作業療法と安積さん〜城内比呂目線
同級生であったから、もしかしたら、思い出話みたいな事をした方が療法的にはプラスになるのか随分悩んだ。ストレスで失声症になったのか脳障害なのか担当医も決めかねていた。
私は、安積さんのただじっと見るだけの表情の無い顔とあまり声を発したがらない様子が気になった。記憶の混濁があるという話もあったからここは、同級生は封印して作業療法士と患者さんとしてリハビリを行なうことにした。
安積さんは利き手の右手を失ったので食事を残された左手でスプーンとフォークを使って食べている。とりあえず箸で食べたいとの事で、子どものトレーニング箸のオトナ版での練習を始めた。字を書く練習も積んでいる。最近はお絵かきボードで簡単な会話ができるようになってきた。
いろんな作業を通して、成功が楽しかったり、うまく出来ない事がもどかしかったり、それに対して時折表情に変化が見られるようになってその進歩が凄く嬉しかった。
次回はいよいよ仮義手を試してみる事になった安積さんが転院してから10日経った日の夕方、安積さんの家族から面談を申し込まれていた。
安積さんのお母さんは安積さんによく似た色白な目がぱっちりした方で、私の母と同じくらいの歳と見受けられた。同級生の母だしなぁと勝手に納得しつつ大学生の弟さんは目つきが悪かった。地なのか、私を睨んでいるのか。うん。地という事にしておこう。父親は仕事との事で、いや、そんな勢揃いしなくてもと思いつつ自己紹介と、最近の作業での安積さんの様子を話したりしていると、お母さんが思いきったように聞いてきた。
「あの、声の方は何もなさってないですよね?早くそちらの専門家の方の訓練を受けさせたいのですが。」
最後まで目つき悪く黙っていた弟と失声症の治療に重きをおきたいお母さんを送り出して、時刻をみるともう退勤時刻を過ぎていた。あちゃー残業は院長から怒られるとヨロヨロと歩いてロッカーへ向かうと階段から降りてきた安積さんにでくわした。
よく階段の登り降りを自分に課していてとても熱心な患者さんだと思う。最近ではうちの病院の理学療法士の恩田さんと仲良くなって身体の鍛え方を指導してもらって筋肉を取り戻すことに意欲的とか。
安積さんに必要なのは理学療法士と言語聴覚士だったのだろうか?私は、作業は、患者さんが日常に戻るために欠かせないことだと思っている。出来る事が増えていけば、次はどうしたいかと思うようになり、自然に自分から声の治療をしたいとなって、それからで良いって。そう安積さんのお母さんにも説明をした。何よりも先に話せるようにして欲しい。そう念押しされてしまったけど。
ペコリと頭を下げると向こうは首を傾げた。きっと今情けない顔をしているから見られたくなくて急いで私はそこを走り抜ける事にした。