第二話「襲撃」
冷たい風を切って夜の街の空を駆けること数分、カインはミシェルにやや遅れて王城の敷地の外れにある礼拝堂の屋上に到着して一つ息を吐く。
白い吐息は星々に溶けていき、足元からは重厚なパイプオルガンの音色が体に響いてくる。
王城に勤める役人たちが一日を終えて、反省と明日への抱負、他者への慈悲、そして何より束の間の休息の感謝を神に祈っているのだろう。
ミシェル曰くナディア王女は敬虔なファージ聖教の信徒らしく、誰よりも遅くまで祈りを捧げるらしい。
この際、彼女の守りは専属の護衛騎士二人だけになるため、今回の作戦にまたとない機会であった。
カインが王女を攫うためのプランを頭の中でいくつかシュミレーションしていると、礼拝を終えた役人たちがぞろぞろと入口から出てきた。
何も知らない彼らは口々に今宵の予定や夕飯は何だろうとか他愛のない話をしている。
それを見て少し羨ましく思うカインは視線を逸らしてどこか遠くを見つめて思考を切り替える。
そして、ミシェルとアイコンタクトを交わすと音もなく地面へと降り立った。
カインは入口から忍び込むと素早く参列席の背に身を隠す。
そして護衛騎士を注視して微かな胸や肩の上下から呼吸のタイミングを測り自身と合わせていく。
同時に事前に伝えられている魔力の属性と量を体内で用意する。
これほどの芸当を護衛を生業にする者らを相手に悟らせずに行えるのはカインの知る限り自分とミシェルの他には数人しかいなかった。
そしてそのまま彼女の祈りが済むのを目を閉じて待つ。
カインもミシェルも暗殺者といえど祈りを邪魔するほど無粋ではなかった。
暫くして布擦れの音がして彼女らが動き出す気配がする。
それを合図にカインはステンドグラスによって出来た色彩豊かな影の中を低く縫って進み、瞬く間に護衛騎士の背後を取る。
そして首筋に人差し指と中指の二本を当てがい同調させた魔力を送り込む。
その魔力は騎士の頸動脈や周囲の筋肉に作用し圧迫することで脳への血流を遮断する。
己が襲撃を受けていると認識したらしい騎士の茶の瞳がこちらを向いたかと思えばすぐにそれは白へと変わり、身体は崩れ落ちる。
王女が女神像の方から向き直る頃にはカインとミシェルは互いの技を笑みで讃えるほどの余裕があった。
そして自分たちを見て、みるみるうちに驚愕にその絶世の美女と評される所以たる端正な顔立ちを歪めエメラルドの瞳は目一杯見開かれる。
肩までの緩く波打つブロンドの髪は後退る動きによって重力に逆らい、喉の筋肉が収縮し、その小さな口が開かれる。
それをしかと見届けたカインは風の魔力で彼女の周りに真空の層を作り出して悲鳴を遮断する。
声が響かないことに驚いたらしい彼女は腰が抜けたのかへたり込んだのち、固まってしまった。
「驚かせてしまってすみません。殿下、少しだけお話しできませんか?」
その声を聞いてナディアは「あっ、貴女は」という口の動きをする。
どうやらお得意の心読の魔眼で感情の色を見たようで襲撃者が潜入していたミシェルだと気がついたらしい。
驚愕だった表情は怯えたものに変わり、そして怪訝なものへと変化する。
こうして見ると、王女といえど普通の婦女子のように見えてカインは目の前の人物が王女の替え玉か、或いはミシェルの見立てが誤っていたかと疑念を抱いた。
しかし、それは彼女の口の動きによって見事に払拭された。
「たとえ私が死んでも自由は死にません」と言う彼女の真剣な表情に反して口を開閉しているだけで伝わらない様子がシュールに思えたカインは思わず表情を緩める。
確かにこれは普通の婦女子の反応ではないなと思うカインは、いつまでもこのシュールな状況を続けても仕方がないと真空の層を自分たちの外側に貼り直す。
「──寧ろ、保守派の貴族らが手を回したと民たちは怒り彼らを数で圧倒するでしょう」
「え、え〜と、そうですね。あの、でも違うんですよ。私たちはどちらかと言えば貴女を救いに来た立場です」
「救いなら既にファージ神に賜っております。貴女たちのような悪行を重ねたような真っ黒な人間を救うことも私の使命ですが、私が救われることはありません」
「え、あの……カイン、お願いします」
何故か王女を前にいつもの余裕がないミシェルを不思議に思いつつ、カインが王女に事の仔細を語ろうと口を開くのと、ガラスが割れる音がするのは同時だった。
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