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英領・日本帝国  作者: 扶桑かつみ
8/9

備考02:北東アジアの概要と21世紀初頭の現状

・周辺各国:


ノースアジア(北亜)

北アジア人民共和国(北亜)→北アジア連邦共和国(北亜):


 原型は、1911年に成立した「後清帝国」になる。

 ロシア革命に連動して後清帝国から社会主義体制の北アジア人民共和国となり、さらに冷戦崩壊後は北アジア連邦共和国へと名を代えて自由主義国家に変化した。

 

 北アジア人民共和国の成立当初から、ソ連の傀儡国家として逆に安定していた。

 成立当初は共産主義国家となるが、民意の点では反漢民族国家連合として外に向けて強く団結していたためでもある。

 史実との近似値を求めるのなら、巨大なモンゴル人民共和国に近い状態となる。

 

 民族も言語も様々だが、中華系言語は漢字共々使われていない。

 文字はキリル文字を使用していたが、冷戦崩壊後は各地の様々な文字が復活しつつある。

 それでも漢字と漢語は国策として酷く嫌われている。

 国内の漢民族の扱いも常に低く、漢民族以外には出産育児で大きく優遇されて多産政策が取られたが、漢民族は逆に減らす方向で政策が進められた。

 当然国内での漢民族の反発もあり、中華からの陰に陽に干渉が度々あったが、着実に漢民族の勢力は減らされた。

 

 中華人民共和国成立後も中華地域との(民族)対立は消えず、常に互いに軍隊を向け合ったままとなっている。

 しかし人口、国力面での劣勢があるためソ連の膨大な援助を常に必要としたが、ソ連は中華地域との緩衝国家として優遇した。

 

 冷戦崩壊と共に、各地の民族国家に分裂した後に連邦国家化。

 国内はマンチュリア、モンゴル、プリモンゴル、イースト・トルキスタンに分かれている。

 


 冷戦中は、北東アジアの火種であり、民族対立から中華地域とは何度も戦争や紛争を行い国際的評価は常に低かった。

 ただしソ連にとっての巨大な防波堤だったため、ソ連の強い支援と援助が受けられたため、周辺との対立状態を維持する事ができた。

 一方では、北亜への巨大な援助がソ連の国庫を絞め上げる原因の一つにもなる。

 

 冷戦崩壊後も、反漢民族の姿勢から基本的に親ロシア政策が基本外交となっている。

 また日本とその周辺国や中央アジア諸国など周辺諸国との関係も広く重視しており、対中華包囲網の急先鋒となっている。

 

 冷戦構造崩壊後は、従来通りの親ロシア外交に加えて、日本列島とその周辺部の国々との関係改善に努め、アメリカとも和解している。

 市場開放もいち早く行われたが、漢民族資本は常に冷遇され続けている。

 

 軍事費は、冷戦中は勿論崩壊後も多くが投じられ続けており、南の中華人民共和国との対立と緊張状態が慢性化している。

 

 冷戦期間中はソロシアの影響が強いため核兵器は保有しなかったが、冷戦構造崩壊後の1990年代に核兵器の開発を実現して、一時期国際問題化した。

 21世紀初頭に核拡散防止条約への加盟に踏み切る姿勢を見せるも、核兵器の廃棄は否定している。

 

 また国境問題と民族問題で朝鮮王国との関係も常に悪く、冷戦崩壊後も解消されずに互いに国境をほとんど閉じた状態となっている。

 

 なお、冷戦構造崩壊後の国家改変時に民主化と情報面での改革開放路線に転じており、主に地下資源輸出で得た外貨で21世紀初頭には新興国として頭角を現しつつある。

 

 総人口は、約1億5000万人。

 人口や産業の中心はマンチュリアにある。

 


チャイナ(中華)

中華民国→中華人民共和国:


 第二次世界大戦後、まずは中華民国と北亜との関係が急速に悪化した。

 また国内では、欧米型の民主化政策が行われるも、多くの地域で反発を受けて半ば内乱化。

 その中で中華共産党が拡大した。

 

