……一言多いってば。旅館に着くまで一言も喋らないで! いいわね」
『了解です。アヤカさん』
私が少し怒った感情に気づいたのか、ニアはそのまま黙って走行を始めた。
(ちょっと言い過ぎたかな……感覚のない脚を温めてくれるこの機能には、いつも本当に助けられているのに……)
秋も終わりに差しかかる今夜、澄んだ空に上がる花火は、きっと綺麗だろう――でも、寒いのはやっぱり苦手。
凛に可愛く見られたくて、裏地のないプリーツスカートを選んだけれど……これは完全に失敗だったの認めるしかない。
「寒いでしょ、私のブランケット貸してあげるよ」
凛はリュックから取り出されたそれを、マジシャンみたいに膝にかける。
「ごめん、凛。ニアの言う通りオシャレ優先しすぎたかも……」
「ふふ、そういうこともあるって。でも、私たちに寒さは大敵だからね」
そう言って凛が私に見せた笑顔は、ヒートシーターよりもずっとあたたかかった。まるで、冬の光みたいにじんわりと胸に届く。こういう優しさ、好きだな。
病院でもそうだったが、二人でこうして並んでいると、よく思ってしまうことがある。
――もし、同じ高校に通っていたら、どんな日々を過ごしていただろうって。
グループには属さず、いつも隣に座って、二人でお弁当を食べていたかな。
落ち込んだ時には頭を撫でたり、ハグで励まし合ったり。
他の誰かと話しているのを見て、ちょっとだけ――やきもちを焼くような関係だったりして。
そんな妄想を、自分でも可笑しいと思いながらも止められない――私の中では、友達以上、家族未満。……でも実際、凛は私のことをどう思っているんだろう。
そっと車椅子越しに隣を歩く横顔を見上げた。私の特等席から。
長く整ったまつ毛。その先の瞳は、まっすぐ前だけを見据えている。
ふっくらとした頬に、熟れたリンゴみたいな唇――宝石のように、すべてが煌めいて見えた。
(……できるなら、私だけのものにしたい)
「もうすぐ着くよ! ……あれ、彩夏……顔赤いけど大丈夫?」
急に横を私を見る凛と目が合って、あわてて視線をそらす。顔が熱い、分かりやすいくらい赤くなってるかもしれない。
「あはは……ヒートシーター、強すぎるのかも……」
そう言いながら、こっそり背もたれに体を預けた瞬間、心臓がふと鼓動を忘れたように静まり、次の瞬間には全力で駆け出すのがわかった。
そんな胸の高鳴りを抱えたまま、舗装された小道へと進む二人と一台。
やがて、ぼんやりと和風旅館の屋根が見えてきたころ、凛の足取りに合わすようにニアが、ほんの少し速度を落とした。
私は静かに車輪の音に耳を傾けて、凛が歩くたびに過去を思い出す――リハビリ室で、私は立つことすらできなかったーーたったそれだけのことを。