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言霊の幸わう国2

 冬太が自宅へ帰ってきたのは夜も更けた頃である。私が居間でお茶受けのお菓子をつまんでいた姿を見て、彼は「なんでや」と盛大な勢いで床に膝をついた。


「なんで南島がおるんや」


 その問いかけに対して、道成が口を開く。


「羽里ちゃん帰る所がないって言うから、泊めたろうと思ってな」


 私は日本で身を寄せられる所が無い。アバイドワール出生でこちらに親もいないし、異世界で時間が経ってしまった今では育った施設にも戻れなかった。

 冬太の叔父だという道成の古民家は広く、部屋も余っているそうなので、しばらくの間お世話になることにしたのだ。


「ごめんね。しばらくご厄介になります」


 頭を上げると冬太は、まさにあんぐりといった表情を浮かべていた。


「いや、しばらくって何やねん。明日になったら出て行くんとちゃうんか!?」


 道成は私が入れたお茶を啜りながらのんびりとした対応をする。


「きっと深い事情があるんやろう。どうせ部屋はあるから別に構わへんよ」


 その言葉に冬太は押し黙ったが、怖い顔でこちらを睨んでいる。そんな彼の姿に恐縮してしまって、「お願いします」と再度頭を下げた。


「もうええ、勝手にすればいいやろ」


「ありがとう!」


 嬉しさの余り冬太の手を握ってぶんぶんと振り回すと彼は困惑した様子を見せた。握った手は汗でじんわりと濡れている。


「ちょっおまっ、何すんねん」


「私、行く所がないの。どうやって帰ればいいかも、分がらないじぃー」


 緊張の糸が切れて泣きわめくと、冬太は引き気味に答えた。


「分かった、分かったから泣きなや。事情があるんやろ、しゃあないなぁもう」


 彼は強面の顔に似合わず優しい声色でそう言うと、ズボンのポケットからハンカチを出して渡してくれる。


「冬太、母親(おかん)みたいやで」


 道成が歯を見せて笑う。その茶化すような言葉に冬太は怒ったのか、「五月蠅いわ」と言い残してドスドスと音を立てながら居間から出て行ってしまった。


「羽里ちゃん、気にせんでな。冬太は女の子に耐性ないねん。照れとるだけやから」


 そう言って笑っている道成に深々と頭を下げた。


 道成には家に帰れない事情があるのだと簡単に説明をしてある。家出少女とでも思われているのだろうが、彼は何も詮索せずに受け入れてくれた。本当に有り難い話だ。


 朧に助けを求められて日本へ来たが、何をどうして救えばいいやら検討もつかない。私は腕を組みながら、今後どうすればいいかとひたすら頭を悩ませていた。



 ++++++


 何も進展がないまま三日が経過した。

 その夜、私は客間の和室で寝転がっていた。こうして、ゴロゴロとしていると畳の良い香りがして落ち着くのである。


 食事に寝床まであるというこの至れり尽くせりの待遇には感謝してもし切れないが、まだ暫くは世話になるしかないだろう。


 道成の住む古民家は、以前私が暮らしていた施設や通っていた高校からもそう遠くない場所にある。


 三日をかけて異世界へ飛ばされた場所や、以前タンジェリーンが迎えに来てくれた地点、学校付近などを捜索したが収穫は無い状態だ。


 ここにいて分かったことといえば、冬太がほぼ学校に通っていないことぐらいだ。

 彼は青い顔で何処かへ飛び出したきり帰ってこなかったり、夜中に家を出たりする。しかし、道成は外出や学校をさぼること自体は「別に構わへん」と言っていた。


 ただ、冬太は怪我をして帰ってくることも多く、事情も話さないのでとても心配しているそうだ。


 私は悩みすぎて畳の上を転がり続ける。そんなことをしていると襖の向こうからかすかに声が聞こえてきた。


「……もんじゅ。せやから、ちゃんとやっとるやろ。何が不満なんや」


 そんな冬太の声にそっと襖を開けると、彼は廊下の端でしゃがみ込んでいた。こちらの気配に気づいた冬太はかなり不自然な笑顔を浮かべている。


「お前、まだ起きとったんか」


「えっと、大丈夫?」


「何がや……」


 冬太は何かを誤魔化すようにわざとらしく立ち上がった。冷静さを装っている様子だが明らかに動揺しているようで、体の動きがぎこちない。


