data.14/初めてのプレゼント
リハビリ期間のタイムリミットが、残り二週間を切った頃ーー凛は突然、私の部屋にやってきて、開口一番こう言った。
「彩夏、リハビリ終わったら、本当に二人で花火を見に旅行に行かない?」
「はぁ? なに言ってるの? 私たちが行ける場所なんてないし、そもそも目標もまだ達成できてないじゃん」
「それを可能にする、AI車椅子がタダで手に入るとしたら――どう?」
胸を張る凛に、私はぽかんと口を開けた。
詳しく聞いてみると、凛の父親は、国内でも名の知れた大手AI介護企業の創業者なのだという。
驚いて思わずスマホで会社名を検索してみると――そこには見覚えのある顔写真が載っていた。
「えっ、ちょっと待って。凛にちょっと似てるけど……名字が違うよね?」
「うん、わたしは妾の子だから」
凛は、ほんの少しも感情をにじませずに、それを口にした。まるで天気でも語るように、あっけらかんと。
「……そっか」
気の利いた言葉なんて、すぐに出てこなかった。
驚いたふりをするのも、軽々しく同情するのも、なんだか全部ちがう気がして――私の頭は、ただ「妾の子」という言葉を出さないようにするだけで精一杯だった。
凛は窓のほうに目を向けながら、つぶやくように続ける。
「名前は違うけど、一応、慰謝料みたいな感じでお金だけは出してくるんだよ。事故にあったときも、“いっそ死ねばよかったのに”って、どこかで思ってたんじゃないかな、あの人」
冗談めかして笑ってみせたけれど、その目は笑っていなかった。
それが痛々しくて、私はそっと手を伸ばし、凛の手を静かに握った。
「ありがとう……大丈夫、本当に。いつもなら、あんな人から何かもらうのなんて嫌で断ってた。でも今回は、“わたしのために最新のAI介護用品と旅館の手配をして”って言ったら、あっさり通ったんだよね」
「凛だけならまだしも……私の分まで!?」
「もちろん。あの会社の最新の車椅子と下肢装具があれば、付き添いなしでも二人で出かけられる。だから――ね、受け取ってくれない?」
あまりに急な話で、正直、頭が追いつかない。でも、凛がたくさん動いてくれたのは伝わってくる。
ただ、いくら病院の中とはいえ、これ以上サプライズが続いたら本当に倒れてしまいそうだ。
「う、うれしいけど……高すぎるよ、それは……」
「そう言うと思った。実はね、いま彩夏が乗ってるその車椅子――それがそうなんだよ」
「えっ、この……今、私が乗ってるコレ?」
思わず車椅子のフレームを指さす。
「そう、今ある車椅子にデータの移動や、新しいAIをインストールしたり、他にはーー少しパーツを取り付けるだけだから、検診してる時間で済むよ」
「データって何のこと? 」
「あれ? 確か電動車椅子を使うとき、AI搭載とかデータの取り扱いについて約款に書いてあった気が……」
「えーっと、えーっと……読んでない……ははは……」
両親が私のために車椅子を用意してくれたのは知っていたけど、まさか高級AI車椅子だったなんて、思いもしなかった。
そこで、ふと気づく。
「ねえ……凛。もしかして、このライトのところに絆創膏貼ってたら……何か、問題あったりする?」
「ちょっと彩夏! これじゃデータ取れないじゃん! 外さなきゃ!」
凛が思わず身を乗り出してくる。その顔に浮かんだのは、いつもの冗談っぽさじゃなくて、ちょっとだけ焦った本気の色だった。
「や、やっぱりそうなんだ……」
「まあ、そんなに不安がることもないか……。最新AIへのアップデート用のログがちょっと減るくらいだと思うし」
「この車椅子のままじゃダメなの?」
私の問いに、凛が一瞬だけ視線を外す。その後で、ゆっくりと頷いた。
「ううん。今度のプロトタイプには、もっとハイエンドなAIが搭載されてて、テストモニターを探してるらしいの。どう? アルバイト感覚で試してみれば気が楽でしょ?」
凛の声に力はあったけど、私はそっと膝の上で指を絡める。なんだろう、胸の奥に引っかかるものがある。
「うーん……テストモニターか……それなら、やってみてもいいかも……。凛は使わないの?」
「実は、少し前までは乗ってたけど、最近は歩ける時間も増えてきたし、そろそろ卒業かも」
笑って言ったその顔が、どこか寂しげだった。きっと、嬉しいだけじゃないのだろう。
「あ……ごめん。なんか気、遣わせちゃったね。凛はもう歩けそうだもんね……じゃあ、これは……凛のおさがり?」
そう口にしたあと、自分の声が思ったよりも棘を含んでいたことに気づいて、ほんの少しだけ後悔した。
私は、まだ一人で立つことすらできないのに、凛はもう、ほとんどのリハビリを終えて、もうすぐ「普通」に戻っていくんだと思う小さな嫉妬がまだ残っていたことに。
この車椅子だって、本当は便利でありがたいものなのに、まるで置いていかれる証みたいで――また、そう思ってしまった自分が、情けなかった。
凛は小さく笑ってから、私をまっすぐに見る。
「ううん、違うよ。それは“彩夏のはじまり”のための道具だよ――」
どうしてそんなふうに言えるんだろう。
言葉よりも、その眼差しのほうがずっと強くて、あたたかくて、まっすぐで――胸の奥が“ぎゅっ”となる。
信じてくれていた。
うまくいかなくて、何度も立ち止まって、それでも前に進もうとする私をずっと見ていてくれた。
いや、きっと最初から。私が私を信じられないときでさえ、凛だけは信じてくれていた。
涙がまた滲んできて、今度はもう、止めなかった。
でも泣き顔のままじゃ悔しいから、笑って拭う。ちゃんと自分の手で。
「うん、ありがとう、凛。……一緒に行こう、旅行」
凛は、ほんの少し口元をゆるめてから、おどけた声を返してきた。
「それにして、おさがりって……ほんと彩夏は口が悪いんだから」
「でもさ……お互い様でしょ?」
目が合った瞬間、どちらからともなく吹き出してしまった。笑い声が重なり、少しだけ空気が柔らかくなる。
「ふふ……よし、決まりだね彩夏! 旅行の内容を二人で考えよう」
旅行という言葉が胸にじんわりと広がる。まだ信じられない気持ちのまま、でも笑顔だけは自然に浮かぶ。
「なんかすごいことになってて、正直、頭が追いつかないけど……いろいろありがとう」
「いいってこと! でね、新しい車椅子、とにかくAI機能がすごいの。世界中の誰でも好きな場所までナビゲートしてくれるんだよ。さら大規模なサーバーと連動させて彩夏が書いた小説を仮想空間で体験することだって――」
凛の目がきらきらと輝いていて、それがなんだか可愛くておかしくて私は思わず苦笑いした。
「ストップ、ストップ! 私、機械オンチで、よくわからないから!」
「あはは、了解! 習うより慣れろだね。じゃあー、残り二週間で外泊許可をゲットするぞー!」
思わず吹き出しそうになりながら、私は柄にもなく声を張り上げた。「おぉーっ!」と。
それが冗談まじりのやり取りなのか、本気なのか――なんだかもう、どうでもよくなるくらい楽しかった。