第10話 援助交際顛末記!
あからさまな尾行運転の覆面パトカーを従え、エイプのステップにスタンディングし、ゆっくりと走りながら辺りを注意深く見渡す永遠。
刑事は刹那の(正確には彼女の父親の)知り合いだ。
刹那の父は地元警察署の希望者に無償で武術指南と近接戦闘の訓練をしており、さらに署長含めた数人の署員はサバイバルゲーム仲間でもある。
幼少の頃ゲームフィールドで署員から『お嬢ちゃん』と呼ばれ可愛がられてきた刹那。彼女が問題を起こす度、一緒に巻き込まれては纏めてセットで揉み消されるという事の繰り返しで永遠も何人かの署員に顔を覚えられている。
彼も速度超過や信号無視など、ある程度のルール違反はしょうがないとわかってはいる。それでも、例え相手が悪人だったとしても必要以上に制裁(という名の暴力)を加えてしまう刹那には納得がいかない部分があった。そして刹那を甘やかしている大人達に自分も同様に甘やかされている現状も不本意であった。
「ぐえっ!」
既に通り過ぎた二〜三軒後ろのホテル入口から男の呻き声が漏れた。
すぐ道路脇にバイクを停め、駆け出す永遠だったが、ヘルメット越しに聞こえた声の方向までは掴めない。ヘルメットを脱ぎ辺りを見回す。
永遠とほぼ同時に覆面パトカーから降りた刑事が半分は勘によるのだろうが、永遠よりも確信のある様子で一軒のホテルへと入っていく。
ホテルの受付を堂々と通り過ぎ奥へと歩いて行く刑事の後を歩幅の足りない永遠が小走りでついて行くと、半覚醒のようなトロンとした目つきで壁に背中をもたれかけたまま身体に染みついたマーシャルアーツを繰り出したであろう刹那の姿があった。足元には鳩尾を押さえ苦しそうにうずくまる中年の男。
「ちょっ、なんだアンタら」と、こちらに気付いた男が床から声を絞り出すが、刑事はさして気にしていない様子で内ポケットからゆっくりと取り出した手帳を見せた。
「刹那っ!」永遠が彼女の肩を抱きかかえて身体をささえるが、意識が混濁しているのか半分ほど開けられた瞼の中で瞳がゆっくりとした動きで円を描く様に動いている。
「署で詳しい話聞きましょうか」
「同意の上だぞっ、そいつが持ち掛けて来たんだっ」
「勿論、双方からお話は伺いますよ。だから貴方もくれぐれも逃げようとか思わないでくださいね」そう言った刑事がチラリと永遠の方を見やった。永遠はすぐに刹那の腰に手を回し、ヨタヨタと彼女を連れてその場を離れた。
後ろから「おい捕まえろよ」とか「外に応援が待機してますから。貴方もお静かに」といったやりとりが永遠の耳に届き、彼の中の良心がちくりと痛む。常に誠実に正しく生きたいと思う永遠の気持ちはいつも刹那の所為で台無しにされる。それでも永遠は彼女を守る事を辞められない。
永遠は自分の上着を脱ぎ、その袖でタンデム席に座らせた刹那を自分の腰に縛りつけエイプで走り去った。
――どこをどう走ったかわからない。永遠は気がつくとホームタウンの河川敷にいた。
景色が開けた所、少しでも空気が良いところ、人気の無い場所、そんなことを考えた結果かも知れない。バイクを降りて芝生の上に刹那を寝かして辺りを見渡した。視界の端に見えるのは人気の無い駐車場。少し離れたところに見える建物は市民健康運動公園だろうか?
夕陽で橙色に染まりゆく景色の中、長い眠りから覚めたばかりのエイプはまるで呼吸を整えるようにチンチンと音を立てて休んでいる。刹那の隣に腰を掛けボーッとしている新たなご主人様を見守っているようにも見える。
「うっぷ、ぶぇ」
目を覚ました刹那はすぐに体を捻ってビチャビチャと元フライドポテトであった残骸入りの黒い液体を吐き出した。コーヒーの臭いと胃液のツンとした臭いが鼻腔を刺激し、新たな吐き気に見舞われ今度は透明な胃液を吐いた。唇から糸を引いてブラブラしている胃液を口に溜めた唾と一緒にペッと吐き出すと、ようやく隣に座る永遠に気付いたようで、口元をブレザーの袖で拭いながらきょとんとした声で「永遠?」と発した。
呆れ顔の永遠がクラスメイトの女子から聞いたギャル達の話や、中年男性はおそらく逮捕されたであろう事、顔見知りのいつもの刑事が刹那の援交未遂やパパ活については揉み消すだろう事を伝えた。
「あいつら、そんなヤバい奴だってわかってて私を嵌めようとしたの? ムカつくっ!」叫ぶや否や立ち上がってショルダーホルスターから反射的にハイキャパ5.1Rを抜く。
「仕舞えって。人に見られたらどうすんだよ?
お前の場合、拳法出すよかガスガンの方がマシだろうけどさ。
あーいう奴らって後のことなんて何も考えてねーんだよ。それにお前もそんなうまい話なんかねーって薄々わかってただろ」
「あーっ、もうっ! あと拳法って言わないでよっ!」永遠の言うことは尤もだと自分でもわかってはいるが、やるせない怒りの向けどころがわからず、その場で地団駄を踏む刹那。
何か気の利いた事を言わないとと、立ち上がろうとした永遠の額に刹那の尖った顎先から、雨粒のように一滴の涙が降ってきた。
永遠は気付かないフリをして座り直し、オレンジ色に染まる川面を眺め続けた。