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夢の浮橋

 目の前には、ありふれた日本の風景が広がっている。桜並木の通学路には学生の姿がちらほらと見受けられた。


 懐かしい高校の制服に身を包んだ私の、足取りは重い。


 晴れていたはずの空には厚い雲がやってきて、不機嫌な様子だ。湿った臭いが鼻腔をかすめると嫌な予感がした。


 どうか雷雨には、なりませんように。そう願いながら震える足を必死に動かす。


 同じ制服を着た女子生徒たちが真横をすり抜けた。楽しそうに談笑する彼女らを、今度は自転車に乗った男子生徒がさっさと追い抜いて行く。


 普段と変わらない朝の登校風景なのに、私の方は気が気でない。

 ゴロゴロいう嫌な音を耳にしながら持っていた傘の持ち手部分をひたすら握り締める。


 一瞬、眩しい光が射した。


 私はたまらずしゃがみ込んで頭を抱えた。幼い頃に激しい嵐の中で森に置き去りにされたことがあり、雷に対して恐怖心を持っている。


 ――雷はいや。雷だけは……。


 道の真ん中で傘もささず怯えることしか出来なかった。地面に当たる弱々しい雨粒が、ついには激しさを増していく。


「大丈夫か?」


 突然、そんな声がかかって目線を上げる。側には一人の男子が立っていた。

 その表情は茶髪に隠れて窺えないが、耳のピアスが雷光に反射している。


 片手を差し出されてから、ようやく私を助けようとする彼の意志に気がついた。反射的に「ありがとう」を言おうとしたが、急にその光景が遠ざかって消えてしまう。



「……――さま。かあさま」


 頬にペチペチという刺激があって意識を取り戻した。


 おやおやと視線を這わすと、私の腰掛ける椅子の隣で藤色のワンピースを纏った幼女が不安気な表情を浮かべていた。


 桃色の瞳を輝かせているのは義理の妹であるスィフィ。少しだけ成長した彼女は標準語を覚え、単純な会話ならば問題なく行えるようになっていた。


 私の母親でもある創造神、リフィアに虐げられていたことで、彼女に似た私のことを『かあさま』と呼ぶ。でも似てるのは銀の髪色ぐらいだけどね。


 そんなことをぼんやり考えていると、「魔王様!」という一喝が部屋に響き渡った。私は驚きのあまり、椅子からずり落ちそうになる。


 声の主は、側頭部に山羊のような灰色の角を生やした白髪の男。怖い顔でこちらを睨みつけている彼は、シャーこと、シャーデン・フロイデである。


 幼少期の私である『ルリ』を知っている数少ない臣下の一人だ。

 彼の放った怒号は強烈で、一瞬で目が覚めた。


「今は、政務中ですぞ」


 呆れた様子のシャーに言われてそのことを思い出す。執務室で来月に執り行われる春祭の企画会議をしている最中であった。


 そもそも。

 私、南島(なんとう)羽里(うり)は日本で高校生をしていた普通の人間だった。


 いや、そう思っていたという方が正しいだろう。異世界であるアバイドワールへ飛ばされたことで変わってしまったからだ。


 私の姿は、赤褐色の角とトカゲのような尻尾が生えたものに変貌し、あれよあれよという間に魔王となってしまった。


 しかも、勇者が私を滅ぼそうとやって来たり、最後には世界まで崩壊しかけた。

 紆余曲折はあったが、現在は大それた争い事もなく、平和そのもの。こうして魔王城で政務に追われる日々を送っている。


 そんなことを考えつつ、机に広げられた資料に視線を落とした。しかしミミズが這ったような文字の羅列を眺めているとまた眠気が……。


「ウリ様。フロイデ様が現在お話されているのは、こちらの用紙になります」


 寝惚け眼で頭を揺らしていると、間髪を入れず資料が差し出される。

 そちらに視線をやると、黒髪の紳士が麗しい微笑みを湛えていた。


 彼はベイル・ジャレント。容姿は人族と変わりないが、獣族と魔族の混血種(ハフブリード)で黒豹の姿に変化できる。


 当初、彼は監視役として雇われていた傭兵だったが、勉学に秀でていたために今は私の教育係りとなっていた。


「ベイル、ありがとう。よし、集中、集中」

 差し出された紙を必死で凝視していると、シャーが大袈裟なため息をつく。


「魔王様におかれましては、頭の中が初春に舞う蝶ように意味もなく浮いていらっしゃるのですな」


「えへへ、蝶々なんて」


「褒めておらんわッ、戯けめがッ!」


 美しく舞う蝶を思い浮かべて照れたら、頭を資料の束で小突かれた。

 そのやりとりを見ていたスィフィがクックと笑い声を漏らす。とたんに、シャーが鬼のような形相を彼女へ向ける。


「ひゃあ。ちゃー、こわい」


 スィフィはニコニコしながら口元を押さえて、長机の影に隠れた。私はそんな彼女の姿が可愛くて思わず破顔する。


 ベイルも同じ事を思ったのだろう顔を綻ばせてから口を開いた。


「フロイデ様、少し休憩に致しませんか? ウリ様は集中出来ないご様子ですので」


 そう柔和な笑みを浮かべた部下に対して、シャーは「仕方がない」と言わんばかりにわざとらしい表情をした。


「はぁ、少しの間だけですぞ」


 それを聞いて、内心ほっとした。持っていた資料を手放す。


 スィフィと一緒に執務室から出たら、ちょうど真向かいの壁に王子様のような容姿の青年が寄りかかっていた。


