影の形に遵うが如し2
日も傾いてきた頃。居間で冬太に神社であったことを詳しく話すと、彼は戸惑ったような表情を浮かべた。
私が頭を悩ませていると、彼も同じように唸り声を上げる。
「真実を? 早せんと全てが終わるってどういうことや」
「そもそも邪鬼って人間に憑依して何がしたいんだろう」
「そりゃあ、悪事とかやろ?」
「悪事って言っても、普通は目的があるよね」
「そう言われればそうやな。そこまで深く考えてへんかった。目の前の人間救うんが第一やと思ってたから」
そう冬太が言葉を濁すので、疑問を投げかけてみる。
「じゃあ、邪鬼からしたら私たちが邪魔者かな。自分たちの思う通りにいかないから陰陽師や人を襲ってるの?」
「うーん、それは……」
「そもそも、文珠さんのこと信用していいのかも疑問だよね」
その瞬間、突然に鈍い耳鳴りが響いて両耳を押さえた。頭の中に大音量で「かあさま」と声が流れてくる。
「うわっ!?」
ふらっと意識を手放しかけて、最終的に机へ頭を打ち付けた。
「ちょ、大丈夫か。何や、どうした」
冬太が驚いた声を発したが顔を上げられない。
《――かあさまっ! きこえる? かあさまっ!》
この声はスィフィに違いない。しかし、ちょっと音量を抑えて欲しい。嬉しいとか以前に頭が割れちゃう。
「スィフィ、声が大きいよ」
《――うーん、ごめんなさい。うまくできないの》
落ち込んだ声が響く。しょんぼりとしたスィフィを想像して非常に居たたまれない気持ちになった。
「上手に聞こえてるよ。でも、どうやって話しかけているの?」
そう問いかけたがスィフィは全く話しを聞いていない様子で「え、アル、なぁに」とか言っている。これは言葉の以前の問題ではないかと、私は頭を悩ませた。
《――あのね、とっても心配してるの。みんな……スィフィもだよぉ……かあさまがいないから、こわいのぉ※※、※※※~っ!》
スィフィは聞き取れない単語で泣き始めた。普段は気丈な子なので、よっぽど不安だったのだろう。
「ごめんね」
すると、スィフィの声は聞こえなくなってしまった。暫くするとグズグズと鼻をすする音と、ふふふと笑う声がする。側にいる誰かがあやしてくれているのだろうか。
《――今、お部屋。アルと二人なの。うふふ。――かあさま、どこにいるってきいてるよ? だいじょうぶ?》
「ニッポンだよ。無事だから大丈夫、心配しないでって言ってね」
《――うん。スィフィ、かあさまの感じがわかったの。えっと『けはい』するの、かあさまのところに行けそう》
「え? ――えっ、行くって?」
そういえばリフィアは世界を渡る力を持っていた。ということはスィフィも日本へ来られるのだろうか。
しかし、彼女はまだ幼い。皆がいる世界に居た方が安全だろうと一瞬でいろいろなことを考えた。
「ス、スィフィ。待って、一人で来ちゃだめよ。危ないからね」
諭すように強い口調でそう言うと、スィフィは微妙な声を返してくる。
《――うーん。うん……わかった。じゃあ、アルと行くね!》
「え?」
そこで眉間にしわを寄せると、庭からドシャンという音がした。
「な、なんやっ」
冬太が吃驚して肩を振るわせると道成が、「なにっ」と廊下から叫び声を上げた。
私は溢れる不安感を抑えながら急いで庭側へ向かう。
風除けで閉めていた雨樋をそっと開くと、そこにはスィフィとその下敷きになった誰かが、寝そべったカエルみたいな格好をしている。
「――やったぁ。かあさまだ!」
「スィフィ!」
私はその身を抱きしめた。彼女は嬉しそうに声を上げてしがみついてくる。
「あのさ、僕が見えないかな……」
「うわ、アル。ごめんっ!」
寝そべるカエルもとい、アルビレオから声が発せられて、すかさずスィフィを抱き上げた。彼は「痛てて」と呟いて体を起こす。
「なんだよ。スィフィに手を握られたと思ったら、突然地面に落ちるなんて」
顔に砂をつけたアルビレオが、首を押さえている。そこで冬太の叫び声が聞こえてきた。
「が、外国人!? ってか、南島の知り合いなんか」
道成が「ほほう」と唸って眼鏡を押し上げる。
「こ、これが巷で噂のコスプレかいなぁ。凄いクオリティやなぁ」
当然の反応だ。薄桃色の髪の幼女に、金髪碧眼の騎士が現れたら、誰でも驚くだろう。
「おっ。可愛い子やなぁ。おいで、お外は寒いで~」
彼はスィフィの前へしゃがみ込んで手を広げる。私が頷くと彼女はおずおずという様子で彼に近づいた。
そのタイミングでアルビレオが近づいてきた。「お前、トリなんだよな?」と言いながら彼は不思議そうにこちらを観察している。
そうか、今の私は魔王ではない。人間だった頃の姿は見せたことがないのだから不思議がるのも当然だろう。
「うん、そうだよ。これは日本の姿なの」
「ふぅん、なんか地味だな。まぁ、でも無事で良かったよ」
「地味か……」
そりゃあ、こっちだと角も尻尾もないし、髪の毛だって銀色じゃないけどと思っているとアルビレオが両頬を左右に引っ張ってきた。
「あのさ。僕たちがどれだけ心配したか分かる?」
