備考03:各国の概要と21世紀初頭の現状(3)
東南アジアの植民地:
日本が近代国家として成立しない事、中華が内乱に明け暮れ欧米の干渉を受け続ける事などから、アジアを啓蒙する国がないため各地の独立は遅れる。
第二次世界大戦で日本やインドが独立したことで、ようやく啓蒙と独立に向けた動きが始まる。
またインドは、日本と連携した独立運動の中で、互いに啓蒙しあって独立への道を作り上げていった。
しかし、インドとは別地域とされたビルマの独立は大きく遅れた。
アメリカが1944年に独立させたフィリピン以外は、1960年代に入ってようやく独立を始める。
独立の時期は、アフリカ諸国とほぼ同じとなった。
ベトナムは一時期共産主義者による民族主義が強まったが、フランスとの戦争に敗北して共産主義者は壊滅。
その後フランス側の妥協により、1958年には西側国家として独立した。
連動して、インドネシア連邦のラオス、カンボジアもそれぞれ王国として独立を果たす。
独立の遅れたインドネシアは、一時期赤化の流れが強くなって大きな内乱に発展した。
独立を守り抜いたタイと、同じ英連邦だったマレーシア、シンガポールは日本などと連携を強める。
一方で、シンガポール、香港、マレーシアの英連邦地域には、20世紀に入った辺りから日本人の移民が増加した。
21世紀初頭では、香港で少数派だが、シンガポールには50万人近い日系人が住んでいる。
またマレーシアにも100万人近い日系人が居住する。
なお、アジアでの啓蒙の遅れの影響で、アフリカの独立も3〜5年程度遅れ、1950年代の独立は史実より減る可能性が高い。
その他の国の変化:
・アメリカ:
アメリカ西海岸への日本人移民は、日本の江戸幕府があった時代に始まる。
18世紀後半以後の開国政策以後半世紀の間に、日本人の海外移民が始まった。
その中で大圏航路を辿ってたどり着ける北米西岸が注目され、1840年から50年頃には合計10万人以上が移民して、以後も移民規制が敷かれるまで日本のイギリス統治の中で日本からの移民が増え続けた。
そして1950年代に移民が解禁されると、再び日本人が流れ込むようになる。
このためアメリカ西海岸、特に何とか稲作栽培が可能だったカリフォルニア北部で日本人が大きく増加した。
長い間白人移民を数において圧倒し、現在においても西海岸ではマジョリティーである。
21世紀に入っても、カリフォルニア北部平野部には稲作が多く行われている。
アメリカ国内の日系人の総数は1980年頃で約1500万人に達し、日本以外で日本民族が住む最大級の国ともなっている。
そのうち約1000万人が、アメリカ西海岸に住んでいる。
ただし西海岸の一部以外では、長い間有色人種として下層労働者に甘んじていた。
それでも「アメリカ人」としての役割を果たした献身が次第に認められ、少しずつ地位を向上させた。
特に第二次世界大戦後に大きく上昇。
また1960年代以後人種差別が社会的に大きく緩和されると、教育に熱心だった者が多いため社会的地位を得るようになっている。
21世紀初頭では、裕福な人種階層に含まれている。
なお、アメリカでジャパニーズと言えば、国内の日系人の事を指し、本国に当たる日本との関係はかなり希薄なまま推移している。
・カナダ:
イギリスが日本を植民地化した富により、1867年にロシアからアラスカを購入して領域を増大させている。
日本人の移民が規制されるまでに、約100万人もの日本人が移民した。
1980年頃のカナダ全体の総人口約2800万人のうち約300万人が日系人(混血率半分以上)となっている。
日系人は、主に太平洋沿岸地域、アラスカ、中部平原に居住する。
またカナダ在住の日系人は、カナダ特有の地域及び民族コミュニティーの保存がしやすいため、日本人古来の文化や伝統を一部で保存している。
内陸部には、今も日本風の建築物が残っている地域もある。
しかし白人一般の人種差別のため、社会的地位が向上するのは1960年代以後を待たねばならなかった。
だが、カナダ西部奥地の開拓では大きな力を発揮し、アラスカの住人の三割も日系人で占められている。
地名の一部も日本風のものが見られる。
・オーストラリア、ニュージーランド:
有色人種移民が禁止されるまでの19世紀のうちに、オセアニア地域には約100万人の日本人が移民。
主に農場労働者として従事する。
その関係で、オーストラリアへの移民が多くなった。
このため南東部のプランテーション地域に人口が集中。
一部では、日本人の手により稲作栽培も行われるようになった。
また開拓地を得て自立した農場主になる者も多く現れ、開発の遅れていたオーストラリア開拓の担い手の一翼を担うことととなった。