 白いロングコートを纏った彼はアルビレオ・レティド。人族では珍しいという魔法使いだ。


 アルビレオは当初、故郷のロッサ村へ帰る予定だったのだが、それを変更してここに残ってくれた。現在は魔王専属の騎士団に所属をしているらしい。


「よう。もう政務は終わりか?」


「少しだけ休憩になったよ」


 そう返事を返していたら、スィフィが元気よく声をあげた。


「アル、げんきーっ?」


 アルビレオは「ああ、元気だよ」と彼女の頭を優しく撫でる。和やかな空気に包まれた瞬間、開いていた窓の外が何やら騒がしくなった。


 窓の外を見ると、広場の方で城の兵士たちが一人の男を取り囲んでいるのが窺えた。スィフィがピョンピョンと跳ねて窓枠にしがみつく。


「なぁに、なぁに」


 よく見ると群衆の中、無精髭の男が華麗な動きで剣を振り回しているようだ。踊る舞う金髪が光に反射して輝きを放っている。


 それを見たアルビレオが呆れたような顔で呟いた。


「はぁ、親父は何をやってんだよ」


 中庭で男が剣を振る度に、周りを取り囲んだ兵士たちから声援が上がっている。見事な剣舞が終わると、歓声は一段と大きくなった。


 私とスィフィが拍手していると、輪の主役がこちらに大きく手を振ってくれた。

 彼は『ハーティ』こと、グレイト・ハーティド・レティド。元は勇者であったのだが、今はシャーの意向で兵士育成に手を掛けてくれていた。


 アルビレオとミーティアという二児の子を持つ彼はお調子者なのに不思議と慕われる男なのである。先ほどの様子では、すでに兵士たちにも一目置かれる存在になっているようだ。


 そんなことを考えていると、部屋の扉からベイルがひょいと顔を出した。


「ウリ様、そろそろ再開に致しましょう」


 スィフィは、まだ窓の外へ手をブンブンと振り続けていた。その内、この可愛い子を愛でにハーティもやって来るだろう。

 スィフィにデレデレとしている彼を想像すると微笑ましくて、思わず笑い声が出た。


「ふふっ。ねぇ、アル。良かったらスィフィを預かっていてくれない?」


「ああ。今日は鍛錬休みだから、別に構わないけど」


 アルビレオがそう言ってくれたので執務室へと戻ることにした。


 部屋へ入ると、長机の前でシャーが待ってましたといわんばかりに仁王立ちしている。私はそそくさと椅子に腰掛けて再び資料と睨めっこを始めた。


 しかし、数十分後。またもや強烈な眠気に襲われて、再び頭を小突かれることになったのである。



「なんだか最近眠たいよ」


 なんとか政務を終えて、自室の丸机(テーブル)に突っ伏した。

 私がうだうだとそんなことを言っていると、藍色の給仕服にエプロンを付けた側仕え(メイド)が紅茶を差し出してくれる。


 彼女の名はラヴィナ。この異世界で孤独だった私に初めてできた友達だ。気丈な彼女からは学ぶことも多く、その愛情深い性格をとても尊敬している。


 ラヴィナは口元に手を当てながら微笑んだ。


「もう春ですからね」


「そうそう。こう暖かいと、眠くても仕方がないよね」


 そんな風に冗談を言ったが、最近の眠気はどうも異常だ。加えてもう一つ、困っていることがある。


「最近、昔の夢ばっかり見るんだよね」


 眉を下げると、ラヴィナはきょとんとした顔で首を傾げた。


「それはトリ様が以前から言っておられる、ルリ様の夢ですか?」


 私はルリだった頃の幼い記憶を消失している。それはアバイドワールに来た頃から、たまに夢として再生されることがあるが、未だにその詳細は思い出せていない。


「ううん、そうじゃなくて。なんか日本の男子が出てくる夢なの」


「ニッポンですか?」


「そう、何か日に日に現実的(リアル)になっていくんだよね」


 顎に手を当てて考え込むと私の寝台(ベッド)に腰掛けていた少年が、読んでいた書物から視線を上げた。


「――嗚呼、ニッポン。誠に興味深シ。再度、行けぬものカ」


 そう訝しげに呟いたのは、タンジェリーン。かつて祀族(しぞく)に仕えていたという竜族の息子であり、古の歴史を後世に伝える使命を持つ学者だ。


 現在、齢五百六十一歳。その容姿は十二歳ほどであるが本来の姿は赤竜(ドラゴンである。

 今は祀族を調査するために祀族領地(アラバスター)と魔王城を往復する生活をしているらしい。


(わたくし)、タンジェリーンさんが羨ましいですわ。一度とはいえ、トリ様の故郷を御覧になれたのですから」


「ンン。願わくバ、もう一度」


「それは贅沢なお悩みですね」


 思い悩むタンジェリーンに対し、ラヴィナが苦笑を返す。


 私はというと、そんな二人の様子を気配で窺いながら目頭を押さえていた。紅茶を口に含んでも、激しい眠気が消え去ってくれない。


「うーん。だめだ、眠い」


「トリ様、少し仮眠を取られた方がよろしいですわ」


 タンジェリーンが「退こウ」と立ち上がると、ラヴィナに支えられながらよろよろと寝台へ向かった。


「ごめん、夕食まで少し寝るね」


「はい。トリ様、お休みなさいませ」


 そのまま寝台の上で薄手の毛布にくるまる。思ったよりもずっと早く、闇の中へと誘われた。

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