言霊の幸わう国1
私の体は、薄暗い空間にふわふわと浮いていた。
ここは夢の中だろうか。そう考えたところで、次第に体が下向して、闇の底へ足をつけた。
こんな所にいるとアバイドワールが滅びかけた時の記憶が蘇る。急に不安な気持ちになって、キョロキョロと周囲に視線を這わす。
その直後、前方の方へふわりと光の玉が出現した。ゆっくり近づくとその白光は強まり、あまりの眩しさに目を覆った。
光が弱まるとそこに着物の姿の人物が立っている。
細目をした中性的な姿はきちんと脳内に記憶されていた。名前は、朧といっただろうか。アバイドワールが滅びかけていた時に助力してくれた人物だ。
「南島羽里、お久しぶりですね」
その挨拶に会釈で返すと、朧は表情を変えずに口を開く。
「今回は貴女に頼みがあって、こちらへお呼びしました」
出来ることならば頼みを聞きたいと思う。私は頷いて肯定の意を示すした。
朧は柔和な笑みを浮かべる。
「貴女に日本へ戻って頂きたいのです」
その発言を耳にした瞬間、眉間にしわが寄った。
以前にも世界を再生する条件として、日本へ戻ることを強要されたことがある。また同じことを要求されるのだろうか……。
私が返答に困っていると、朧は一歩だけ距離をつめてきた。
「今、助けが必要です。戻って来てくださいませんか」
そんなことを言われても困る。口を開こうとしたが、先に相手が発言してしまった。
「箱庭の子よ、貴女には力がある。違いますか?」
『力がある』と言われて仲間たちの顔を思い浮かべた。確かに彼らは力強い味方だ。
私が考え込んでいる隙に、朧は金に輝く腕輪を手渡してきた。
「その腕輪は、ワタクシが生み出したもの。日本とアバイドワールを繋ぐ架け橋となるでしょう。身につけていれば、日本でもその特殊な能力を使えるのです。それでは、よろしくお願いしますよ」
――えっ、もう決定事項なの!? という叫びも声にはならず、朧は姿を消してしまった。
ハッと意識を取り戻すと、狭い路地の真ん中に立っていた。右を向けば古い瓦屋根の住宅が、左を向けば青い屋根で白い外壁の住宅がある。
アバイドワールにはこのような日本風の建物はない。いや、そうではなく、ここはどう見ても日本なのだ。
困惑したまま頭に触れると、最近慣れてきた角の感触がない。指に絡んだ髪は亜麻色をしていた。
服装は夢でも見た当時、通っていた学校の制服だ。スカートを翻してお尻を確認したら、トカゲの尻尾も消えている。
「ちょっと、何なの!?」
最後に、長袖に隠れていた黄金の腕輪を見て甲高い悲鳴をあげた。
左右を見回しても住宅しかない。周囲に仲間たちがいる気配もなく、独りぼっちでどうしろというのか。私は、ただ地面を睨みつけるぐらいしか出来なかった。
「離せや」
そんな怒鳴り声が耳に入った。右側の住宅から男の声が聞こえる。
私は、その方向へと歩み始めた。路地裏の角を曲がると古い平屋が見えた。
どうやら、玄関先で二人の男がもみ合っている様子だ。
一人は耳にピアスを付けた同じ年頃の男子。もう一人は彼の親だろうか、短い髪を後ろで縛っている黒縁眼鏡の男性である。
「離せって、俺を止める権利は無いはずや」
男子は掴まれた腕を振り解こうと、もがいている様子だ。
彼らをじっと観察していたら、男子の方に気づかれた。柄の悪い顔がこちらを睨みつけてくる。
その気迫にたじろぐと、彼は片眉をピクリと上げた。
「……ああ、なんや。南島やんか」
彼と知り合いだっただろうか。私が首を傾げると、それを見た相手は怪訝そうな顔をした。
「いや、なんで首傾げんねん。俺や、三浦や。同期やろ」
ううーんと唸りながら薄い記憶を探る。
なんとなくだが、存在を思い出せる気がした。同級生という彼の言い分は正しかった。
同じ学校のクラスメイトだったのだ。関西弁なので悪目立ちしていたけど、教室ではあまり姿を見かけることが無かった気もする。
「確か、三浦……冬太君だったよね?」
「ふゆた、とちゃうわ。とうた、や」
「ああ、ごめん。冬太君ね」
男子改め、冬太はこちらに強い視線を投げてきた。どうにも彼は、柄が悪いように思える。
「で、何の用や?」
「えっと、それは」
完全に困ってしまって、言葉に詰まった。眼鏡の男性がパッと顔を輝かせて手を打ち鳴らすまでは。
「――おおっ、まさか告白かっ」
ニヤケた表情の男性がこちらを見るので、即座に首を横へ振る。そうすると、彼は「なんや。違うんかぁ」と頭を掻きながらこちらの側まで寄ってきた。
「どうも、僕は八谷道成。三十二歳、独身です。えっと、南島なにちゃんかな?」
「羽里です」
「南島羽里ちゃん。変わった名前やね。なぁ、羽里ちゃんかわええなぁ。冬太に興味ないなら僕の彼女はどう?」
この人は突然なにを言い出すのか。意味がわからないなぁと思っていたら、真顔の冬太が道成の背を叩いた。
「なに、アホなこといっとんねん」
「痛っ、冗談やんか」
まるで、テレビで見た漫才みたいだ。その一連のやりとりが面白くて、つい「ふふっ」と声を上げてしまった。
道成は笑っていたが、冬太はかなり不機嫌な様子だ。さすがに笑ったのは失礼だったかも知れない。
「笑っちゃってごめんね」
「別にええけど、って俺はこんなんやってる暇ないねん」
冬太はそう言い残して、さっと身を翻した。彼の姿は路地の方へ消えてしまう。
とり残された私は、道成と顔を見合わせるしかなかった。