ビョーンと頬が延びた状態で「ごめんなひゃい」と謝罪の言葉を述べた。
それを見た冬太が慌てて庭に下りてくる。アルビレオを見て怪訝そうな顔をしてから、彼と私の間に入ってきた。
「よう分からん言葉使いおって。お前、南島に変なことしたら許さんで」
「なんだよ、理解不能な言語で話すな。お前、トリに変なことしてないだろうな」
両者はバチバチという効果音が聞こえてきそうな勢いで睨み合う。言葉が通じてないのに、二人が言ってることが同じようなことで不思議な気分に陥ってしまう。
「羽里ちゃんは国際派やねんなぁ」
縁側を見ると、和んだ表情の道成の膝の上でスィフィが大人しく座っている。
「えっと、何をどうすればいいか……」
そんな状況の中で私はひとり、頭を抱えたのだった。
++++++
居間に移動すると、日本組とアバイドワール組と向かい合い、その真ん中に私は腰を下ろした。
「こちらはスィフィ。私の義妹です。それから、彼は友達のアルビレオです」
道成と冬太に日本語で話すと、今度はアルビレオとスィフィに、アバイドワールの標準語で彼らを紹介する。
「アル、スィフィ。こちらは家主の道成さん。それから彼の甥、冬太君。日本で住むところがないからお世話になってるの」
……とはいっても日本語との違いなんて分からない。私には全部日本語で聞こえるし、話してるし、これにはかなり違和感を覚える。
「――いもうとやって! これは驚きやわ。しかも羽里ちゃん外国語ペラペラやん。凄いわぁ」
道成が驚きながらもニコニコとしているので、ひとまずほっと胸をなで下ろす。
「その、道成さん。ご迷惑は承知なのですが。もしよろしかったら、暫く二人も泊めていただくことはできないでしょうか?」
頭を下げて土下座のポーズをとる。
どうやらスィフィには母親と同様に時空を越える力があるらしい。だが、今来たばかりのアルビレオが納得して帰るまでは時間がかかりそうだ。それまでの衣食住は道成に頼るほかないのだ。
「別に泊めるんはええけど……。やっぱりそろそろ事情も説明してもらわんと、羽里ちゃんの親御さんも心配してるやろうし」
そっと頭を上げると、冬太がこちらを見つめてきた。私は意を決して口を開く。
「はい。実は、両親はもう亡くなりました。私は両親の故郷、アバイドワールという所から日本へ来たんです。事情を話すと長くなってしまうんですが、それでも良ければ話します。あの、ずっと黙っていてすみませんでした」
再び頭を下げると、道成は「そうかぁ」と低い声で呟いた。
「そんな言い難いことよう打ち明けてくれたね。ちゃんと事情も話してくれるみたいやし。……ええわ、ここにはいくらでもおったらいい。でも、その代わり。羽里ちゃんはもうお客さんやないで。家族も同然やから、いっぱい家のお手伝いしてな」
道成が微笑んで片目をつぶるので嬉しくなって何度も頭を下げた。
「しかしまぁ、寂しい二人暮らしが今では大所帯やなぁ。寒いから今日はお鍋にしよかな」
彼はうんうんと頷いて続ける。
「じゃあ早速『お使い』して来て貰おうかな。スィフィちゃんは預かっとるさかい。冬太と羽里ちゃんで具材、買って来てや。アルビレオ君もそれでええやろ?」
微笑んだ道成にアルビレオは首を傾げたが、事情を翻訳すると了承してくれた。
それから少し経って買い物に出ようとした私をアルビレオとスィフィが見送ってくれた。
玄関を出ると、壊れた門を見て冬太が笑っている。
「南島どんだけ怪力やねん」
「まさか壊れるとは思ってなかったよ。ごめんね」
「別にええけど、家ん中は破壊せんといてや」
「そんなことしないよ」
冗談を交えつつ、二人で道を右へ曲がって神社の先を行く。そこには商店街があり、ずっと進むとスーパーマーケットもあるのだ。
寒空の下、並んで歩いていると玄関以降ずっと押し黙っていた冬太が口を開いた。
「なぁ、南島。俺な、ずっと他人に迷惑かけたらあかんって思ってたんや」
「うん?」
私はブラブラと歩きながら相槌を打つ。
「でもちゃうって感じるんや。黙っとることが最善ちゃうかもって、お前見てたらそう思えてきた」
そこで歩みを止めた。冬太が苦しそうな表情で固く拳を握っていたからだ。
「あんな。俺は誰にも本音なんか言わんかった。何があってもずっと目、背けてきた。どうせ分かって貰われへんって思ってたんや」
「うん」
「ほんまは道成と真面目に話しするの怖いねん。でも、南島が必死でおるん見てたら、俺は卑怯者やって気付いた」
冬太は真剣な面もちで言葉を続ける。
「ちゃんと向き合いたい。俺の思いも、陰陽師やってることも道成に言う。今やったら、ちゃんと話したら、分かって貰えると思うから」
「冬太……」
「俺、もう逃げへんから、見守っててくれへんか」
「うん、いいよ」
手に触れられてたので、大きく頷いた。冬太は表情を緩めてはにかんだ。
家々の合間に落ちる夕日が、怪しく光りを強めている。
私は喜ばしいはずなのに急激な不安感に襲われて、彼の手を強く握り返した。