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第一話「依頼」

「ナディア王女殿下には退場していただきましょう」

「……本気ですか?」


 これまで口答え一つせず暗殺をこなしてきたカインだったが、疑問が口をついて出てしまった。

 なにせ一日の仕事を終えた人々が行き交う露店の立ち並ぶ往来の中、いきなり暗い路地裏に引き込まれたかと思えば、唐突に大仕事の依頼をされたのだ。


「私が冗談を言ったことがありましたか?」

「それはあるかと」


 カインがそう返すと、ローブの下に見える柔らかそうな茶色の髪に優しげな紫紺の目をした美女がクスクスと微笑する。

 華奢な身体や口元に添えられた細く綺麗な手は気品を感じさせ、とてもじゃないが同業者のものには見えない。


「……まぁ手短にお話しておきましょう。現在この国は二つの派閥に分かれて政権を争っていますね。王や第二王女を旗手として民衆主導の政治への移行を進める革新派、そして既得権益層が支持する第一王子アントニー殿下率いる保守派です」

「はい、商工業者や有識者層の台頭は目覚ましいものがありますから、一連の動きは必然とも言えます。しかし、自分には正義は前者にあると思えてならないのですが……」


 カートロン王国第二王女、ナディアは旧態依然とした貴族政治から民衆主導の政治への移行を掲げ、民衆の高い支持を受けていた。

 それに、昨今の官民のパワーバランスの変化や、腐敗して機能せず税を貪るだけの貴族政治のことを鑑ると、早い段階で民衆に融和的な政権に移行することは理にかなっているように思えた。

 それと理由がもう一つ。

 彼女は当代の読心の魔眼の持ち主であることをカインは知っていたからだ。

 人の感情を読み取ることができるという彼らは、歴史の舞台に登場する度にその能力で世に変革を齎してきた。

 無論、その結果が必ずしも良い方に作用している訳ではないが、伝え聞く王女の評判からして、見切りをつけられるような人物とも思えなかったのだ。


「私は王女が危険だと判断しました」

「危険、とはどういうことでしょうか?」

「カインは直接の面識はなかったですね。確かに彼女には人を惹きつける何かがあります。ですが、やはり歪なんです」

「ミシェル先生はここ数ヶ月、潜入調査をしていたんでしたね」

「えぇ、カインと離れ離れの間は寂しかったです」

「……揶揄わないで下さい」


 己の身体をかき抱いて上目遣いで見つめてくる師にカインは赤面してしまう。

 カインの師であるミシェルはこうしてよく弟子を揶揄っているのだ。


「そ、それで歪というのは?」

「彼女は正し過ぎるんです」

「他人の感情が見えて、かつ正義感があるのならば大層なことじゃないですか」

「正しさも度が過ぎれば、それはもう狂気です。そして狂気は伝播します」


 言われて考えてみると、第二王女が表舞台に現れてからというもの、彼女に陶酔した平民層がやたらと活動的になっていることに気がつく。

 役人の不正を声高に糾弾したり、納税している平民にこそ国政の指揮をとる権利があって然るべきなどと宣い街中を行進するのはもはや日常茶飯事だ。

 現国王が平民に融和的でなければこの王都はとうに血の海と化していただろう。

 確かに傍目から見ても自らの権利と自由を主張する彼らは狂気じみているとも言えた。


「なるほど、先生は昨今の民衆運動が時流ではなく、王女の狂気の伝播によるものだとお考えなんですね」

「全てとは言いませんが影響は多大にあったでしょうね。このままでは近いうちに派閥間の対立は激化して多くの血が流れかねません」

「そういえばここ最近、保守派の動きがきな臭いですよね。なんでも革命の伝播を恐れる近隣諸国の軍事協力を取り付けたとか」

「対する革新派は武力衝突となると分が悪いですからね。いずれ起こりうる変化なのかもしれませんが、今の王女では革命の火種と命を無駄にするだけでしょう」

「先生の人を見る目は確かですから、そうなんでしょう。それで、王女の処遇はどうしますか? 今の言いようだと命までは取らないつもりですよね」

「そうですね〜、彼女にも外の世界へ連れ出してくれる王子様がいればいいんですけど……チラ」


 空を見上げて考えるような仕草をしてみせた後、わざとらしい擬音を発しながら流し目を送ってくるミシェルにカインは後退る。


「え、いや、チラじゃないですよ! そもそも俺には──」

「分かってます……やっぱりまだ諦められませんか?」

「……それがこれまで手を汚してきた俺の、唯一残された生きていていい理由ですから」

「ッ……!!」


 自らを嘲るような笑みを浮かべ、震える手を押さえるカインを見て、ミシェルは胸を押さえて悲痛な表情を浮かべる。

 かつて、カインは復讐という利己的な目的のために力を望んでミシェルに師事し、以来、正義を傘に着て人を殺めてきた。

 幸か不幸か暗殺者として才能があったカインは幾度の死線を乗り越え、殺め、奪い、憎まれ、傷ついて……そして、自らの存在意義を見失った。


「あ、いや違っ──」


 つい口をついて出た本音にミシェルを傷つけてしまったとカインが慌てて取り繕おうとしたところをミシェルの胸に抱かれる。

 ふわりと香る沈丁花の香水に最高級品だとか、幼い頃によく感じた落ち着くはずの柔らかさに落ち着かず逆に鼓動が速くなったり、そんな取り止めのないことを感じながら彼女の鼓動を聞く。

 すると何故だか酷く冷静になる思考とは裏腹に目頭が熱くなる。


「……ごめんね」

「どうして、先生が謝るんですか」

「ごめんね」


 そう言ったきり互いに押し黙った二人は落ち着くまでずっとそうしていたが、人の気配を感じてサッと離れる。

 ヒュゥと口笛を吹いて通り過ぎる通行人に気まずさを感じながらカインがバツが悪そうにしていると、ミシェルは急に真剣な顔つきでこちらを見つめてきた。

 そんなミシェルを見てカインはふと思う。

 ミシェルの外見は幼いカインと出会った時から変化がなかった。

 本人に尋ねたところ、魔力を用いた抗老化法だと言って教えてもらったが、それにしても変化が無さ過ぎである。

 カインは自分だけ老いていくような妙な孤独感を覚えていた。


「何か失礼なことを考えるくらいには、もう大丈夫そうですね」

「すみません、取り乱しました」

「では時間もあまり残されていないことですし、王女様を攫いにいきましょう!」

「えっ、色々と有耶無耶にしてませんか? 俺は彼女を連れて逃亡とか──ってちょっと待ってください!」


 身体強化を発動したミシェルは軽く地面を蹴って屋根上へと飛び乗り挑発するようにこちらを手招く。

 カインはその仕草に幼少の、ミシェルに師事したばかりの頃を思い出して思わず破顔する。


「……はぁ、やっぱり先生には敵いませんね」


 そう零してカインはミシェルの後を追う。

 王城へと屋根を駆けるミシェルの影を、頭上に輝く新月の夜の星々が淡く照らしているのが妙に印象的だった。

ご覧いただけると励みになります。

面白かったり続きが気になる方はブクマや評価をしてくれると嬉しいです。

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