第三話「終劇」
ガラスの無機質な音が響き渡ることは即ち何者かの襲撃を、そして相手が最上級風属性魔法結界を一瞬で破ることができる猛者であることを告げていた。
カインは瞬時に身体強化を発動し、ナディアを守れる位置に移動。
ナディアを挟んでミシェルと背を預け合う格好となる。
騒ぎ立てようとする王女のこめかみを裏拳で撃ち抜いて気絶させると、眼前に差し迫る黒衣の男とダガーで激しく火花を散らせる。
灯りの落とされた礼拝堂内の影は二つ、周囲を囲むように布陣しているのは魔術師だろう。
魔力感知にわざわざ引っかかるあたり、それなりに高位の魔法を行使しているか、こちらの気を乱すための撹乱か。
援護をしてくるわけでもない彼らの狙いが読めず不気味に思うカインだが、今は目の前の男の相手をするので手一杯だった。
剣戟の火花に照らされる黒衣の襲撃者の顔は笑みを浮かべる奇妙な白仮面で覆われている。
下から覗く双眸にはこちらが試されているような、或いは高みから見下されているような不快さを感じさせる。
そんな挑発的な目をするだけあって実力は確かなようで、徐々に加速する剣戟が表皮を掠めるようになってきた。
応戦しつつも、王女の周囲に風属性魔法結界を張り終えたカインは左手でもダガーを抜き、二刀で攻勢に転じる。
あえて作った隙を見逃さずに狙ってくる奴の首を狙った一撃をその場で回転して避けつつ、その利き腕に二連撃を放つ。
さくと小気味良い感覚で入った刃は瞬時に身体強化を一段と上げたらしい奴の筋肉に止まりかけるが、そのまま重力に身を任せ、体に捻りを加えて宙を舞うように振り抜いた。
その斬撃は奴の腕を斬り落とすことに成功する。
「チッ……!」
舌打ちをして間合いをとる襲撃者にカインはすかさず体内に飲み込んで隠し持つ超小型毒吹き矢で追撃する。
即効性の毒針は敵の眼球に刺さる。
奴はひとしきり転げ回ると痙攣し出して海老反りになったままで動きを止めた。
その様子を見たカインは嫌なものを見たとばかりに顔を顰めてから、ミシェルの方を振り返ろうとする──
「カイン!」
「先生!」
緊迫した硬い声で互いの名を叫ぶ師弟の背後には既に己の秒針を止めたはずの異形が差し迫っていた。
咄嗟に投擲したナイフは首元の辺りで鈍い音を立てる。
それと同時にカインが体を低くすると、髪をなにかに掠め取られる。
刹那でも遅ければ己の首は飛んでいたと背筋が冷えるのを感じながら、そのまま振り向きながら屈み込み異形の脚を払う。
そして倒れたところにナイフで手足を地面に縫い付け、即座に土属性拘束魔法で全身を覆い動きを封じる。
「……どういうことだ」
先程確かな手応えと共に仕留めたはずの襲撃者は、切り落とした腕も、毒に悶絶して掻き出した目玉も元通りになっていた。
たとえ最高位の神官であったとしてもこれほどの奇跡は起こせないだろう。
何より、喪われた命を取り戻す術を人類は持ち合わせていない筈だ。
「先生、これは一体……先生?」
自身のナイフの命中を確信していたカインはミシェルであれば問題はないと思っていたが、その見立ては間違いなかった。
──だとしたらその、亡霊でも見たような青褪めた顔は……襲撃者について何か知っているのだろうか?
「あぁ、カイン、私、どうしよう?」
「……とりあえず外の連中に動きはないようですが、コイツらの事は後で考えましょう」
「まさかまだ残っていたなんて」
「先生?」
会話も噛み合わず譫言のように呟くミシェルは、やがて震える体をかき抱き蹲ってしまった。
未だかつて見たことのない師の錯乱ぶりにカインまで思考を乱されるが、とりあえずミシェルとナディアを連れてこの場を切り抜けることを優先しようと決める。
身体強化を使用したとしても二人を抱えて逃げ切ることは難しい。
故に何とかミシェルに正気を取り戻してもらわねばならなかった。
「先生! 俺の目を見てください」
焦点が定まらず瞳孔が拡大している様子だったミシェルの瞳が自分を映すのを見て少し安心したカインはミシェルを抱きしめた。
こういうときは誰かの温もりが一番効くことを身をもって知っていたからだ。
「あ、カイン……」
「良かった。とりあえず今はこの状況を切り抜けることだけを考えましょう!」
「そ、そうね。ごめんなさい、取り乱して。私は貴方の師匠ですもの。でも、もう少しだけこのままでもいい?」
「……はい」
その抱擁は時間にすればきっと一瞬であっただろうが、カインには自分が溶けてミシェルと混ざり合うほど長く感じた。
「あっ」
ミシェルの方から離れようとすると自分でも情けない声が出たことに驚く。
そんなカインを見つめるミシェルの目は何かを覚悟した人のものだと分かった。
不思議な迫力に魅入ってしまって何も言えないカインにミシェルは口を開く。
「カイン、愛しているわ。貴方もそうでしょ? だから一つだけ我儘……いつか私を殺しに来てね」
カインは悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言うミシェルの言葉を咄嗟には理解出来ずに呆然としていた。
その間にミシェルはカインとナディアの手を結ばせて細長い水晶のペンダントを握らせる。
そして何事かを呟いてカインの手の甲に口づけを落として微笑んだ。
「先生!?」
青白い光に包まれる自身の体に我に返ったカインはミシェルにその手を伸ばすもその背中には届かない。
どれだけ叫べど振り返ろうとしないミシェルの背中はどんどん小さくなっていく。
カインが最後に見た師であり親であり密かな恋心を抱いていた女性の姿は、遠く離れた異国の地からも天に立ち昇る光柱として自身を見守っているように感じられた。
これにて序章終幕です。