新しい王様。
幾つの年月が過ぎたことでありましょうか。
お城の玉座に、一人の男が座っていました。
龍を退治し、その証拠に龍の鱗を持ち帰ってきた勇者である、前の王様の弟です。
龍ガ森から戻ってきた時、この勇者は、お城の中の人々にも、お城の外の人々にも、大いに称えられ、尊敬されたものでした。
冒険に出る前は独り者でしたが、帰ってからしばらくして美しい奥方を得ました。
そう、冒険に出る前は、伴侶も家族もなかったのです。もちろん、娘などおりません。
ともかくも、王弟殿下は「英雄王子」などと呼ばれ、爵位を授かり、領地を貰い、王城の外にお屋敷を構えたのでした。
それは確かに立派なお屋敷で、豊かな領地で、輝かしい身分ではありました。でも、お屋敷は兄上の王様のお城よりは小さく、領土は狭く、身分は低いものでした。
さて、お兄さんの王様が、ふとした流行病で崩御したのは、王弟殿下が偉業を打ち立ててより十と五年程あとのことでした。
本当にあっけない最期であった様子です。
そしてその後すぐに、王位は龍退治の英雄である王弟殿下に継承されたのでした。
前の王様に後を継ぐべき子供がいなかったわけではありません。一粒種のお姫様がおられましした。
お姫様はお名前を、ペリーヌ姫とおっしゃいます。
ですが、このときはまだ十五歳になったばかりの女の子でした。国の政はできないだろうと言うので、叔父にあたる英雄王子の王弟殿下が王位に就くことになったのです。
ところで――。
新しい王様にも、一粒種の娘がおりました。こちらの姫様はお名前をベリーヌ姫とおっしゃいます。
ですから、前の王様のお姫様と、今の王様のお姫様は、姉妹のように育てられることになったのです。ペリーヌ姫には、この伯父上以外に身寄りが無かったからです。
とはいうものの、新しい王様も、新しいお后様も、そして新しいお姫様も、どうしても、前の王様のお姫様を好きになれませんでした。表面にはお出しになりませんが、疎ましく思っておいででした。憎らしく思っておいででした
。嫌っておいででした。
ペリーヌ姫がベリーヌ姫に無いものを持っていらっしゃったからです。
美貌? いいえ。ペリーヌ姫は、特段美しいというのではありません。
むしろ、赤毛でそばかすだらけで、痩せっぽちなこのお姫様よりも、金髪で色白で、豊満な従妹のベリーヌ姫の方が、ずっとずっと美人です。
国中の、そして外国の貴族や王子からの求婚も、ベリーヌ姫にばかり集まるほどです。
……お父様が王様になられたから、という理由も大きいのですが……。
財産? いいえ。ペリーヌ姫は、どんな資産も持っていません。
なにしろ、お父様である前の王様が崩御された時、どういった訳なのか、王位ばかりか、公私の資産も含めて、すべてのものを今の王様に譲ると遺言なさったのですから、ペリーヌ姫にはお母上様から受け継いだ僅かな化粧料以外には、銅貨一枚の財産もないのです。
ペリーヌ姫が持っていらっしゃって、ベリーヌ姫が決して持つことが出来ないものは、「王太子のお姫様」の称号です。「次の王様である」という動かしがたい「約束事」です。
なにぶんにも、新しい王様が王位をお継ぎになったのは、ペリーヌ姫がまだ年若いから、というのが理由でありましたから、ペリーヌ姫が女王様に相応しいほどに成長なさった暁には――そしてその頃に今の新しい王様がお亡くなりになったとしたなら――即位なさるのが順序というものでした。
例え新しい王様に娘がいたとしても、王位の継承順位という決まり事からすれば、ペリーヌ姫を差し置いて女王様になることは、国の内外の人々がゆるさないでしょう。
前の王様が新しい王様にしたように、ペリーヌ姫が王位をベリーヌ姫に譲る、とおっしゃれば、話は別なのですけれども。
ええ、その可能性はあります。
ペリーヌ姫は、物静かな方です。優しすぎるくらい優しいお姫様は、自分が王様に向いていないと信じて疑っていませんでした。そんな姫様ですから、もとより次の王様になろうなどとは思っておられません。
それどころか、できることならば、修道院に入ってでも、独り、ひっそりと暮らしたいと願っています。プロポーズする王子様がいないことは、むしろ喜ばしいことでした。
ですが、ペリーヌ姫に世捨て人になられてしまっては、伯父上である新しい王様が困るのです。
だってそうでしょう?
もし、ペリーヌ姫が自ら望んでお城を出たとしても、世の中の人には、
「新しい王様が、自分の子供可愛さに、前の王様の子供を蔑ろにしている」
と思う者が、必ずいるはずです。
たとえペリーヌ姫が自ら望んで、
「王位の継承権をベリーヌ姫に譲る」
とおっしゃったとしても、世の中の人には、
「新しい王様が、自分の子供可愛さに、前の王様の子供に無理強いをしている」
という者が、必ずいるはずです。
新しい王様は、疑われるのを恐れていました。
疑われるようなことをなさったからです。
新しい王様から出家を止められてしまったペリーヌ姫が、誰からも忘れ去られて静かに暮らすことを望むとするならば、できることは、お城を出て人目を避けることではなく、お城の中でできるだけ人の前に出ないことよりほかにありません。
そして実際に、ペリーヌ姫はお城の舞踏会であっても一切顔を出さぬと決め、そうなさいました。
年始の参賀に、王様やお妃様やお姫様たちが臣民の前でパレードをすることになっても、ペリーヌ姫は、
「亡くなったご両親の服喪のため」
と理由をお付けになって、黒く分厚いヴェールでお顔をお隠しになるのです。
そのような訳ですから、国の内にも外にも、前の王様にお姫様がいらっしゃったことと、その姫様の名がペリーヌ姫であるということはよく知られているというのに、ではそのお姿を、顔つきを、お声を、知っている者はほとんどいない、というありさまでした。