自由な魔女と魔女の騎士
これは魔女アマンダが生まれる前の物語。カルラは自由を愛する魔女だった。彼女は自分が自由でいることにこれ以上ない幸福を感じていた。そんな彼女だが、人生の中でたった一人だけ、この人になら自分の自由を渡してもいいと、そう思えた人がいた。これはそんな自由が好きな魔女と、その魔女を射止めた男アドルフとの物語。
「おやじ、これもっとまけらんねーのかよ」
人通りの少ない寂れた商店街の一角。そこにはこの商店街で唯一開いている果物屋があった。カルラはよくその果物屋を利用しており、その日も店頭に並んでいるリンゴを買おうとしていた。
「そんなこといってもカルラちゃん。おじさんも商売なんだよ。これ以上は下げられないかな」
「ちっ、まあいいや。ほら、金だ」
カルラは服のポケットから小銭を取り出し、店主へと投げる。店主は慌ててそれを受け取った。
「カルラちゃん、その口調と言動、もうちょっとどうにかした方がいいよ。そんなんじゃ恋人もできないんじゃない?」
「うるせえよ。おやじが心配することじゃねえ」
「おじさんは若い頃はこれでもモテてね、そりゃ色んな女の子の相手をしたものさ。それでもカルラちゃんのように粗雑な子はあんまりみなかったねえ」
「おやじの若い頃の話なんて誰も聞いてねーから」
カルラはうっとおしそうに顔をしかめ、リンゴをかじった。
「そのおやじっていうのもどうかと思うよ。おじさんこれでもまだ40台だからね」
「頭が禿げたらもう禿げおやじだ」
「それはちょっと言いすぎだよ。20台でも悩んでいる人はたくさんいるんだよ。カルラちゃんかわいいのにそんなことばっかり言うから恋人の1人もできないんだよ。このままじゃずっと独り身だよ?独り身ってさみしいんだよ?」
「あーもう、うるせーなあ」
「自分よりも年上の人にそのような言動はあまり良くないですよ。そうではなくてもあなたは女の子なのですから、もう少し優しい口調で話したらどうですか」
2人が言い争っていると外野から声が聞こえた。その声は低く程よい色気を持っており、聞きほれるような声音であった。
「…あんた誰だよ。余計な口出しすんじゃねえ」
「あわわわ、カルラちゃん、この人は絶対そんな口調でしゃべっていい人じゃないよ」
声をかけてきた男は、薄く透き通るような金髪に鋭い金眼の美丈夫だった。その体躯は厚く、見るだけでも鍛えられていることが分かる。その男は騎士団の制服を着用しており、腰には帯剣をしていた。この国で金髪金眼は王家の証、騎士団に入っているということは王位継承権を放棄した第3王子であろう。
「私は自由を愛する魔女だ。誰にも私を制限することはできない」
「自由を愛するとはとても素晴らしいことですね。ですが、自由を愛することと人生の先輩へ敬意を払うことは別です。あなたが自由でいられるのもあなたにものを教え、あなたが自由でいられるように環境を作った人がいたからです。そんな人たちに敬意を払うことはとても大切なことです」
カルラはその言葉を鼻で嗤った。
「はっ、私が自由でいられるように環境を作った人ねえ」
「何がおかしいのですか」
カルラは笑っている。笑っているはずなのに、なぜだかそれは見ている方がとても辛くなるような表情だった。
「そう考えられる頭がおめでたいと思ってな。何にも知らない人間が、他人のことに口出ししてんじゃねーよ!」
そういうとカルラはその場から立ち去ってしまった。
「待ちなさい!それはどういうことですか!」
「騎士様。気にかけてもらえるのはありがたいですが、あんまりあの子を追い詰めないでやってください。あの子は…とてもかわいそうな子なんです」
店主はアドルフに話をした。彼女のかなしいかなしい過去の話を。
この世界では魔女は忌避されていた。普通の人間と変わらないはずなのに、人々からは嫌われた存在だった。ただ魔法を使うときに黒いオーラが出るというだけ。それだけであるはずなのに、人は黒という色におびえ、必要以上に魔女を嫌った。
