言霊の幸わう国3
翌朝。寒い風が吹き荒れる中、私と冬太は空き地に立っていた。私の掌に乗っているのは人型に切り抜かれた小さな紙である。
「それが式神や。そんで、これが護符な」
次に手渡されたのが、星と文字が描かれた長方形の紙だ。こちらも手の平サイズである。
「式神は色別で用途が違う。この白は調査する時に使うんや。護符は結界とか……ってかそんなん意味分からんよな?」
苦笑する冬太に向かって、ふふんと自慢げに鼻を鳴らした。『結界』なら以前アルビレオが説明してくれた事を覚えている。
「ふふん、『結界は、結界内の物や人を守護したりする。またはそこに近づいた者を察知したりもする』んでしょ」
「プ、プロ、なんやって?」
「――プロテクトッ!」
そう胸を張ったが、冬太は理解できないといった様子で額に指を当てた。
「いや、そんなゲームとか漫画みたいに万能ちゃうねん。確かにこれを張ったら結界内の対象を守ったりするけどな。ただ護符が傷ついたら終いやし、強力な邪鬼やと破ってきよる」
「じゃあ、何に使うの?」
「これは人間が邪鬼に乗っ取られた時、元に戻す為に使うんや」
「ほほう」
私は「陰陽師、非常に興味深い」と唸り声を上げる。
「ねぇ、その紙って冬太の手作りなの?」
「そうやで」
「へぇ、格好いいなぁ」
「ははっ、そうでもないけど……」
そこで冬太は「しっ」と唇に指を当ててこちらを制した。
私が目を瞬かせると、彼は白色の式神を取り出してフッと息をかける。ふわりと紙が舞い上がると、それは飛び上がって空き地から出て行った。
「なんかおるで……」
冬太が低い声で呟く。さっと式神が帰って来ると、彼は私を守るように前に出た。
空き地の入り口に虚ろな様子の女性が現れたのだ。
「あれは邪鬼に憑かれとる。鬼人や」
冬太が叫ぶと、女鬼人はニタニタと微笑みながら包丁を握っている手を掲げた。
私はその刃物に驚きを隠せなかったが、冬太は冷静だった。
「武器持っとるんか。厄介やな」
緑色の式神を取り出すと、それに息をかける。そうすると式神が複数枚に分裂して女の周りを風のようにぐるぐると回り始めた。
「南島はじっとしときや!」
冬太はその手にいつの間にか武器を持っている。彼はそのまま走り出して敵の懐に入り込んだ。
女鬼人が振るう攻撃を、素早い動きで回避しながら護符を彼女の体へ貼り付けた。すぐに黒い影のようなものが女の背からぬっと這い出る。
彼は抜刀して影を二つに切り落とした。
「よっしゃ、これで終いや」
冬太が刀を鞘に戻し終ると、私は感動して盛大な拍手をした。全ての動作が洗練されていて、とてもじゃないが真似はできない。
「凄い。さすがは師匠です」
「そんな褒めんなや、照れるで」
冬太はへへっと笑う。私は彼の手にしていた漆黒の刀を指さす。
「それは武器なの?」
「ああ、これは打刀ちゅうやつや。普段は文珠が預かってくれててな、仕組みは分からんけど必要な時に出現する。元は道成の家にあったもんやけど、ちょうどええから使っとる」
冬太は照れたように頬を掻くが、少しだけ自慢げな雰囲気を感じる。
「そういえば文珠さんっていう人は脳内にいるの?」
「そう言われれば声しか聞いたことないな」
「ふーん、そっか」
先ほどの女性がのっそりと起きあがっているのが見えた。冬太はすぐに彼女に駆け寄ると、「大丈夫ですか」と声をかけている。
女性は不思議そうな表情を浮かべて首を傾げていた。彼女が立ち上がれることを確認すると、冬太はこちらに声をかけてくる。
「南島、ここでちょっと待っといてや。この人、近くまで送ってくるわ」