 1950年から53年にかけては北亜との間に「中華戦争」を経験し、華北、青海地域が大きく荒廃して、飢饉も重なって数千万人の死者が出た。

 そしてこの戦争中、戦闘で活躍した中華共産党が大きな勢力を持つようになる。

 国民党が巻き返しを図ろうとするが、共産党との対立が激化。

 

 この時の戦争では初めて「国連軍」が編成されて、アメリカ軍を中心とした軍隊が北亜と戦い、ソ連は「義勇軍」として北亜を支援した。

 この両者の介入も、中華地域の荒廃を激しくすることになる。

 

 その後中華民国領内では、「中華戦争」後に再発した国民党と共産党の事実上の内乱に発展。

 その後の長い内戦で、共産党が勝利した。

 勝利の時期は1950年代後半から60年代初頭にかけてで、正式な独立宣言は1958年に西安で行われている。

 北亜との対立があるため、北京は遷都予定地であり続け今も防衛都市に指定されている。

 

 しかし建国頃に国際承認される事はなく、中華民国の滅亡が西側で認定されてさらに数年後の1963年に国際承認された。

 ただし西側陣営との関係は、共産主義国家という事で長らく国交を結んだという以上のものではなかった。

 


 なお、「中華戦争」時のアメリカの本格的なてこ入れと、内乱時代の北アジア(+ソ連)の共産党への支援で戦乱が長引き、冷戦の代理戦争の舞台となる。

 内戦では数千万人の死者が出て、凄惨な戦いとなった。

 

 またアメリカ軍主導での中華民国支援も行われ、多数の国が共産主義を防ぐためとして再度派兵したが、結局民心を失った中華民国は崩壊することになる。

 

 なおこの戦争中に、中華民国がアメリカから供与された原子力爆弾を不用意に使用し、中華地域は世界初の被爆国となった。

 これは戦闘のためというよりも、逃げ落ちる途中の蒋介石が、共産党に何も渡さないため行った愚劣な政治的行動の結果だった。

 このため、原爆使用は中華民国が加害者として歴史的に糾弾され、核管理については早期に非常に厳重なものが世界規模で規定されるようになった。

 

 内戦終結後は、国民党は政府としての亡命先がないのでそのまま滅亡した。

 北亜は当時ソ連寄りの共産主義国で、イギリスが領有を続けていた海南島には入れないし、琉球王国(当時は英自治領)も小琉球(=フォルモサ)への亡命は断固として受け入れなかったためだった。

 

 蒋介石らは、その後アメリカからの亡命も断られて、中南米のとある国に金を積み上げて亡命して政治生命を絶たれ、蒋介石は失意の中での憤死を遂げている。

 

 なお日本は、中華情勢に対して基本的に我関せずで過ごした。

 


 建国後の中華人民共和国は、長期間の戦乱と内乱で国土が大きく荒廃した上に、清帝国の頃に領有していた地域の多くを失っているため、人口が多いだけの遅れた農業大国として過ごす事になる。

 また長期間の戦乱と内乱、そして餓死による死者総数は、20世紀に入ってからでも2億人に達すると言われる。

 建国時の総人口も3億5000万人程度で、清帝国時代から約1億人減少していた。

 

 外交は、政体の影響もあって孤立傾向が常に強かった。

 

 西側諸国を滅ぼして建国された共産主義国なので、独立当初から西側諸国とはほぼ敵対的関係だった。

 特に、戦争と内乱でアメリカが介入したせいで、アメリカとは常に敵対的だった。

 イギリスの影響が強い他の東アジア諸国からも、伝統的な中華の膨張に対する恐怖と一党独裁の共産主義国という政治体制の違いから酷く敵視された。

 

 また北亜とは同じ共産主義国で内乱中は支援も受けたが、民族的対立からすぐにも対立が始まった。

 ソ連との関係も1960年代半ばから敵対的で国際的に孤立した状態が続く。

 

 内政では、1960年代半ばに「大躍進政策」を実施して、無理な経済建設を行おうとして国内経済が崩壊。

 そして既に老齢に差し掛かっていた独裁者の毛沢東が失権し、国内が大きく混乱する。

 