カルラはこの世界に生まれた瞬間から黒の魔女だった。それが分かる容姿を持っていた。黒い瞳に黒い髪。白い肌に小さな体。両親はどちらも人だった。だから生まれてくるのは人だと思っていた。だが蓋を開けてみれば黒の魔女。男は女を疑った。女は男を知ってから男としか関係を持っていなかったのに。まもなくして2人は離れてしまった。カルラは両親から愛されなかった。そして簡単に捨てられた。カルラは汚い商店街の片隅で何とか生き延びた。時には身重の猫からミルクをもらい、時には残飯をあさりながらやっとのことで生き延びた。少し大きくなると、魔法が使えるようになった。カルラはゴミ捨て場に捨てられていた魔法陣を使い、初めての魔法を自分だけで再現した。カルラは魔法に関して1を見れば10を理解するような天才的な能力を持っていた。初めて使った魔法で、カルラは首筋と片頬に大きな火傷を負った。それからは黒の魔女ということだけでなく、醜い火傷跡のある魔女ということでも非難を受けるようになった。カルラの心は傷付き、やがて閉じられてしまった。カルラは人を信用することができなくなった。それからのカルラは魔法にすべてを捧げ生きてきた。そして誰にも邪魔できない自由を手に入れた。自由だけが最初からカルラが持つ財産だった。だからカルラは自由を愛している。
「ああもう!いらつく!なんなんだよ!」
数日後、カルラはむしゃくしゃしながら寂れた商店街を歩いていた。先ほど、この間会った騎士の男に捕まってしまったのだ。
『あなたのことを知らないのに勝手に言ってしまって申し訳ありませんでした。ですが、少なくともあの店主への言葉は良いものではないです。もう少しそこは改めた方がいいのではないでしょうか』
「何がもう少し改めた方がいいだ!なんで謝ってくるんだ!」
カルラは人に謝ったことなどなかったが、逆に謝られたこともなかった。人はカルラが悪いことをしてもしていなくてもカルラのせいにするし、逆にカルラもそうする。他人なんて信用できないものだ。
「…!」
その時、果物屋の前で言い争う声が聞こえた。近づいてみるとガラの悪い男たちが店主の男を取り囲んでいた。
「あんたら、何やってんだよ!」
「うわ、火傷の魔女じゃねーか」
「そういうことだから、わかったな店主」
カルラが一睨みすると男たちは逃げていった。
「すまないねえ、カルラちゃん」
「何やってんだよおやじ」
「ほんと何やってんだよねえ」
そういった店主の顔は少しやつれているようだ。
「本当にどうしたんだよ。さっきのやつらになんかされたのか?」
「まあ、されたと言えばされるのかな?」
「なんだよ、何かされたならやり返せばいいじゃねーか!」
「おじさんはカルラちゃんみたいには出来ない…よ…」
そう言いかけると、店主は突然力なく倒れてしまった。
「おいおやじ!なんなんだよ!おい!」
ゆすっても叩いても、店主は起きてくれない。カルラは焦った。こんな時はどうしていいかわからない。医者を呼ぶという考えもカルラには思い浮かばない。どうすれば。どうすれば。その時、カルラは唯一思い浮かぶ人物を見つけた。
「おい!ちょっとこい!」
「っ!あなたはいきなり来て何なのですか」
「えっ!火傷の魔女?」
カルラは広場で巡回をしていたアドルフを捕まえ走り出した。周りの人々はアマンダの姿を見ておびえたような顔をしている。アドルフとともに街を巡回していた騎士までアマンダを警戒していた。
「いいから急げよ!おやじが大変なんだって!」
カルラは自覚していなかったが、その表情は今にも泣きだしてしまいそうな赤子のような顔になっていた。アドルフはその顔を見るやいなや足の向きを変えた。
「アドルフさん!見回りはどうするのですか!」
「何やら緊急事態のようです。あなたは先に戻っていて下さい」
アドルフはもう1人の騎士にそういうとカルラに続き走り出した。
「疲労がたまっているようですね。少し熱があるようなので解熱剤も出しておきましょうか。今日は安静第一に様子を見てください」
アドルフは店主の様子を見るとすぐに医者を呼び対処した。幸い、命に関わるような状態ではなく、安静にして薬を飲んでいれば回復するだろうとのことだった。
「何だよ心配させやがって」
「やめなさい。病人の頭はたたくものではありませんよ」
アドルフは一旦詰所に報告に戻ったが、その後も様子が心配でもう1度店主の元を訪れた。アドルフが出ていく際、看病をしていたカルラの様子に不安を覚えたからだ。戻ってみるとやはりその不安は的中していた。店主の頭に乗っているタオルはべちょべちょのままで枕まで濡れているし、水を飲ませたのか布団の近くには、床に打ち捨てられた花と水の量がやけに少ない花瓶がおいてあった。カルラは慣れない看病に疲れたのか、部屋の隅で壁に背をつけ眠っていた。
