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影の形に遵うが如し1

 日本へ来てから一週間が経った頃。その異変は少しずつ歩みを進めていた。


 私は冬太と向かい合う形で炬燵(こたつ)に入り、早朝の報道番組を観ていた。


 ニュース速報では世界中で異常気象が起きているという。それは日本列島も例外ではない。


 もう四月上旬なのに風は冷たく、庭や近所の桜も蕾のまま一向に開く気配がない。私がそんなことを考えていると、冬太が半纏(はんてん)を着た体を丸めた。


「にしても寒いな。まるで真冬やで」


「本当だよね」


 ふっーと白い息をはいている間も番組は続いていた。再度、テレビの方へ視線を移す。


 最近は物騒な事件も多発していて、注意を促すテロップまで流れているのだから恐ろしいものだ。


「あれは邪鬼関連の事件やろうな。でも俺が守れるんは、この街の周辺ぐらいや」


 渋い顔をしている冬太に対して、彼一人で日本全土を守るなんて不可能ではないかと思った。


「ねぇ、冬太って陰陽師の仲間はいないの?」


「文珠によればおるらしいわ。出動範囲が決まっとるから顔合わせたことないな」


「じゃあ、いっぱい居るんだ」


「それは知らんけど。せやかて、自分の街は自分で守らなあかん。限界があるんは分かるけどな、陰陽師になったからには責任あるやろ」


「冬太って見た目によらず、すごく真面目だよね」


 クスッと笑うと、彼は苦笑した。でもすぐに真顔になって口を開く。


「真面目とちゃうわ。でもな、手抜いたら抜いた分、どっかで誰かが傷つくんや。無関係な人間の被害なんて俺は耐えられへん」


 冬太は何かを思い出すように、どこか遠い眼差しでそう言った。


「皆、いろいろな事情があるんだね」


 仲間たちの顔を思い浮かべた。「皆心配してるかなぁ」と遠い国へ思いを馳せる。


「ほんまに。ああ、お茶が冷めたな。入れ直してくるわ」


 冬太が立ち上がると、同時にパタパタと足音がする。眼鏡を頭に押し上げた道成が、居間に顔を出した。


「おはようさん」


「道成さん、おはようございます。今朝は寒いですね」


「異常気象やでぇ。ほんまにどうなってんねやろう。あっ、ちょっと失礼」


 道成はそういうと、私の隣に座って炬燵に足を入れた。


「ふぁ~、暖かい」


 彼はテーブルに突っ伏して、口を猫みたいにもにょもにょとさせている。そこで急須を運んできた冬太が呆れた様子で言った。


「また徹夜したんか?」


「そう、追い込みやで」


「仕事溜めとくからやろ、こまめに消化せいや」


 湯飲みにお茶を注いで道成に差し出す。そんな冬太の言葉は一見キツい印象を受けるがその中にも彼なりの優しさを感じた。


 本当の家族ってこんな感じなのだろうか。笑みを漏らしていると、道成がご機嫌な様子で肩をくっつけてきた。彼はどことなく雰囲気がハーティに似ている気がする。


「道成、それはセクハラやで」


「ちゃ、ちゃう。セクハラやない。羽里ちゃんご機嫌やから、僕も気分ええねん」


「意味の分からん言い訳すんなや。いいから、離れろ」


 冬太はそう言いながら私にもお茶を注いでくれた。道成は「ちぇ」と口を尖らせてから、再びテーブルに突っ伏してブツブツと文句を言っている。


「冬太の羽里ちゃんやもんな」


「――はぁ!?」


 ガチャンと音を立てて急須をテーブルに置くと冬太は怖い顔をした。


「アホか。ちゃうわ、南島は誰のもんでもないわ」


 二人のやりとりを見ていると、なんとなくラヴィナとベイルを思い出す。

 そして、だんだんアバイドワールが恋しくなってきた。その思いで胸が一杯になって苦しい。


「ごめん、ちょっと外の空気吸ってくるね」


 そのまま逃げるように居間から出た。庭へ出ようと縁側に並べてあった外履きに足を入れた。


 庭先で冷たい風がビュッと吹いてきて身を丸める。ふと目に留まった桜の木に近づいた。


 葉の付いていない枝を見上げていると、背後から小さく「大丈夫か?」と声がした。


 振り返ると、縁側に心配そうな表情の冬太が腰掛けていた。私は再び胸が一杯になって、木の方へと視線を向ける。


「うん。ちょっと、故郷の友達を思い出しただけだから」


 桜の木は、小さな蕾が開花を今か今かと待ちわびている様子を見せていた。春を待っているのは、あなたたちだけじゃないよ。そんな風に心の中で語りかける。


 ――そうだ。一刻も早く帰って、春祭の準備をしなければならない。


 くよくよと弱気でいるのは性には合わない。両手で頬を勢いよく叩いた。


「よしっ!」


「な、なんや」


「気合い入れたから大丈夫」


「そうか……」


 私は冬太にグッと親指を立てる。すると彼もほっとしたような表情になった。

 寒い庭内に太陽が暖かい光を落としてくれた。



 ++++++


 それは朝食を終えて、三人で雑談している時だった。冬太が突然、青い顔をして外に飛び出して行ったのだ。


「また、冬太は何も言わんと出て行きよる」


「――道成さん、私も行ってきます!」


 すぐに陰陽師の件であると気づいて立ち上がった。驚いた表情の道成に声をかけて、居間を飛び出す。


 後ろから道成の「羽里ちゃんもかいな」という声が聞こえたが、気にせず玄関で靴を履いた。


 急いで外に飛び出したのはいいが、冬太の姿はすでにない。ただ門の石垣の左右に青色の式神が二枚張り付いているのに気がついた。