「どうしたの。話し声がしたから何かなと思って」


「な、なんもないわ」


 冬太は制服の襟で首元を隠した。その動きも非常に怪しい。

 もしかしたら怪我でもしているのだろうか。そんなことを思いながら彼の首もとに手を伸ばしたが、冬太はビクリとして身を引く。


「もしかして怪我してるの? 見せてみて」


「い、嫌や。離せ、ってかお前、力強っ!?」


 無理矢理シャツの襟を左右に引くが、どこにも怪我のようなものは見あたらない。ただ、首元に黒い輪になったいばら模様の入れ墨があるだけだ。


「や、やめや。追い剥ぎか」


 冬太はさっと襟を直すと、シャツのボタンを一番上まで閉めた。


「あ、ごめん?」


「なんで、疑問系やねん!」


 焦っていても冬太は『つっこみ』を忘れないようである。噂には聞いていたが、関西人はさすがだ。


「ねぇ、その入れ墨って?」


「これは、生まれつきやからなんでもない」


「そう? じゃあ、『もんじゅ』って誰」


 私が首を傾げると、冬太は明らかなまでに動揺した。目をキョロキョロと泳がせる姿を見て、彼は嘘がつけないタイプだなと直感する。


「ねぇ、何か話してたみたいだけど」


「さぁ、知らんわ」


「『何が不満な、んやぁ』って」

 似非関西弁で冬太のモノマネをすると、彼は観念したのか大きく息をはいた。


「上手くないで。イントネーションがちゃうねん」


「ははは」

 乾いた笑いを返すと、冬太は困ったように頭をガシガシとしてから床にあぐらをかいた。


「はぁ、隠しきれんわ。なんやねん、もう」


 彼は観念したような表情で手招きをする。


「お前はどうせ出て行くしええやろ。道成には秘密にしてや」


「うん」


「俺な。実は陰陽師やねん」


 冬太は真剣な表情である。一方の私は顔が強ばってしまった。

 昔、そういったタイトルの映画が放映していたような気もするが、主役だった俳優の顔がうっすらと浮かんできただけで陰陽師という意味がピンとこないのである。


「笑わんへんの?」


 冬太が眉を八の字にしながら弱気の姿勢を見せた。

 いや、これは笑うとか笑わないとか以前の問題だ。無言で目を細めていると、彼は肩を落とす。


「ああ、意味が分かっとらんだけか。あんな。陰陽師っちゅうんは……えっと、だから俺は邪鬼(じゃっき)と戦っとんねん。分かるか?」


 首を左右に振ると冬太は「そうやんなぁ」と残念そうに頭を下げた。


「俺はちょっと前まで普通の学生やった。ほんまは自分でもよう分かってないんや。文珠(もんじゅ)が言うには邪鬼を滅せるんは、陰陽師しかおらんねんて」


 つまり冬太は一年前から陰陽師になって、邪鬼という敵と戦っているということだろうか? そんな空想小説(ファンタジーノベル)的な事あるか、と以前の私なら一喝して笑っていただろう。


 しばらく押し黙っていると、冬太は神妙な声を上げた。


「やっぱり笑わんのやな。お前、こんなアホな話を信じてくれるんか?」


 こちらはもっと非現実的なファンタジック状態にあるのだよ。私は静かに頷いて同意を示す。


「……俺の頭ん中にな。文珠の声が響くようになったんは一年ぐらい前のことや」


「うん」


「それで、世界を救うことは俺にしかできんって言う。何か変な能力まで発動しよるし」


 それはなんとも親近感を覚える事案だ。私にも似たような経験がある。魔王になって不死身だと言われて戸惑った思い出が……。


 そんなことを考えていると、冬太はほっと息を漏らす。


「ほんまのこと言うと、もう一人では抱えきれへんかったんや。誰かに話せてちょっと楽なった、ありがとう」


 苦笑する彼を見ていると、私も何かの助けになればと強く思った。このまま日本に居続けたところで、無駄に時間を過ごすだけなのである。


「じゃあ、私も協力するよ。陰陽師の仕事を手伝うから何でも言って。これからよろしく師匠!」


「なんやねん、自分」


 力こぶを作るポーズをしていると腹を抱えて笑われてしまった。それでも、彼が苦しそうな表情を和らいでくれたので少しは役に立てただろう。


 その日から、私たちの師弟のような関係が始まったのだ。

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