data.9/ 初めての疑問
リハビリ室の窓から見える空は、いつもよりずっと暗かった。こういう日は気持ちまで沈んでしまう。
車椅子のライトは故障したのか、ずっと点灯しっぱなしで、さらに絆創膏を重ね貼りして対処した。どこか剥がれていないか、もう一度確認をしていると、いつもより少し遅れて凛がリハビリ室に入ってきた。
彼女も調子がよくないのか、どこか元気がない。
「大丈夫?」と声をかけると、笑顔を見せてはいたけれど――その目の奥は、まるで曇り空のようだった。
ふいに彼女がシャツの裾を押さえる仕草をした、その一瞬だけ、手首から二の腕にかけて、インジェクションパッド(注射用保護パッド)が貼られているのが見えた。
(点滴の跡……? いや、採血?)
私が何か言いかけようとする前に、凛はごまかすように話しかけてきた。
「そういえばさ、新作のネット小説みた? 主人公が獣になる展開はないよね」なんて。
そうだね――と、笑いながら合わせたけど、頭の片隅にずっと引っかかってしまう。あの無理な笑顔と、白くて細い腕の傷跡が。
初めて凛の名前を呼んでみた。
「凛……体調、悪いの?」
一瞬、少し驚いた顔を見せた凛は、間を置いて小さく笑う。
「そんな顔しないで。風邪とかじゃないから」
でもそれは、“違う種類の不調”があることを意味しているように感じた。だけど、それ以上聞くことはできなかった。
ーーいつもそう。私は、大事なことほど踏み込めない。
そのまま、私は少しだけ他愛ない話をして、またそれぞれのリハビリメニューに戻っていく。別れ際に凛は手を振ってくれた。
「またね、彩夏」ってーー、何気ない一言なのに胸の奥で何かがじんわりと広がる。
何だろう。
私の身体は上手く動かないせいか、代わりに感情だけは、やたらと敏感になっている気がするのは。
凛の小さな仕草や、曖昧な笑みや、途切れた言葉の向こうに、何かが隠れているのがわかる――でも、それが何かまでは分からない。
そして、それを聞いていい関係なのかも、まだ分からなかった。
――凛のこともっと知りたい。
でも、それってどこまで踏み込んでいいんだろう。
胸の内で何度も問いかけて、結局、私はいつものように手を振ることしかできずにいた。