うんと頷くと、冬太は空き地を出て行ってしまった。
足下の石ころを蹴り跳ばしながら暇つぶししていると、ふと何者かの気配を感じて私は顔を上げた。
「冬太?」
しかし、眼前に居たのは見知らぬ男性である。彼は先程の女性と同じような虚ろな表情で私を見つめていた。
これは魔王の感だが、この男は鬼人だ。
私が一歩後ずさると、男はその動きに反応するように突進してきた。
「ちょっと、なに!?」
男の突進を腹に受けて上半身を折る。しかし、毎度の事ながら体に痛みなどは走らなかった。
日本でも不死身の能力が有効なのはありがたいが、このまま鬼人のサンドバックになるのはごめんだ。
「物理攻撃なんて効かないから!」
そう叫ぶと男は一瞬、怯んだ様子を見せた。その隙を見逃さない。
今度はこちらが頭突きを返してやった。そうすると意外にも男鬼人は簡単に倒れ、その体から影がすっと姿を現した。
影は恨めしいとでも言うようにこちらを向いてその身を揺らしている。
「南島ッ」
しかし、後ろから現れた冬太がそれを一刀両断にして、影は微塵となって消え去った。
「大丈夫か!?」
冬太が慌てた様子で駆け寄って来るが、私は高鳴る心臓を押さえるので精一杯だった。
必死に息を整えていると、冬太が今にも泣きそうな顔をしている。
「すまん、本間に大丈夫か。怪我とかしてへん?」
「うん。お腹に突進されたけど、平気だよ」
――「だって私、魔王だからと」そう説明しようとする前に冬太が腕を掴んできた。辛そうな表情で「ごめんごめん」と謝罪を続けるので、私は必死に手を横に振る。
「ち、違うよ。痛くないの、私は――」
「そんな訳ないやろ、早よう病院で見て貰わなあかんて」
「私、本当に痛みがないの、不死身だから、ほら!」
そう言ってその場でぴょんぴょんと跳ねる。ついでに海で靡いている昆布みたいにうねうねと動いて見せると、流石に冬太も眉を寄せた。
「自分なにしてるん……」
「大丈夫!」
ぐっと親指を立てる。
「ほんまか。ってか、不死身って何やねん。体鍛えてんの?」
「いいえ。――私の真名はルリ。今は魔王業をしている異世界人です。因みに魔族である父親の遺伝子を受け継いでいて、体が不死身なのです。ある事情があってアバイトワールから日本へ遣って来ました」
そんな風に饒舌でペラペラ話し出すと、冬太は眉を八の字に曲げて不振がる素振りを見せた。ただ、真剣な表情を続けていると無言だった彼は何かを納得したように頷く。
「誰にでも事情はあるわな……、俄には信じがたいけど」
どうやら冬太はぜんぜん信じてくれない様子だ。こうなったら過去や今の状況を説明するしかないだろう。
私は今までの出来事と経緯を掻い摘んで説明した。
「……で、この腕輪を渡されたんだけど、もう訳が分からなくて。早くアバイドワールに帰りたいのに、どうしたらいいのかな」
そう肩を落とすと冬太もようやく納得した様子を見せてくれる。
「いや、どうしたらって言われてもな。異世界やろ? 俺は生粋の日本人やで。海外旅行へ行ったこともないぐらいや」
「そうだよね……」
「ま、まぁ。とにかく一回、家に帰ろか。俺はあの人が大丈夫そうやったらすぐに追いかけるから、先に戻っててや」
私が目に見えて落ち込んでいるからか、彼は明るく声を上げた。その背後で、鬼人だった男性が首を傾げながら起き上がっている。
「うん、分かったよ」
ぐったりしながら歩き出す。緊張したせいか少し疲れてしまった。
空き地を出ると真っ直ぐ古民家へ向かう。冬太はすぐに追いかけて来てくれたので、安心して帰路に着つくことができた。