善龍は約束を守る。
「約束通り、お前の大切な娘は貰い受けた」
王様の寝室に、いつぞやと同じ声が響きました。
眠れぬままに寝台に身を横たえていた王様でしたが、バネ仕掛けのように身を起こし、辺りを見回しました。
ですが、今度は影一つ見えません。
「私の妻の心根に免じて、お前のペテンも、女たちの強欲も見逃すつもりでいた。
しかし……。私は、悔い改めたのだ。
故に、私は人は欺かぬ。嘘も吐かぬ。……そして当然、約束は守る」
王様の身体の周りにだけ、ゴウ、と風が吹きました。
凍てつく、刺すような風でした。
それきり、王様の耳には何の音も聞こえなくなりました。
夜が明けました。
従姉の婚礼を祝いに来た『ベリーヌ姫』と夫の紳士の姿は、霞のように消えていました。
中庭の真ん中で、『ペリーヌ姫』の亡骸が見付かったのは、日が昇りきってからでした。
なんでも、ご自身の長い髪が首に絡まっており、その先が、薔薇楠の枝に引っ掛かっていたそうです。
姫の召し物には赤い樹液が染みついて、まるで血にまみれているようであったという者もいましたが、それが本当のことなのかどうかは解りません。
初夜に妻を失った新婿は、その日の内に、自分の国に逃げ帰ってしまいました。
王様とお后様は、一夜の内に百歳を越えた老人のようになっていました。言葉を発することも、何かを考えることも、身じろぐことすらも、何もしなくなったそうです。
王様が王様の役目をできなくなった国では、反乱が起き、隣国が攻め込みました。
多くの血を吸った土地は荒れ果て、実りのない大地を見限った人々は離れて行きました。
小さな国は滅びました。
そうして、かつて国だった土地は、いつの間にか龍ガ森に飲み込まれてしまったのです。
その森の奥のどこかに、強く良い香りのする木々が育ち、草花が美しく咲き乱れている一画があるという噂があります。
ですが、それを確かめようという者は、今に至るまで一人として現れることがありません。
ご覧じろ、龍殺しの王様のお城の中庭の「百人隊の菜園」を。
地を覆う蕁麻、茂る冬青。舞う枯葉、散り降る花弁。
薔薇楠を手折ったのはいずれか? 滴る香油で大地が赤く染まっている。
~終~