母であることを望み続けた悲しい女の逃亡生活
何時からだろう。血を見ても何とも思わなくなった。女は血を見ることに慣れていて、血は特別な物じゃない。美鈴は特に気にすることもせず、ただひたすら手に付着した血を洗い流していた。誰の血なのかわからない赤い液体を…。
「ただいま。」
いつも通りの時間に美鈴は息子の部屋の前に立ちドアを開けようとした。いつもはこちらからしか開かないドアが向こうから勝手に開いてきて、一瞬戸惑う。一瞬置いて居ないはずの男が中から出てきて、もう一度戸惑う。
「なんで?たくちゃんは?」
「体調悪いみたいで寝てる。起こさない方がいいんじゃない。」
嘘の顔で奴が言う。手元を見ると何故か赤い。
「何それ?」
「ああ、絵の具。落ちてたやつ踏んじゃって。」
また嘘。平気で嘘つく奴の嘘はすぐわかる。
焦って部屋の中を覗くと部屋中に血が飛び散っていた。それでもまだ私は落ち着いている。そう血を見るのは慣れているからだ。血は特別じゃない。特別なのは真っ赤に染まった息子の姿。私の鼓動は激しくなり、まだ惚けた表情の奴を問い詰めた。奴の説明はどこまで本当かわからない。嘘を並べ立てる常習犯。大人しく説明を聞いているうちに私は我慢出来ずに責め立てた。逆ギレ。奴がいつもやるやつ。その時も奴は息子を刺したであろうナイフを手に取り襲いかかってきた。
「そうだ。お前がたくとを殺して自殺した事にすればいいや。」
とか何とか言いながらナイフを向けられ、怖いと思うよりも心底腹が立った。この期に及んでまだ嘘をついて生きていこうとするのか、この男は。そう思った瞬間奴の心臓付近にナイフが向かう。きっと息子が力を貸してくれたんだと妙に納得しながら、倒れ込んできた奴を押し返す。すると奴はそのまま後ろに倒れていった。
しばらくして少し冷静になった私は手を洗いに洗面に向かった。