「まったく…」
アドルフは眠っているカルラに自分の上着をかけ、床に置かれている花を花瓶に水を入れ、元に戻した。そしてぬるくべちょべちょとしたタオルを交換した。その時、眠っていた店主が目を覚ました。
「これは、騎士様…。随分とご迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ございません」
「いや、私は何も…ほとんど彼女がやったことです」
店主は驚いたように目を見張ったかと思うと、目に涙を浮かべてそれはそれは嬉しそうに笑った。
「そうですか…彼女が」
「…つかぬことを伺いますが、あなたと彼女は一体どのような関係なのですか?彼女の慌てぶりからも他人のようには見えませんが」
店主は1度目をつむり、こぼれた涙をぬぐうと彼女が眠っていることを確認し口を開いた。
「…僕は彼女の本当の父親なんです。以前お話をさせて頂いた時の最低な父親なんです。こんな僕は、彼女に親しげにおやじと呼ばれる資格も本当はないんです」
彼は語った。自分の話を。愚か者だった自分の過去の話を。
「僕と彼女の母親は子供が本当に欲しかったんです。でも彼女の容姿を見て戸惑ってしまった。彼女が生まれてすぐ、恥ずかしいことに僕はすぐに母親を疑ってしまいました。もともと僕も彼女も恋人の入れ替わりが結構激しかったからです。彼女のことは母親に預けていました。そして彼女たちを捨てた数年後、両親が人だけれども自分は魔女だと言う人を知りました。本当に自分は馬鹿なことをしたと思います。そしてその後すぐに母親を訪ねると、もうすでに彼女は捨てられていました。僕は彼女を捨てたというその場所に行ってみたけれど当然その場所に彼女はいなくて。でも、そのすぐ近くで小さな少女を見つけたんです。時がたっていて成長はしていたけれどすぐにわかりました。黒髪黒目なんてあの子しかいないから。一度は捨ててしまったけれどやっぱり本当に欲しかった自分の娘だ。彼女に親なんてことを言うことはできないが、それでも彼女のために何かしてあげたくて。僕は商売の才能はあったようで、お金には困っていませんでしたから…商店街の店の1つを買い取って果物屋をはじめました。彼女のことを見守りながら…今思っても本当に幸せな日々だった。僕はずっと彼女を見ていられるわけではないけれど、彼女にはこれからも幸せでいてほしいんです」
店主は自分が病気だということを話した。今回倒れたのもその病気のせいだとも。もう担当医から長くはないと言われていることも。だから彼女を預けられる人を探していることも話した。アドルフは彼が満足して眠るまで黙ってその話を聞いていた。
カルラは自由を愛する魔女だ。だけれど最近はちょっと不自由かもしれない。だがその不自由さがカルラは嫌いではなかった。
「お前らまた来たのかよ。いい加減にしねーと、お前らも俺と同じ顔にしてやるぞ」
「や、火傷の魔女が、なんでこの店にこだわるんだ!こんなボロ家、あったって意味ねーだろ!」
「こだわったら悪いか。俺はここが気に入っている。だからここにいるんだ。俺が自由にしてて何が悪い!」
店主が倒れてから数日、カルラは店に来る取り立て屋たちを追い払っていた。彼らは何でもこの商店街を潰し、新しい事業を始めるためにこの土地を欲しがっている会社が雇っているらしい。だがこの店の店主はこの土地を手放す気はなく、困っていたそうだ。カルラ自身にも分からなかったが、店主の店を守り、店主からお礼を言われるとカルラの心はなんだか温かくなるのだった。
「カルラちゃん、いつもありがとうね」
「おう、ミカン1個で良いぞ」
「んー、まあ仕方ないね。おまけでもう1つ追加しておいてあげよう」
「またあなたはそんな口調で…店主もこの子のためにちゃんと諫めてください」
「うるへえよ」
その輪の中にはアドルフもいて苦言を呈してくることも多かったが、そんな不自由な日々がカルラはとても幸せに感じた。
だがそんな温かい日々は突然の終わりを告げた。店主が亡くなったのである。カルラは葬式に参加することもできなかった。
「あんたみたいな魔女が近くにいたから、彼はこんなに早く亡くなっちまったんだ」
「この疫病神め。次はだれを殺すつもりだ。頼むからここから出ていってくれ」
