2話目
「おかしい…おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい」
暗くじめじめとした牢獄に、狂ったような呟きが延々と木霊する。
明かりは片手で数えられるほどの少ない蝋燭のみ。ぼんやりと輪郭を浮かび上がらせる程度で充分とは言えず、明かりの届かぬ暗闇では恐ろしくて名前を言えない黒い虫や鼠が活発に走り回る。
そんな中で延々と女が呟く光景を想像してほしい、ちょっとしたホラーだ。まともな人間なら絶対に居合わせたくない。
現にこの牢獄を監視する役割のはずの看守は、何かと理由をつけて席を外している。
完全なる職務放棄だが、女はーーー牢に閉じ込められたイザベラは気にする事なく石床を見つめていた。
「おかしいわ、もう二日も経っているのに殿下が迎えに来てくださらない…」
「それどころか、一月後には処刑するって報せが来たわ。…どういう事なの?まだ誤解が解けていないの?」
私の予想ではそろそろ仲直りのチューをしてる筈なのに!!!
叫び声が牢に響く。しかし幾ら叫べど殿下は来ない、それどころか看守も来ない。
イザベラは放置プレイをされていた。
「いつになったら私は出れるのよ…」
「いいえ、処刑されるまで出れはしないわ。王子様を殺そうとした悪女さん」
「だからそれは誤解なのよ!!!」
思わず叫んで、はたと気づいた。
見知らぬ女の声がした。
看守はずっとずっと前に来て、出ていったきり。それからはこの牢を訪れる人は居ない、誰かが入ってくる気配もしなかった。
「何が誤解なの?王子様お付きの優秀な密偵達は皆、口を揃えて言ったのでしょう」
「貴方がやったのだと」
女の声が続く。鈴を転がすような可憐な声音だが、心底面白くて堪らないと云わんばかりに愉悦を滲ませている。
嫌な女、とイザベラは思った。けれどその言葉は傷付いていた心に更に突き刺さる。
「そんなの、知らないわ。だって私は本当にやっていないのだもの、きっと誰かが陥れたのよ」
「それを信じる人は居て?王子様に仕える人達は沢山居る、その全てを取り込んで口裏を合わさせるなんて不可能だわ」
思わず黙ってしまった。
口を噤んだイザベラに更に追い討ちをかけるよう、女は笑う。
「貴方を信じる人なんて誰も居ないわ。ご両親だってそう、貴方がやったのだと疑いもしなかったじゃない」
イザベラは一人娘として溺愛されていた。
そう自負していたし、現に家族仲も良かったはず。しかし、実際には暗殺を企ててもおかしくない娘だと思われていたのだ。
「それでも私はやっていない」
「殿下を愛しているのよ…」
消え入るような声が暗闇に溶ける。
泣きだしそうになるのを必死に堪える。俯いた視界を、滑らかな金髪が邪魔をする。陽射しを浴びると煌めく柔らかなそれが、イザベラの自慢であった。いつの日だったか遠い昔に殿下に褒めてもらった事もある。
それ以来ずっと手入れに一際力を入れていたが、ここ数日の劣悪な環境で美しさが失われかけていた。
もう二度と褒めて頂けないのだろうか、そう思ってしまうと堪えていた涙がぽろぽろと溢れだしてしまう。
「そうやって泣く事しか出来ないお馬鹿なお嬢さん。悔しいのなら、自分でどうにかしなさいな」
どうやって?とイザベラが問う前にーーー女が暗闇から姿を現した。
頑丈な鉄格子の向こう、蝋燭の仄かな明かりが女の輪郭を浮かび上がらせる。
ひっ、と息を呑む音がした。その主は涙を流していたイザベラ、悲しみが思わず何処かに行ってしまいそうな光景だった。
女の肉は削ぎ落とされていた。
白い骨が剥き出しになっている。それどころか臓器もない、在るべき肉がまるきりない。
骸骨だった。
「初めまして、可哀想なお嬢さん」
「私は魔女、遠い昔に罪を犯してとびっきりの罰を受けた哀れな女よ」