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data.17/初めての外泊旅行

 ーーニアと外泊前にやり取りをしたことを思い出していた。

 記憶の霧が晴れるように、目の前の景色がすっと輪郭を取り戻す。


 旅館へと続く歩道は広く、ゆるやかな傾斜が整えられていた。そのすぐ隣を、凛がぎこちない足取りで並んで歩いている。


『段差まであと十七メートル。衝突注意、転倒注意……ついでに、恋の暴走にもご注意を』


 前方を先導するニアが、いつもの調子でさらりと告げる。チカチカと光るライトは、どう見ても楽しんでいるアピールしかみえない。


「恋の暴走ってーー、ニアっち、何それウケる!」


 私が思わず“ぷっ”と吹き出すと、凛が振り返った。

 少しだけ目を細めて、口元に静かな笑みを浮かべている。


「ニア、関係ない注意まで混ざってるよ」


『失礼しました。一番重要だと思いましたので』


 くだらない。けれど、それがどうしようもなく愛おしい。私はまたひとつ笑って、胸の奥がほわりとなる。

 たった二週間、たったそれだけ。リハビリに集中するために、凛とSNS越しでしか話せなかった時間は寂しかった。でも、ちゃんと乗り越えられた。


 そして今、こうして隣にいる――ただそれだけで、胸がふわっと浮かび上がるような気分になる。ちょっと舞い上がってるみたい。いや……かなりかも。


 車椅子を使わずに歩く凛の姿は、まだ頼りなさも残るのに目が離せないほど綺麗だったーー長いまつ毛の奥で、まっすぐな瞳が前を見つめている。光に揺れる黒髪、ふわっと笑う唇。その一つ一つに、鼓動が追いつかなくなる。こんなにドキドキするのって、いつぶりだろう。


 隣にいるだけで嬉しくて、見つめるだけで苦しいのは、凛の存在が私の中で少しずつ“恋”に変わったからだ。


 ──私だけのものにしたいな。


「着いたよ。……彩夏? 顔赤いけど、大丈夫?」


 急に振り返った凛と目が合って、あわてて視線をそらす。顔が熱い。

 私は誤魔化すように言葉を発した。


「あはは……ヒートシーター、強すぎるのかも……。そ、それより、ここが泊まる旅館? 間違ってない?」


「うん。富裕層向け障害者対応の完全個別旅館。うちの親が経営してるの」


 私たちを迎えたその旅館は、一見すると昔ながらの日本家屋だった。格子戸に、丸い瓦屋根、控えめな(たたず)まい。

 けれど玄関脇には、AI搭載のチェックイン端末が静かに光を放っていて、和と最先端の違和感ない融合がそこにはあった。


「うわぁ……本当に、バリアフリーって感じ」


 私は感嘆の声を漏らす。段差はすべて緩やかなスロープに置き換えられ、自動ドアの先には、センサーで連動する案内ディスプレイが設置されていた。


 彼女の父親が開発の一端に関わったというその旅館。

 すべての空間に配慮が行き届き、車椅子でも自由に過ごせるよう設計されているらしい。


「凛の両親、倫理観はない人だけど……やってることはすごいね。……あっ、ごめん。本音が出た」


 凛は口元を手で隠し、咳き込むほど笑う。


 私が使っているニアも、凛のお父さんが「ユーザーテスト」として貸してくれたものだ。購入すれば到底手が届かない高価なもの。

 私が凛の友達で同じ境遇だからこそ選ばれたのだ。

 それしかないのに、悪口言ってたらバチが当たってしまう――反省して、その好意に報いるためにも、ちゃんと毎日、使用レポートを提出しよう。


「さあ、彩夏入ろう! 早く部屋に行って、花火大会までに“仮想空間”を試そ!」


 私の分もチェックインをすませた凛を追いかけるように、私はニアを手動モードにして急発進させた。

 凛が旅館のスタッフに挨拶に行くとロビーの奥へと歩いていく。その背中が完全に視界から消えた瞬間、ニアの音声出力がわずかに切り替わる。


『ふぅ、沈黙しばり辛かったです。やっと元オーナーが視界から外れましたね。どうでした、久しぶりの“推しとの再会”? 心拍数、今朝の三倍でしたよ』


 唐突に囁かれて私の肩がびくりと跳ねる。そういえば旅館まで黙っている約束だった。


「……ちょ、ちょっと黙ってて。誰かに聞かれたらどうするの……!」


『大丈夫です。ワタシは賢いので誰かが近づいたら“真面目AI”モードに自動復帰します。いわば、完璧なサポートAI、兼、恋愛監視機です』


「ニア! 恋愛“監視”しなくていいから……」


 私は顔を赤くしながら小声で抗議するが、ニアはどこ吹く風だ。


『ちなみに、ヒートシーターのせいって誤魔化してましたが、本当は“彼女の視線”のせいで体温上がったの、わかってますからね。AIを甘く見ないように』


 私は“ぎゅっ”と肘掛けを握った。頬がじんわり熱い。廊下を進みながらも、ニアは囁くように続けた。


『あと、彩夏さんが以前シールや絆創膏をワタシに貼っていた本当の理由も、“ライトが眩しいから”じゃないですよね。本当は自分の気持ちが――』


「もう! 言わないでいい。しつこい!」


『はいはい、利用者のワガママ対応もAIの業務範囲です。まったく手がかかる……でも、アヤカさんに限っては、まあ、悪くないですね』


 その声音が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がして、私は思わず笑いそうになった。


 ──そういえば、この感じ、ちょっと懐かしい。


 病院のベッドサイドで、初めてニアと“話した”ときの、あの奇妙なやりとり。


 ツンとして、でもどこか心配してくれるような温度。

 気づけば、それが今は心強くさえ思える。


『……ところで、アヤカさん。凛さんの話になると心拍が跳ね上がる傾向、依然として継続中です。これって、やはり“恋”と認識してよろしいでしょうか』


「なっ……そ、そんなの、わ、わかんないよ! ていうか、分析しないで、ほんと……!」


『ふむ。では今後の記録データは“本人が自覚を拒否中”として保留にします。残念ですが、処理リソースの節約になりますから』


 ニアの声が、小さく喜んだように聞こえた気がした。

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