カルラは店主に花を手向けることもできなかった。生前、店主の一番近くにいたのは紛れもなくカルラだった。カルラの他に店主の元を訪れるのは、アドルフか、数少ない近所の客か、あの取り立て屋たちくらいのものだった。店主はあんな身なりをしていたが、存外金を持っていたらしい。それを目当てに親族の人間が葬式をあげ、カルラを睨んでいった。カルラがやっと店主と会えたのは、時間が経ち誰もいなくなった冷たい石の前だった。
「…ごめん、俺、あんたの名前も知らないや」
カルラは店主の名前を知らなかった。最初の頃に言われた気がするが、その頃はまだカルラも店主のことを信用できていなかった。やっと軽口が言い合えるようになったころには、出会ってからとうに時間が経ってしまい、気恥ずかしくて聞くこともできなかった。カルラは、魔法陣は描けるが字は読めなかった。誰も教えてくれなかったから。あれだけ近くにいたのに、彼のことは…名前1つも知らなかった。
「本当にあんたが俺のおやじだったら良かったのに。俺はあんたみたいなやつの子どもに生まれたかった。きっとあんたみたいな父親だったら…毎日が楽しかっただろうに…俺だってもっとましな…ちゃんとした…人間に育ってたかもしれないのに…」
カルラはこの日、初めて自分以外の他人のために涙を流した。カルラのその様子をアドルフは後ろから黙って見つめていた。
「カルラ、もう日も沈んでしまいます。そろそろ帰りましょう」
アドルフはカルラに声をかけた。もう日も傾き、辺りは夕焼けに染まっている。
「帰るってどこに…私は自由を愛する魔女だ。私はいたいところにいる。私はいつも自由だ」
「今のあなたはとても自由には見えませんよ」
アドルフはカルラの前にひざまずいた。そしてカルラの頬を流れる涙を拭う。
「ほら、帰りますよ。あなたの帰るべき場所は店主のお店でしょう。いつもありがとうと店主も言っていたではありませんか。近くにいるのは嬉しいかもしれませんが、店主もあなたがずっと項垂れていて嬉しいはずはありませんよ」
そういうと、アドルフは力の入らないカルラを背負った。いつも来てくれてありがとう。いつも顔を見せてくれてありがとう。いつも元気でいてくれてありがとう。言葉にはしなくても店主は心の中で何度も言っていた。
「俺はありがとうなんて言わないからな」
「あなたは甘え下手ですからね。強引に行くくらいがちょうどいいのかもしれませんね」
カルラはアドルフの温かい背中でもう一度涙を流した。
「あ!あいつら!」
果物屋の前、見覚えのある顔の人間たちが店主の店へと入っていった。店主が亡くなったことを知らないのか、知っていての強行なのか。どちらにせよあの取り立て屋たちを止めなければならない。だがカルラはふと気づいた。今日は新月の夜だ。新月の夜に魔女は魔法が使えない。カルラも同様に魔法が使えない。いつも懐に魔法陣は忍ばせているが、魔力がなければそれはただの紙切れだ。カルラは自由を愛する魔女であり、自由に生きるだけの力がある。ただしそれは魔法の力、今のカルラはただの人間の女だった。カルラの身体は知らず知らずのうちに小刻みに震えていた。カルラを背負っていたアドルフはそれに気がついた。
「カルラ。困っているならしっかり言葉にしてください。あなたは1人ではないんです。少なくとも今ここに私はいて、あなたを助けようとしています」
カルラは他人を信用することが怖かった。
「俺に人に言えないような過去があったとしてもか」
だが、もしまた信用することができたなら。
「それは別に関係ありません。でも、もしあなたが、人に言えないような悪いことをしていたとしたら、私が一緒に謝りに行きましょう。もしそれで許されないのだとしたら、私も一緒に罰を受けましょう」
今度こそ。
「なんでそんなことまで…」
「私はあなたに一目ぼれしたのです。堂々としたあなたの姿に、私は惚れていたのですよ。最初から私はあなたの味方になりたかったんです」
後悔しないようにしたいと思う。
アドルフは店主の土地を不当に取り立てをしようとしていた闇売人を摘発し、店主の土地は守られた。その後、アドルフとカルラは夫婦となり1人の娘に恵まれるたのだった。
「俺の名前はカルラだ。お前の名前を教えろ」
「私の名はアドルフです。カルラ、もう少し優しい口調で話してください。それでは、まるで脅迫しているようです」
「…努力はする」
アドルフの小言に矯正され、少しだけ後悔することになるカルラであった。
最後までお読みいただきありがとうございました。