 そこを北亜がつけ込んで侵攻。

 戦闘が拡大して「第二次中華戦争」となる。

 最終的に北亜が境界線に追い返されるが、国土の半分が戦場となってまたも荒廃する。

 しかも共産主義国家同士の戦争のため西側はほぼ傍観して過ごし、ソ連は北亜を支援したため万里の長城より北に押し返すのがやっとだった。

 兵士だけで100万人、死者総数はその十倍以上にも及んだと言われるが詳細は分かっていない。

 さらに農地の荒廃などにより飢饉が発生し、さらに数千万人が餓死したと予測されている。

 

 こうした定期的な民族的な殲滅戦争のため、チャイナ中央部の人口は常に停滞を余儀なくされ、4〜5億人程度で推移した。

 

 当然ながら、以後他の共産主義国との関係は敵対的となり、国際的に完全に孤立する事になる。

 

 しかし「大躍進政策」で失脚しかけた毛沢東は、祖国防衛の英雄として復権を果たす。

 そしてチャイナの復権をかけて、国力増大を目的に多産政策を実施した。

 しかし食糧問題や経済を無視した政策だったために破綻が目に見えていたため、彼の死後に政策は中止されチャイナの人口は7億人にまで増えた後に少子化政策が進められ微増へと転じた。

 

 毛沢東死去後の1978年に、経済のみ改革開放政策に転じる。

 またソ連と北亜に対抗するため、西側に属する周辺各国との関係改善に動いた。

 この結果、西側諸国の多くとも経済面などでの交流が進むようになった。

 

 しかし欧米の海外資本は、先に発展を始めていた日本にまずは流れ、冷戦崩壊後は北亜の方がソ連と共に改革開放に強く流れたため、西側資本もその間あまり流れる事がなかった。

 中華に資本が流れなかったのは、国土の荒廃がいまだ癒えていない点と社会資本の貧弱さにあった。

 また政治的にも共産主義体制による一党独裁が警戒されたからであり、特に冷戦崩壊からしばらくは他の国への進出に傾く向きを強めさせる要因となった。

 

 それでも東アジア地域の隆盛に従い、1990年代に入って少しずつ市場経済の効果が現れ始めており、21世紀に入ってからは進出する外資も増え、高度経済成長に入りつつある。

 

 1970年代半ばから核兵器を保有するが、それ以外のプレゼンスは人口が多いという事以外いまだ大きくはない。

 経済力の面でも、まだ近隣で一番成長している日本の方が大きく、日本の成長を追い越すのは最低でも十年、恐らくは四半世紀近く先と予測されている。

 


 国土は、中華人民共和国が主張し続けている旧清帝国の領土とは大きくかけ離れ、もう一つ前の明帝国期に比較的近い。

 国土面積は、インドと同程度となる。

 

 総人口は、21世紀初頭で8億5000万人程度。

 1980年代からは多産政策が中止され一転して少子化政策が進められたため、程度問題での人口増加率となっている。

 

 日本との関係は、一般外交程度。

 境界をほとんど接しないし、近代に入ってからの歴史的摩擦もないため、特に目立つ対立は今のところない。

 東アジアの中ではかなり希薄な方となる。

 中華側が先に発展した日本に援助や市場進出を求める向きが強いが、日本側としてはまだ魅力が低いため進出は低調。

 政体の違いも、伝統階級の多い日本を警戒させている。

 

 そしてむしろ冷戦崩壊後に民主化した北亜との経済関係を強めたため、チャイナとの関係が近年悪化している。

 


コリア(朝鮮半島):


朝鮮王国

 国土は、朝鮮半島の全域と若干の周辺の島を領有。

 

 元々500年も続いた前近代的国家が発展と国土開発、さらには近代化を怠った事もあるが、1905年から1917年のロシアの短期間の統治で国土はさらに大きく荒廃した。

 特に第一次世界大戦中の荒廃は酷かった。

 

 人口も、ロシア統治時代に奴隷並みの労働力としてシベリア、中央アジア各地に強制移住(連行)させられて、半島内では激減している。

 強制移住者も、三分の二は次世代を残すことなくロシアとその後のソビエト連邦による強制労働などで死亡したと言われ、21世紀初頭でも旧ロシア帝国領各地に300万人程度が散らばって住んでいるに止まっている。