20世紀に入ったばかりのオーストラリアの白人人口が約350万、ニュージーランド約70万だったのだから、日本人移民の影響がいかに大きかったかが推し量れるだろう。
日本人は現地での人口増加を合わせて、既に150万人に増加していた。
このため20世紀に入りオーストラリア政府が取った「ホワイト・オーストラリア」政策に対して、既に居住する日本人及び日系人を例外とするなどの対策を取らせざるを得なくなった。
ただし、以後の日本人及び英連邦地域を含む全ての地域からの日系人移民は事実上禁止され、既に居住している者については事実上の同化政策(英語化、欧州風生活)が推し進められ、その中で日系は二級市民という位置づけにあった。
「バナナ」や「JJ」という蔑称も付けられた。
その後白人移民が増えたため日系人比率は下がり、1980年頃のオーストラリアの総人口1800万人のうち約400万人が日系人になる。
しかし1990年代以後は移民規制の緩和に伴い、日本及び日系人の移民が再び認められるようになると増加し、21世紀初頭では総人口2400万人のうち、約500万人が日系人となっている。
豪州政府も、インドネシア人が増えるよりは英連邦に属していた日本からの移民を歓迎した。
当然日系人の発言権は大きくなり、実質において白人だけの平等や博愛を謳う白人との間に対立が見られる事もしばしばある。
ただし、国家としての日本とオーストラリアとの関係は良好な状態で維持されている。
これは同じ英連邦諸国という枠組みの中に属している事が強く影響しており、来るべき他のアジア諸国の台頭に対する懸念が互いの結束を強めさせている。
ニュージーランドへの日本人移民は、ニュージーランドの経済規模、人口規模もあって少なく、1980年頃でも約30万人程度の日系人が住むに止まる。
これは近隣のフィジー王国などよりも絶対数で少なく、ニュージーランドがアングロ・サクソン系以外の移民を排他し続けた結果だった。
またオーストラリア同様に、二級市民としての同化が政策が進められ、権利の向上も1970年代を待たねばならなかった。
・ハワイ王国、フィジー王国:
ハワイ王国では、同国が長らく独立国(1910年から1945年まではイギリスの保護国)だった事もあり、自主的な日本人移民の流れが続く。
ハワイ自身も、白人に対抗するため日本人移民を歓迎した。
しかしイギリス商船を使って短期間で大きく増加し、現在では総人口の約半数にあたる約50万人が日系人となっている。
当然ながら、ハワイで一番のマジョリティーである。
有力企業、富裕層、議員の多くが日系人のものであり、東南アジアでの華僑のような弊害をハワイにもたらしている。
しかし一方では、日本人移民がハワイ王国の独立維持とイギリスの保護国化、そして再独立の流れを作り出した。
現国王も、ハワイ王族と日本の天皇家の一族双方の血を受け継いでいる。
フィジー王国では、イギリスが労働移民として日本人、琉球人移民を大量に運び入れて、サトウキビ栽培のプランテーションを経営。
短期間で、総人口の約半数が日系人、琉球系人となる。
このため、ハワイ同様に日系人、琉球系人と先住民族との対立が問題となっている。
現在の日系人、琉球系人人口は約50万人。
・ブラジル(+他の南米諸国):
同地域への日本人移民は、20世紀に入ってから爆発的に伸びた。
これは奴隷を使えなくなった事による下層労働力の要求と、英連邦諸国やアメリカで日本人移民が閉め出された事が影響していた。
1910年頃、総人口が約2000万人だったブラジルで一気に日本人移民が増えたため、一時期は数において有力民族化した。
このため1930年頃には、日本人移民がブラジルでも規制されるようになる。
そして以後しばらくは、他の南米諸国への日本人移民が増えた。
1980年頃のブラジルでの日系人総数は、総人口の約一割に当たる約1400万人に達している。
地方の公用語として、日本語も限定的に認められている程となっている。
教育に熱心で勤勉というのが現地での日系人評で、富裕層での大きな割合を示している。
当然ながら、ブラジル国内での政治経済の双方においても大きな影響力を持つようになっており、富裕層が多い事も重なって、他の民族からはあまり好ましくは思われていない。
ブラジル以外での日本人移民は低調で、ブラジルに一気に流れた事で限定的ながら日本社会が維持された事が、日本人移民を一層ブラジルに集中させる事につながった。
それでも自作農を求める一部の者が、ラテン大陸各地に移民していった。
これにて幕です。
今回もお付き合い頂きありがとうございました。