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data.18/初めてのダイブ

 完全バリアフリーに特化した旅館。外から見える限りスタッフの姿はないが、専属のドクターやサポートスタッフが常駐しているという。


「私、そろそろトイレ行っておこうかな」


「そうだね。わたしも行ってくる。全部個室で同性の介助も呼べるから。じゃあ、ロビーで待ち合わせね」


『お二人ともご安心ください。非常時にはワタシからもサポートを要請可能です。プライバシーは厳守いたします』


「いいね、ニアっち。頼んだよ!」


 凛と別れトイレへ向かう。

 AIの助けで自由に動けるようになったとはいえ、自身の排泄だけはどうにもならない。自分では感覚がわからないから、決まった時間にトイレへ行き、排出を管理している。

 オムツを使用する人もいるけど……まだ若いのに履きたくないと躊躇(ためら)う自分がいるのだ。

(凛はどうしてるんだろう。こういう話題って、なかなか聞きにくい)


 こんなこと考えても仕方ない、さっさと済まそうーートイレの中は予想以上に広く快適だし、手すりも便器もペーパーホルダーさえ使いやすく工夫されていて、何ひとつ不便はなかった。

 用を済ませてロビーに戻ると、凛はソファに足を投げ出して寝転んでいるのが見えた。

(あれだけ、いきなり歩いたんだもんね……疲れて当たり前か……)


 AIが搭載されているとはいえ、凛の下肢装具は完全に自動というわけじゃない。

 リハビリモードを使っているから、彼女自身も筋力を使っている。見た目以上に、負荷は大きいのだ。


 私が近づくと、凛は手をついてゆっくり上体を起こした。

 さあ、部屋に行こう――疲れた素振りを見せず、気丈に振る舞い前を歩く凛。

 部屋の前に立つと木造のドアが左右に開いていく。


「じゃじゃーん! 初めて二人で駅からたどり着いた、記念すべきお部屋! なんと……わたしたちでも入れる露天風呂があります!」


「えーっ! 部屋に露天風呂!? すごい、すごい!」


 興奮した私は凛と目を合わせると、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべて外を指さした。


「さらにサプライズです! 実はね、この部屋から……花火が見えるの!」


 素で私は驚いてしまった。まさか部屋から花火が見えるなんて考えもしなかったから。


「ええー!? てっきり海岸まで行くんだと思ってた!」


「あの人混みじゃ無理だよね」


 たしかに、あの人混みを見てしまえば納得だ。海岸へ行くのは、正直かなり厳しいと思ってた。


「凛……私、こんなに贅沢させてもらって……何か、お返ししたいよ……」


「それが仕事だから大丈夫。ホテルテスターっていうの。ちゃんとレポート書いてくれたらOKだよ!」


「それでも……ありがとう」


「ばか。そういうとこだけ、真面目なんだから」


「そういうとこ()()って……りぃーんー!」


「ごめんごめん! 嘘、嘘だから!」


『笑い声の振幅を検知。良好な心拍変動。――楽しんでいただけているなら何よりです』


 部屋には私たちの笑い声に電動モーターと、下肢装具の音だけが響いている。楽しいーーこの時間が続けばいいのに。


「それで――花火まで時間あるから、彩夏が今日の為に書いたという小説に入ろう。データ持ってきてくれた?」


 私は一度、視線をベッドの脇にある貴重品ボックスへ向けた。あの中に、今日までずっとしまい込んでいたものがある。


 ――ニアが何度も『預かりましょうか』と申し出てくれたのに、私は頑なに断り続けてきた。触れられたくなかったのかもしれない。


 私は静かにボックスを開け、奥にしまってあったUSBメモリを手に取った。

 小さくて軽い。だけど、この中には私の秘密が詰まっている。

(まどろっこしいかもしれないけど、まだ臆病な私には、このやり方しか伝えられそうもないーー)


 震えそうになる指先を押さえながら、私はそのメモリを凛に差し出す。

 凛は――ありがとうと受け取り、寝室に移動しいくと部屋の隅に置かれた、黒いスーツケースほどの装置にUSBを差し込んだ。

 その筐体からは考えられないほど、起動音は静かで、小さな青い光が“ぽうっ”と点いたり消えたりしている。


「はい、これ頭に装着するからかぶってね」 

 凛からゴーグルのような形をした機器を手渡される。


「これが、小説に入れるってやつ……なんだよね?」

 私がそう尋ねると、凛はこくりとうなずいた。


「うん。エーピーっていう試作機。脳波と意識をシンクロさせて小説の世界に“ダイブ”できるんだ。今夜だけ、特別に借りてきた」


「……こわくない?」

 小声でたずねると、凛は少し笑った。


「何も変わらないよ。むしろ、変えたければ――そこでは、変えられる」

 私は小さく息を吸った。


 ――変えたければ、変えられる。


 それはきっと、私にとって一度も許されなかった願い。本当の気持ちを見せることの出来る世界。


 ――そこへ行けるなら。


 二人は並んでヘッドマウントディスプレイを装着してベッドに横たわると、凛がニアに起動の命令をする――その前に口を開いた。


「そうそう、言い忘れてた。これから仮想空間に入る間、ニアのメインサーバーの一部を貸してもらうんだ」


「サーバー?」


「うん。あの子の演算能力、かなり高性能だからね。ダイブシステムを安定稼働させるために、一時的に借りるの。だから……」


 凛はニアにちらりと視線を送り、少し肩をすくめるように言った。


「ニア、少しの間だけど話せなくなるよ。でも音声コマンドは反応するし、移動や操作も普段通り。つまり、黙ってても仕事はしてくれる」


「……なるほど。そういう静かな時間、ちょうどよかったかも」


 私は少し笑って、ニアの側面に手を添えた。


「たまには、休んでていいよニア。……って、聞こえてるんだよね?」


 小さく“ピッ”とLEDが点滅する。

 ニアは私だけ聞こえるように囁く。


『まだ聞こえています。アヤカさん正念場です……ファイト』


 凛は手を組んで伸びをした後、一呼吸して言った。


「ニアっち、システム起動お願い」


『了解です。データ解析後、二分以内に転送を開始します』


 光がひときわ強くなり、やがて――視界が白く静かに染まっていった。

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