3話目
「ぃ、ぐぅ…!」
イザベラの桃色の唇から悲鳴が洩れそうになる。
否、彼女は確かに悲鳴をあげるはずだった。牢獄に響き渡るほどの、願わくは外にまで聞こえるほどの叫び声を。
無理もない、目の前で骸骨が喋っているのだ。肉も臓器も何もかも一切ない、声をあげる器官すらないのに何故愉快そうに笑い、そしてひとりでに動いている!?これを異常と言わずになんというのだ。
しかし、声を洩らす事は叶わなかった。
突如として喉がきゅうきゅう締まり、彼女の声帯を力ずくで押しとどめ始めたのだから。
「ああ危ない、貴方に人を呼ばれてしまうのは困るのよ。…どうせ看守はまだ来るはずないだろうけど、念を入れないとね」
「ぁ、…なた、…」
貴方は一体なんなの!?
問い詰めたくて仕方ない気持ちが湧き上がるが、無情にも必死に絞り出した言葉は掻き消えるほどに小さく声にすらならない。
喋りたいのに喋れない、誰の手もかけられちゃいないのに首が勝手にぎゅうぎゅうと締まりイザベラへ激痛を与えている。あまりの苦痛に身を守るように蹲った彼女は、必死に喉を掻くも力が弱まる事はなかった。
ーーーリングドゥル公国に、いやこの世界には魔女なんて居やしない。
彼女達の存在が語られるのは現実的ではない伝承や、聞かん気のない子供を脅す御伽噺のなかだけである。
それがどうだ、今目の前に居る骸骨は!誰の手もかけられちゃいないのに、ひとりでに締まる首は!
得体の知れない状況にイザベラは恐怖で打ち震える。このまま殺されてしまうのかもしれない、だがこの人物の目的は何なのだろうか。
ーーーもしや、殿下を殺そうとした真犯人なのでは?
「ああ、安心なさい。私は貴方にも王子様にも危害を加えようなんて考えちゃいないから」
なんとかして逃げ出さなければ、と藻掻くイザベラに声がかけられる。
しかし、考えちゃいないという割にはこうして首を締められているのだが。…危害の内に入らないのかこれ、サイコパスかこの骸骨。
「ちゃんと大人しくしてお利口さんにしてるって、約束してくれるのなら解放してあげるわよ」
途端にイザベラは物凄い勢いで首を振った。もちろん縦に。
そんな言葉信用できるはずもなかったが、抵抗して機嫌を損ねてしまうよりかは出方を窺って逃げ出す隙を窺った方がいい。と混乱する頭で考える。
なによりイザベラが逃げ出せる場所なんてない。頑丈な鉄格子は彼女を閉じ込めているし、職務放棄した看守が戻ってきてくれる可能性なんて考えるだけ無駄だろう。
するとイザベラの無条件降伏に気を良くしたのか、すぐに首を締めつける力が弱まった。
今までの激痛が嘘かのように、多少余韻が残るが藻掻き苦しむほどではない。
「ぁ、…貴方は一体…?」
試しに問いかけてみると、掠れてはいるが今度ははっきりと声になる。
これはあれだ、やっぱり言葉通りに魔法という物を使ったのだろうか。ならば気になる事は一つ、何の為にイザベラの元へ訪れたのか。
「だから言ったでしょう、魔女だって。…いいえ、魔女だったっていう方が正しいかもしれないわ」
「これでも私は昔、普通の可愛らしい女の子だったのよ。…けれど罪を犯して、今はこの有り様」
どんな罪を犯したの、とイザベラの唇が紡ぐ。
今の状況は非現実的すぎて、話が全く見えてこない。そもそも何故自分を訪ねてきたのかさえ分からないし、だからといって直接聞くのは恐ろしかった。危害を加えないなんて嘘、安心させてから殺そうと思ったのよ、なんて言われたらどうしよう。
「大切な人を殺したの」
「心の底から愛していたわ、共に死んでしまいたくなるほどに素敵な人」
骸骨が、ーーー骨しかない指先をイザベラと己を隔てる鉄格子へと伸ばした。
冷たい金属に触れるだけの筈のそれは、まるで霧でも撫でたかのようにするりと鉄を通り抜けて。今度は胴体が中へと侵入する。
「い、嫌…!」
大体予想はしていたが、心の奥底では頼みの綱としていた鉄格子が呆気なく看破された事にイザベラは身を竦めた。
そんな彼女に構う事なく、骸骨は一歩、二歩と距離を縮めていく。
「けれど、一緒に天国へ行く事は叶わなかった。ーーーあの人だけが死んで、私はこうやって惨めな姿で生きながらえている」
あと数歩、という所で立ち止まった骸骨は目線を合わせるべく屈んだ。
眼球のない落ち窪んだ穴がイザベラへ向けられた。地の果てまで続く仄暗い井戸を思わせる闇が、彼女を見つめている。
「ああそんなに怯えないで、可愛らしいお嬢さん。言ったでしょう、私は危害を加える気はないって」
「ただ、そうね。…貴方も気になるでしょう、王子様を殺そうとしたのが誰なのかって」
ぴくり、とイザベラが反応した。愛する人の名を出され、そして彼を狙う者が誰なのか知っているかのように言う骸骨に恐る恐る視線を向ける。
「…誰だか知っているの?」
「知っているわ、でも教えてあげない。これは貴方が突き止めないといけない事なのよ」
窺える表情などないはずだが、…にんまりと、イザベラには笑っているかのように見えた。