 

 ロシア革命の混乱の中で独立復帰を宣言。

 しかし自分たちだけでは何も出来ないため、独立時から列強の庇護を求める。

 

 その後すぐにイギリスの自治国となると、内政統治においてのみ旧支配階級だった王族と両班の統治も復活したが、近代化はむしろ後退した。

 彼らにとって都合の良い、民衆の文盲化政策に逆戻りしてしまったからだ。

 イギリスも遅れた統治を半ば歓迎したため、一部の両班を優遇して民族内での対立と不和を煽る統治を行った。

 そしてイギリスの自治国時代も、経済価値の低さからアフリカ奥地の植民地程度の扱いしかされなかった。

 また、共産化させないための最低限の統治しか行わなかった。

 地下資源も人的資源も、他の地域に比べて少なかったからだ。

 

 第二次世界大戦後は、あまりに民度が低いので共産党がはびこるも、はびこったのは原始共産主義的な毛派共産党となった。

 しかし国内では軍事色の強い政府に徹底的に弾圧され、一次内乱に近い状態となる。

 また、中途半端に海外からの情報が入ったため、支配階級と民衆との間でひどい対立状態が続く。

 このためイギリスも、保護国として領有することに愛想を尽かし、アメリカの助力を得て完全独立させる事になる。

 

 1953年、イギリスから完全に主権を回復。

 完全独立を達成した。

 しかし自らの力で自立したというよりは、独立させてもらった向きが極めて強かった。

 しかし英連邦からは自ら外れ、新たにやって来たアメリカの庇護を求める。

 

 冷戦時代はアメリカが軍事基地を置いて、朝鮮の軍隊だけを強化させてソ連及び共産主義包囲網に役立てた。

 政権も独裁傾向の強い軍事政権となり、何度も血なまぐさい事件や政変が起きている。

 しかし冷戦崩壊後は価値も低くなり、アメリカ軍も1994年には撤退。

 朝鮮には肥大化した軍隊(陸軍)だけが残り、その後何度も軍事クーデターを起こす事になる。

 

 冷戦崩壊後はどの国もあまり相手にしなくなったため、徐々に中華人民共和国の影響が強まっている。

 

 また近隣諸国との対立も強く、民族問題で北亜とは常に対立状態となっている。

 これが軍事政権が続きがちな原因の一つともなっている。

 

 日本に対しては、他国の支配を長らく受けた上に白人の思想や文化に染められた国として一方的に軽蔑している。

 両者の国交や交流も、両者の消極姿勢もあって常に最低限となっている。

 冷戦中の日本としては、朝鮮半島がイギリスやアメリカの政治的影響下の国として保持されるなら、別にどうでもいいというのが本音だった。

 冷戦崩壊後は、さらに関心を低下させていた。

 

 朝鮮民族の間では、自らを支配したロシア、イギリスに対する反感も依然強く、関係は常に悪い。

 近年では、最後の支配者(支援者)でもあったアメリカへの感情的反発も強まっている。

 

 言葉は朝鮮語が主流だが、文字はイギリスが普及させたラテン文字アルファベットを使っており、一部でキリル文字も残っている。

 民族文字だったハングル文字は、ロシアの統治中にほんとんど破棄され、歴史上の出来事としてしか現存しなくなっている。

 ハングル文字を復帰させようと言う動きもあるが、もともと一般への普及率が極めて低かった事に加えて、残された資料や文献が少ないためほとんど進んでいない。

 ロシア語、英語は知識層の一部で話されるが、一般にはあまり普及していない。

 単語もかなりがロシア語と英語に変えられた。

 

 総人口は、21世紀初頭で2300万人程度。

 国内に目立った産業はなく、GDP、一人当たりGDP共に低く、遅れた農業国家として過ごしている。

 

(※日本の支配や統治、近代化への啓蒙が全く無く、ロシア、イギリス、アメリカに酷い統治を受け続けた結果です。

 イメージとしては、アメリカに絞り尽くされた中南米の国に近いでしょう。)



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