 門に手を掛けるがその戸が開かない。もしかして追いかけて来られないように何か門に細工されたのだろうか。


 そこで「うーん」と唸り声を上げる。石垣に張り付いている式神を剥がしてみようと試みるが、何かに阻まれてそれには触れられない。


 だんだんと苛々が増してきた。私が傷つかないようにと配慮してくれるのはありがたいが、もはや冬太が一人で抱え込んでいい問題ではない。


 もう私たちは師弟を通り越して友達なのだ。


 門を掴み、こじ開けようと左右に引く。試しにやってみただけだったのだが、ガタガタと音がしてその戸は破壊された。


「あっ……」


 そっと後ろを振り返る。そこには誰もいないが、一応頭を下げて謝っておく。


「ごめんなさい」


 ひらりと式神が剥がれ落ちて消える。それを横目で確認しながら歩道へと飛び出した。

 左右を確認するが、目的の人物は居ない。


 そういえばタンジェリーンがいつも何者かの気配を感じ取っているのを思い出した。それを真似できないだろうか。


 静かに目を閉じて、神経を集中する。見よう見まねだが、冬太の気配を探ってみる。

 そうすると、なにか直感みたいなものを感じて、「神社の方かも」と思った。

 急いでその方向へと走り出す。右側の道を行くと小さな神社があるのだ。


 石の長い階段とその上に朱色の鳥居が見える。それを駆け上がると、境内の前で冬太が膝を付いていた。


 その前に二人の人物がいるのが見える。男鬼人だ。


 一人は木の角材のような物を手に持っている。その角材が赤く血のようなものに染まっていて言葉を失った。


 次の瞬間には夢中で駆けだしていた。角材を手にしていた男性の背中に突進するが、彼は一瞬前方に体制を崩したが倒れてはくれない。


「――南島か。阿呆、逃げろっ」


 冬太が叫んだが、私は角材男と対峙する。幸いなことにもう一方の鬼人は、冬太に標的を定めていて、こちらには向かって来ないようだ。


 男鬼人がギャアアと奇声を上げて向かって来る。私は角材に打たれるつもりで身構えた。


 その刹那、黄金の腕輪が閃光を放ち、光に包まれた鬼人たちが頭を抱え始めた。冬太がその隙に護符を張り付けることに成功する。


 毎度の如く体から影が飛び出すと、それは一斉にこちらに向かってきた。二つの影は一つの巨大な人型になると、あろうことかこちらに覆い被さってきたのだ。


「南島!」

 冬太の叫び声を最後に明かりを消したような暗闇に包まれた。気がついた時には一面真っ白い世界で影と対峙している。


「……め……だ」

 その場でのたうち回る影は何かを言っているようだった。


「だ……だ。影……消すん……ない」

 余りにも苦しそうにするのでその手を掴んでみた。すると、頭の中に直接声が響く。


《――真実を、早くしないと全てが終わる》

 そう言い残して影は消えて無くなってしまった。


「おい、南島!」


 その声に、ハッと眼を開けると目の前には冬太の顔がある。

 きょろきょろと視線を這わすと神社に戻っている。私はどうやら倒れていて冬太の膝上に頭を乗せているようだ。


「あのね、冬太」


 今起こったことを説明しようと口を開くが、頬に暖かい滴が落ちてきてそれを止めた。冬太は頭から血を流している。

 私は慌てて上半身を起き上がらせた。


「冬太、その怪我っ!?」


「ちょっと切っただけや、それより南島はどうなんや。大事ないか?」


「私は大丈夫だけど」


 冬太が貸してくれていたハンカチを取り出して、綺麗な面で彼の傷口を押さえる。


「ごめんな。また巻き込んでもうた」


「――バカ! なんで謝るのバカ! 言いたいこと一杯あるけど、冬太のバカ!」


 馬鹿、馬鹿と言っていると母親(リフィア)の最期を思い出す。彼女もそんなことを叫びながら逝ってしまったのだ。ボキャブラリーが少ないのは親子ならではだろうか。


「ごめんやで。でも、馬鹿は酷いわ……」

 冬太は力なく笑い、ハンカチを押し当てたまま立ち上がった。


 彼の体を支えて古民家へ帰った。道成に気づかれたくないというので私の寝泊まりしていた和室へ入る。

 傷の出血は止まっているようだが、私は心配になって声を上げた。


「頭だし、病院行った方がいいよ」


「いや、傷はすぐに塞がるから大丈夫や」


「それも陰陽師の力なの?」


「そうかもな」


「かもって?」


「物心ついた頃からや、元々の体質かも知れん」


 私は心の中で「そんなことあるか」と思ったが、彼はそういう特殊な家系なのかも知れない。


 居間にあった救急箱を持って来て怪我を治療していると、彼の左腕に包帯が巻かれていることに気が付いた。


「その包帯、変えようか?」


 そんなことを尋ねると、冬太は顔色を変えて俯いた。目を瞬かせると、彼は沈んだような声を発する。


「これは古傷やから気にせんでええ」


「古い傷に包帯を巻いてるのは変じゃない?」


 そう問いかけると、冬太は「せやな」と苦笑した。それから意を決したように頷いてその包帯を解く。


 腕には無数の細い傷跡がついている。


「これは自傷の痕や。昔話やけど、なんや悪い。見せんのはばかられる思って隠しとった。でも結局、よけいな心配させたな」


「そんなことはないけど」


「まぁ、もう関係ないから気せんといて。陰陽師の事もあるし、今はそんな暇やないねん」


 冬太はそう言ってはにかんだ。本人が思い悩んでいない様子なので、そのことは気にしないことにした。

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